清宮幸太郎のデビュー戦からの7試合連続安打は新人選手の日本新記録ではない。
今日(9日)の対バファローズ戦で二回表に先制弾となるプロ入り初本塁打を放った清宮幸太郎。2日のデビュー戦からの連続試合安打記録を7と伸ばした。チームの先輩である淺間大基らの高校卒ルーキーのデビュー戦からの5試合連続安打を抜き、原辰徳ら高校卒即入団でないルーキーの6試合連続安打に並んでいたから、今日の7試合連続安打でドラフト制度導入後の新人選手のデビュー戦からの連続試合安打の新記録達成と一部のメディアが騒ぎ立てるかもしれないが、これは正確な表現ではない。7試合連続安打ではドラフト制度導入後に限定しても新人選手のデビュー戦からの連続試合安打記録にはならない。
既に一部の報道では但し書きを付けているから認識しているファンがほとんどだと思うが、ファンに影響力が大きいと思われるメディアのなかにも舞い上がっているメディアが…。
GAORA SPORTS ファイターズ @gaora_fighters
\ #清宮幸太郎 選手 一軍初ホームラン /
プロ初本塁打を記録!高卒新人新記録のデビュー7戦連続安打も達成!
これが新たな大記録への1歩となりますように
((以下略))
そもそも何故ドラフト制度導入前の選手を別扱いにするのか謎なのだが、ドラフト制度導入以前だと昭和37年にファイターズの前身、東映フライヤーズの青野修三先輩がデビュー戦から8試合連続で安打を放っているそうだ。だが、ドラフト制導入後に限定しても昨年までの原辰徳、佐藤友亮、吉田正尚の6試合連続安打が最長ではない。新人選手のデビュー戦からの連続試合安打記録の記録保持者はバファローズの小田裕也だ。
九州学院高校、東洋大学、日本生命を経て2014年に行われたドラフト会議で8位指名でバファローズに入団した小田はルーキーイヤーの2015年に初出場した8月5日の対マリーンズ戦から9試合連続安打を放っている。
8/5対M二番右翼3打数1安打 投犠 右安 投ゴ 三振
8/6対M途中出場 打席なし
8/7対L一番右翼3打数2安打 右2 中安 死球 三振
8/8対L一番右翼5打数2安打 二ゴ 二失 二安 三振 投安
8/9対L一番右翼2打数1安打 四球 二安 三振
8/10 試合なし
8/11対H一番右翼5打数3安打 中安 左安 一ゴ 右安 二ゴ
8/12対H一番右翼5打数1安打 三振 中本 二飛 二ゴ 左飛
8/13対H一番右翼4打数2安打 三ゴ 一飛 左安 投安
8/14対M一番右翼4打数2安打 左安 一直 右2 三振
8/15対M一番右翼4打数2安打 左2 右3 三振 二ゴ
8/16対M一番右翼5打数0安打 一ゴ 一ゴ 右飛 三振 左飛
8月16日の対マリーンズ戦に5打数0安打で途切れるまで9試合連続安打を記録している。
ここまで読んで8月6日の対マリーンズ戦で試合には出ているのに安打を打っていないではないかという意見が出るであろうが、これは屁理屈ではない。連続試合安打の定義では試合に出なかったり、試合に出ても打席に立たなかったりした場合。さらに言えば試合に出て打席に立っても四死球と犠打のみで打数が付かなかった場合(犠飛はダメ)には連続試合安打記録は中断しないのだ。これは公認野球規則で定められている。
公認野球規則にはこんな条文がある。
9.23 連続記録の規定
(b) 連続試合安打の記録は、すべての打席が四球、死球、打撃または走塁妨害、および犠牲バントのいずれかであったとき、中断されたことにならない。しかし、犠牲フライはその記録を中断する要素となる。
プレーヤー個人の連続試合安打の記録は、そのプレーヤーが連続出場した試合の結果によって決定される。
【注】 プレーヤーが試合に出場していたが、打席がこないうちに試合が終わった場合および塁上の走者がアウトになって攻守交代となったためなど打席に入ったが打撃を完了できなかった場合は、連続安打および連続試合安打の記録が中断されたものとはみなさない。
つまり、小田は9試合連続安打を記録しているのである。小田はこのルーキーイヤーに、開幕一軍入りを果たしたが試合出場を果たすことなく開幕四日後の3月31日に登録抹消されていた。8月5日が初出場、初打席だった。
清宮が“新人記録を更新した”この試合、小田は対戦相手のバファローズの一員として試合には出場しなかったがベンチ入りしている。嫌なきぶんだったのではないか?
因みに連続試合安打記録は昭和54年(1979年)に高橋慶彦が記録した33試合で、それまでの長池徳士が持っていた32試合を更新して樹立した。ある程度年配のファンや、カープファンはご存じだろうが、高橋は新記録を達成した試合で、達成後に守備で負傷し、途中退場した。新記録を達成し、さらに更新も可能であったがその後5試合に欠場。スタメンに復帰した試合で4打数0安打となってしまい、この瞬間に連続試合安打は33試合でストップした。この間、無理をすれば代打で出られる可能性もあったが、代打の一打席で凡退して交代すると記録が止まってしまうので当時の古葉竹識監督は無理をさせなかった。
同じ時期に衣笠祥雄は死球で左の肩甲骨を骨折してしまい、連続試合出場記録を継続するために代打のみの出場で記録を続ける試合があり(拙blog4月24日付エントリー鉄人衣笠祥雄さん、逝く。 参照)、“高橋慶は代走だけならOK。でも打席に立たせるな。衣笠は代走だけではダメ。打席に立たせろ”と言われたものだ。
清宮がデビュー戦から7試合連続で安打を放っていることは素晴らしいと思うが、“記録”として語るのなら公認野球規則で定める基準に照らし合わせるべきであろう。
ところで、6試合連続安打となった時点で原辰徳と並んだことになるが、ファイターズファンであると同時にジャイアンツファンでもある敗戦処理。としてはルーキーイヤーの清宮と原に共通点を見出す。
ともに高校野球の時点でスター選手として抜群の知名度を誇ったということもあるが、原の新人時代もアマチュア時代に慣れたポジションにチームの看板選手がいた。原は東海大相模、東海大学を通じて三塁を守っていたが、当時のジャイアンツでは先輩で伸び盛りの中畑清が三塁のポジションを確固たるものにしていた。王貞治が現役を引退したタイミングでもあり、中畑は名実ともにジャイアンツの中心選手になっていた。中畑と同じ三塁を守るゴールデンルーキーにジャイアンツは不慣れな二塁を守らせることで、その時点ではまだ中畑に比べるとレギュラーの地位を固めていなかった二塁手の篠塚利夫は控えに回された。
結局、ちょうど今くらいの時期だったと思うが中畑が試合中にスライディングで負傷退場し、原が二塁から三塁に周り、二塁に入った篠塚も安打製造機としての片鱗を見せ、後に中畑が一塁に回ることで三塁手・原が本格化したのである。
そう考えると、清宮に一塁を守らせ、中田翔を経験があるとは言え外野に回した栗山英樹監督の采配には敗戦処理。は個人的には違和感を覚えた。ここに来てにわか作りとはいえ清宮を外野守備に回しているが(守備力の不安はともかくとして)あるべき姿だと思う。
話が横道に逸れた。繰り返しになるが、清宮の7試合連続安打は素晴らしいことであり、それが新記録であろうと、なかろうと価値が変わる訳ではない。だが“連続試合安打”の定義が公認野球規則で定められている以上、清宮の7試合連続安打を“新記録”と騒ぎ立てるなら但し書きが必要で、それをしないメディアはそもそも小田が記録を持っていることを知らないのなら残念なことであるし、知っていて恣意的に報じているのなら清宮人気に目がくらんで結果的にファンを騙していることになり不愉快だ。特に大谷翔平がファイターズ時代に、投手として登板して打席に立たない試合を挟んで“○試合連続安打”と表現していたメディアもあったことを考えると看過出来ない。
ましてや内川聖一が通算2000本安打を達成し、先輩である中田が通算1000本安打を達成した日を報じる明日10日のスポーツ紙で過剰に清宮の記録が報道されるのは避けてもらいたいが…。
もちろん清宮の連続試合安打記録はまだ継続中であるから小田らを抜いて正真正銘の日本新記録を達成するかもしれない。ファンとしてはその方が嬉しいし、そうなって欲しい。しかし、この時点で騒ぐメディアが、清宮が正真正銘の新記録を達成することで無罪放免となる訳ではないことだけは、まだ新記録になっていないこの時点で指摘しておきたい。
5月12日追記
twitterでお世話になっているたばともさんのたばともデータ によると、新人選手のデビュー戦からの連続試合安打記録では昭和25年(1950年)に近鉄パールズ(後の近鉄バファローズ)の伊藤利夫選手による10試合連続安打がある。上には上がある、というか、さすが深く調べていらっしゃる方は違いますね。
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コメント
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さもマスコミは報じないが自分だけが知っている真の記録であるかのように言っていますが、あなたは2015年当時、小田選手が記録を達成したことを知っていたのですか?
そうであるならその時点で一切記録を報道しないマスコミを批判すべきでしょうが、言及している形跡は見当たりません。おそらくは私も含めた世間一般と同じように清宮選手の記録に関連した報道で始めて知ったのでしょうね。
マスコミ批判をするなら記録を達成したときに言わないと説得力がないですよ。まるで小田選手をマスコミ批判に利用しているようで「不愉快」ですね。
投稿: たか | 2018年5月11日 (金) 01時57分
たか様、コメントをありがとうございます。
> さもマスコミは報じないが自分だけが知っている真の記録であるかのように言っていますが、あなたは2015年当時、小田選手が記録を達成したことを知っていたのですか?
2015年に、小田が9試合連続安打を記録して、10試合目に連続記録が止まった時に何の報道かは記憶していませんが、“小田選手が、打席が回らなかった一試合を挟み、デビューから9試合連続安打でした”と報道していたのを記憶しています。
ただ記憶だったので、実際にそうだったのか2015年の成績を調べて裏を取るのに時間を要しました。
ここ何日か、“出場した試合の連続試合安打”等とメディアの報道がトーンを変えていますね。
因みにたばともデータさんによると、昭和25年に近鉄の伊藤利夫選手がデビュー戦から10試合連続安打を記録しているそうです。
投稿: 敗戦処理。 | 2018年5月12日 (土) 00時05分
こういう記録って、微妙に間違ったりするケースもあるんですよね。
「もっとも優勝から遠ざかっているチーム」という表現、今はオリックスに使われることが多いのですが、これもそうだと思います。
「日本シリーズでの優勝、リーグのペナント獲得」から最も遠ざかっているのは確かにオリックス(1996年)です。
しかし、「日本シリーズの優勝」から最も遠ざかっているのは広島(1984年)です。
また、「リーグのペナント獲得」から最も遠ざかっているのはロッテ(1974年)です。
こういう記録の書き方、正確にしないと時にファンを怒らせる可能性があるので、気を付ける必要はあるでしょうね。
投稿: xyz | 2018年5月12日 (土) 13時58分
xyz様、コメントをありがとうございます。
> また、「リーグのペナント獲得」から最も遠ざかっているのはロッテ(1974年)です。
ロッテの場合で難しいのは、2005年に当時のパ・リーグのプレーオフを勝ち上がって日本シリーズに進出しましたが、この年のルールではプレーオフを勝ち抜いたチームが優勝なので、(2010年だと当てはまらないですが)2005年のパ・リーグの優勝チームはロッテになります。
1974年も当時のパ・リーグは前後期制の二シーズン制でしたから、もしやと思いがちですが、後期の優勝だけでなく、年間の勝率も1位なのですね。もしもこの年も年間勝率1位でない優勝だったら1970年まで遡らなければならないから大変です。
投稿: 敗戦処理。 | 2018年5月12日 (土) 16時12分