フォト
無料ブログはココログ

« 非の打ちどころのない試合-8.18巨人対中日生観戦記 | トップページ | 【三重苦】ユニフォーム貰えない!清宮幸太郎の本塁打に間に合わない!あげくに九回大逆転負け…。 »

2018年8月20日 (月)

夏の甲子園大会100回大会はそんなに大騒ぎするほどのことなのだろうか?

Adscn0032
これから決勝戦を控えるタイミングで書くのもナンだが、今年は夏の大会が第100回に当たるということで、出場校数を増やしたほか、開会式直後の初日の第一試合に松井秀喜が始球式を務めたのを始め、連日、過去の大会で印象的な活躍をしたOB達がレジェンドとして招かれ、始球式を務めるなど盛大に100回目の大会として盛り上げられている。マスコミもこれまでの歴史を振り返るなど節目の年のイベントを盛り上げるのに一役買っていた。


しかし、へそ曲がりな敗戦処理。は大いなる違和感を覚えた。

 

100回という節目の大会を盛大に祝おうという趣旨は理解できるが、高校野球は夏の全国高校野球大会と春に行われる選抜高校野球大会を合わせて高校野球だと敗戦処理。は思っている。敢えて夏の大会だけに限定して今年で100回目ということを盛大に祝うことに違和感を覚えるのだ。


「夏は朝日新聞社主催。春は毎日新聞社主催だから」当然、そういう反論が出てくるだろう。そのくらいは敗戦処理。でも知っている。だが、観る側として少なくとも敗戦処理。は夏と春を区別しない。マスコミも清原和博の通算本塁打数や、桑田真澄の勝利数を記録として語るとき、夏と春の合計で語るのが普通だ。であるならば、節目で祝うならば夏と春の合計回数でカウントするのが本来のあり方ではないか。


また、一年に一度行われる夏の大会が100回目を迎えたということで100年目=一世紀分という形でその歴史の重さを語るメディアも散見されるが、夏の大会の第1回目の大会は大正4年に行われた。
Cdscn0004
西暦に直せば1915年に当たり、今年が100年目や百周年に当たる訳ではない。したがって高校野球100年というくくり方も正確とは言えない。


今春行われた選抜高校野球大会は第90回だった。この夏の大会は合計で190回目の大会である。このままいけば五年後、2023年の夏の大会が通算200回大会となり、節目の大会ということで盛大に行われるべき対象大会と言えよう。しかし現状ではそうした動きはなく、次に節目の大会として盛り上げられるのはおそらく十年後、2028年の春の選抜高校野球第100回大会であろう。


念のために、通算100回大会に当たる大会を調べてみた。選抜高校野球が45回を数え、夏の全国高校野球大会が第55回大会に当たった1973(昭和48)の時の報道を地元の図書館にある朝日新聞の縮刷版で振り返ってみたが、第55回という5で割り切れる節目の数字ということで記念大会ということはうたわれていたが、特に夏春合計で100回目の大会になるといううたいかたはしていなかった。朝日新聞が語っていないということはおそらくそういう形で取り上げる風潮は無かったということだろう。


ファンの中に夏の大会と春の選抜を分けて考えている人もいるだろう。それは主催する新聞社の違いではなく、夏の大会の、予選から一度でも負けたらすべてがパーになる完全トーナメント方式に対する思い入れの強さや、一年で最も暑い時期に行うことによるドラマ性により思い入れが強くなり、春より夏に思い入れが強いというファンの存在はあるだろう。だが、上述したようにKKコンビなど高校野球における記録を語る際に夏春合計で語ることが多いごとく、敢えて夏だけ(あるいは逆に春だけでも同じだが)をことさらにピックアップする必要性を敗戦処理。は感じない。


この夏は異常な気象に襲われたこともあって、夏の大会の運営方法に特に厳しい視線が注がれている。ブログというカテゴリーでは広尾晃氏が幾多の問題提起を行っている。現状がベストではないことには気づいても根本的な改革には誰も乗り出さない。これは主催する朝日新聞社に対する皮肉ではない。気候的には比較的恵まれている春の選抜を主催している毎日新聞社にとっても耳の痛い点は少なくないはずだ。


“高校生ファースト”、“プレーヤーズファースト”が叫ばれる中、主催する新聞社が異なるというだけで夏と春を別の大会とみなす必要はない。少なくともファンが忖度する必要はないと思う。そもそも高校野球連盟にとってはそれぞれの大会を区別する理由はないはずだ。


選手の健康、体調面を考慮しない炎天下の熱闘をやたらに賛美するファンの無責任さを含め、高校野球に関するすべての関係者が考え直す時期に来ているだろう。それでなくても他のスポーツで旧態依然とした独裁者の存在の弊害が続けざまにクローズアップされている時代だ。高校野球が変わらなければならないのは時代が求める必然であろう。


そんな時代に、主催する新聞社が別々だというだけで夏と春を切り離して考えている場合ではないと敗戦処理。は思う。何を重箱の隅をつつく様な事を書いているんだと思われる方もいるだろうし、これから決勝戦というタイミングでこんな事を書いても無意味だと言われればそれまでだが、まずは両主催新聞社が利害関係を乗り越えて“高校生ファースト”、“プレーヤーズファースト”を考えることが改革の第一歩であり、そのためには一方の大会だけでの節目を無批判に大騒ぎする風潮にNo.と言っておきたいのだ。

« 非の打ちどころのない試合-8.18巨人対中日生観戦記 | トップページ | 【三重苦】ユニフォーム貰えない!清宮幸太郎の本塁打に間に合わない!あげくに九回大逆転負け…。 »

コメント

敗戦処理。様、こんにちは。のんきです。

私も春の甲子園よりも夏の甲子園の方が注目度が高いと思っています。
その理由のひとつとして、夏の甲子園は、「大人がお盆休みの時期に行う」があげられると思います。

私の場合、個人的には、学生時代は、あまり高校野球をみませんでした。夏期講習とか受験勉強でそれどころではなかったためです。

社会人になって、まわりが自分の地元の高校を応援する会話を聞いて、私も神奈川県の高校を応援するようになりました。

夏の甲子園は、会社の夏休みと重なっている日にちが多く、テレビでみられて、非常に満足しています。(暇つぶし ^^;;)

それに対して、春の甲子園は、3月の終わりで、会社の仕事が年度末で一番忙しい時期なので、気付くと、春の甲子園が終わっていた、という年もかなりあります。

春の甲子園も夏の甲子園もどちらも平等にと思いますが、世の中の風潮が夏の甲子園重視なのは、開催時期が原因のひとつかと思います。

その(春と夏の)不平等さもありますが、甲子園(高校野球)は、高校総体の様々な競技の一つですので、他の競技に比べて、扱いが大きすぎるように思います。NHKでは、全試合放送しますし。私、個人的には、こちらの方の不平等さの方が大きいのではと感じています。

のんき

のんき様、コメントをありがとうございます。

> 私も春の甲子園よりも夏の甲子園の方が注目度が高いと思っています。
その理由のひとつとして、夏の甲子園は、「大人がお盆休みの時期に行う」があげられると思います。

私もどちらの大会により思い入れが深いかと聞かれれば夏と答えます。

夏の大会の方が注目度が高いのは承知しています。

両大会で主催者が異なり、注目度が高く、歴史的にも長い夏の大会が先に100回を迎えたからと言って、記念大会だと騒ぐのはせいぜい安佐H新聞社だけかと思ったらそうではなかったので、それは違うのではないかと思い、書いたまでです。

夏も春も高校生の野球大会として、合計の回数で節目なら記念行事を行ったりする方が自然だと私は思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/602714/67078992

この記事へのトラックバック一覧です: 夏の甲子園大会100回大会はそんなに大騒ぎするほどのことなのだろうか?:

« 非の打ちどころのない試合-8.18巨人対中日生観戦記 | トップページ | 【三重苦】ユニフォーム貰えない!清宮幸太郎の本塁打に間に合わない!あげくに九回大逆転負け…。 »

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック