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2018年1月 6日 (土)

星野仙一楽天野球団副会長急逝

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ドラゴンズ、タイガース、ゴールデンイーグルスの三球団で監督を務め、そのいずれにおいてもチームを優勝に導いた名将で、現役時代にはドラゴンズのエースとして“打倒巨人”を旗印に気迫を前面に出した投球スタイルだった星野仙一ゴールデンイーグルス球団副会長が
4日未明になくなられたことが明らかになった。まだ70歳だった。


(写真:昨年5月、ジャイアンツ球場にゴールデンイーグルスのファームの対ジャイアンツ戦視察に訪れた星野仙一副会長)



◆ 星野仙一取締役副会長永眠に関して

東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト
16日付


驚いた。まだ70歳である。日本のプロ野球界においてはONや野村克也氏、張本勲氏らよりちょっと下の世代で、現実にゴールデンイーグルス(楽天野球団)の副会長を務めていてその点ではまだまだ現役だ。


敗戦処理。はゴールデンイーグルスのファンでは無いので、本当のところは知り得ないが、三木谷浩史オーナーの現場介入したがり癖は大久保博元監督時代と大差なく、現場のトップである梨田昌孝監督以下、コーチ、選手達を守るための緩衝材として実績充分の大物が必要で現実にゴールデンイーグルス唯一の優勝監督であり、他球団にも顔が利く星野仙一氏の存在というのは今年以降も進化を続けなければならないゴールデンイーグルスにとってはまだまだ必要不可欠な人材だったようだ。

だが、ドラゴンズのエースとして“打倒巨人”を旗印に投げていた時代を見ている敗戦処理。にとっては星野氏というと、やっぱりVS巨人という見方が中心になってしまう。


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星野氏は昨年、野球殿堂入りを果たした。その発表の場でお祝いのスピーチをしたのはドラゴンズの大先輩、杉下茂氏だったが、今回の訃報を伝えるメディアの記事にもあった、1974年にドラゴンズのエースとして活躍してジャイアンツのV10を阻止してリーグ優勝した時に“巨人を倒せばもうそれで充分”的な発言をしてしまったことを触れ「実際に日本シリーズはあっさりと敗れた」という話をしていた。監督になってからもそれは変わらずで、ドラゴンズでもタイガースでもリーグ優勝は出来ても日本シリーズでは敗れた。2013年に(選手、監督通じて五回目の出場で)初めて日本シリーズを制して日本一になることが出来たが、それは相手がジャイアンツだったからだと話して笑いを取っていた。本人の星野氏はただ下を向いているだけで、スピーチを終えた大先輩に深々とお辞儀していた。
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投手としては、ドラゴンズのエースだったことは確かで、
1974年にはセーブのタイトルが出来たが、当時の近藤貞雄コーチの発案で先発と抑えを掛け持ちし、初代最多セーブのタイトルホルダーとなった。だが先発投手としては当時のセ・リーグ六球団のエース投手の中で唯一人、20勝の経験が無かった。そういう意味では記録より記憶に訴える選手の一人だったと言えよう。


1982年で現役を引退した後はNHKの野球解説者となった。ドラゴンズ一筋の現役生活だったが“球界のドン”と言われNHKの野球解説者として君臨していた川上哲治氏に上手く食い込んだことは有名。三球団での監督時代にはすべて川上監督と同じ背番号77を付けていた。解説者時代には試合の解説だけで無く日曜日午後9時のスポーツニュース番組『サンデースポーツスペシャル』の司会も務め、先行するフジテレビ系列の『プロ野球ニュース』で司会を務める元選手の佐々木信也氏の向こうを張った。


1987年からドラゴンズの監督に就任。敗戦処理。は当時ももちろんジャイアンツファンであったが、ジャイアンツファンとして感じたのはドラゴンズの意識革命を一年で成し遂げたという点。それまでのドラゴンズは親会社がジャイアンツと同じ新聞社で競合関係にあるからか、ドラゴンズが優勝争いから脱落すると、ジャイアンツが優勝争いしている相手のチームと対戦する際に必ずしも全力で立ち向かっていない様に感じていた。


例えばジャイアンツとスワローズが激しく優勝争いを繰り広げた1978年の終盤にはスワローズ相手に四連戦で四連敗。内三試合がサヨナラ負けで、さらにその内の二試合では故障明けのために本調子で無い星野氏がリリーフ登板してサヨナラ本塁打を打たれている。また1986年の終盤にセ・リーグの優勝争いがジャイアンツとカープによるマッチレース状態になった終盤戦にはカープとの四連戦に四連敗。四試合合計で1点しか取れなかった。もちろん、優勝目前のチームと、目的を失い気味のチームが対戦すればなりがちの結果であり、片八百長云々をとやかく言うつもりは無いが、親会社が同業という背景を考えると当時の敗戦処理。には恨みたくなる結果だった。


だが星野氏が監督に就任した1987年には当時ジャイアンツがトレードでの獲得を目指していたパ・リーグの三冠王落合博満をジャイアンツに獲得させたくない固めに当時のリリーフエース牛島和彦を始めとする四選手を交換要員にトレードを成立させるあたりはvs巨人意識は変わらずといった感じだったが、リーグ優勝に王手をかけていたジャイアンツをアシストするかのように、マジック対象チームのカープをドラゴンズが破ってジャイアンツの優勝が決まった。そしてこの年の本拠地最終戦で星野新監督はチームを5位から2位に立て直したにもかかわらず試合後の挨拶で「優勝出来ず申し訳ありませんでした」とスタンドのファンに頭を下げ、あくまでも優勝を目指して戦っているのだということをファンに対してのみならず選手を始めチーム関係者に強調していた。


前掲の杉下氏のスピーチのように“打倒巨人”の様相は凄まじく、今でも珍プレー集などでは取り上げられるジャイアンツのウオーレン・クロマティ宮下昌己にぶつけられた死球に激高したことからの乱闘ではジャイアンツの王貞治監督に拳を向けるポーズまでしていた。さすがにこれには後日、盟友である田淵幸一、山本浩二から窘められたというが…。



ドラゴンズでは二回監督を務め、それぞれ一回ずつリーグ優勝を果たした。二回目の監督の際、投手コーチに山田久志を招いた。同職の宮田征典氏をジャイアンツに引き抜かれたことに端を発していたのだが、野手出身の監督が不得手な投手操縦に大物の投手コーチを招聘することはよくあるけれど、投手出身の監督が投手としての実績で自分を遙かに上回る人物を招いたことに、敗戦処理。は当時最初はジャイアンツへの当てつけ(ジャイアンツは山田を投手コーチに招こうとして断られ、その後ドラゴンズを辞職した宮田氏を投手コーチに招いた。)かと勘ぐったが、チームを強くするためには自分のプライドなど二の次なのだろう。投手としては格上(現役時代に星野氏通算146勝、山田284勝)。リーグは異なったが同じ時代に現役をやっていた山田を招聘し「99%任せる」と言い切った星野流にビビったものだった。


ドラゴンズ
2001年シーズン後に退任した直後には奥さんの脱税事件で野村克也監督が退任を余儀なくされたタイガースの監督に即就任し、気持ちの整理の付かないドラゴンズファンを当惑させたが、名将野村監督を以てしても三年連続最下位だったチームを大胆な選手の入れ替えなどにより二年でリーグ優勝に導いた。そして優勝直後に体調不良を理由に退陣し、シニアディレクターとして球団に残った。この間、宿敵だったジャイアンツの監督候補に浮上したとの報道もあったが実現せず。


その後、野球日本代表の監督に就任。2008年の北京五輪に臨んだが、前掲の盟友、田淵、山本をコーチに従えた首脳陣は“お友達内閣”と揶揄され案の定というか、十二球団から人数制限なくメンバーを人選できたにもかかわらず初めてメダルを取れなかった。
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そして
2011年からゴールデンイーグルスの監督に就任した。


blogを以前からお読みいただいている方ならお気付きかもしれないが、率直に言って敗戦処理。は星野氏に対して良い印象を持っていない。理由は色々あるが、比較的新しいところでは2011年のゴールデンイーグルスの監督時代に、選手のミスに腹を立てて本拠地球場のベンチを蹴っていたシーンをテレビ中継で観てしまったことも挙げられる。シーズン開幕前に被災した宮城県において、シンボルのひとつである野球場やその周辺道路などには優先的に労力が注がれたことは容易に想像出来る。シーズン初の試合開催は4月末だったが、それでも多くのスタッによる懸命の努力で試合を行え、観客を迎えられるレベルに持って行っただろうに、備品であるベンチを蹴るなどという行為が平気で出来る人だと思うからだ。


もとより鉄拳制裁を売りにする人を好めない敗戦処理。の考え方からして星野氏のスタイルになじめないのだが、例えば監督として選手に“愛のムチ”的に必要に応じて鉄拳制裁をするにしても妻帯者にはせずに独身の選手のみにするとか、その一方で選手の奥さん全員にポケットマネーで誕生日プレゼントを欠かせないという操縦法になじめないのである。それらを含めて“星野仙一”なのだろうが…。もちろんこれは好き嫌いの問題であり、良し悪しの問題とまでは言えない。


ただ大相撲の世界で暴行事件に端を発する騒動がかなり幅広い層に話題になっていて、貴乃花親方に対する処分がどうのという以前に現役横綱が後輩力士に暴行を働くなどというあってはならない事態が批難されている一方で、これから各メディアが星野氏の功績を振り返る際にどうしても“鉄拳制裁も辞さず”というキャラクターを避けて通る訳には行かない。どう論じるのかも見ものだ。あくまで個人的な考え方ではあるが“今はともかく昔は許された”的に報じないで欲しい。いつの時代も暴力を認めた指導など実態はともかくとして認めて市民権を得たものではないことに変わりはないはずだ。



昭和どころか、来年4月には平成も幕を閉じてそれ以降はまた新しい元号になるという時代に、時代遅れな鉄拳制裁による指導法を過度に賛美する真似はやめて欲しい。仮に賛美するにしてもこれを最後にして欲しい。

敗戦処理。ももういい歳をした大人である。訃報に接し、本音はともかく哀悼の意を表すべきであることはわかる。星野氏の球界に遺した偉大な足跡を否定する気はさらさらないが、全てを受け入れるというと嘘になる。何もこのタイミングでというのはあるが、星野氏に対する思いをすべて書かせていただいた。


まだ70歳である。最後はご家族に看取られたということだが、野球界だけでなく、いやそれ以上にご家族にとって辛い別れになったことだろう。早すぎる。本当に残念だ。


最後になりましたが、つつしんでご冥福をお祈りいたします。


1月7日一部加筆

 

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コメント

殴ったとしても「この指導者であればついて行きたい」と思わせるほどの人間的な魅力が備わっていた方がいいとは考えますが、指導者の暴力には私も反対です。

三木谷浩史氏のマイクロマネジメント好きは、ビジネス誌によれば本業でも同様だそうですよ。
結局泣くのは取引先や部下。
過度の口出しは考えものです。

/*
いしいひさいち氏の「いしいひさいちの経済外論」という作品で、日米貿易摩擦解消のために米側に「対日口出し調整委員会 NEJICOM」という組織が登場していたのを思い出します。
あれ?三木谷氏へのコメントの方が長くなっちゃった。
*/

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

星野氏の逝去につき、ご冥福をお祈りいたします。

さて、星野氏は監督として4度日本シリーズに出場しました。
それも、相手チームの監督は、すべてジャイアンツ出身でした。
最後にイーグルスの監督としてジャイアンツを倒した時は、本望ではなかったかと思います。

こうなる時になるのが野村克也氏。
去年上田利治氏が亡くなった時、大島康徳氏にはせめて昨年中は生き抜いてほしいと思いました。
2代続けて監督が同じ年に亡くなると、チームとしても縁起が悪くなるからです。

ということで、野村氏にも、今年いっぱいは生き抜いてほしいと思いました。

xyz様、コメントをありがとうございます。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

> さて、星野氏は監督として4度日本シリーズに出場しました。
それも、相手チームの監督は、すべてジャイアンツ出身でした。
最後にイーグルスの監督としてジャイアンツを倒した時は、本望ではなかったかと思います。

最初が森監督、王監督と二度、そして原監督ですね。

> こうなる時になるのが野村克也氏。
去年上田利治氏が亡くなった時、大島康徳氏にはせめて昨年中は生き抜いてほしいと思いました。
2代続けて監督が同じ年に亡くなると、チームとしても縁起が悪くなるからです。

> ということで、野村氏にも、今年いっぱいは生き抜いてほしいと思いました。

“こうなると気になるのが野村克也氏”の変換ミスですね。
(必要であれば私の方で修正出来ますが)

ノムさん、心配ですね。

サッチーの訃報の時のあまりにもな落胆ぶり。

今はフリーな立場ではありますが、監督時代、選手のひげ面にあれほど厳しかった人が無精ひげのままで報道陣に対応していましたからね。
(しかも息子の団野村氏に支えられていた…)

星野さんの訃報に際し、「俺より先に逝くなんて とんでもない」と毒づいていましたが、かつての切れ味にはほど遠いですからね。

自分が野球に興味を持ち始めた頃の中心選手だった人の訃報には特にショックが大きいです。

もっともっと年齢が上でも元気にされている方は大勢います。今朝も『サンデーモーニング』にはかつて火花を散らせた宿敵の王貞治がゲストで出て星野さんにコメントしていました。以前よりは高齢の方が暮らしやすい世の中になっていると思いますし、(ノムさんに限りませんが)長生きして欲しいものです。

@scorer_miyuki様、コメントをありがとうございます。

先日、緊急地震速報が鳴ったときにツイッターでリプをいただいた方ですよね。

こちらでもよろしくお願いします。

> 殴ったとしても「この指導者であればついて行きたい」と思わせるほどの人間的な魅力が備わっていた方がいいとは考えますが、指導者の暴力には私も反対です。

星野さんを振り返る上で避けて通れない話題だと思いますが、過度に賛美しないで欲しいものです。

> 三木谷浩史氏のマイクロマネジメント好きは、ビジネス誌によれば本業でも同様だそうですよ。
結局泣くのは取引先や部下。
過度の口出しは考えものです。

“オーナー”である以上、介入する資格はあるとは思いますが、口を出すのならせめて球場に来て口出しすべきというのが私の考え方です。

かつての、球団を私物化するかのごとくオーナー達とは三木谷オーナーは異なると思います。プロ野球チームも自社のグループの一つということで管理したがるその一環だとは思いますが、立花社長もいますし、基本的には任せて欲しいものですね。

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