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2019年2月11日 (月)

本当は凄い(かもしれない)田村龍弘

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元々は昨年の今頃に、ファイターズで入団四年目になる捕手の清水優心が今季(昨年のこと)正捕手として起用されそうだということで高校卒入団ながら若くして一軍でマスクをかぶる経験が多い捕手を、歴代の高校卒入団の名捕手と比較してみようと調べたのが始まりだった。


だが、調べてみたら清水どころか、マリーンズの正捕手、田村龍弘が高校卒入団ながらどんどん起用されていたことがわかった。



調査は中断していたが、名捕手と言われた野村克也のこの言葉が気になっていて、機会を見てきちんと調べようと思った。

「申し訳ないが、俺は大学出身のキャッチャーは信用していない。高校を卒業する18歳から22歳までの4~5年間が、一番大事な時期なんだよ」
(週刊ポスト2017414日号)

前々から気になっていた。捕手は経験がものを言うポジション。他のポジションと比べて定位置を獲得するのに期間を要するポジションと言われる。その分、一度正捕手の座をつかむと長くその座にいられると言われる。“司令塔”とか“グラウンドの監督”と言われる所以だろう。


野村克也の言うとおりだとすると、その、高校から入団しての最初の四年間でどれだけ捕手として試合に出ているかがその後の捕手人生を左右する面があるだろう。高校卒で入団した捕手が最初の四年間で出場した試合数を比較してみた。もちろん、試合数だからスターティングメンバーで出てまるまる一試合マスクをかぶっても、途中出場で1イニングだけマスクをかぶっても1試合に違いない。また、これは本人の能力や素質だけでなく、所属チームの事情に左右されることはわかっているが。


まず高校卒入団で最初の四年間の出場数ランキングを作ってみた。出場数は捕手としての出場数。代打だけなどは含めていない。


順位、四年間の出場数、選手名、高校、入団した球団、年度。右項は左から順に一年目、二年目…の試合数

1位 354試合:醍醐猛夫(早実・毎日1957年)111897975
2位 332試合:山下健(高松一高・阪急1957年)111968441
3位 307試合:伊東勤(所沢高・西武1982)1753113124
4位 301試合:田村龍弘(光星学院高・千葉ロッテ2013年)748117129
5位 296試合:谷繁元信(江の川高・横浜大洋1989年)75737969
6位 290試合:中嶋聡(鷹巣農林高・阪急1987年)27412094
7位 278試合:和田博実(臼杵高・西鉄1955年)643111118
8位 267試合:野村克也(峰山高・南海1954年)80127132
9位 261試合:香川伸行(浪商高・南海1980年)46586889
10
位 260試合:谷本稔(八幡浜高・大映1955年)80348660

11位 251試合:山本八郎(浪華高・東映1956年)95+77+79+0
12位 249試合:城島健司(別府大付高・福岡ダイエー1995年)9+17+117+106
13
位 237試合:炭谷銀仁朗(平安高・西武2006年)54+27+44+112
14
位 228試合:藤尾茂(鳴尾高・巨人1953年)13+48+51+116
15
位 226試合:川原政数(尾道商・広島1955年)11+68+107+40
16
位 221試合:梨田昌孝(浜田高・近鉄1972年)1+60+115+45
17
位 213試合:河合保彦(岐阜高・名古屋1952年)5+31+65+112
18
位 212試合:伊勢川真澄(粉河中・ライオン1940年)49+85+78+0
19
位 207試合:島野雅亘(洲本高・大洋1958年)0+49+65+93
20
位 202試合:高城俊人(九州国際大付高・横浜DeNA2012年)45+50+45+62

四年間で200試合以上マスクをかぶったのは20人だった。1950年代の選手が多く見受けられるが、現役でも田村龍弘の他に炭谷銀仁朗高城俊人が入っている。因みに清水優心は入団三年目までで67試合、昨年の83試合を加えても150試合にしかならなかった。


位の伊東勤には注釈が必要だろう。伊東は熊本工業の定時制に入学したため、卒業に四年間を要する。野球部の活動は三年時までで、四年の時に所沢の定時制高校に転校し、西武ライオンズの球団職員となって昼間は球団の仕事(といっても練習だったらしい)、夜に学業という生活をし、ライオンズにドラフト1位で入団した。つまり一般的な高校卒ルーキーより一歳上で、しかも一年間“練習生”なので高校卒ルーキーとして四年間を計算して良いものかという疑問がある。伊東を除くと、田村は3位に浮上する。あまり意味のない区分け方になるが、ドラフト制度以降では最初の四年間に最も多く出場した高校卒捕手となる。


高校卒ルーキーの年に100試合以上にマスクをかぶった醍醐猛夫山下健は別格的に感じられる。四年間のうちに100試合以上の年が三回ある選手がいないことを考えると、それだけ大胆に若手を抜擢出来るポジションではないということになるし、100試合以上の年が二回ある選手は早熟ということになろう。


昨年で六年を終えた田村は昨年、全143試合にマスクをかぶった。上記の四年間301試合に五年目に当たる一昨年の130試合と合わせて六年間で574試合にマスクをかぶったことになる。これは伊東を含めても高校卒入団選手の最初の六年間の出場記録としてはトップである。まだ六年間とはいえ、捕手として歴代最多出場記録を保持している谷繁元信や、野村克也をも上回るハイペースで田村は出場しているのである。


続いて高校卒で入団した捕手の最初の六年間の出場数ランキングを調べてみた。

順位、六年間の出場数、選手名、高校、入団した球団、年度。右項は左から順に一年目、二年目…の試合数

1位 574試合:田村龍弘(光星学院高・千葉ロッテ2013年)748117129+130+143
2位 559試合:伊東勤(所沢高・西武1982)1753113124+130+143
3位 559試合:谷繁元信(江の川高・横浜大洋1989年)75737969+109+127
4位 524試合:山下健(高松一高・阪急1957年)111968441+103+89
5位 522試合:中嶋聡(鷹巣農林高・阪急1987年)27412094+128+104
6位 518試合:野村克也(峰山高・南海1954年)80127132+120+131
7位 469試合:和田博実(臼杵高・西鉄1955年)643111118+93+98
8位 463試合:醍醐猛夫(早実・毎日1957年)111897975+47+62
9位 461試合:城島健司(別府大付高・福岡ダイエー1995年)9+17+117+106+135+77
10
位 456試合:谷本稔(八幡浜高・大映1955年)80348660+97+99

11
位 445試合:藤尾茂(鳴尾高・巨人1953年)13+48+51+116+104+113
12
位 398試合:日高剛(九州国際大付高・オリックス1996年)0+0+76+94+101+127
13
位 396試合:島野雅亘(洲本高・大洋1958年)0+49+65+93+108+81
14
位 391試合:安藤順三(多治見工・東映1954年)10+23+95+68+65+130
15
位 383試合:河合保彦(岐阜高・名古屋1952年)5+31+65+112+96+74
16
位 369試合:山本八郎(浪華高・東映1956年)95+77+79+0+114+4
17
位 360試合:炭谷銀仁朗(平安高・西武2006年)54+27+44+112+1+122
18
位 358試合:伊藤勲(東北高・大洋)4+8+32+125+102+87
18
位 358試合:香川伸行(浪商高・南海1980年)46586889+67+30
20
位 356試合:中村武志(花園高・中日)0+0+42+98+121+95

最初の四年間で200試合(年平均50試合)マスクをかぶり、その実績を元に五年目、六年目に100試合ずつマスクをかぶって六年間で400試合マスクをかぶるのがスピード出世型かと思ったが、六年間で400試合以上は11人に減ってしまう。四年間のランキングで20位まで調べたので六年間も20位まで調べたが、四年間でのTOP20に入っていない選手が何人か出てくる。


逆に消えてしまったなかには現役の高城がいる。高城は四年目にあたる2015年の62試合が最多で、201645試合、201726試合と減少し、昨年のシーズン途中にベイスターズからバファローズにトレードされた。入れ替わる形でバファローズからベイスターズに移籍した伊藤光が移籍後のベイスターズで公示された711日からの64試合の内46試合にマスクをかぶり実質的に正捕手となった一方で高城は移籍後のバファローズではマスクをかぶれていない。


話が横道に逸れたが、田村は入団六年を経た昨年までの実績で長いNPBの歴史で最も多くの試合に出ている(高校卒入団の)捕手なのである。


因みに通算で2000試合以上マスクをかぶった捕手は大学や社会人を経た捕手を含めても過去に三人しかいない。

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繁元信2937試合
村克也2921試合
伊東勤2327試合


通算で2008試合に出場した古田敦也は捕手としては1959試合に出場。
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大学(立命館大)、社会人(トヨタ自動車)を経由してプロ入りした選手では最多となる。まだまだ先は長いが、田村は上述の三人を超えて歴代最多出場捕手となる可能性があるのだ。


上述した様に、早期に出場数が多くなるには本人の才能や努力以外にチーム事情も左右するだろう。入団四年目まで、あるいは入団六年目までに多くの試合に出ていなかったとしても年数を経て正捕手の座をつかむ捕手は少なくない。


また、捕手の能力は敗戦処理。のような素人にはわかりにくい。優劣を見極めにくい。田村の前にマリーンズの正捕手だった里崎智也は引退してからよく

良い捕手と言われたかったら、勝つことと打ちまくることですよ。」

言っている。阿部慎之助への皮肉は程々にと言いたくなるが、試合を任される多さも一つの目安になるだろう。


ただ、若くして正捕手になった捕手は数年後に壁にぶち当たるケースが多いという。自分が指示した配球で投手が打たれ、チームも負けると自責の念にかられるのだろう。また、人間だからどうしても配球に傾向が出る。そこを他球団に分析される。過去の名捕手を振り返っても球団が経験豊富な捕手を迎え入れるケースがある。マリーンズは今季、細川亨を獲得した。“細川流”を学ぶことで田村がさらに一皮むけた捕手になる可能性がある。あまりそうなると、ファイターズファンとしては歓迎しないが…<冗>。


一年前にツイッターで何気なく呟いたことに対し、たばともデータさん( @ yic00512 )をはじめとする協力者の皆さんの助言を得て調べ付いた。だが、個人の調査なので誤り、抜けがある可能性は否定できない。文責は敗戦処理。にある。誤り、抜けにお気付きの方はコメントにてご指摘いただければ幸いである。

【参考文献】
THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCLOPEDIA 2004』日本野球機構
『ベースボール・レコード・ブック』各年度 ベースボール・マガジン社
日本野球機構オフィシャルサイト
日本プロ野球記録

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