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2020年5月20日 (水)

“1981年の江川卓はエースではなかったのか。”-週刊ベースボール6月1日号を読んで考えた江川卓論

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今日の野球界の最大の話題は全国高等学校野球選手権大会の中止になるだろうが、本日発売の『週刊ベースボール6月1日号』(ベースボール・マガジン社)の表紙を見てすぐに購入。こちらの方が気になったので考えたことを書いてみたい。


1981年の江川卓はエースではなかったのか。


(写真:江川卓。 現役引退から12年経った1999年11月撮影)


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 発売されたばかりの最新号なので、ネタバレになるような事を書くわけにはいくまい。1981年、昭和56年の江川卓といえば、自身のキャリアハイに当たる20勝を挙げた年。31試合に登板して20完投、内完封勝利7で20勝6敗。240回1/3を投げて221奪三振。防御率2.29だった年だ。セ・リーグの最多勝利はもちろんのこと、防御率、勝率、奪三振数、完投、完封勝利数でセ・リーグのトップだった。江川の9年間の現役生活の中でも最も輝いた一年であることは間違いない。にもかかわらず“1981年の江川卓はエースではなかったのか。”のタイトル。まあ察しの良い人は感づくであろうが、詳しくは同誌を購入して読んでいただきたい。


敗戦処理。はこの年の江川をリアルタイムで見ている。間違いなくキャリアハイの年であったと思う。ただ、エース論という意味では翌年、1982年(昭和57年)の江川の登板結果にある種のエースの形を敗戦処理。はイメージする。


江川の1981年と1982年の成績を列記する。

◆1981年
31試合 20完投 7完封勝利 20勝6敗 勝率.769 投球回数240回1/3 221奪三振 自責点61 防御率2.29
完投、完封勝利、勝利、勝率、奪三振、防御率がセ・リーグトップ。

1982年
31試合 24完投 6完封勝利 19勝12敗 勝率.613 投球回数263回1/3 196奪三振 自責点69 防御率2.36
完投、完封勝利、無四球試合(10) 被本塁打(36)、奪三振がセ・リーグトップ。


ほとんどにおいて、1981年の方が上回っている。エースと呼ぶにふさわしいのは1981年の方だ。だが何故敗戦処理。が1982年の江川にこだわりを持つかというと、この数字にこそエースと頼られる投手の真髄が見えている。


19勝12敗という成績は前年の20勝6敗よりは劣っている。しかしこの年の江川の登板数は31試合(すべて先発)。31試合で19勝12敗ということは投げた試合で全て責任(勝敗)を負ったことになる。時代によってエースそのものの価値観に差違はあるだろうが、敗戦処理。は当時これこそエースの成績だと思ったのだ。


また、この年の江川の完投数は24。勝利数19より完投の方が多い。当時も今もセ・リーグにはDH制はない。相手にリードを許した状態で打席が回ってくれば代打を送られる可能性が高い。江川の打撃は投手の中ではトップレベルだったにせよ、エースは完投が当たり前だった時代でも群を抜いている。因みにこの年の江川は打者として100打席に立っている。31試合だから1試合あたり約3.2打席。九番打者が一試合に3打席立つ。これだけでも投球回数の長さがわかるだろう。


24完投しながら19勝止まり。実は19勝はすべて完投。完投負けが5試合あることになる。この年のジャイアンツの抑えの切り札は角三男だったが、江川が先発した試合で角がセーブを記録した試合はない(19勝がすべて完投だから当然なのだが)。抑えの切り札を江川は休ませたことになり、当時の角は冗談交じりに「江川さんが投げる日は“あがり”」と言っていた。


この年、江川が先発した試合に角が投げたのは一度だけ。当時を知るファンには忘れたくても忘れられない9月28日の対ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場)。この年に優勝したドラゴンズとの直接対決最後の三連戦。江川が先発して九回表を終わって6対2とリード。普通なら勝ったも同然だが何故か九回裏に集中打を浴び6対6の同点にされてしまい、十回裏に先頭打者を出塁させたところで角がリリーフで登板。この回に角が大島康徳にサヨナラ安打を打たれて負けてしまった。エースが投げて、抑えの切り札がリリーフにあがる。コノ1982年にはその一度だけだった。


投げた試合は勝っても負けても自分が責任を取る。抑えの投手の力を借りない(その分他の投手が先発する試合に力を発揮してもらう)。それでこそエースだと思う。


この年の1登板あたりの平均投球回数は8.49。8回1/3強だ。20勝した前年の7.75回(7回2/3強)をも上回る。近年で最高の成績だと言える2013年に28試合で24勝0敗1セーブという成績を挙げた田中将大が先発投安に限定すれば27試合で211回。平均値は7.81回(7回2/3強)をも上回る。


途中でも書いたが、エースの価値観は時代によって差違がある。江川自身、現役時代に「ひとりの20勝投手より、15勝近くの投手が複数いる方がチームとしては良い」といって物議を醸した。でも現在の先発ローテーション投手事情はかつて江川が言った内容に近い。また江川は周知の通り“空白の一日”という掟破りなやり方でジャイアンツに強行入団を試みて大顰蹙を買ったが、その後ドラフト上位で逆指名制度が出来た。また、江川には100球前後で球威が落ちる傾向が見られて“100球肩”という異名が着いたが、今では先発投手が100球前後でマウンドをリリーフに委ねることは不思議でも何でもない。穿った見方をすれば時代の先を行った投手だと言える。


現在のセイバーメトリクス的データを集められればあの時代の江川の評価もまた違ったものになるかもしれない。それはそれで興味深いが、表に出ているデータだけでもそれなりに振り返ることは出来る。


当時においてチームやファンが求めたエース像に近いのが江川だったと思う。9年間で135勝という短い現役生活だったが、今も語り継がれるのはそれだけのことがあるからだろう。



最後に余談になるが、新型コロナウイルス禍で公式戦の開幕が延期されている状況で、野球専門誌の『週刊ベースボール』も苦境に立たされているのは想像するに難くない。また、それ以前の前提として同誌は近年の主流となったセイバーメトリクス的な視点に欠け、レギュラー執筆陣のOBにも旧態依然とした感覚の方が少なくなく、野球ファンの中でも“オワコン”と見做している層も少なくない様だ。敗戦処理。自身も物足りなく感じる点がある。しかし、それこそ子どもの頃から家で野球中継を見るかたわらに常に置いてあった名物雑誌に今ここで負けて欲しくないのだ。号によってえっ!?と思う特集もあるが変わらずに毎週水曜日に“野球”を届け続けて欲しい。

がんばろう、週刊ベースボール!


参考エントリー
2019年6月7日付漫画『江川と西本』連載終了。



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コメント

◇正しい分析、判断による素晴らしいブログ記事。
◇私は江川選手のプロ入りから引退までの全試合を記録し、新聞はスクラップしてあります。
各年度などひとめで分かる様に整理してあります。
敗北試合の全完投も全部すぐに引っ張り出せます。

◇’81、82年で江川投手の先発61、完投44試合。
’89,90年・・・・斎藤投手は先発57、完投40試合。
「ミスター完投」と言われた2年連続20勝の斎藤よりも”絶対的”!!
※途中降板は2試合だけ
◇’82年の敗北には5/7の中日戦のサヨナラ負け
5/30ヤクルト戦での「大杉の一球」からの9回逆転負け
そして9/28と・・・残念な試合が多かった。
しかし「無四死球完投10」という今やアンタッチャブルレコードとなるセ・リーグ記録を残す。※日本記録は11試合の稲尾和久

シュガー麗様、コメントをありがとうございます。


> ◇正しい分析、判断による素晴らしいブログ記事。


ありがとうございます。


> 「ミスター完投」と言われた2年連続20勝の斎藤よりも”絶対的”!!


斎藤雅樹も紛れもなくエースだったと思いますが、それを上回る江川でなく、斎藤雅樹に「ミスター完投」の異名が付くのは江川の時代より斎藤の時代の方が球界全体での完投数が少なく、完投すること自体の価値(希少性)が高かったので斎藤の完投能力に注目が集まったのではと推測しています。

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