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2017年11月25日 (土)

ファイターズ大渕隆スカウト部長問題発言!?-背番号21の清宮幸太郎に「1(新庄、森本ら)、11(ダルビッシュ、大谷)、41(稲葉)と、ファイターズの下1桁“1”の意味ある番号に、新たな数字を追加して欲しい」

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周知の通り、ファイターズのドラフト
1位、清宮幸太郎の背番号は21に決まったが、24日に行われた新入団選手発表の席でファイターズの大渕隆スカウト部長が清宮への期待を込めて語ったのがタイトルに挙げた言葉。

「1(新庄、森本ら)、11(ダルビッシュ、大谷)、41(稲葉)と、ファイターズの下1桁“1”の意味ある番号に、新たな数字を追加して欲しい」

それはないでしょう。前身球団を別にしても、ファイターズには高橋直樹、西崎幸広、そして今季までの武田久ら「背番号21」を付けた功労者は多い。既に充分、“意味ある番号”でしょう。


野手である清宮に(これまで投手のイメージが強い)「背番号21」を与えることに敗戦処理。は何の不満もないし、これまでにない清宮のイメージに「背番号21」を染めて欲しいと思っているが、スカウト部長という要職に就いている人のこの発言はいただけない。


(写真:日本ハムになって初代の「背番号21」高橋直樹。前身の東映フライヤーズ時代の1969年から移籍前の1980年まで「背番号21」を背負っていた。 20158月撮影)



◆ 清宮幸太郎ポスト○○嫌、日本ハム野手初の背番
21
日刊スポーツ112520:05


最初に、日本ハムになってからの1974年以降の歴代の「背番号21」を列挙する。

1974年~1980年 高橋直樹
1981年~1984
年 高橋里志
1985年~1986
年 三沢淳
1987年~1997
年 西崎幸広
1998年~2003
年 清水章夫
2004年~2017
年 武田久
2018年     清宮幸太郎

清宮以外のポジションはいずれも投手。

説明するまでもない。現行の日本ハムになってからの選手に限定しても「背番号21」はファイターズにとって“意味ある番号”だろう。前身球団にも遡れば、球団歴代最多勝に当たる162勝を挙げた土橋正幸さんが東映フライヤーズでの現役時代の大半で「背番号21」を背負っていた。ファイターズになって初代「背番号21」の高橋直樹は前身の東映、そして日拓ホームフライヤーズ時代を含め、カープに移籍するまでの在籍13年間で138勝を挙げた。これは土橋さんに次いで球団歴代2位。
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そして西崎幸広がファイターズ在籍
11年間で挙げた117勝は日本ハムになってからのこの球団の歴代最多勝利に当たる。


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北海道移転元年の
2004年にファイターズに入団し、戦力外通告を受ける今季まで一貫して「背番号21」を背負っている武田久167セーブは球団歴代最多セーブで、日本プロ野球歴代10位に当たる。


大渕スカウト部長は「まだ色のついていない、野手での背番号21を選定した」と説明。日本ハムとなった74年以降、背番号21は、武田久らすべて投手がつけてきた。「1(新庄、森本ら)、11(ダルビッシュ、大谷)、41(稲葉)と、ファイターズの下1桁“1”の意味ある番号に、新たな数字を追加して欲しい」という同スカウト部長の願いを耳にすると、ユニホーム姿の清宮は力強くうなずいた。


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大渕隆
スカウト部長の言うとおり、ファイターズに限らず投手のイメージが強い「背番号
21」には野手の色が付いていない。ファイターズでは日本ハムになってから初めて野手として「背番号21」を付けるし、十二球団を見渡しても2015年にジャイアンツのホアン・フランシスコ以来。
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清宮には先輩の「背番号
21」に負けない活躍をしてもらい、極論を言えば“ファイターズの背番号21といえば清宮”というくらいの活躍をして欲しい。だが、大渕スカウト部長の「背番号21」を1、1141といった下一桁が1の数字に続いて“意味ある番号”に追加して欲しいということは言い方を変えれば今までの“背番号21」は“意味ある番号”でなかったということになる。これはスカウト部長という球団の要職に就いている人の発言としては聞き捨てならない。


ファイターズでは背番号0、背番号00を廃止する時にも過去に背番号0または背番号00を付けた選手への敬意を欠くような発言が見られたが、背番号の変遷を軽視する姿勢から過去と真っ当に向き合えない球団なのではないかという気がする。


去る23日、横浜DeNAベイスターズが本拠地横浜スタジアムの改修を節目に、日本一になった1998年の所属選手を始め、大洋ホエールズ時代のOBまで厚め、一部現役選手を交えた“ハマスタレジェンドマッチ”を行って多くのファンで賑わったという。
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同じ日に敗戦処理。にとってもう一つの贔屓チームであるジャイアンツのファン感謝デーに行っていたが、可能であれば敗戦処理。も現地で観たかった。


ァイターズもいずれ“チーム札幌”VS“チーム東京”の様な形式で歴史を振り返る企画をやってくれるのだろうか?近年“レジェンドシリーズ”と称して過去の歴史を新しい年代から順に振り返っているが,単にマーケティング的に成功しそうだから行っている様な気がしてならない。過去を知らなくても、過去に興味がなくてもグッズとして興味を持って買う、集めてくれるファンに救われて“商売”として成り立つから、いわば“仏造って魂入れず”の状態で続いているように感じてしまう。
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今年は東映フライヤーズで日本一になった年のユニフォームを復刻していたが、張本勲小山正明氏(日本シリーズで対戦したタイガースの当時のエース)の始球式対決とユニフォーム以外、取り立てて当時を振り返る企画に乏しかった。ラッキー
7に流れる球団歌が『ファイターズ讃歌』なのはよいとしても何故かささきいさおバージョンだった中途半端さ。


そもそもレジェンドシリーズ導入以前はOB戦で東京時代のOBに平気で北海道ユニを着せていた球団だ。
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ただこのOB戦で、1981
年の後楽園時代の優勝メンバーである村上雅則は北海道ユニでなくサンフランシスコジャイアンツ時代のユニフォームを着用。
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さすがだ。



ファイターズは今季こそ5位に低迷したが、北海道移転後は立派に常勝球団並みの好成績を挙げている。北海道のファンに支えられて本当に強いチームに生まれ変わった。だが、だからといって歴史を軽んじてはいけない。


あの大下弘さんを擁したセネタースに端を発したこの球団の歴史の重み。加えて日本ハムだけに限定しても波瀾興亡のパ・リーグにあって現六球団で二番目の長さの球団なのだ。ゴールデンルーキーへの大いなる期待の裏返しとはいえスカウト部長という要職に就いている人物が歴史の重みを軽視するのはいただけない。百歩譲って軽視していないとしても不用意な発言と言えよう。

 

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コメント

後、背番号11に大島元監督を入れてほしかったですね。
ドラゴンズでの現役生活のほうが長いですが、ファイターズで2000本安打を達成してますし。

話は変わりますが、横浜のレジェンドシリーズ、今のうちにオリックスでもやってほしいですね。
近鉄対南海、阪急対南海はレギュラーシーズンの復刻で可能ですが、阪急対近鉄はファンフェスタでしか行えませんし、2004年時点で在籍していた選手が元気なうちしかやれませんから。

xyz様、コメントをありがとうございます。

> 後、背番号11に大島元監督を入れてほしかったですね。
ドラゴンズでの現役生活のほうが長いですが、ファイターズで2000本安打を達成してますし。

そうですね。特に清宮は打者ですからね。

> 近鉄対南海、阪急対南海はレギュラーシーズンの復刻で可能ですが、阪急対近鉄はファンフェスタでしか行えませんし、2004年時点で在籍していた選手が元気なうちしかやれませんから。

これはぜひ実現して欲しいですね。対戦自体が実現したとしても難しいかもしれませんが、野茂VSイチローの可能性もあるわけですし。

F11様、初めまして。コメントをありがとうございます。

> (高橋直樹氏は日本ハムになってからの選手でないと生え抜き扱いされなかったと
『プロ野球トレード史Ⅱ』(ベースボールマガジン社)の加藤博一氏との対談でで証言)

東映や日拓時代からの選手は生え抜きではない感覚。それは知りませんでした。

確かに新チームになって白、大杉、大下、張本…順次放出されましたからね。

高橋直樹がトレードされたときにはもうファイターズファンでしたが、江夏を獲得するためにはそれ相応の選手を出さないとならないんだな…と言う感覚でいました。

> 過度に地域密着を優先する一方、前身の日本リーグの企業チーム時代を黒歴史のようにしているJリーグクラブの影響も受けているのではないのかとも思いました。

私はサッカーの方はよくわかりませんが、よくない傾向ですね。

“レジェンドシリーズ”を行ったときに、単に売り上げが伸びるからと揶揄されたのもむべなるかな…。

球団自体、現在のパ・リーグではロッテに次ぐ長さなので過去がどんどん薄められてしまうかもしれませんね、寂しいですが。

東映、日拓ホーム時代どころか、東京時代がそうなっていくような…。

長谷川晶一さんの『虹色球団』を購入したのでじっくり読みたいと思っています。


ココログのメンテナンスが入ってコメントの投稿が出来ず、返信が遅れて申し訳ありません。

F11様、初めまして。コメントをありがとうございます。

> (高橋直樹氏は日本ハムになってからの選手でないと生え抜き扱いされなかったと
『プロ野球トレード史Ⅱ』(ベースボールマガジン社)の加藤博一氏との対談でで証言)

東映や日拓時代からの選手は生え抜きではない感覚。それは知りませんでした。

確かに新チームになって白、大杉、大下、張本…順次放出されましたからね。

高橋直樹がトレードされたときにはもうファイターズファンでしたが、江夏を獲得するためにはそれ相応の選手を出さないとならないんだな…と言う感覚でいました。

> 過度に地域密着を優先する一方、前身の日本リーグの企業チーム時代を黒歴史のようにしているJリーグクラブの影響も受けているのではないのかとも思いました。

私はサッカーの方はよくわかりませんが、よくない傾向ですね。

“レジェンドシリーズ”を行ったときに、単に売り上げが伸びるからと揶揄されたのもむべなるかな…。

球団自体、現在のパ・リーグではロッテに次ぐ長さなので過去がどんどん薄められてしまうかもしれませんね、寂しいですが。

東映、日拓ホーム時代どころか、東京時代がそうなっていくような…。

長谷川晶一さんの『虹色球団』を購入したのでじっくり読みたいと思っています。


ココログのメンテナンスが入ってコメントの投稿が出来ず、返信が遅れて申し訳ありません。

管理人様。返答ありがとうございました。
コメントが削除されていますが、もし不適当な表現があったとすればお詫び申し上げます。
補足しますと、生え抜き扱いされなかったという高橋直樹氏のコメントは、トレード時に球団トップから言われた事だそうです。改めて確認すると、この対談は加藤博一氏と渡辺秀武氏との3人でした。今は、この2人どちらも故人となってしまいましたが。

ただ、大社義視初代(日本ハムとしての)オーナーは東映時代からのOBを大切にしていて、当初からOB会は統一組織としていたので(東映系OBの大量放出に本心では反対だったという話も)、この発言はオーナー以外の本社出身幹部の可能性も強いですね。

大社氏の誘いで球団社長を務めた三原脩元西鉄監督も、本社系の球団幹部とはあまり合わなかったという回想をしていたのと、大沢啓二氏が上田利治氏を監督に推した際にも、大社氏だけ賛成で本社は反対だったため、結局大沢氏が監督に一旦復帰した後、大社氏がトップダウンで上田氏を据えた形だった事などを考えても、オーナーとそれ以外の幹部とで温度差があったのは確かなようです。。

こうした点でも、当時はオーナーが選手に愛情が深く、理解を示す姿勢があっても、その下の本社からの幹部が単に「仕事として仕方なくやっている」姿勢のために台無しになった典型かと思いました。

先のコメントで述べたJリーグ各クラブの日本リーグ時代の前身クラブの扱いに関しては、東京ヴェルディが創立年の1969年をチーム名に冠しているのと、横浜F・マリノスが日産時代からのチームカラーを引き継いでいる点以外では、あまり継承されていない感じがしました。

F11様、再びのコメントをありがとうございます。

> コメントが削除されていますが、もし不適当な表現があったとすればお詫び申し上げます。

実は3月19日にココログ全般のメンテナンスがあってブログの作成方法などがほぼ全面的に変更になりました。

その結果(ではない可能性もありますが)何故かF11様の3月18日のコメントが削除されてしまいました。原因を問い合わせ、復旧次第再び掲載させていただく所存です。

ご不快な印象を与えてしまい、逆に申し訳ありません。

F11様、コメントが削除された件に関してです。

拙blogを管理しているアット・ニフティに問い合わせたところ、削除された原因は不明。

また、削除されたコメントはサーバーに残っていないので復旧出来ないとのことです。

blog主としては、申し訳ありません、としか言えません。

拙blogを始めて14年目になりますが初めての現象です。


本当に申し訳ありません。引き続き拙blogとお付き合えいただければ幸いです。

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