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2019年1月15日 (火)

立浪和義氏、権藤博氏、脇村春夫氏が新たに野球殿堂入り。

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今日(15)、東京ドームにある野球殿堂博物館にて本年度新たに野球殿堂入りを果たした三氏が発表され、通知式が行われた。新たに選ばれたのは競技者表彰部門のプレーヤー表彰として元ドラゴンズで日本プロ野球歴代8位となる通算2480安打、同歴代最多となる487二塁打を放った立浪和義氏、エキスパート表彰として現役時代はルーキーイヤーにいきなり35勝、二年目も30勝を挙げ、引退後には多くの球団でコーチを歴任し、監督に就任したベイスターズでは1998年にチームを38年ぶりにリーグ優勝、日本一に導いた権藤博氏、特別表彰では2002年から2008年まで第5代日本高等学校野球連盟会長を務め、プロ・アマ関係の交流促進に尽力した脇村春夫氏の三人。


三人の殿堂入りに心より敬意を表したい。そして権藤氏の祝福に訪れた杉下茂氏も93歳というご高齢ながら、お元気な姿を見せてくれた。


(写真:殿堂入りした権藤博氏を祝福する杉下茂氏。自身も1985年に野球殿堂入りしている。)



今年も日本の野球界で最大の栄誉と思われる野球殿堂入りの通知式に立ち会えることになった。平日の午後なので仕事を休んで東京ドームに向かった。21番ゲートの横にある野球殿堂博物館の入口で受付を済ませて階段を降りていくと展示スペースに早くも今年殿堂入りを果たした人のグッズが飾られている。
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今日の野球殿堂博物館は一般の展示は臨時休館とし、この通知式だけを行うのだが、席に着く前に誰だかわかってしまうのは如何なものか<苦笑>?そして会場に入ると、会場にも新たに殿堂入りした三人のパネルが飾られている。
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司会進行として野球殿堂の特別表彰委員を務める元NHKアナウンサーの工藤三郎氏がいるのだから、工藤アナが読み上げて発表という演出があっても良さそうなのだが、今年で三年連続してこの席に参加しているが毎年この調子である。


というか、今日は早めに着いて東京ドームの近くで食事をしようと歩いていたら権藤博氏に会ってしまった。“文系野球の聖地”オークスブックセンターなどが並ぶ通りの前を普通に歩いていた。そして関係者入り口のある方に階段を下っていったので事前にわかってしまったが…。


そして新たに殿堂入りが決まった三氏や、その三氏を祝福するスピーチをする来賓などが席に着き、通知式が始まる。サプライズ感は全くない<>


野球殿堂博物館の理事長は代々のコミッショナーが務めるのだが、斉藤惇コミッショナーが理事長として挨拶。その後、競技者表彰委員会、特別表彰委員会それぞれの選考報告があって、斉藤理事長から三氏に通知書が渡された。


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野球殿堂の重みという点では立浪和義氏の野球殿堂入りには一言言いたそうな人が少なくないかもしれないが、一年前には原辰徳、金本知憲の両氏が選ばれているのでむべなるかなと。


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権藤氏に関しては現役時代に入団一年目に35勝、翌年も30勝という今の野球では考えられない大車輪ぶりを発揮したがさすがに肩を壊し、現役9年で実働5年、通算82勝にとどまったが引退後に投手コーチとして自らの教訓を活かし投手に負荷をかけすぎない分業制を近藤貞雄監督らと共に確立し、監督となった1998年には横浜ベイスターズを率いてチームを38年ぶりにリーグ優勝、日本一を果たした。拙blog昨年1216日付野球殿堂に入れて表彰されるべき人が漏れていないか!? で権藤氏の名前を挙げたが選ばれて当然だと思う。


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特別表彰は率直に言って誰が選ばれるか予測しにくい。


脇村春夫氏は2002年から2008年まで務めていた、第5代にあたる日本高等学校野球連盟会長、いわゆる“高野連”会長としての功績が評価されたようだ。在任中の2004年にプロ野球と「新人選手選択に関する覚書」を調印。あくまで高校生には自由獲得枠等を当てはめない。プロ入りに関して抜け穴を作らないように従来の“退部届”に代わる“プロ志望届”を制定して定着させたのも脇村会長の手腕によるところが大きい。


また、それまでプロ選手およびOBとの接触が頑なに認められなかったのを「プロ・アマ問題検討委員会」を設置。後に現役プロ野球選手による高校野球部員対象のシンポジウム「夢の向こうに」実現に結びつけた。このきっかけはそもそも湘南高校時代の後輩にあたる佐々木信也氏から「プロが後輩の選手と話もできないのは不自然だ」と指摘されたのがきっかけという。佐々木信也氏も個人的には野球殿堂入りして欲しい人物だ。


殿堂入りを果たした三氏が挨拶を行う。それぞれに関係者などへの感謝を謙虚に表していた。そして三氏それぞれに縁の深い人からの祝福スピーチが行われた。冒頭の杉下茂氏の他に、立浪氏にはPL学園時代の野球部監督、中村順司氏。脇村氏には脇村氏の高野連会長時代を支えた同連盟の田名部和裕理事が祝福のスピーチを行った。

 

最初は中村氏。
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高校野球に疎い敗戦処理。だがこの時代はよく見ていた。立浪氏より前の“桑田真澄・清原和博”らの時代から監督を務めていた。中村氏は話の最初に、「本来なら私より星野仙一さんが…」と殿堂入りの対象になったと思われるプロ生活での恩師の方がこの場にふさわしいと卑下されていたが、それ以後のスピーチには残念ながらいささか不快感を覚えた。


中村氏は立浪氏のことを終始「立浪」と呼び捨てにしていた。卒業して何年、何十年経っても野球部の監督と部員という関係が変わらないのはわかるが、野球人として最高の栄誉と言っても過言でないと思われる野球殿堂入りの祝福の席で呼び捨てはないだろう。「立浪君」または「立浪さん」というべきだろう。


高校野球に一時代を築いたPL学園がその後どうなったか。旧態依然とした上下関係によるシゴキなどでどんどん部員が離れていき廃部を余儀なくされた。一説には立浪氏や片岡篤史氏らの在校中からその兆候はあり、時代と共に改善される学校が多い中でPL学園はそうならなかったと言われている。だが名監督と呼ばれた人物のこの日の発言でこれまたむべなるかなという感じがした。


いみじくも高校野球界の長年の懸案事項を改善した実績が評価されたとも思える脇村氏が野球殿堂入りしたその一方で高校野球のブラックというかグレーゾーンの一翼を垣間見てしまったようで個人的には祝福モードが白けてしまったのは否めない。


権藤氏には杉下氏が祝福。杉下氏はドラゴンズのエースとして君臨していたが晩年にドラゴンズで二年間、選手兼任監督を務めていた。兼任監督を退任して毎日大映オリオンズに現役投手として移籍するが、それと入れ替わる形で昭和36(1961)に権藤氏がドラゴンズに入団したという。杉下氏は「あと一年早く権藤君が中日に来てくれていたら」と悔やんだ。杉下氏が監督でいたら二年で潰れるような起用はしなかったという。「権藤、権藤、雨、権藤…」のフレーズは有名だが、一年目の35勝という数字はいくら時代が違うとはいえ桁外れ。現在では両リーグの最多勝利投手の勝ち数を足して追いつくかどうかというレベル。そして個人的には35勝という勝ち数もさることながらこの年の投球回数4291/3という数字に驚く。


杉下氏は「昔の監督は投手を潰してナンボ」、「名監督と言われた人は投手を潰した」などと皮肉っていた。権藤氏を投げさせないと気が済まない名古屋のファン気質も拍車をかけたとも指摘していた。「権藤君だけじゃない。杉浦や稲尾も短かった。例外は金田くらい」「藤本さん(藤本定義監督=タイガース)が小山と村山の登板日をちゃんと決めたのが特定のエースに頼らないローテーションの始まりじゃないか」とも言っていた。自分の失敗を活かして指導者として投手の分業制を確立し、その集大成として1998年のベイスターズのリーグ優勝、日本一があるのだろう。


今日の主役は殿堂入りが決まった権藤氏の方だが個人的には杉下氏が93歳という高齢ながらお元気だったことも印象深かった。杉下氏は二年前の殿堂入り通知式でも星野仙一氏に祝福のスピーチをしていた。その時は91歳だったのだが変わらぬお元気ぶり。高齢者特有の長く回りくどい話ではなく、声も明朗でわかりやすかった。たださすがに、座ったり立ったりの時に若干年齢を感じさせたが…。


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脇村氏を祝福した田名部氏のスピーチは長く感じた。だが敗戦処理。のようにアマチュア野球に疎い身には初めて聞く話がほとんど。そして田名部氏のスピーチが終わると、脇村氏が立ち上がって「私は全部田名部さんに乗っかっただけです。田名部さんのおかげです」と田名部氏への感謝を示したのが印象深かった。


これで通知式は終了。この後はマスメディア向けに、殿堂入りの通知を受けた三氏や祝福に来た来賓への取材タイムになった。


昨年のこの通知式についての拙blogエントリー“人の噂も七十五日”!?原辰徳氏らが野球殿堂入り で書いたつながりでいえば、立浪氏は2009年限りで現役を引退後、侍ジャパンでのコーチ歴こそあるものの、古巣のドラゴンズでは一度も指導者としてユニフォームを着ていない。ドラゴンズ生え抜きのスター選手が監督どころかコーチにも一度もなっていない。それに関しては様々な憶測が飛んでいるが、野球殿堂入りというお墨付きを得た。これによって流れというか風向きが変わるだろうか?


権藤氏は現役時代に在籍したドラゴンズだけでなく近鉄バファローズ、福岡ダイエーホークス、横浜ベイスターズでコーチを歴任し、ベイスターズでそのまま監督になった。太く短かった現役時代の教訓を発揮した指導者ぶりが評価されたのだろう。現在ではどの球団でも先発、中継ぎ、抑えの分業は当たり前。それどころかより細分化されている。だがその礎としての権藤氏、もっと早く殿堂入りを果たしてもおかしくなかった人物であろう。


投手の負荷軽減を考える権藤氏の殿堂入りと、プロ・アマの雪解けに尽力した脇村氏の殿堂入り。夏の甲子園大会が節目の100回を超え、選手の体調管理という面で投手の“投げすぎ”問題がようやく潜在化から顕在化してきているこの流れに良い方向で繋がって欲しいものだ。そう一筋縄ではいかないことをわかっていて切望したい。ただ、繰り返しになるがそう考える一方で中村氏による「立浪は…」という呼び捨てに水をさされた感じも否めない。


最後に、脇村氏が殿堂入りとなった特別表彰委員会の投票において水島新司氏に5票が投じられた事を書いておきたい。14人による投票で3名以内の連記。有効投票数14票で殿堂入りを果たすにはその75%にあたる11票が必要で、脇村氏は13票を得て殿堂入りしたのだが水島氏は昨年の3票から5票に増やした。得票数では3位タイにあたる。佐々木信也氏の名を挙げたが、水島氏も然り。特別表彰委員会の対象“日本の野球の普及及び発展に顕著な貢献をした人、しつつある人”に当てはまる功労者だと敗戦処理。は思っている。


上述の野球殿堂に入れて表彰されるべき人が漏れていないか!? でも触れたように野球殿堂に選ばれるべき人は一人残さず殿堂入りさせるべきだと思っているが、まずは今回の三氏に敬意を表したい。おめでとうございます。


【筆者注】1月16日一部訂正。
立浪氏の現役引退後の経歴を“一度もユニフォームを着ていない”と書いてしまいましたが、ツイッターで @caz_mark さんからご指摘があり、2013年のWBCで侍ジャパンのコーチを務めています。古巣のドラゴンズでのコーチ歴がないということで書き直しました。

誤りを指摘いただき、感謝します。

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コメント

権藤氏の考えで一番好きなのが、「投手の方は消耗品」というものです。
氏自身が酷使されて短い投手人生だったので、投手の方を大事にする起用法を考えるようになったというのは、野球界の進歩につながったと思います。
近鉄バファローズ時代は、故仰木彬氏と投手起用でもめて退団しました。
仰木氏はオリックス・ブルーウェーブに移った時、平井正史投手を酷使し、その後の投手人生に影響を与えてしまっています。
杉下氏の言う「昔の監督は投手を潰してナンボ」、「名監督と言われた人は投手を潰した」という言葉を改めてかみしめました。

xyz様、コメントをありがとうございます。

> 氏自身が酷使されて短い投手人生だったので、投手の方を大事にする起用法を考えるようになったというのは、野球界の進歩につながったと思います。

私もそう思います。

権藤氏の殿堂入りを報じる報道の一部に、現役時代の一、二年目の酷使ぶりばかりを強調するものがあって残念でした。

どちらかというと投手コーチ、監督としての実績で殿堂入りを果たしたと言えるのではと思っています。

> 杉下氏の言う「昔の監督は投手を潰してナンボ」、「名監督と言われた人は投手を潰した」という言葉を改めてかみしめました。

私も聞いていて重みを感じました。

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