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2018年2月 4日 (日)

かわさき球場、今からみるか?昔からみるか?-川崎球場同窓会

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川崎球場に行ってきた。正確に言えば旧川崎球場だ。昨年から開催されている“川崎球場同窓会”の第二回。今年は2月3日に行われた。


10.19」を振り返るイベントなどは過去にも行われていたようだが、個人的にはこれまでそういうものを敬遠してきた。だが旧川崎球場にもう十年も行っていないことに気付き、富士通スタジアム川崎となった旧川崎球場に足を運んでみた。



実は川崎球場には三回しか行ったことがない。それでも何となく行き方を覚えている。しかし前日の2日に雪が降ったこともあり、JR川崎駅東口から市バスで“川崎球場”に向かった。



最寄りのバス停、「教育文化会館前」で降り、交差点を渡ろうと思って信号を見ると、
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交差点名が「川崎球場前」で変わっていない!この時点でうきうきしてきた。現在では川崎富士見球技場となっており、ネーミングライツで富士通スタジアム川崎となっている。


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現在は主にアメリカンフットボールに使用されている旧川崎球場が開放されているのと、隣接する『かわQホール』で展示があった。旧川崎球場のグラウンドを仕切りで区切っていて、一方に入るには有料(500)で、このエリアではトークショーを間近で聞けるほか、漫画『グラゼニ』のトレーディングカードがもらえる。また、スタジアムツアーにも参加できる。
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敗戦処理。が到着した時にはスタジアムツアーは出発していた。無料で入れるエリアでも、グラブやボールを持ち込めばキャッチボールが出来るほか、当時の場所にホームベースを始めとする四つのベースと、投手のプレートが設置されていた。
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往年の川崎球場を思い起こさせる照明灯も全てでは無いが残っている。このあたりはファンへの気配りなのだろうが、耐震強度の問題などもあり、早晩撤去されるという話を聞いたことがある。他には外野のフェンスが部分的に残っている。
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東芝のロゴが消されている。近年の経営不振で広告料が払えなくなったのか、富士通スタジアム川崎だからTOSHIBAはNGなのか…<笑>!?


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『かわQホール』には大洋ホエールズやロッテオリオンズに因んだ懐かしい展示品が並ぶほか、DVDであの『10.19』が再現され、当時を懐かしむファンが感想を語り合いながら見入っていた。

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また、川崎球場で大記録を達成した王貞治の通算700号の記念品や張本勲の通算3000本安打記念のレリーフも展示されていた。
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トークショーに出演する愛甲猛の現役時代のユニフォームも展示されていたが、何故かドラゴンズ時代のもの<苦笑>!?
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別室では大量の『週刊ベースボール』も展示されていた。
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1部のトークショーが始まるのでフィールドに出た。
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オリオンズOBの愛甲と前田幸長に、近鉄バファローズOBの村田辰美、さらには元オリオンズ応援団で、球団スタッフも務めた横山健一氏によるトークショー。司会は元ニッポン放送のフリーアナウンサー、ヤギ松こと松本秀夫氏。
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ありがたいことにこの方、敗戦処理。がツイッターを始めた初期からフォローして下さっている。


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愛甲と前田はともかく、元近鉄の村田は?と一瞬不思議に感じた。確かにあの『10.19』の昭和63(1988)当時近鉄バファローズに在籍していたが、あの二試合には登板していない。しかし本人によると社会人時代の所属が三菱自動車川崎で、社会人時代には相当この球場で投げていて思い入れが深いという。



トークの内容はとてもここでは書けない。よくある「SNSでの拡散禁止」令が無かったので既に一日が経過してSNSに書かれているかもしれないが、書くのをやめた方が良い内容がほとんどなので自粛しておく。基本的には当時の川崎球場の設備としてのお粗末ぶりや、当時のロッテオリオンズの迷走ぶりの話が大半。最初は愛甲と前田の暴露トークといった感じだったが、触発されたのか村田も「日生球場も酷かった」と危ない話にけっこう乗っていて、あげくにあの有名な加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」騒動の真意まで語ってくれた。


ロッテが川崎から千葉に移転したときにオリオンズからマリーンズに名前が変わり、ユニフォームが変わったりした話が出たときに村田が「合併吸収されたときに“バファローズ”の名前が残ったけど、僕は遺さないで欲しかった。名前も消して欲しかった」と語ると100人~200人くらいの会場から大きな拍手が起きた。
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途中から日刊スポーツの編集委員で川崎球場時代のロッテ担当記者だった井元秀治氏と元フジテレビカメラマンの船江猛氏が加わった。
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マイクを握っているカメラマンの船江氏、登場したときには『プロ野球ニュース』でおなじみの杉本清アナかと思った<>。二人が加わって報道という立場で関わった川崎球場について語っていたが、こちらも危ない話ばかり。


なお井元氏によると、川崎球場の長い歴史で最多本塁打を記録したのは元オリオンズのレロン・リーで、川崎球場で行われた公式戦で最後に本塁打を放ったのが愛甲だという。また、球場が狭く本塁打が出やすいなど投手には不利な条件のこの川崎球場でほとんどの投手が防御率を悪化させるなか、前田は川崎球場の方が防御率が良く、通算でも勝ち越しているというデータを披露していた。なお前田本人が言うには、自分が十代で川崎球場で完封勝利を挙げた最後の投手だという。誰か検証して欲しいと本人が言っていた<笑>。



敗戦処理。はこのトークショーの後、もう一つのトークショーも聞く予定だったので、取りあえず腹ごしらえ。
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球場名物の肉うどんの出店が出ていたので注文。三回しか生観戦していない敗戦処理。なので思い入れがあるわけでは無いが、三塁側で買った記憶がある。



それでも次のトークショーまで時間があるので防寒も兼ねて再び『かわQホール』へ。時間をつぶすにはうってつけの『10.19』のDVD映像を再び見ていたら、気が付くとすぐ隣にトークショーを終えた愛甲と前田が二人して見ていた。


その横を村田が「愛甲、先に帰るわ」と言って立ち去るなど、何ともアットホームな雰囲気だったが、映像で愛甲の打席が流れているときに真横に本人がいるというのは何とも不思議な光景だった。


続いてのトークショーは大洋ホエールズの時代を懐かしみ、土井淳氏と中塚政幸の元大洋勢。司会は引き続いて松本秀夫氏。


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土井淳氏は言わずとしれた、昭和35(1960)の大洋初優勝時の主力選手。故秋山登氏との“秋山-土井”のバッテリーはあまりにも有名。さすがに敗戦処理。も現役時代をリアルタイムに見ていないが、監督時代や『プロ野球ニュース』での解説が印象深い。今ちょうど春季キャンプの時期だが、キャンプの時期には土井氏が解説者として各球団のキャンプ地を巡り、ブルペンに入って新人投手の投球を実際に受けて論評する『土井淳のルーキー診断』と言うコーナーが印象深い。大洋ホエールズ一筋というイメージがあるが監督退任後に、西本幸雄氏のアドバイスがあったと言われるタイガースの吉田義男監督時代の通称“プロ野球ニュース内閣”の一員として昭和60(1985)にチームを日本一に導いた。


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中塚は敗戦処理。がプロ野球に興味を持ち始めた時代の一番打者として記憶している。こちらは文字通り大洋、横浜大洋一筋。俊足好打の一番打者で盗塁王に一度輝いている(昭和49年=1974)他、コンスタントに打率三割をマークする好打者ながら年間で本塁打は数本という打者だった。大洋が川崎球場を本拠地にしている時代には生観戦したことが無いが、横浜スタジアムで中塚の本塁打を生で観たときには超得した気分になった。選手、コーチ、スカウトとこの球団一筋だったが、スカウト時代に那須野巧への裏金問題の責任を取る形で退団を余儀なくされた。それ故に昨年11月のOBによる『レジェンドマッチ』で中塚の名前を見て嬉しくなった。因みに現在はIT業界のリーグに加盟する軟式野球チームの監督をしているという。


この試合ではMVPになった佐伯貴弘が現役時代の退団の経緯から「このユニフォームを着て、ここ横浜スタジアムに帰ってこられるとは思わなかった」と感慨深げに語っていたが、その感想を敗戦処理。は中塚に感じていた。


中塚自身、トークでそのイベントに触れ「お金のかけ方が違う。その分回収出来ると言うことなのでしょうけど。やっぱり大洋漁業で終わった人とか、TBSで終わった人がやっているようではダメなんですね」と言っていた。松本アナがすかさず「ニッポン放送になっていたかもしれませんけどね」と返して笑いを取っていた。


二人とも愛甲や前田と違って川崎球場を悪くは言わず<>、当時のプレーなどを振り返っていた。もちろん両氏は現役時代が一年しか重なっていないので二人それぞれに松本アナが聞くという形。


土井氏は三原脩監督が入ってきてチームが変わっていく過程を話していた。だが初優勝の後、それで満足してしまったのか、続けて優勝出来なくても仕方ない。確率通り6年に一度くらい優勝出来ればいいというような感覚が蔓延したら次の優勝まで38年かかったと嘆いていた。驚いたのは最後の質疑応答で、昭和35年の日本シリーズをリアルタイムで見ていた当時の大毎オリオンズファンがあの年の日本シリーズに関する質問をしたこと。当時の事前の下馬評では西本幸雄監督率いる大毎が圧倒的に有利で、それこそ大毎の四連勝で終わるかもとも言われていたのに実際には大洋の四連勝。悔しくて涙を流したという質問者に土井氏は、先乗りスコアラーもいない時代に三原監督の命を受けてオリオンズ戦を球場で視察。自分で感じたデータを元に大毎打線を封じたと語っていた。


いい一日になった。


冒頭の写真は、敗戦処理。の三回しか観ていないうちの一回の生観戦である20003月に行われた川崎球場で行われた最後のプロ野球の試合である。オリオンズの移転後も球場として残っていた川崎球場も改修を余儀なくされ、最後の試合を行おうと、一度は横浜スタジアムでの開催と決まったベイスターズ対マリーンズのオープン戦を川崎球場に切り替えたのだ。前出の土井氏はこの試合の始球式で捕手を務めた。
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秋山元投手は既に他界していたので平松政次が投手を務め、打席には川崎球場時代にプレーしていた当時のマリーンズ監督の山本功児さん(故人)が立った。内外野とも超満員になったなか、マリーンズが小坂誠1試合2本塁打、いや1イニング2本塁打などマリーンズ打線が1試合10本塁打と大爆発した試合だった。オープン戦の最終試合を派手な本塁打攻勢で圧勝したマリーンズだった。だがシーズンに入ったら…。



二度目の生観戦は、昔の珍プレーを振り返る企画だとよく出てくる、川崎球場の観客の少なさを印象づける、オリオンズの選手が本塁打を打ってベース一周してぬいぐるみをもらってスタンドに投げ入れると同じ観客が続けて三回取ってしまうというシーンの試合。敗戦処理。は三塁側の内野席で観戦したので「近鉄の選手もホームラン打たないかな」と羨ましがっていた<苦笑>


生観戦した試合では無いが、ファイターズファンとして忘れられない試合がこれ。
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リーグ優勝した昭和56年(1981年)の、当時の前後期、二シーズン制によるプレーオフ第2戦でファイターズが粘って5対5の同点に持ち込んで引き分けた試合。当時のルールで時間制限により九回で引き分けになったが、雨や判定での中断も無いのに九回終了までに5時間17分かかった試合だ。プレーオフで公式戦ではないが、最長記録として残っている。


ところで
敗戦処理。がこの球場でのイベント類を敬遠していたのは『10.19』とスタンドの流し素麺だけの知識で川崎球場や当時のロッテ、さらにはパ・リーグを語る輩がやたらに多いからだった。まだ知識と言える水準にある者はよい。伝聞の伝聞に過ぎずとても知識とは言えないのに、まるでリアルタイムで観ていたかのようなファンが特に1019日が来る度にツイッターなどで『10.19』を語るのにうんざりしていたからだ。


別に、リアルタイムで知らない若い人に語る資格がないと言うつもりはない。逆にこういうイベントにどんどん参加して当時の選手など関係者はもちろん、当時を知るファンと接することで自分の知らない時代を大いに知って欲しいと思っている。ただ、『10.19』に限ったことでは無いが知ったかぶりはすぐにわかる。ツイッターなど不特定多数の目に触れる媒体で発言するならそれなりの“知識”がないと淘汰される。

二つ目のトークショーを聞き終えて球場を去ろうとしてグラウンドを覗いたら、少年チームによるサッカーの夜間練習が行われていた。
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これが今の川崎球場の真の姿なのだろう。村田がトークショーで言っていたが「パ・リーグでは日生も藤井寺も、西宮も平和台ももう無い。形は変わっているけど、川崎球場がまだあるというのは大切なこと」だと敗戦処理。も思う。耐震強度などの問題で数少ない名残の照明灯も早晩撤去されると言うが、『10.19』と流し素麺だけが川崎球場では無い。これからもいろいろな角度で歴史上の事実を掘り起こして欲しい。


文中一部敬称略。


 

P.S.
25日追記】
前田は1990426日に198か月でホークスを相手に完封したが、その後、川崎球場で行われた公式戦、1990年、1991年、そして本拠地が千葉マリンスタジアムに移転した後の1992年の二試合を調べたが、対戦相手チームの投手を含め、十代の投手の完封勝利はなかった。したがって前田の記憶通り、前田が川崎球場で、十代で完封勝利を挙げた最後の投手となる。なお前田は翌1991104日のファイターズ戦で完封勝利を挙げているが、これは川崎球場における最後の完封勝利投手記録である。


また、村田がうっすらと記憶していたプロ入り初完封の場所が川崎球場というのも調べてみた。村田が初めて完封勝利を記録したのが入団5年目の昭和54(1979)3完封勝利を挙げている。この年のバファローズの試合を振り返ると52日の平和台球場でのライオンズ戦でプロ入り初完封を記録している。二回目の完封勝利は66日の大阪球場でのホークス戦。三回目の完封勝利が914日の川崎球場でのオリオンズ戦。これはどうやら村田の記憶違いのようだ。ただ村田はこの前年の昭和53(1978)914日に川崎球場のオリオンズ戦でプロ入り初完投を記録している。初完投と記憶違いをしたのかもしれない。

 以上“日本プロ野球記録”から調べた。

 

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