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2021年3月 6日 (土)

スワローズの背番号34

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日に発表された廣岡大志との交換トレードでジャイアンツからスワローズに移籍した田口麗斗はスワローズでは“背番号34”でプレーする。移籍を報じるスポーツ報知の1面には“カネやんの34”とうたわれているが、前身の国鉄スワローズで大活躍した金田正一さんが付けていた背番号で,その後多くの球団で期待の左投手に与えられることが多い背番号になっている。

◆ 【ヤクルト】巨人から加入の田口麗斗は背番号「34」に…400勝投手・金田正一氏の番号を継承
2021年3月1日 スポーツ報知

◆ ヤクルト移籍の田口、背番号はカネやんの「34」ローテ救世主に伝説左腕級の期待
202132日 スポニチアネックス

 

 

 



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金田正一
さんは国鉄スワローズが創立された昭和25年(1950年)に入団し、ジャイアンツに移籍する前の昭和39年(1964年)まで背番号34を付けていた。ジャイアンツでの5年間も背番号34を付け続け、現役引退後も二度にわたるロッテオリオンズの監督時代も背番号34で通した。言わずとしれた日本プロ野球界最多の通算400勝を達成した大投手。昨今でこそ、ホークスの工藤公康監督が現役時代の大半で付けていた背番号47が左投手の代名詞のように各球団で左投手に与えられているが、背番号34も期待の左投手に与えられることが多い。


因みに現役、監督時代を通して28年間、“背番号34”というひとつの背番号だけを付け続けた例では金田さんが最長記録になるようだ。山本昌が現役時代の32年間、背番号34を付け続けたが引退翌年のオープン戦で引退試合を行うために一日だけ支配下登録されたがその際の背番号が0で登録されたため、“ひとつの背番号だけを付け続けた例”には当てはまらない。)


田口麗斗が付けることになったスワローズの背番号34は昨年まで左投手の山田大樹がつけていたが退団していて空いていた。空き番号だったから田口に与えられ、“カネやんの34”は報知やスポーツニッポンが後付けした理由だろう<笑>。


金田さんは国鉄スワローズでの15年間で353勝、ジャイアンツでの5年間で47勝を挙げて合計で400勝となったが永久欠番の栄誉を与えたのはジャイアンツの方。
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したがってジャイアンツではその後期待の左腕投手に“背番号34”が与えられることはない。


田口はジャイアンツには2013年に行われたドラフト会議で3位指名されて入団した投手だから期待は大きかったのだろう。当初は背番号90だったが、2019年から背番号28を背負っていた。背番号34を永久欠番にしているジャイアンツにおいては新浦寿夫、岡島秀樹といった、活躍した左投手が付けていた背番号で左投手としての期待の高さがうかがえた。阪神タイガース時代の江夏豊にあやかって期待の左投手に与えられることも多い背番号と言える。田口の場合は背番号28に変わる前年に2勝8敗と不振にあえいだこともあり、そのことを忘れないようにというのも理由のひとつとして報じられていた。


“カネやんの34”云々はスポーツ紙の記事。スワローズ球団は背番号34を特別な背番号と考えているのだろうか?


国鉄スワローズで353勝を挙げた金田さんのジャイアンツへの移籍は今回の田口のような交換トレードではなく、B級10年選手という資格を得て,自分の希望でジャイアンツに移籍した。現在のフリーエージェントに近い制度だったのだろう。昨今でもFA権を行使して自分の意思で退団した選手をバッシングするファンは少なくないが、本来であれば金田さんの現役引退に合わせてジャイアンツが背番号34を永久欠番にしたのならスワローズ球団も追随してもおかしくないが、既にスワローズは国鉄ではなくサンケイに身売りしていた。

 

晩年の金田さんに取材した複数の方から聞いたことがあるが、金田さん自身、国鉄スワローズには思い入れが深いが,“ヤクルト”にはほとんど思い入れがないらしい。評論家時代には「“巨人OB”みたいな発言が多い」と揶揄されることもあった。


金田さんが一回目のオリオンズ監督を終えて評論家やタレント活動をしていた時期に国鉄のキャンペーンCMに起用されたのを記憶している。金田さんが車いすに乗って移動しようとする時に,放置されている自転車が邪魔でなかなか道を通れないという映像で、放置自転車を撲滅しようという趣旨の意見広告だったと記憶しているが、金田さんはCMへの出演依頼を受けた時に「ノーギャラでいい」と申し出たという。今の自分があるのは国鉄のお陰だからというのがその理由だったそうだが、さすがにノーギャラという訳にはいかず相応の出演料が支払われたという。後にカネダ企画を立ち上げ、不入りだったオリオンズの本拠地川崎球場をPRしようと『テレビじゃ見れない川崎劇場』というキャンペーンを企画した際には試合の映像を使用したとはいえ出演した選手にギャラを払わなかった等悪名の高い<!?>面もあったが、国鉄に思い入れがある一方で、後継球団には思い入れが無かったようだ。


金田さんが先か球団が先かという話になってしまうが、この球団は金田さんのジャイアンツ在籍期間中を含め、背番号34を普通に選手に与え続ける。

◎ 国鉄、サンケイ、アトムズ、(東京)ヤクルト,歴代“背番号34”
青文字は左投手。
1950年~1964年 金田正一投手
1965年 不在
1966年~1967年 東条文博内野手
1968年~1970年 福富邦夫外野手
1971年~1976年 三橋豊夫投手
1977年~1982年 黒坂幸夫投手
1983年 不在
1984年~1993年 高野光投手
1994年 ジェラルド・クラーク外野手
1995年~1999年 北川哲也投手
2000年 不在
2001年~2002年 アラン・ニューマン投手
2003年~2004年 ジェイソン・ベバリン投手
2005年~2006年 リック・ガトームソン投手
2007年 ブライアン・シコースキー投手
2008年 ダニエル・リオス投手
2009年~2010年 八木亮祐投手
2011年~2015年 トニー・バーネット投手
2016年 ヒラム・デイビース投手
2017年 ロス・オーレンドルフ投手
2018年~2020年 山田大樹投手
2021年 田口麗斗投手

【参考】球団名、親会社の変遷
1950年~1964年 国鉄スワローズ
1965年 サンケイスワローズ
1966年~1968年 サンケイアトムズ
1969年 アトムズ
1970年~1973年 ヤクルトアトムズ
1974年~2005年 ヤクルトスワローズ
2006年~ 東京ヤクルトスワローズ

現在の東京ヤクルトスワローズでは古田敦也の現役引退後に背番号27を空き番にするなど功労者の背番号を特別視している。また、背番号1を、チームを代表する選手に与えるチームカラーになっているが、国鉄時代の勝ち星だけでも日本球界最多になる金田さんの背番号34への敬意は残念ながらあまり見られない。金田さんの後に背番号34を付けた選手は田口までで18人いて1994年のジェラルド・クラーク外野手を最後に投手が続いているが、15人いる投手のうち左投手は田口を含めても6人しかいない。


『週刊ベースボール』2021年3月1日号(ベースボール・マガジン社)のサブタイトルが“プロ野球背番号物語2021”で、球団別に背番号ごとの最多勝利をあげている。スワローズでは背番号34が合計466勝でチーム最多(2位は現役の石川雅規、OBの梶間健一らが合計で382勝を挙げた背番号19)だが466勝のうち、金田さんがひとりで353勝を稼いでいることを考えると、今の球団にあまりこの番号にこだわりがあるようには思えない。


ジャイアンツファンとしては,ジャイアンツでは珍しい高校卒入団の叩き上げにあたる田口がトレードになってしまうのは残念だ。主に1980年代から1990年代を席巻した,現在AirペイのCMに出演している斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寬己の三本柱は揃って高校からの入団だったがその後は上原浩治、菅野智之とエースと呼ばれる選手は大学卒になり、外国人選手や大学・社会人出身や移籍組で先発ローテーションを固める印象があるジャイアンツにあって、高校卒で入団して三年目には二桁勝利を挙げた田口というのは貴重な選手だと敗戦処理。は思っていた。


ジャイアンツで高校卒入団の左投手が二桁勝利を挙げたのは,高校中退でジャイアンツに入団した新浦を除けば高橋一三さん以来。V9時代の左のエースと言われた高橋さんでも初の二桁勝利は入団五年目。新浦はさらに遅く八年目だった。田口は二年連続で二桁勝利を挙げてもその翌年に2勝8敗と不振にあえぐと、リリーフ要員に回り、「飼い殺しはしない」とかの理由でトレードに出す。こういうチームの方針を改めさせるには田口にスワローズで活躍してもらってジャイアンツに目を覚めさせるのが一番だと個人的には思っている。

 

田口は今日6日、トレード成立から5日後にしてカープとのオープン戦に先発登板。その様子をテレビ中継で観ながらこのエントリーを書いている。スワローズが産んだ大投手の背番号があまり大事にされていないように思えるのは極めて残念だが、こうした形で振り返られるのを機に考えてもらえれば幸いだ…。


金田さんが移籍を決断した経緯をリンクしたが、球団には球団の事情がある。当時の親会社は国鉄であって、現在のJRではない。逆に敗戦処理。の贔屓チームであるファイターズは東映、日拓を経て日本ハムになった当初、大杉勝男さんや張本勲等の旧東映色の濃い選手を続々と放出していった。また、西鉄ライオンズで大活躍した稲尾和久さんの背番号24が永久欠番になったのは西武になってからという前例もある。野村克也氏が展示を許さなかった南海ホークスメモリアルギャラリーにノムさんのゆかりの品が展示された例もある。時間が解決するのかもしれない。

【参考文献】
『スワローズ全史~国鉄・サンケイ・アトムズ・ヤクルトの軌跡~』ベースボール・マガジン社 他

 

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