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2020年2月16日 (日)

「人を残して一流」-プロ野球名監督“俺が育てた”選手権

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日朝にテレビ朝日系列で放送された『サンデーLIVE』という番組でレギュラー出演者の古田敦也が、今月11日に急逝した野村克也元監督の功績を振り返っていた。


その中で野村監督に現役時代に指導を受けた選手が後に監督やコーチになるケースが多く、“ID野球”と呼ばれた野村監督の野球が受け継がれていることに言及されていた。


野村元監督の好きな言葉に“お金を残すのは三流、名を残すのは二流、人を残して一流”というものがある。


現役時代に野村元監督の教えを受けて、後に監督になった人物は何人いるのだろうか?他の名監督と比べてどうなのか?抜けがあるかもしれないが調べてみた。


(写真:昨年7月に行われた Swallows DREAM GAME で、かつての教え子で後に監督を務めた古田敦也、真中満らに支えられながら打席に向かう野村克也元監督。 2019年7月撮影)

 

 

 



現役時代に野村克也元監督の下で選手だった人が、現在の十二球団の監督の半数にもなる。敗戦処理。は侍ジャパンの指揮を執る稲葉篤紀を含めて六人かと思っていたが、稲葉監督を別にして、十二球団の半分の六人だという。


辻発彦、三木肇、栗山英樹、矢野燿大、高津臣吾の五人かと思ったら、ドラゴンズの与田剛監督も現役時代の最後、2000年に、野村監督が率いるタイガースに所属していたのだ。


野村監督の教え子、「俺が育てた」と言える選手は何人いるのだろうか?他の名監督はどうなのか?敗戦処理。なりに調べてみた。定義は、監督としてチームを率いていたときに選手として所属した人が後にNPBの監督になった人数で調べてみた。選手は生え抜きでなくてもよい。上述の与田のように移籍組も含めるが、一時的な監督代行者は数えないことにする。なお、コメント欄で いの一番 さんから抜けを指摘していただいたので赤文字で追記しました。


野村克也監督の教え子
南海ホークス(1970年~1977)
杉浦忠、古葉竹識、広瀬叔功
ヤクルトスワローズ(1990年~1998)
古田敦也、高津臣吾、辻発彦、栗山英樹、三木肇、真中満、小川淳司、尾花高夫
阪神タイガース(1999年~2001)
和田豊、矢野燿大、与田剛
東北楽天ゴールデンイーグルス(2006年~2011)
平石洋介
15人。


南海ホークスで選手兼任監督をしていた時代に島野育夫さんが選手として在籍していたが、監督代行の実績はあっても監督にはなっていないと解釈して除外した。これに加えて、野球日本代表“侍ジャパン”の監督、稲葉篤紀もスワローズ時代の教え子だ。


稲葉監督を別にしても、15人の監督を「俺が育てた」のだ。では他の名監督はどうだろう?


ジャイアンツで不滅のV9を成し遂げた川上哲治監督は

読売ジャイアンツ(1961年~1974)
別所毅彦、広岡達朗、須藤豊、森永勝也、金田正一、藤田元司、森昌彦(森祇晶)、堀内恒夫、長嶋茂雄、王貞治、土井正三、高田繁
12人。

※ 
カッコ内は後の名前。原則として選手当時の名前を書き、カッコ内に後の名前を書いている。以下同じ。

後にドラゴンズの監督として川上巨人のV10を阻止した与那嶺要さんもそうかなと思ったが、川上監督が就任するタイミングでドラゴンズに移籍している。


野村元監督のライバルと言われた森祇晶の教え子も多く監督になっている。

西武ライオンズ(1986年~1994)
東尾修、工藤公康、伊東勤、大久保博元、渡辺久信、辻発彦、田辺徳雄、石毛宏典、秋山幸二、田尾安志
横浜ベイスターズ(2001年~2002)
谷繁元信
11人。


もうひとり、ノムさんのライバルだったミスターこと長嶋茂雄監督は

読売ジャイアンツ(1975年~1980)
高田繁、土井正三、王貞治、堀内恒夫、伊原春樹、中畑清、山本功児
読売ジャイアンツ(1993年~2001)
原辰徳、田辺路朗(田辺徳雄)、高橋由伸、工藤公康
計11人。

 

“野村チルドレン”の15人に劣らぬ人数。“ミスターチルドレン”は4人だと思っていたが11人もいる。

野村元監督が名将と尊敬する西本幸雄さんは

大毎オリオンズ(1960)
植村義信、須藤豊、荒川博、山内和弘(山内一弘)、田宮謙次郎
阪急ブレーブス(1963年~1973年)
梶本隆夫、関口清治、山田久志
近鉄バファローズ(1974年~1981)
鈴木啓示、梨田昌孝、佐々木恭介、森脇浩司、大石大二郎
13人。

最も長く指揮を執った阪急ブレーブスからの監督が意外に多くなかった。


監督としてノムさんを上回る歴代最多の1773勝を挙げた鶴岡一人監督は

南海ホークス(1946年~1968)
別所昭(別所毅彦)、飯田徳治、岡本伊三美、野村克也、広瀬叔功、大沢昌芳(大沢啓二)、穴吹義雄、杉浦忠、ブレイザー
9人。

他に蔭山和夫さんが監督に就任したが、就任四日後に病気で急逝して一試合も指揮していないので除外した。


鶴岡さんはノムさんが南海ホークスの監督を解任された時の黒幕とも言われ、確執が取り沙汰されたが“人を残す”と言う点では師匠を上回った。


変わったところで、優勝経験のない監督の中で最多勝利監督に当たる1237勝を挙げた別当薫監督も調べてみた。

毎日オリオンズ・大毎オリオンズ(1954年~1959)
植村義信、西本幸雄、山内和弘(山内一弘)、荒川博久(荒川博)、須藤豊
近鉄バファローズ(1962年~1964年)
関根潤三
大洋ホエールズ(1968年~1972)
土井淳、近藤昭仁、江尻亮、江藤慎一
広島東洋カープ(1973年)
三村敏之、山本一義、山本浩司(山本浩二)
大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズ(1977年~1979)
山下大輔、田代富雄
15人。


何と、ノムさんと並ぶ15人。ノムさんにも当てはまるが多くの球団で監督を務めたことも多くの指導者を生むことにつながったのだろう。ノムさんには上述の15人の他に稲葉がいるが、別当さんにもHOYAバリラックスⅡを開発したプラスがある!?

広岡達朗監督
ヤクルトスワローズ(1976年~1979)
大矢明彦、若松勉、尾花高夫
西武ライオンズ(1982年~1985)
森繁和、東尾修、工藤公康、伊東勤、石毛宏典、田淵幸一、秋山幸二、渡辺久信、辻発彦、大久保博元、田辺徳雄、田尾安志
15人。

意外といったら怒られるかもしれないが多い。でも選手に「肉を食うな」といった監督はいない。

王貞治監督
読売ジャイアンツ(1984年~1988)
中畑清、原辰徳
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス(1995年~2008)
工藤公康、石毛宏典、秋山幸二、井口忠仁(井口資仁)

ノムさんに稲葉がいるのと同様、ホークスで小久保裕紀を教えている。

星野仙一監督
中日ドラゴンズ(1987年~1991年)
落合博満、大島康徳、与田剛、矢野輝弘(矢野燿大)

中日ドラゴンズ(1996年~2001年)

阪神タイガース(2002年~2003年)
金本知憲

東北楽天ゴールデンイーグルス(2011年~2014年)
平石洋介
計6人。

ここからは日本のプロ野球の初期から監督を務めた大先輩を調べる。上には上がいるとしか言えない。

藤本定義監督
読売ジャイアンツ(1936年~1942)
白石敏男(白石勝巳)、水原茂、三原脩、中島治康、川上哲治、千葉茂、青田昇
パシフィック(1946)
太陽ロビンス(1947)
藤井勇
金星スターズ(1948)
濃人渉、門前真佐人
大映スターズ(1949年~1956)
林義一
阪急ブレーブス(1957年~1959)
梶本隆夫
阪神タイガース(1962年~1968)
村山実、安藤統夫、吉田義男、山内一弘、藤田平
17人。

さすが、巨人と阪神の監督時代の選手が後に多く監督になっている。

水原茂監督
読売ジャイアンツ(1950年~1960)
別所毅彦、千葉茂、宇野光雄、川上哲治、青田昇、与那嶺要、広岡達朗、森昌彦(森祇晶)、藤田元司、長嶋茂雄、王貞治
東映フライヤーズ(1961年~1967)
土橋正幸
中日ドラゴンズ(1969年~1971)
権藤博、星野仙一、高木守道、中暁生(中利夫)、江藤慎一、大島康徳
18人。

三原脩監督
読売ジャイアンツ(1947年~1949)
近藤貞雄、千葉茂、川上哲治、宇野光雄、青田昇、関口清治、白石敏男(白石勝巳)、別所毅彦、水原茂
西鉄ライオンズ(1951年~1959)
川崎徳次、鬼頭政一、関口清治、中西太、大下弘、仰木彬、稲尾和久
大洋ホエールズ(1960年~1967)
秋山登、土井淳、近藤昭仁、江尻亮
近鉄バファローズ(1968年~1970)
鈴木啓示、阿南準郎
ヤクルトアトムズ(1971年~1973)
大矢明彦、武上四郎、若松勉
25人。

上には上がいるとしか言いようがない。三原魔術と言われた印象が深いが、後の名監督を多く輩出している。三原監督が、最も多く後の監督を輩出した監督と言えるのだろう。ただし野村監督の教え子が監督に就任するケースは今後も増えるだろう。


ただ単にチームに在籍していたというだけで、後の監督人生に影響を受けていない可能性もあるが、機械的に一人と考えて“教え子”が多い監督を調べてみた。特急で調べたので抜けがあるかもしれない。お気付きの方はコメント欄でご指摘いただければ幸いである。また、本来であれば、教え子の方も、何年にどの球団で監督を務めたかを記載すべきところだが、あまりに人数が多いので割愛させていただいた。ご容赦いただきたい。


本当はもっと多くの監督に関して調べていきたいところだが、野村克也さんとゆかりの深い監督を中心に絞って調べた。教え子が監督になった人数では最多だろうと思ったが、上には上がいた。全ての監督を調べたわけではないのでランキングにはしないが、“人を残して一流”を地で行った名監督であることは間違いない。


最後に、冒頭に挙げたテレビ朝日の番組を見て記憶力を頼りにツイートをしたところ、
@caz_mark さん他から「○○がいますよ」と数々の助言をいただいた。お付き合いいただき、かつ助言をいただいた皆さんに心から感謝します。


【参考文献】
『プロ野球70年史』(ベースボール・マガジン社)
THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCLOPEDIA 2004(日本野球機構/ベースボール・マガジン社)

 

 

 

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コメント

こんばんは。初めて投稿します。(私自身はカープファンです)
貴ブログでは、ご自身のお好きな球団だけでなく、野球界の各方面から
話題を取り上げておられ、いつも興味深く拝読しております。

さて、早速ですが、監督と選手の関係で抜けているものを2つ見つけましたので、
お知らせします。

・三原 脩 - 阿南準郎(近鉄時代)
 私は以前、阿南さんの講演を聞いたことがありますが、
「三原さんには大きな影響を受けた」と言っておられました。
 ですからまさに“教え子”と言っていいでしょう。
 巨人ファンの方には忌まわしい記憶であろう、1986年のカープ逆転優勝も
 もしかすると三原さんの影響が何かしらあったかも。
 また、阿南さんは近鉄のコーチ時代、入団したての梨田さんを鍛えたことを
 懐かしそうに話されていました。
 他球団のファンの方は、阿南さんはカープ一筋というイメージを持っておられると思うので、
 三原さんや近鉄が優勝した当時の主力選手との接点は盲点になっていると思います。
 
・森 祇晶 - 田尾安志(西武時代)
 田尾さんは森さんのやり方に異を唱えてトレードされたので、
自分が森さんの教え子だとは思っていないように感じますが、
1986年に1年間だけ一緒にいたのは事実です。

では、失礼します。今後も貴ブログに期待しております。

いの一番様、コメントをありがとうございます。

ご指摘ありがとうございます。


> ・三原 脩 - 阿南準郎(近鉄時代)
 私は以前、阿南さんの講演を聞いたことがありますが、
「三原さんには大きな影響を受けた」と言っておられました。


ありがとうございます。完全に抜けていました。

阿南さんの現役時代の晩年にまさに三原監督が近鉄を率いていた三年間に近鉄にいたのですね。


> ・森 祇晶 - 田尾安志(西武時代)
 田尾さんは森さんのやり方に異を唱えてトレードされたので、


いや~これも抜けていました。第8戦までもつれた森監督一年目の広島との日本シリーズに田尾も出ていましたね。

他にもありそうなので、少し様子を見てからエントリーの方も修正したいと思います。

本当にありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

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