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2018年10月16日 (火)

「北の湖は王貞治、輪島は長嶋茂雄」

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ジャイアンツは勝ち上がったが、ファイターズは惜しくも敗れた。そのクライマックスシリーズ、今日はファーストステージとファイナルステージの合間の一日。懐古趣味にお付き合いいただければ幸いである。


8日、大相撲の第54代横綱、輪島大士こと輪島博さんが都内の自宅でなくなられた。70歳だった。


輪島さんは大相撲の第54代横綱として14回の幕内優勝を誇った。5歳年下の第55代横綱北の湖敏満とのライバル関係で“輪湖時代”と呼ばれ、一時代を築いた。



つつしんでご冥福をお祈りします。



「北の湖は王貞治、輪島は長嶋茂雄」


冒頭の言葉は敗戦処理。の担任の先生が用いた比喩だ。随分と大雑把な比喩ではあるが、そこそこ当たっていると思う。


北の湖敏満は最年少横綱昇進記録を打ち立てるなど数々の角界の記録保持者だった。また、一途に相撲に取り組む姿勢も求道者的な王貞治に近いイメージが確かにあった。一方の輪島大士の取り口には長嶋茂雄がよく言われた“動物的カン”のようなものがあった。左四つを得意としていた輪島は右上手からの技というより、左下手からの引きずるような投げに特徴があったが、長嶋のバッティングフォームが崩されても不思議と打球が相手野手のいないところに抜けていく打撃に似ていたと言えなくもない。動の長嶋、静の王。動の輪島、静の北の湖。


長嶋には数々の珍言迷言があるが、輪島にもちびっ子ファンにサインを求められたときに「輪島大士の大士は大きいに土と書くんだ。横綱は一つの負けが大きく取り上げられるからね」と語ったというエピソードがあると聞いている。


もっとも、現役引退後は好対照。輪島は年寄株を借金の担保にするという前代未聞の不祥事を犯すなどで最終的に相撲協会を追放されたが、北の湖は年寄として二度にわたって理事長職を務めた。ONの引退後の巨人軍とのかかわりと比較すると真逆だ。また、輪島の手をつかない立ち合いは今だったら完全にアウトだったと思うが、王の一塁守備もクロスプレーの際に捕球するより先に足を一塁ベースから離していた。リプレイ検証されたらセーフと判定が覆っていただろう。もちろん細かく追求していけば他にも当てはまらないところは多々出てくるだろうが、子供相手に担任の先生が使った比喩なので突っ込むのは野暮だろう。


余談だが北の湖がプロ野球選手に例えられる比喩としては『江川・ピーマン・北の湖』が有名だろう。当然ながら『巨人・大鵬・たまご焼き』のパロディーで、子供たちから嫌われるものの例えだった。因みに北の湖はビートたけしとの対談でこのフレーズを知っていたと語った。嫌われものの代名詞の様な江川卓だが、高校時代にはあまり流行らなかったが『江川・輪島・ハイセイコー』と例えられたこともある。


ONと例えられた輪島さんも北の湖さんもONより一回りくらい年下なのに先に逝ってしまった。元力士の中でも特に元横綱は短命だと言われるがまさにその通りになってしまった。


敗戦処理。が子供の頃はまだサッカーのJリーグが無く、人気二大スポーツといったらプロ野球と大相撲だった。だから担任の先生も比較したのだろう。


貴乃花光司が不本意ながら角界を去ることを決断した年に、プロ野球界では高橋由伸監督がジャイアンツファン以外からも不遇に思われながらジャイアンツを去っていく。


高橋由伸も辞任だそうだが、貴乃花親方のように『辞表』に不備があって、辞任が却下されるなんてことはないだろうか…。

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