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2017年8月 8日 (火)

これぞプロフェッショナル!

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前エントリー背番号が変わった人と変わらなかった人、そして変わったはずなのに変わっていない人…。では暑さのせいでスコアボードの得点を間違えたと書いたが、同じ6日、空調の効いた東京ドームではこれぞプロフェッショナル!というシーンがあった。



ジャイアンツ対ドラゴンズ戦。ドラゴンズは1点リードの九回裏にこの登板で日本記録更新に当たる950試合登板となる岩瀬仁紀を投入。一死一、二塁のピンチを招き、坂本勇人に右中間の大飛球を打たれるがセンターの大島洋平が好捕。抜ければ逆転サヨナラ勝ちも狙えたジャイアンツはサヨナラの走者となる重信慎之介が二塁を回ってから慌てて帰塁して二死一、二塁で試合再開と思いきや、一度二塁を踏んで三塁方向に走りかけたのに戻るときには二塁ベースを踏まずに一塁に戻ったとしてドラゴンズのアピールプレーでアウトとされ、試合終了となった。


重信はお粗末だったが、きちんと見ていた一塁手のダヤン・ビシエドと二塁塁審の有隅昭二審判員はこれぞプロフェッショナル!と感心した。


(写真:坂本勇人の右中間の大飛球を好捕され、二塁を回っていた一塁走者の重信慎之介が慌てて一塁に戻るも、二塁ベースを踏まずに…。日テレG+の中継映像から)



既に試合の中継やスポーツニュース、そして翌朝のスポーツ新聞各紙で報じているから詳細は不要だろう。逆転サヨナラの走者である重信慎之介が、抜けたら一気にホームまでと考えて、捕球されても戻れるぎりぎりの距離まで走っていて、センターの大島洋平が好捕したら慌てたのか、戻るときに二塁ベースを踏まずに戻ってしまった。村田真一ヘッドコーチやコーチ陣は「教えていなかったこっちの責任」と重信を庇ったが、教える以前に常識だろう。



一塁手のダヤン・ビシエドはルーティーンとして重信が二塁ベースを踏むか確認していたという。これはいわば、当たり前のプレーだが、当たり前のことを当たり前にこなすのは意外に難しいものだ。二塁塁審の有隅昭二審判員も同様。打球を追うのは一塁塁審だとしても、捕球した場合に戻る一塁走者がもう一度二塁ベースを踏むか、タッチアップする場合に捕球より早くスタートしないかを確認するのは審判六人制の時代ならいざ知らず、四人制の現在ではかなりハードだと思う。


敗戦処理。も決して他人様のことをとやかく言えた身ではないが、やれ自分の贔屓チームに都合が悪い判定をされたときだけ誤審騒ぎをする野球ファンは、審判員がこうした当たり前の判定を常にしたうえで、瞬時のジャッジを下していると言うことを頭に入れておくべきであろう。疑惑の判定ばかりあげつらうのではなく、こうしたナイスジャッジには拍手を贈らなければなるまい。まさに「あっぱれ!」だ。


一般のファンにわかりにくいシーンとはいえ、プロフェッショナルである審判員には当然のジャッジなのだろう。


もう五年前にもなるのだが、高校野球の夏の甲子園大会で一般のファンにはわかりにくいシーンながら、さすがアマチュアとは言え専門の審判員だと唸らされるシーンがあった。一部で“ドカベンスクイズ”とか“ドカベン走塁”と言われたあのシーン。


一死一、三塁で打者の打球は遊撃手へのライナー。この時、二人の走者ともにスタートを切っていたのだが、遊撃手は一塁に送球。一塁走者が戻れず併殺となった。だが同じくスタートを切っていた三塁走者は一塁に送球が戻って一塁走者がアウトになる前にホームを踏んでいた。これはルール上、タッチアップせずに本塁を踏んだことになるが、スリーアウトになる前なので、このホームインは有効になる。

守備側は三塁に送球して帰塁前に三塁ベースを踏めば問題なかったのだが、仮に一塁送球を選択しても、アピールプレイで三塁走者をアウトにし直すことが出来る。守備側がそれをしなかったので審判員は得点を認めたのだ。水島新司氏の人気漫画『ドカベン』に似たようなシーンがあったため、“ドカベンスクイズ”とか“ドカベン走塁”と呼ばれた。


この試合の数日後、NPBの審判技術委員を務める山﨑夏生氏にこのシーンのことを聞く機会があった。テレビ中継を視ていたという山﨑氏は「審判員として当然のこと。プロでもアマでも当然。ファンの人が驚くのはわかるけどね」と審判員としてこの程度のことが頭に入っているのは当然だと語っていた。当たり前のことを当たり前にやるのがプロフェッショナル。今回のジャイアンツ対ドラゴンズ戦のシーンを質問しても山﨑氏は同じ答えを言うだろう。


加えて、日テレG+の中継で解説をしていたジャイアンツOBの篠塚和典も、マウンドの岩瀬仁紀阿部慎之助を打席に迎えたところで二塁に送球したので「今僕もおかしいと思ったのですよ」と放送で言っていた。


アピールプレーは再開して打者に一球でも投球したら無効になるので、ドラゴンズベンチが慌ててタイムをかけたようで、この岩瀬の二塁送球はアピールと見なされなかったが、その時点で篠塚はいわば“身内”に不都合なことをハッキリと語っていた。篠塚はジャイアンツでのコーチ時代には一塁コーチや三塁コーチの経験があるから、習慣として見ていたのだろう。これもプロフェッショナルだ。


一方、重信には猛省を促したい。ジャイアンツはこのドラゴンズ戦を一勝二敗と負け越したが皮肉にも二敗はいずれも重信が最後,27個目のアウトになっている。


重信は今季、昨年限りで現役を引退した鈴木尚広の後釜的な起用法をされているが、はっきり言って入団二年目の若僧、もとい若手に鈴木の後釜を期待すること自体に無理があると思う。ローマと同じで、鈴木尚広は一日にして成らずだ。


個人的にはそれを割り引いても重信にはセンスのなさを感じる。鈴木尚の後釜というより、栄村忠広二世になってしまわないか心配である。栄村と言えば外野守備での吉村禎章との衝突が有名だが、あの1988年、足のスペシャリストと期待されて抜擢された栄村は、ゴールデンウイークの東京ドームでのタイガース戦で、0対1とビハインドの九回裏、一死満塁で三塁走者として一塁後方のファウルフライでタッチアップして本塁憤死となったシーンがあった。追いかけた内野手がホームに背中を向けたからと言うのが走った理由だったが、足は速くても走塁勘がない典型的な選手だった。


失敗を糧にして成長する選手は多いが、今の重信は失敗がシャレにならない場面での起用が多いポジション。これは使う方の問題だと思う。


因みに帰塁時のベース踏み忘れと言えば、長嶋茂雄は現役時代に三回もやらかしているらしい。そしてそれとは別に、有名な、本塁打を打って一塁ベースを踏み忘れたこともある。あの長嶋でさえ、ということでフォローになっているかどうかわからないが、重信にもエールを送りたい。長嶋がやらかしていた時代には“三角ベース”と揶揄されたそうだが、最近の若い方に“三角ベース”と言ってもわからないだろう<苦笑>


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ところでこの三連戦、ドラゴンズが勝った二試合に岩瀬が登板して日本プロ野球最多登板タイ記録と、同じく新記録を達成した。最近では記録達成のために監督が選手の起用にやたらに気を遣うシーンが多い中、どちらもマウンドに上がっただけで記録にカウントされるのに、ひとつ間違えればチームがサヨナラ負けを喫する場面での起用とは森繁和監督は何とえぐいのか…。この新記録の試合でも問題の坂本の打球が右中間を破っていたら重信はベースを踏み忘れることなく逆転サヨナラのホームを踏んでいたかもしれないし、あのアピールプレーがなければ阿部が逆転サヨナラの一打を放っていたかもしれない。タイ記録の試合も然り。同点の九回裏二死一、二塁からの投入とは、節目の登板に花を添えたいと考える監督なら躊躇していたかもしれない。



それが可能だったのは岩瀬の見事なM時開脚、もといV字回復があったからだろう。岩瀬自身の努力はもちろんのこと、2015年の落合博満ゼネラルマネージャーによる、大功労者への容赦なき肩叩きラッシュの中で岩瀬のみ現役続行を判断した落合GMの慧眼も忘れてはならないだろう。


岩瀬の最多登板記録を、それまでの記録保持者だった米田哲也さんと単純比較するのは無理があるという見方が存在していることは知っている。
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それで思いだされるのは、三十年以上前の昭和59(1984)、タイガースの左のリリーフ投手、福間納の年間の登板数が、当時の日本記録、稲尾和久さんの78試合に迫っていた。いわゆる“消化試合”の時期になり、記録達成のためだけの登板が露骨に増えてくると、マスコミなどから疑問視する声が大きくなってきた。78試合に登板したときの稲尾さんは25完投を始めとする30試合の先発をこなした上で48試合のリリーフをこなし、404イニングも投げており、リリーフ専門で、平均して2イニング未満の登板を繰り返す福間の登板数が仮に稲尾にならんでも、それを“稲尾に並んだ(あるいは超えた)”と言って良いものか?という批判が大半で、当時の安藤統男監督も空気を読んだのか、稲尾さんの記録にあと1というところで寸止めした。



福間の当時と現在とではリリーフ投手の存在意義に関する評価が大きく変わっているが、米田さんや金田正一さんの登板数を岩瀬が超えても、それを以て“岩瀬は米田(金田)を超えた”と言えるのか?と言う意見はわからなくはない。


ただ、米田さんにしろ岩瀬にしろ、どちらも最多記録で、日本記録で良いとも思う。米田さんは敗戦処理。が日本のプロ野球に興味を持ち始めてから(テレビで)見た投手では最多勝利の投手だが、当時において金田正一の登板記録を超えた通算最多登板記録の記録保持者であると言うことはあの時代においてナンバーワンであることを意味し、その米田の現役引退が昭和52(1977)であり、セーブという制度が導入されて四年目だったことを考えると、岩瀬は米田後の日本最多記録なのである。この二人を優劣で論じるのはあまり意味が無いことと敗戦処理。は思う。


ところでファイターズファンである敗戦処理。としては、岩瀬のV字回復を見る度に、武田久にも再び勝つか負けるかの修羅場の最終回のマウンドに戻ってきて欲しいとイメージをダブらせる。通算のセーブ数を比べたら、武田を岩瀬と比較するのは失礼に当たるが、不動の守護神から下降期にさしかかる時期がほぼ一緒に思え、勝手にダブらせている。


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武田も最近ようやくイースタンでの登板を再開した。ファイターズのチーム状況がどうしようもないという時期だけに、これからはファームでも若手へのシフトチェンジに一層拍車がかかるところだろうが、武田にはパ・リーグ版岩瀬になって欲しいものだ


話があっちこっちに飛んでしまったが、贔屓チームの信じがたいミスによる勝利逃しから、いろいろと思いを巡らせることが出来るのも野球の面白さのひとつだと思うのである。


最後にもう一度だけ、


重信、しっかりしろ!

 

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