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2019年5月 2日 (木)

敗戦処理。的平成ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.14

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かつて拙blogで偶数月2日に各球団の、敗戦処理。が初めてプロ野球の試合を生観戦した1974年(昭和49年)以降、即ちリアルタイムに見た時代のベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでいた。現在の十二球団と近鉄バファローズを一通り終えたので終了していたが、おとといで平成が終了したので、平成元年から先月平成31年4月30日まで、平成の全球団を通じてのベストナインおよび一軍メンバー29人、そして監督も決めてみた。


マイセレクトリアルタイムベストナインVol.14-平成編

 



今回も最初に定義を説明しておこう。


●対象期間は平成元年から平成が終了する平成31年4月30日までとする。
●昭和の時代から継続してプレーした選手も上記平成の間のみの成績を対象とする。
●大リーグなどNPB以外でもプレーした選手に関してはNPBの成績のみを対象とする。平成という元号は日本のみだから。
●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。
●外国人枠(人数制限)は設けない。
●ベストナイン10人を含む一軍29人と監督を選ぶ。


【投手】
平成の期間での最多勝利は山本昌の214勝。山本昌は平成の間に200勝以上した唯一の投手である。野茂英雄黒田博樹が日米通算で200勝以上挙げているが、本企画は日本の元号“平成”が対象なので大リーグでの成績を考慮しない。お許しいただきたい。


山本昌が平成唯一の200勝超え投手であるという事実が象徴している様に、平成における投手像は先発、中継ぎ、抑えなどといった分業制。登板間隔や投球数などに制約を加えることで投手の寿命を守り、かつ最良のパフォーマンスをさせようという発想だ。だが、平成の初期、まだそんな概念が形成される前に先発投手として大車輪の活躍をした投手がいた。


それが冒頭の写真の斎藤雅樹である。平成期間の勝利数こそ151と山本昌に大きく水を開けられ、西口文也(同182勝)、工藤公康(同177勝)、三浦大輔(同172勝)、現役の石川雅規(同163勝)に次ぐ6位にとどまるが、その内容が凄い。


平成元年、翌平成2年と二年連続20勝。年間20勝投手自体が平成の期間では他に西本聖、上原浩治、井川慶、斎藤和巳、岩隈久志、田中将大しかいなく、各1回。斎藤雅の20勝2回は図抜けている。最初に20勝した平成元年の11試合連続完投勝利、平成最多の最多勝利5回。106完投、36完封勝利もともに期間中最多。


他には平成25年に24勝0敗という空前絶後の成績を残した田中将大や、日本球界在籍中の7年間で通算防御率1.99(平成期間中1000回以上の投手で最良かつ唯一の防御率1点台)だったダルビッシュ有もいる。また、クローザー、セットアッパーとして平成期間で優秀な成績を残した投手もいる(セーブ数上位3人=岩瀬仁紀407セーブ、高津臣吾286セーブ、佐々木主浩252セーブ。ホールド数上位3人=宮西尚生304ホールド、山口鉄也273ホールド、浅尾拓也200ホールド)が、平成のベストナイン投手は斎藤雅樹を選ぶ。
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【捕手】
平成元年入団の谷繁元信が捕手としての最多出場記録で野村克也を超えている。野村の記録は昭和の時代なので昭和の野村、平成の谷繁と言える。谷繁は監督兼任だった期間も含め平成27年までの実働27年間の長きにわたってプレーしたこともあり、通算打率は.250にも満たない.240ながら安打数は2108本。これは古田敦也の2097安打や、現役の阿部慎之助の内野手登録だった期間も含めての2089安打を上回り、平成期間の捕手の最多安打である。


江の川高校からの入団で実働27年という長さは記録面では強い。打者としては上だった印象の古田は42歳になるシーズンまで現役でプレーしたが大学、社会人経由での入団で現役生活が18年間(それでも充分に長い)のため、安打数だけで無く本塁打数でも谷繁の229本に対して217本、打点でも谷繁の1040に対して1009と下回っている。ただし本塁打と打点では阿部の399本塁打、1261打点が平成期間の捕手で最多となる。


因みに盗塁数も調べてみた。どんぐりの背比べ<失礼>かと思ったら意外な名前が。城島健司の72盗塁が最多で、伊東勤71盗塁、古田敦也70盗塁と続く。


捕手は本来、守備力で評価されるポジション。だが本企画では捕手に限らず平成期間の守備力という尺度での調査が出来なかった。主要打撃成績で比較するしか無い。長期間の現役生活という点にも敬意を表し、平成のベストナイン捕手は谷繁元信を選ぶ。
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【一塁手】
昭和61年入団で昭和63年までの成績を差し引いても、清原和博の記録が群を抜いている。一塁手としての1697試合出場は現役の福浦和也の1615試合を上回る最多出場。ただこれは一塁手専業の選手が少なかったことも影響しているかもしれない。清原の期間中434本塁打は内野手として最多であるが、内野手で清原に次ぐ413本塁打を放った小久保裕紀の出場数は一塁手602試合、三塁手950試合と分散しているし、4000打数以上の内野手で最高打率.310の小笠原道大も一塁手998試合、三塁手794試合と分散している。昨年限りで現役を引退した新井貴浩は期間中の安打数では2203本と清原を上回るが、守備位置ごとの出場数では一塁手985試合、三塁手1163試合と分散している。また、現役の内野手登録で最多安打は鳥谷敬内川聖一の2071安打だが、近年では一塁手というイメージが強い内川は一塁手としてより外野手としての出場数が多く、外野手としては872試合に出場しているが一塁手としては527試合に過ぎない。


平成で唯一の三冠王に輝いた松中信彦も一塁手としては750試合にとどまる。ポジション別では外野手としての325試合の倍以上で三冠王に輝いた平成16年は一塁手のみで129試合に出場。全盛期が短かった印象があり、通算352本塁打、1168打点だが1767安打で打率.296は意外にといったら失礼だが安定している。


平成期間中に一塁手として1000試合以上出場したのは清原と福浦意外では駒田徳広1372試合、落合博満1067試合のみ。だが駒田は若い頃には外野手としても出場しており外野手として152試合出場。落合も昭和の時代に二塁手としてレギュラーポジションを獲った選手で三塁手としての出場も多数。一塁手専業の選手が少ないことがうかがえる。


因みに落合は20年間の現役生活で昭和と平成それぞれ10年ずつという選手で、昭和と平成それぞれで1000試合以上、1000本安打以上を記録している。


清原も三塁手として29試合に出場しているが、平成期間での434本塁打(期間中3位)、1292打点(同5位)という長距離砲としての凄まじさは忘れがたい。引退後の不祥事は別として、平成のベストナイン一塁手は清原和博を選ぶ。
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【二塁手】
二塁手で平成期間に最多出場したのは1687試合出場の荒木雅博。23年間の現役生活で、2045安打を放った。一、二番を打つタイプで守りも堅い典型的な昔ながらの名二塁手。ただし安打数では、二塁手が主ながら他のポジションでの出場数も多い立浪和義の2405安打が上に来る。この立浪も辛うじて昔ながらというか、昭和時代からの名二塁手の系譜を繋いでいる感じだが、この両選手に続く二塁手には守備もさることながら打力でチームに貢献した選手が多い。荒木と立浪の通算本塁打数を足してもそれより上回る251本塁打を放った井口資仁が典型的で、実働期間は短いもののベイスターズで活躍したロバート・ローズが立浪に並ぶ167本塁打を放っているが打率は脅威の.325。4000打数以上で区切ると通算3929打数で“規定打数”に不足するが4000打席以上だと平成ではイチローの.353、青木宣親の.329に次ぐ平成第3位(昭和を含めても3位!)。現役の“トリプルスリー”3回を誇る山田哲人も強打の二塁手。まだ今季を含めても実働8年なので通算記録では先輩達に及ばないがトリプルプレー3回は山田しかいない。平成を代表する二塁手の一人といって差し支えないだろう。


平成のベストナイン二塁手を選ぶとなると、荒木と立浪の二択になろう。二塁手としての出場数だと荒木1687試合、立浪1148試合と荒木に軍配が上がるが、他のポジションを含めた全出場数だと荒木の2220試合に対して立浪が2476試合と逆転する。ここでも打撃成績での比較になるが、平成の内野手全体でも石井琢朗の2432安打に次ぐ2405安打の立浪をより評価し、平成のベストナイン二塁手は立浪和義を選ぶ。
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【三塁手】
三塁手には強打者が並ぶ。三塁手としての最多出場は1971試合の中村紀洋。平成期間に404本塁打を放っている。本塁打数では中村を上回っているのが小久保裕紀で413本塁打。ただ一塁手の項目でも触れたが小久保は三塁手としての出場は950試合にとどまり、他に一塁手として602試合、二塁手で368試合出場している。


三塁手としての出場数で中村に次ぐのが村田修一の1802試合、江藤智の1342試合。本塁打数では江藤の方が村田より多く364本塁打。江藤は360本塁打。そして現役の中村剛也が360本塁打で江藤に並んでいる。全ポジションでの出場数で比較すると江藤が1834試合、村田が1802試合であるのに対して現役の中村剛は4月30日までで1454試合。ハイペースで本塁打を放っていることがわかる。本塁打1本に要する試合数は中村紀5.61試合、村田5.43試合、江藤5.04試合、小久保4.98試合、中村剛4.04試合。


平成に入ってから日本人選手で年間50本塁打を放ったのは平成14年の松井秀喜だけだが、それに次ぐ本数を記録したのは平成21年と平成23年にそれぞれ48本塁打を放った中村剛。特に平成23年は飛ばない統一球を導入していた年で、中村剛だけが別世界という印象だった。35歳の現役選手ゆえに通算の数字ではOB達に及ばないが二塁手での山田同様に平成を代表する三塁手の一人。


これらの選手の中から平成のベストナイン三塁手を選ぶ。二塁手で荒木でなく立浪にした経緯を考えると、中村紀より小久保ということになる。三塁手としての出場数が荒木と立浪の差に比べると大きく、950試合出場は中村紀の1971試合出場の半数にも満たない。ここでは平成のベストナイン三塁手には中村紀洋を選ぶ。
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【遊撃手】
遊撃手のイメージは平成になって大きく変わった。人工芝の球場が本拠地球場の大半を占める様になり、選手の肉体への負荷は天然芝の球場よりかかると言われているが、守備位置別に見て遊撃手が最も負荷がかかるといわれている。昭和の時代を含め、野手で一つのポジションで2000試合出場を果たした選手がいないのは遊撃手だけであり、最多出場は平成に入ってからの石井琢朗の1767試合。拙blogでは何度か遊撃手の寿命が延びていることに言及しているが、かつては33歳が曲がり角と思えた遊撃手の選手寿命が37歳を超える選手が出てきた。


平成での遊撃手としての出場数が石井の次に多いのは現役の鳥谷敬で今季4月30日までの9試合を加えて1756試合と石井の記録に迫っている。連続試合出場記録との兼ね合いもあったのか、近年は三塁手など他のポジションでの出場が目立っていた鳥谷だが原点回帰とやらで今季は遊撃手として頑張っているので石井を抜いて歴代最多出場遊撃手になるかもしれない。ただ現在30歳の坂本勇人が遊撃手として1544試合に出場しており、大きなケガや他のポジションへのコンバートが無ければ令和○年に抜かれるだろう。個人的には鳥谷の遊撃手復帰と阿部慎之助の捕手復帰は自殺行為に近いと…以下自粛。


遊撃手としての選手寿命が延びたといっても年齢とともに他のポジションにコンバートされるのが多いのも遊撃手の特徴。だが遊撃手を主体にプレーした選手で昭和の時代には藤田平しかいなかった2000本安打達成者が石井2432安打、宮本慎也2133安打、松井稼頭央2090安打、鳥谷2071安打、野村謙二郎2020安打、田中幸雄2012安打と6人も達成した(田中幸雄は昭和の時代に放った211安打を含む)。平成期間の本塁打数上位を調べると、田中幸261本塁打、松井稼201本塁打、坂本190本塁打、野村169本塁打、鳥谷138本塁打と続く。本塁打数で比べられると石井はしんどい。ただ盗塁数だと石井の358盗塁は松井稼の363盗塁に肉迫する平成の遊撃手2位。


この7選手を打率で比較すると、坂本が.292でトップに立ち、以下、松井稼.291、野村.285、宮本.2823、石井.2815、鳥谷.280と続く。OBは晩年の下降期の成績も含めた通算打率なので現役の坂本を直ちにNO.1というのは抵抗があるが、平成期間の遊撃手で最も打率が高い選手ということになる。


以上のことから平成で一番の遊撃手を選ぶとなると、石井と松井の争いという感じになりそうだが、遊撃手から他のポジションに回った後も含めての記録ながら、歴代2位(平成では1位)の1939試合連続出場を樹立した鳥谷を評価したい。最も肉体的な負荷がかかる遊撃手というポジションを長く務めながら連続試合出場記録を続けた鳥谷敬を平成のベストナイン遊撃手に選ぶ。
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【外野手】
外野手は3人を選ぶ。左翼、中堅、右翼というポジションにはこだわらないことにする。まずは金本知憲。2539安打、476本塁打、1521打点は平成期間の全選手の中でトップ。歴代最長となる1492試合連続フルイニング出場記録はすべて平成。文句なしで外野手のベストナインの1人に選ばれるべき実績だ。


金本に次ぐ平成第2位の本塁打数を記録したのがタフィ・ローズで464本塁打。金本の実働21年に比べると実働年数が13年と短く、平成での実働20年の第3位清原和博の434本塁打を上回っているのも凄い。本塁打1本に要する試合数も3.61試合と少なく、三塁手の項目で紹介した中村剛をも上回る。平成13年の年間55本塁打は平成25年にウラディミール・バレンティンが年間60本塁打を記録するまでの年間最多本塁打タイ記録。平成15年の51本塁打と合わせて、平成期間に年間50本塁打を複数回達成したのはタフィ・ローズだけである。


打率では4000打数以上の平成№1打者となるのが青木宣親で.329。昭和の時代の4000打数以上の選手と比べても最高打率となる。ただ二塁手の項目でも触れた様に4000打席以上と規定を下げると3619打数ながらイチローが打率.353で独壇場。ブレークした平成平成6年から日本球界最終年にあたる平成12年までの7年間で7年連続首位打者。首位打者7回はもちろん最多で、昭和の時代でも(連続でない)張本勲が7回獲得しているだけ。在籍期間は短いが実績では遜色ない。


在籍期間が短い選手も含めると、平成25年に別次元とも思える年間60本塁打を放ったバレンティンも特筆すべきであろう。バレンティンはこの年だけの大活躍ではなく、今季4月30日まで実働9年間で263本塁打。1本塁打に要する試合数では上述のタフィ・ローズをさらに上回る3.54試合。


タフィ・ローズの464本塁打は平成2位で、外国人選手としては最多だが、安打数で外国人最多になるのが2017安打のアレックス・ラミレス。ラミレスも打率ではぎりぎり.300。他にも外野手で2000本以上安打を放ったのが前田智徳2119安打、和田一浩2050安打と続く。前田、和田は打率でもそれぞれ.302、.303と三割に乗っている。


打率だと青木と前田や和田、ラミレスの間に松井秀喜鈴木尚(鈴木尚典)が入ってくる。松井秀はホームランバッターとのイメージが強いが日本での在籍が10年間と短かったこともあり、332本塁打は平成の本塁打数ランキングで10位以内に入らないが打率.304は4000打数以上で4位に入ってくる。鈴木尚は.3034で松井秀に次ぐ平成5位。


他にも外野手には平成最多記録の保持者がいる。平成最多盗塁が赤星憲広の381盗塁。荒木の378盗塁、上述した松井稼の363盗塁と石井の358盗塁と続き、昨年まで現役だった本多雄一の342盗塁がベスト5。なお現役では西川遥輝が230盗塁ながら盗塁刺が35で盗塁成功率は.868。この盗塁成功率は200盗塁以上の選手で歴代最高。これも特筆すべき記録だ。


この多彩なメンバーの中から3人を選ぶのは容易ではない。打撃主要部門で1位の金本知憲、その金本に次ぐ本塁打数のタフィ・ローズ、日本にいた時代だけの実績でも凄いイチローの3人を平成のベストナイン外野手に選ぶ。
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【指名打者】
昭和50年にパ・リーグで導入された指名打者制。指名打者としての歴代最多出場は門田博光の1376試合だが、平成に限定すると山﨑武司の885試合が最多で、松中の602試合、現役のアルフレッド・デスパイネ506試合、オレステス・デストラーデ496試合、マット・ウインタース455試合がトップ5。


これは指名打者としての出場試合数が多い選手を選ぶべきであろう。守備に付く機会も多いが指名打者で起用される選手ことも多い選手を踏めての検討だと指名打者のベストナインとは言い難い。山崎はセ・リーグのドラゴンズ在籍期間が実働16年とパ・リーグでの実働9年より長いが、平成での指名打者最多出場という実績は揺るがない。


パ・リーグ一筋の選手で比較すると松中、デスパイネ、デストラーデ、ウインタースに加えて指名打者として443試合に出場したウイリー・モー・ペーニャがトップ5になる。この5選手の全出場に占める指名打者としての出場比率を調べると、多い順にデストラーデ95.9%、デスパイネ90.2%、ペーニャ85.2%、ウインタース71.4%、松中33.8%となる。デストラーデの時代にセパ交流戦はなく、全試合指名打者制であるが、80%を超える3選手は守備がよほど苦手ということだろう。


パ・リーグ生活が長く、かつ高年齢でも現役を続ける選手が指名打者としての出場が多くなる傾向にあると言えるだろうが平成のベストナイン指名打者は山﨑武司とする。
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【監督】
監督としての平成最多勝利は克也で1052勝。平成2年にスワローズの監督に就任したのを皮切りにタイガース、ゴールデンイーグルスと合計16年間指揮をとった戦果だ。ただノムさん本人がよく口にしていた通り弱い球団ばかりお呼びがかかると言うこともあって優勝出来たのはスワローズ時代のみでリーグ優勝4回。その内日本一が3回。平成での優勝回数で他の監督と比較する。優勝の定義を公式戦の年間勝率1位とする。


ライバルの長嶋茂雄はリーグ優勝3回で日本一が2回とノムさんを下回る。


森祇晶  優勝5回 日本一3回。
王貞治  優勝5回、日本一2回。
原辰徳  優勝7回、日本一3回。
星野仙一 優勝3回、日本一1回。
仰木彬  優勝3回、日本一1回。
落合博満 優勝3回、日本一1回


リーグ優勝3回以上となると、野村監督以外にはこの7人に絞られるが優勝回数7回と群を抜く原辰徳を平成のベストナイン監督とする
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それでは一通り選び終わったところで、敗戦処理。が選ぶマイセレクトベストナインでオーダーを組んでみる。


(二)立浪和義 平成3位の2405安打
(遊)鳥谷敬  平成最長の1939試合連続出場
(右)イチロー 7年連続首位打者、4000打席以上で最高打率.353
(左)金本知憲 2539安打、476本塁打、1521打点で平成の三冠王。1492試合連続フルイニング出場
(一)清原和博 平成3位の434本塁打。一塁手最多出場1697試合。
(中)タフィ・ローズ 平成2位、外国人最多の464本塁打。
(三)中村紀洋 平成2位の1348打点、三塁手最多出場1971試合。
(指)山﨑武司 平成最多、指名打者として885試合出場。
(捕)谷繁元信 平成、そして歴代最多の3021試合出場。捕手としても最多の2963試合出場。
(投)斎藤雅樹 平成唯一の年間20勝2回。平成元年に最長の11試合連続完投勝利。


最後に一軍登録と同じ29人を選ぶ。


【投手】
斎藤雅樹、
山本昌 平成最多の214勝。平成元年から最長27年まで現役。最終登板時は50歳。
ダルビッシュ有 
平成で1000イニング以上投げた投手で最優秀防御率。唯一の1点台、防御率1.99。
田中将大 
平成25年に年間24勝0敗の大偉業。
西口文也 
平成2位の182勝。
工藤公康 
平成3位の177勝。平成最多<!?>の移籍4回。
宮西尚生 
歴代最多の304ホールド。新人年の平成20年から昨年まで歴代2位の11年連続50試合以上登板継続中。
山口鉄也 
宮西に抜かれるまで最多で2位にあたる273ホールド。歴代最長の9年連続60試合以上登板。
五十嵐亮太 
平成2位、右投手最多の789試合登板。
高津臣吾 
平成2位の286セーブ。
佐々木主浩 
平成3位の252セーブ。奪三振率12.20!
岩瀬仁紀 
平成最多の1002試合登板、407セーブ。新人年から15年連続50試合以上登板の最長記録。

【捕手】

谷繁元信、
古田敦也 
平成の捕手として2位の1959試合、2097安打。
阿部慎之助 
平成の捕手として最多の399本塁打、1258打点。

【内野手】
清原和博、立浪和義、中村紀洋、鳥谷敬、
小久保裕紀 
平成4位の413本塁打、3位の1304打点。
石井琢朗 
平成の遊撃手最多の1767試合出場。平成2位の2432安打。
松井稼頭央 
平成の遊撃手3位の1531試合出場。平成2位の363盗塁。平成のスイッチヒッターの各種最多記録。

【外野手】
金本知憲、タフィ・ローズ、イチロー、
青木宣親 
4000打数以上最高打率.329。
西川遥輝 
200盗塁以上の選手で最高の盗塁成功率.868。

【指名打者】
山﨑武司、
大谷翔平 
活躍時期こそ短いが“リアル二刀流”は平成野球史を語る上で欠かせない。


各成績に関しては様々な文献を参考に書いたが、もしも誤りがあったらご指摘いただきたいが、訂正等はご容赦いただきたい。
複数のポジションでプレーした選手に関して、出場試合数はそのポジションでの試合数を書いたが、通算成績などは全ポジションでのもの。
基本的に平成時代での記録で比較しているが“歴代”と注釈を付けたものは昭和時代を含めての記録上の比較である。
※ 監督の項目の赤文字部分は令和元年5月3日訂正。

過去の十三球団に興味をお持ちの方はお手数ながら左端のカテゴリー別、敗戦処理。的チーム別歴代ベストナインをクリックしてこれまでの球団を参照されたい。


【参考文献】
・『THE平成プロ野球 記憶・記録に残る30年』芸文社
・『プロ野球ぴあ 2000本安打の男達』ぴあMOOK
・『「野球の国から」平成野球史編』日刊スポーツ
・『THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCROPEDIA 第4版』社団法人日本野球機構
・『ベースボールレコード・ブック』ベースボール・マガジン社
・『日本プロ野球監督列伝1936-2014』ベースボール・マガジン社

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コメント

久々にブログ拝読しました。
うん!思わず唸るほど素晴らしい、平成ベストナインです。

捕手の成績をちゃんと比較すると、古田よりも谷繁、というのは意外な発見でした。

このチーム、ラインナップを見るとかなり癖のあるメンバーが揃っていて、WBCで見せた原監督のチームビルディングに期待したいですね😁

みつるぼん様、コメントをありがとうございます。


> 久々にブログ拝読しました。


“久々”などと言わずに頻繁に目を通して下さい。


> 捕手の成績をちゃんと比較すると、古田よりも谷繁、というのは意外な発見でした。


谷繁の方が長いからだと思います。打者として技術的にどちらが上だったかというと古田なのでしょうが、その記録を超えるほど谷繁は長くプレイしていたということになりますのでその基準で選びました。

鳥谷も同様です。


> このチーム、ラインナップを見るとかなり癖のあるメンバーが揃っていて、WBCで見せた原監督のチームビルディングに期待したいですね😁


そこまでは気にしていませんでした<笑>。


※ コメントがダブっているようですので一方を削除します。

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