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2018年4月 2日 (月)

「生」観戦した野球場(72)-青山学院大学硬式野球部グラウンド

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いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。


かつて毎月2日に、企画ものを定期的にエントリーしていましたが、先月25日に、初めて青山学院大学硬式野球部グラウンドで生観戦したので書きます。今後、初めての生観戦となる球場で観戦したら、翌月2日にエントリーしようと思います。


1974
年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに70箇所を超えました。


なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。


72回 青山学院大学硬式野球部グラウンド 観戦球場ファイル-72

 

この企画は、プロ野球の試合またはそれに準ずる行事を行っているのを生で観た野球場を順に紹介していくもので、拙blogの初期から始まっている。このところ新たに初めて行く球場というものが無いのでご無沙汰していた。


今回取り上げるのは青山学院大学の野球部が使うグラウンド。ジャイアンツの三軍が同大学野球部と試合をするのを生観戦したので、初めて観る野球場としてカウントする。ただ、試合開始から三回表までしか観ずに立ち去ったので、カウントして良いのかという個人的な葛藤や、一軍の公式戦やオープン戦でもなく、ファームの公式戦と言えるイースタン・リーグでもないものをカウントして良いのかという葛藤もあるが、プロ野球チームの試合であることに変わりはないので、
72番目の観戦球場としてカウントし、エントリーを立ち上げる。なお、プロ野球の試合と勝手に定義しているので、今までにはないが独立リーグ同士の対戦を今まで観たことが無い野球場で生観戦したら加えることにする。


青山学院大学硬式野球部グラウンドは神奈川県相模原市にある青山学院大学淵野辺キャンパスの一角にある。
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敗戦処理。の年代だと青山学院大学のキャンパスというと青山キャンパス以外には本厚木にある厚木キャンパスを連想してしまうが、とっくの昔に移転したらしい。最寄り駅はJR横浜線の淵野辺駅で、同駅から徒歩で約10分ほどだ。


東都大学リーグで現在二部に所属する青山学院大学は、東都の二部が長年使用していた神宮第二球場を使用できなくなって各大学のグラウンドで互いに試合を行った2015年の春季リーグではこの球場も使用された。


両翼が95mで中堅が120m。夜間照明が4基あり、外野は天然芝で内野は土。もともとが練習用のグラウンドだからか、観客席はネット裏から一、三塁側にそのまま広がる長椅子が三列分あるだけだ。ジャイアンツの三軍はこういう球場でも試合を行っているのだ。


この試合を観たのはジャイアンツのドラフト1位ルーキー、鍬原拓也が登板すると報じられていたから。昨秋のドラフト会議で清宮幸太郎を1位指名したが抽選で外れ、安田も外れての外れ外れ1位だったが新人合同自主トレの時期に体調不良で他の新人選手とは別メニューでの調整となっていた。2イニング限定登板ということで観に行った。
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数日前までジャイアンツ球場での開催だと思っていたのは内緒だ
<苦笑>


三回表までの生観戦で球場を後にしたのは鍬原が降板したからではなく、東京ドームで行われている一軍オープン戦を観るからでもなく、水道橋の一つ先の御茶ノ水にあるソラシティで開催されている『東京野球ブックフェア』を観に行くから。
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野球観戦後に移動しての参加だったので約三時間しかいられず、そのほとんどを出品者である作家さんのお話を聞いて気に入った本を買うことに費やしたのであっという間だった。


話が横道にそれた。青山学院大学の硬式野球部と言えば、今でこそ東都リーグの二部にいるが1980年代の中盤に一部に昇格してからは、キリスト教の学校なのにPL学園や天理高校の選手などを果敢に獲得し、戦国東都で一時代を築いた。


PL学園野球部から、KKコンビと同学年で主将を務めた松山秀明(後にオリックス、現福岡ソフトバンクホークス二軍内野守備走塁コーチ)を始め多くの選手が入学するようになったのは桑田真澄が早稲田大学進学を示唆してドラフトでジャイアンツの単独指名を勝ち取ったり、遡れば吉村禎章が法政大学を袖にしてジャイアンツ入りを果たしたり、などがあって東京六大学の各大学から敬遠されたのを見計らってパイプを築いたからと言われる。その後も小久保裕紀井口資仁、応援歌の「♪PL~青学~…」が印象に残る坪井智哉など後にプロ野球界で活躍する多くの選手を輩出した。1984年のロス五輪以降の野球日本代表監督にOBを複数輩出しているのはおそらく青山学院大学と法政大学だけ。だが近年は良い学生が集まらないのか、二部落ちして久しい。吉田正尚がブルンブルンとバットを振り回して暴れていても孤軍奮闘としか形容できなかったようだ。そして二部に落ちたからか、大学からの予算も徐々に陸上部にシフトされているという。


言われてみれば、“原監督”といったらもはや野球じゃなくて駅伝の方だし…<笑>。


本来はもっとじっくりと試合を観戦し、球場の感想も深く書くべきだが、上に書いた事情もあり、短時間の滞在になった。ご容赦いただきたい。

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