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2017年8月 8日 (火)

これぞプロフェッショナル!

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前エントリー背番号が変わった人と変わらなかった人、そして変わったはずなのに変わっていない人…。では暑さのせいでスコアボードの得点を間違えたと書いたが、同じ6日、空調の効いた東京ドームではこれぞプロフェッショナル!というシーンがあった。



ジャイアンツ対ドラゴンズ戦。ドラゴンズは1点リードの九回裏にこの登板で日本記録更新に当たる950試合登板となる岩瀬仁紀を投入。一死一、二塁のピンチを招き、坂本勇人に右中間の大飛球を打たれるがセンターの大島洋平が好捕。抜ければ逆転サヨナラ勝ちも狙えたジャイアンツはサヨナラの走者となる重信慎之介が二塁を回ってから慌てて帰塁して二死一、二塁で試合再開と思いきや、一度二塁を踏んで三塁方向に走りかけたのに戻るときには二塁ベースを踏まずに一塁に戻ったとしてドラゴンズのアピールプレーでアウトとされ、試合終了となった。


重信はお粗末だったが、きちんと見ていた一塁手のダヤン・ビシエドと二塁塁審の有隅昭二審判員はこれぞプロフェッショナル!と感心した。


(写真:坂本勇人の右中間の大飛球を好捕され、二塁を回っていた一塁走者の重信慎之介が慌てて一塁に戻るも、二塁ベースを踏まずに…。日テレG+の中継映像から)

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2017年7月 2日 (日)

【訃報】名将上田利治元監督逝く

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それにしても野球関係の訃報が相次ぐ。阪急ブレーブスの監督として黄金時代を築いた名将上田利治元監督が1日の午前
255分、肺炎のためなくなられた。80歳だった。


西本幸雄さんから阪急ブレーブスを引き継ぎ、昭和50(1975)から昭和53年までパ・リーグで四連覇。特に昭和50年からの三年間は西本前監督時代に成し遂げられなかった日本一を三年連続。昭和51年と翌52年には西本監督時代に大きく立ちはだかったジャイアンツに雪辱を果たした名将だった。


東京時代のファイターズの監督も1995年から五年間務めた。阪急ブレーブス時代のコーチングスタッフを引き連れての参戦だったが、その内二年間ではリーグ優勝に迫る成績を残したが、優勝には届かなかった。

それにしても野球関係の訃報が相次ぐ。阪急ブレーブスの監督として黄金時代を築いた名将上田利治元監督が1日の午前255分、肺炎のためなくなられた。80歳だった。

 

西本幸雄さんから阪急ブレーブスを引き継ぎ、昭和50(1975)から昭和53年までパ・リーグで四連覇。特に昭和50年からの三年間は西本前監督時代に成し遂げられなかった日本一を三年連続。昭和51年と翌52年には西本監督時代に大きく立ちはだかったジャイアンツに雪辱を果たした名将だった。

 

東京時代のファイターズの監督も1995年から五年間務めた。阪急ブレーブス時代のコーチングスタッフを引き連れての参戦だったが、その内二年間ではリーグ優勝に迫る成績を残したが、優勝には届かなかった。


謹んでご冥福をお祈りします。

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2017年6月26日 (月)

『サウスポー』永射保 元投手とその時代-【訃報】永射保 元投手

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ライオンズが西武になってから初めて優勝した時期に、左打者封じのリリーフ投手として異彩を放っていた永射保 元投手が
24日、63歳でなくなられた。


永射投手と言えば、カープの清川栄治とともに、本当に憎ったらしい投手だった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


(写真:プロ野球マスターズリーグ・福岡ドンタクズ時代の永射保元投手。このモーションを見るだけで憎らしさが… 20091月撮影)

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2017年1月 8日 (日)

古葉竹識さんのトークイベントを聞いてきました。

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今日
8日は東京ドームの野球殿堂博物館で行われた古葉竹識さんのトークイベントを聞いてきた。


古葉さんは言わずと知れた昭和50(1975)の広島東洋カープの初優勝を始め、四度のリーグ優勝、三度の日本一を果たした名将。現在、野球殿堂博物館では昨年震災に遭った熊本を応援する企画として、熊本県出身の大監督、故川上哲治さんに因んだ「川上哲治特別展」を開催しているが、その企画の一環として川上さんと同じ熊本県出身の古葉さんがトークショーを行ったものだ。


(写真:「川上哲治特別展」開催記念のトークイベントを行った古葉竹識さんと、司会進行を務めた“ニッポン放送ショウアップナイター”の胡口和雄氏)

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2016年12月25日 (日)

“ゴールデンイーグルスの後藤光尊が現役引退。”で浮き彫りにされる古巣球団の長期低迷の闇。

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ゴールデンイーグルスから戦力外通告を受けながらも現役続行を望んで合同トライアウトも受験した後藤光尊
24日、現役引退を表明。今後はゴールデンイーグルスの球団職員になるという。


後藤は2002年にオリックスブルーウェーブに入団し、合併後もオリックス・バファローズに所属していたが鉄平とのトレードで2014年からはゴールデンイーグルスに所属していた。


後藤はファンの間では、一番から九番まで全部の打順で本塁打を記録したとか、2002年からの15年間のプロ生活で12人の監督に仕えた選手という点でも注目を浴びているが、もう一つ“現役引退”でクローズアップされる一面がある。


(写真:現役続行を希望していたもののオファーが無く現役引退を表明したゴールデンイーグルスの後藤光尊。 20147月撮影)

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2016年12月20日 (火)

追悼、加藤初さん

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長嶋茂雄
監督の二年目に太平洋クラブライオンズから移籍してきて、この年のジャイアンツの、前年のセ・リーグ最下位からの優勝という大転換に大きく貢献するなど、移籍組では異例とも思える
15年間の長きにわたりジャイアンツで投げ抜いた加藤初元投手の訃報が入ってきた。1211日になくなられたそうで、巨人軍が発表した。66歳だった。


敗戦処理。は当時からジャイアンツを応援していたのでリアルタイムにジャイアンツの加藤初さんを見ているが、特に好きな選手の一人だった。

 

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2016年12月 6日 (火)

荒川博さんを悼む。

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4日、ジャイアンツのコーチ時代に王貞治に一本足打法を指導したことなどで知られる荒川博さんが急逝された。享年
86歳。


伸び悩む若き日の王を自宅に招き、日本刀で素振りをさせて一本足打法を習得させた「荒川道場」のエピソードはあまりにも有名。


また一人、古き良き時代の昭和のプロ野球を支えた野球人が旅立った。


(写真:トークショーで教え子、王貞治について熱く語る荒川博さん。 2007年3月撮影)

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2016年8月25日 (木)

週刊ベースボールを「オレが許さん!」

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こんなバカなことがあるか。今週の「週刊ベースボール95日号」(ベースボール・マガジン社)に豊田泰光さんに関する報道がほとんどないのだ。



豊田さんがなくなられたことが明らかになったのは今月15日。17日発売の前号に間に合わないのは仕方ないが、逆に今週発売号には充分なスペースを割けるはず。


野球界での功績はもちろん、同誌でも名物コラム「豊田泰光のオレが許さん!」が連載1001回を数えた大功労者だ。見識を疑う。

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2016年8月16日 (火)

ライオンズ・クラシックをもう一度…。

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西鉄ライオンズ黄金時代の主力選手の一人、豊田泰光さんがなくなられた。81歳だった。


豊田さんは引退後、評論家として長く活動していた。地上波でジャイアンツの試合が毎試合放送されていた時代のフジテレビ「プロ野球ニュース」での御意見番的な立ち回り。ベースボール・マガジン社の週刊ベースボールや日本経済新聞での連載、そしてライオンズの球団史にスポットを当てる「ライオンズ・クラシック」のプロデューサーとして歴史を掘り起こした。


豊田泰光さんのご冥福をいのります。


(写真:2012年のライオンズ・クラシック「稲尾和久生誕75周年 永久欠番メモリアルゲーム-背番号<24>の記憶」で挨拶をした豊田泰光さん。 20127月撮影)

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2016年6月21日 (火)

横浜大洋銀行二日間限りで閉店

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ベイスターズが懐かしい横浜大洋ホエールズ時代のホームユニフォームを復刻した。川崎球場から本拠地を新設の横浜スタジアムに移して「横浜大洋ホエールズ」となった
1978年から「横浜ベイスターズ」に改称する前年の1992年まで15年間ホーム用のユニフォームとして着ていたユニフォームだ。交流戦の対ファイターズ戦のうち、横浜スタジアムでの二試合での限定使用。昨日(20)16日の雨天中止分の代替え試合ということで使用された。


ファイターズ一筋のファンの方には特に何てことのない試合だったろうが、セ・リーグでジャイアンツを応援している敗戦処理。にとってはぜひ観たい試合。到着したのがブランドン・レアードの決勝本塁打が出た直後で、最もオイシイ場面を観ることが出来なかったのは残念だったが、失礼ながら「横浜大洋銀行」と揶揄された時代を思い浮かべながら楽しい生観戦となった。


(写真:横浜スタジアム元年から25年間着続けたホーム用ユニフォームでプレーしたベイスターズナイン)

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