フォト
無料ブログはココログ

« 1点負けている七回裏に四番打者に代走…いびつなのはリリーフ投手だけじゃない!?ジャイアンツの構造的問題点 | トップページ | 井野修氏「申告敬遠は試合時間短縮を意図したものではない」 »

2018年4月24日 (火)

鉄人衣笠祥雄さん、逝く。

Adsc_0006
広島東洋カープで活躍し、通算2215試合連続出場という日本プロ野球新記録を樹立し、国民栄誉賞も受賞した衣笠祥雄さんが23日、上行結腸がんのためなくなられたことが明らかになった。71歳だった。


衣笠さんは鉄人の愛称で親しまれ、連続試合出場記録も継続中のままに現役を引退したが、TBS系列の解説者として、なくなられる四日前にもBS-TBSの中継で解説者を務めるなど、解説者として現役のままなくなられた。


(写真:衣笠祥雄連続試合出場記録石碑 2008年6月、広島市民球場にて撮影)



blogに目を通してくださる様な野球ファンに衣笠祥雄さんの功績を振り返るまでもないだろう。“ミスター赤ヘル”と呼ばれた山本浩二とともに、それこそ広島東洋カープが赤ヘルになる前の低迷期から戦ってきた戦士だ。


2215試合連続出場は不滅の金字塔だ。現在、タイガースの鳥谷敬1914試合連続出場(424日現在)で追いかけているが、仮に継続し続けてもあと三年かかる。


もう一人、タイガースの金本知憲監督も現役時代には連続試合出場記録、連続試合フル出場記録で注目されたが、晩年には記録継続のために監督がかなり知恵を絞ったことを記憶しているファンも少なくないだろう。衣笠さんも同様で、最後の二年間は成績の低下が顕著で1986(昭和61)年はシーズンの途中まで打率が二割に乗らず、記録継続のために出場していると揶揄される一面もあった。現役最終年の1987年は当時の大リーグ記録、ルー・ゲーリッグが持つ大リーグ記録の2130試合連続出場記録に追いつき、追い越すために疲労がたまらないようにスターティングメンバーで出場しても二打席か三打席で退くことが多かった。衣笠さんは無事にルー・ゲーリッグの記録を抜いたが、結局シーズン終了まで全試合にスタメン出場したのに打席数が年間の規定打席数とぴったり同じという珍現象となった。


“監督がかなり知恵を絞った”という書き方をしたが、当時のカープの監督は阿南準郎。黄金時代を築いた古葉竹識監督の下でコーチを務めた人物で、後に監督になる山本浩二監督までのつなぎと、衣笠さんの記録を止めないことが使命と揶揄されたりしたが、衣笠さんが絶不調に陥った1986年にジャイアンツとの熾烈な優勝争いを制してチームを優勝に導いた手腕は圧巻の一言に尽きる。因みにこの年のライオンズとの日本シリーズは史上初、そして現在まで唯一となる第八戦までもつれるシリーズとなったが、衣笠さんは8試合連続三振という日本シリーズ新記録をマークした。


当時はもちろんネットなどが存在しない時代だったが、もしも今と同じネット環境だったら、衣笠さんをひたすら試合に出し続けた阿南監督やカープ球団には賛否両論だったろう。だが、もしもあの当時にネットでファンが意見を発信し合える環境にあったとしても、敗戦処理。は衣笠さんの、記録のための出場に否定的なスタンスを取らなかったと思う。それはまだそれほど記録が続く前のあるシーンをリアルタイムで観ていたからだ。


1979(昭和54)年、シーズン序盤から打撃不振にあえいでいた衣笠さんを古葉監督はスタメンから外した。この当時の記録であった三宅秀史の持つ700試合連続フルイニング出場にあと22試合というところでストップした。しかしそのことによって、衣笠さんが連続試合出場記録を継続中であることもクローズアップされた感じだった。


そのまま連続試合出場記録を継続中の81日の対ジャイアンツ戦で当時まだ一本立ちしていない若手だった西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折してしまう。全治二週間ともいわれ、さすがに連続出場記録もストップかと思われたが、翌日の同カードに代打で出場。当時ルーキーだった江川卓と対戦した。


敗戦処理。は家で家族とともにテレビでこの試合を観ていたが、記憶ではこの時、アナウンサーが「衣笠はこの打席を終了すれば連続試合出場記録を続けることになります」と言い、テレビを観ていた敗戦処理。は「じゃあ、立ってるだけで記録継続じゃん」と言いながらテレビを観ていた。衣笠の状態を把握しているジャイアンツは江川にストレート攻めをさせた。衣笠さんは立っているだけどころか、、いつもと変わらないようなフルスイングを三球続け、三球三振となった。敗戦処理。の家がシーンとしたのを記憶している。このシーンは後にエピソードとして“「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のためにスイングしました」”と衣笠さんが語ったとされているので、今後衣笠さんを追悼する番組などで再現するだろうが、そのようなエピソードがなくともテレビを観ていて感動させられるシーンだった。あれを観た以上、晩年の不成績でも試合に出続けたことで批判をする気にならない。金本の片手打ちも語り種になっているが、それに匹敵する鉄人ぶりだった。


衣笠さんは連続試合出場記録を2215試合に伸ばし、続けたまま現役を引退した。引退後はユニフォームを脱いで野球評論家、解説者となったが以後一度もコーチ、監督に就任することがなかった。ともにカープの黄金時代を支えた盟友の山本浩二が二度にわたってカープの監督を務めていることに比べると好対照とも言える。現役時代はカープ一筋であったし、退団後もオーナー付スタッフを務めるなど球団との関係は良好と思われる。


その辺の事情は堀治喜さんの名著『衣笠祥雄はなぜ監督になれないのか? 』をぜひ参照されたい。


ひとつには盟友山本浩二と同学年ということもあったろう。“両雄並び立たず”という表現がある。決して不仲という意味ではなく、監督という椅子は一つしかない。“ミスター赤ヘル”山本浩二に球団が長期政権を託せば、衣笠監督は先送りになる。


この両雄はV9時代のジャイアンツのONと比較されることがある。だが長嶋茂雄王貞治には五歳の年齢差がある。先程衣笠さんの最後の二年間に触れたが、長嶋の晩年に年間に、五歳年下の王は二年連続三冠王と好成績を残した。五歳年上の長嶋が現役を引退してすぐに監督に就任すると、その監督在任期間六年間、王は現役を続け、長嶋の監督退任と同じタイミングで王は現役を引退。“助監督”と言う三年間の修行期間を経て監督に就任した。長嶋と王とでは監督就任に9年の開きがあった。


衣笠さんと山本浩二は年齢が同じゆえに選手としての下降期も同時に訪れたといって良い。。連続試合出場記録がかかっている衣笠さんと違い、山本浩二は晩年には欠場することもあったが、現役最終年となった1986年もカープの四番を務め、成績も衣笠さんを上回っていた。衣笠さんより先に現役を引退したのは、引き際に関する考え方の違いや、同時引退を避けたいという球団の意向などが働いたのではないかと個人的には思えた。


山本浩二監督の後も、カープは代々カープ一筋のOBが監督に就任している(マーティ・ブラウンもNPBではカープ一筋だった)。その流れからすると、カープ一筋で現役生活を終えた衣笠さんの監督姿も観たかったような気がする。


だが、衣笠さんがユニフォームを着なかったお陰で、我々ファンは現役引退後、三十年間にわたり衣笠さんのソフトな語り口の解説をTBS系列で見聞きすることが出来たのだ。19日の最後の解説では声が出ずに視聴者を心配させていたというが、選手の時と同じく、最後まで“出場”にこだわったのだろう。


今日24日は六球場、十二球団揃って喪章を付けるくらいの弔意を示して欲しかった。カープ一筋の衣笠さんだったが、国民栄誉賞を受賞したほどの人だ。十二球団全体で弔意を示すべきだと思う(実際には六試合の内、三試合が中止)。だがカープはもとより他球団もそれをしなかった。どうやらご遺族のご意向らしい。



笠さんは山本浩二と同じ年齢と書いた。ということは一月になくなられた星野仙一さんとも同じ年齢だ。野球界でももっと上の年代の方が活躍されているので、衣笠さんや星野さんの年代の方たちが気落ちしないことを祈りたい。



ありがとう、そして
さようなら、衣笠祥雄さん。


♪鉄人 衣笠 場外ホームラン~ かっとばせー祥雄!

 

« 1点負けている七回裏に四番打者に代走…いびつなのはリリーフ投手だけじゃない!?ジャイアンツの構造的問題点 | トップページ | 井野修氏「申告敬遠は試合時間短縮を意図したものではない」 »

コメント

個人的には、もっと気になるのは、今回もノムさんなんですよ。
ほぼ一まわり年下の同郷人が亡くなったということで、また奥さん、星野氏に続き、また一人自分から離れたと感じてしまいそうな気がします。

山本浩二氏も残念に思っているでしょうが、まだ盟友の一人、田淵幸一氏が存命なのが救いでしょう。

xyz様、コメントをありがとうございます。

返信が遅くなって失礼しました。

> 個人的には、もっと気になるのは、今回もノムさんなんですよ。

う~ん、星野さんと比べれば接点が少ないように思えますが…。

それより、息子の野村克則の不倫騒動の時に「俺独身だよ。誰か紹介してよ」とか言っていたので天国からサッチーが怒って出てきているでしょう。まだまだ長生きしてくれますよ。

衣笠さんの訃報に対しては私もショックでしたし、寂しい気持ちがいっぱいです。
各マスコミの報道では「連続試合記録だけでなく真面目で選手の鏡だった」という報じられ方が多く、そこに水を差して申し訳ありませんが、衣笠さんの現役時代、判定に対して審判に小言を言ったり、死球に対して不満そうなポーズを取ったこともあったことを記憶しています。

もちろん当時はパフォーマンス的な要素も含め、そうしたことが他の選手も含め一般的でしたし、特にそのことが功績に傷をつけてるという印象は毛頭ありません。

むしろそうした普通のプロ野球選手っといった感覚で、休まずに試合に出場しながら、見事な成績を残されたこと、そして連続出場の栄誉とか威信に対する自尊的な面も衣笠さんの言動からほとんど感じさせなかったことが素晴らしかったです。

本当に野球が好きで、引退してからはチームや選手などに分け隔てなく野球界のことを考えて愛情を注がれたこと、それが衣笠さんの素晴らしい面だったと感じています。

長緯様、コメントをありがとうございます。

> 衣笠さんの現役時代、判定に対して審判に小言を言ったり、死球に対して不満そうなポーズを取ったこともあったことを記憶しています。

確かに記憶しています。

西本の死球の時も、謝りに来た西本を払いのけるような仕草をしたように見えました。

ベテランになる前の頃はいわゆる“やんちゃ”な面もありましたね。

> 本当に野球が好きで、引退してからはチームや選手などに分け隔てなく野球界のことを考えて愛情を注がれたこと、それが衣笠さんの素晴らしい面だったと感じています。

テレビを見ていてそう感じました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/602714/66647547

この記事へのトラックバック一覧です: 鉄人衣笠祥雄さん、逝く。:

« 1点負けている七回裏に四番打者に代走…いびつなのはリリーフ投手だけじゃない!?ジャイアンツの構造的問題点 | トップページ | 井野修氏「申告敬遠は試合時間短縮を意図したものではない」 »

2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック