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2020年1月 6日 (月)

生涯現役!?-昨シーズンまでカープやジャイアンツでコーチをしていた内田順三前コーチがJR東日本の外部コーチに就任。

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昨シーズン限りでジャイアンツを退団した内田順三前巡回打撃コーチが社会人野球のJR東日本で外部コーチを務めることになった。


内田前コーチは選手として当時のヤクルトアトムズに入団してから昨年まで選手、コーチ、二軍監督などを務め一度もユニフォームを脱ぐことなく半世紀を過ごしていて昨年でついに終止符を打ったかと思いきや、舞台を社会人野球に変えて今季も指導者生活を続ける。


(写真:JR東日本硬式野球部の堀井哲也監督と話をするジャイアンツの内田順三巡回打撃コーチ。 2019年6月撮影。肩書きはともに当時のもの)



 

◆ 前巨人の内田順三コーチがJR東日本で外部コーチ
(2020年1月6日 日刊スポーツ)

 

内田順三前コーチは昭和44年(1969年)に行われたドラフト会議でヤクルトアトムズから8位指名を受けて入団。ヤクルトスワローズ、日本ハムファイターズ、広島東洋カープでプレー。主に勝負強い左の代打として活躍した。カープ時代の昭和57年(1982年)限りで現役を引退してそのまま翌年からカープのコーチに就任すると、昨年まで37年間一度もユニフォームを脱ぐことなくカープかジャイアンツでコーチを務めていた。
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ヤクルトアトムズ一年目の昭和45年(1970年)から昨年までの半世紀にわたってユニフォームを着続けた球界の大功労者がユニフォームを脱ぐというのでようやくゆっくりされるのかと思いきや、指導の場をNPBから社会人野球に変えるだけだった…。


おそらくはNPBにおける最長記録であろう。半世紀、50年にわたってユニフォームを着続けた人なんて他にいないのではないか?この間、フロント入りする事等もなく、現役を引退してからはカープかジャイアンツでコーチや二軍監督を務めていた。


近年はジャイアンツで“巡回打撃コーチ”という肩書きだった。“巡回”と名がつくくらいだから、常にチームに帯同するわけではなく高齢に配慮したのかなと勝手に想像したが、少なくとも敗戦処理。がジャイアンツ球場に観戦に行った時には二軍であろうと三軍であろうとグラウンドに内田コーチの姿があった。


ジャイアンツ球場は開場が試合開始の三時間前と早いのでホームチームであるジャイアンツの打撃練習から見物出来るのだが、ビジターのチームと打撃練習を交代する時に、たまに相手チームのコーチと打撃論を交わすのか、身振り手振りで話しているのを見かけた。


昨年の終盤には現役選手としての引退セレモニーを終えた後のマリーンズの福浦和也選手兼任コーチを長く労っているのを見かけた。


冒頭の写真も、昨年行われたジャイアンツの三軍と社会人野球のJR東日本の交流戦の試合後のひとコマ。奇しくも今季からの職場だが、試合後に堀井哲也監督と長く話していた。JR東日本は社会人野球の強豪チームで、その試合でもシーズンの終盤には一軍に上がった戸郷翔征らジャイアンツの投手陣をめった打ちにしていた。
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記事にある様に外部コーチとのことなので常時指導をするのではないのかもしれないが、ますます打力がパワーアップするかもしれない。


ただ、現在72歳。サラリーマンであれば定年から延長したとしてもさすがに身を引いている年齢だ。ましてや体力を使うスポーツの指導者だ。ジャイアンツ退団の報道に接してさすがに一線を退くのだろうと思ったがさにあらず。本当に驚いた。


二球団だけとはいえ計37年間もコーチをしていたのだから評論家としての需要もあるだろう。例えば松井秀喜はジャイアンツに在籍していた最後の2002年に最後に打ったシーズン50号のバットを感謝の意を表して内田コーチにプレゼントした。一流打者との思い出を語るだけで楽を出来ると思うのだが。


ジャイアンツでは昨シーズン限りで内田コーチの他に小谷正勝巡回投手コーチも退任した。こちらは内田コーチよりさらに二歳年上で74歳。両者ともにいかにコーチとして有能であったとしてもいつまでも頼りにする訳にはいかないというのもあったのかもしれない。その意味では貴重な人材の流出に当たるが、いつまでも頼りにする訳にもいくまい。


ところで内田コーチは現役時代にファイターズに二年間在籍している。最初に入団したヤクルトスワローズから昭和49年(1974年)のシーズン終了後に、昨年なくなられた小田義人さんとともに大杉勝男さんとの2対1の交換トレードでファイターズにやってきた。当時は日本ハムになって最初のシーズンを終えた時。旧東映色の強い選手が次々とトレードに出されていた時で主砲の大杉さんも例外で無かった。同じタイミングで大下剛史はカープに、翌オフに張本勲がジャイアンツにそれぞれトレードでチームから出されていた時期だ。


たった二年間の在籍とはいえ移籍一年目の108試合出場は内田コーチにとって自己最多出場であり、翌年も自身3位に相当する101試合に出場した外野手だ。そういう縁がありながらファイターズでコーチを一度もやっていないのが残念だ。37年間連続でコーチを務めていたといっても、最初にコーチをしたカープとジャイアンツとの間で、今オフの退団を別にしても5回の退任をしているのだ。交渉のタイミングはあったはずで、育成重視の球団がOBで育成名人のコーチを招聘しなかったことが残念でならない。


社会人野球とはいえコーチ生活を続けるのならこのタイミングで…とは言わないが、大器として期待されて入団したのに花開かなかった何人かの選手を思い浮かべるといささか残念に思う。


雀百まで踊り忘れず、三つ子の魂百までという言葉がある様にプロ野球界から離れても声がかかれば指導者生活を続けるということなのだろうが、くれぐれも健康第一であって欲しい。


【参考】内田順三氏略歴
(※ 1994年以降は肩書きを含む)
○選手生活
ヤクルトアトムズ/ヤクルトスワローズ(1970年~1974年)
・日本ハムファイターズ(1975年~1976年)
広島東洋カープ(1977年~1982年)

○指導者生活
カープ(1983年~1993年)
ジャイアンツ(1994年~2002年)
二軍打撃(94~99)一軍打撃(00~02)
カープ(2003年~2005年)
一軍打撃(03)一軍チーフ打撃(04~05)
ジャイアンツ(2006年~2007年)
一軍打撃(06~07)
・カープ(2008年~2014年)
一軍打撃統括(08~10)二軍打撃チーフ(11)二軍監督(12~14)
ジャイアンツ(2015年~2019年)
二軍打撃(15)一軍打撃(16)ファーム巡回打撃~二軍監督(17)二軍打撃(18)巡回打撃(19)
JR東日本(2020年~)
外部コーチ(20~)

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