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2017年6月26日 (月)

『サウスポー』永射保 元投手とその時代-【訃報】永射保 元投手

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ライオンズが西武になってから初めて優勝した時期に、左打者封じのリリーフ投手として異彩を放っていた永射保 元投手が
24日、63歳でなくなられた。


永射投手と言えば、カープの清川栄治とともに、本当に憎ったらしい投手だった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


(写真:プロ野球マスターズリーグ・福岡ドンタクズ時代の永射保元投手。このモーションを見るだけで憎らしさが… 20091月撮影)



なくなられた永射保元投手はカープに入団した投手。昭和
47(1972)から二年間、カープに在籍し、乗替寿好投手との交換トレードで西武ライオンズの前身である太平洋クラブライオンズに入団した。“永射保と乗替寿好のトレード”一体何と読むのかと当時小学生だった敗戦処理。は思った。.正解は“ながいたもつ”“のりかえとしよし”。入団から二年で20歳の左投手で前のシーズンに一軍で20試合二登板した永射さんと、入団五年目の23歳で直前のシーズンでウエスタン・リーグの防御率1位という、ともに前途有望だったと思われる両若手投手の交換トレードだったが、このトレードを機に大きく飛躍したのは永射さんの方だった。


チームのスポンサーが太平洋クラブからクラウンライターへと変わる激動期の中、永射さんは昭和
51(1976)45試合に登板して頭角を現すと、翌年にはオールスターゲームに初出場した。当時は三試合制だったが、何と三試合とも登板!近年の二試合制でも二試合に登板する投手は珍しいが、この年の永射さんは三試合連続登板。二日連続登板となった第一戦と第二戦では地元平和台球場での第一戦に四番手で2イニング、36球を投げると翌日の第二戦には二番手で3イニング、38球を投じた。公式戦でもイニングまたぎをするリリーフ投手が少ない昨今の傾向を考えると、信じられない鉄腕ぶりだった(一日空いた第三戦には四番手で打者二人を相手に三球で降板)


当時のセ・リーグを代表する左の強打者王貞治とは三試合とも対戦。第一戦では一塁ゴロ、第二戦では三振、第三戦では二ゴロと
3打数0安打。完璧に抑えた。永射さん本人によると、この時の対戦を元に阿久悠さんがピンク・レディー『サウスポー』を作詞したという。阿久悠さん本人から聞いたそうだ。


余談だが敗戦処理。はピンク・レディーの『サウスポー』のモデルは当時スワローズの安田猛だと思っていた。『サウスポー』は昭和53(1978)325日に発売され売り上げ146万枚の大ヒット曲。9曲連続1位の金字塔の6曲目だった(以上、オリコン調べ)。前年の昭和52(1977)に王がハンク・アーロンの大リーグ最多本塁打記録755本塁打を抜いて国民栄誉賞を受賞するなど国民的な話題になったことから、その王に敢然と立ち向かった左投手安田をイメージしての作品だとばかり思っていたのだ。永射さんが『サウスポー』のモデルだと知ったのは長谷川晶一さん( @shozf5 )のツイートからだった。もっとも、オールスターゲームでの対戦とは限らない。カープ時代の対戦かもしれない。オールスターゲームで♪ベンチのサインは敬遠だけど…は無いだろうから<>


その後、チームが西武ライオンズになり、広岡達朗が監督になってライオンズは常勝球団に生まれ変わるが、その中で主に左の強打者に対するここ一番でのワンポイントリリーフで存在感を示した。


引き合いに出されるのは元ロッテオリオンズのレロン・リーが多いが、ファイターズファンである敗戦処理。としては左の大砲、トニー・ソレイタが手も足も出ず毎度毎度三振に倒れている印象が強い。


昭和58(1983)のジャイアンツとの日本シリーズでは、対左投手であっても苦にしない好打者の篠塚利夫が永射さんに完全に封じ込まれた。一番印象に残っているのは最後の第七戦。1点を先制していたジャイアンツが五回表に二死三塁から二番河埜和正の三塁ゴロがスティーブ・オンティベロスの悪送球を誘って2対0とし、さらに二死一塁で篠塚を迎えた場面で永射さんが登板。このシリーズ、7試合で5度目の登板。過去の4登板すべてで篠塚と対戦し、四球ひとつの他は3三振。この対戦も不利と見た藤田元司監督率いるジャイアンツベンチは一塁走者の河埜に二盗を命じ、成功。すると三盗を命じ、これまた成功。永射さんは、二死だから走者にうろちょろされようと打者篠塚を打ち取れば良いと考えていたのだろう。さすがに三塁に進まれて慎重になったか、篠塚に四球を与えてしまって右打者の原辰徳を迎えて松沼雅之(松沼弟)に交代するのだが、それだけ左打者封じに自信を持っていたと言えるのだ。


広岡監督時代にライオンズは三度の優勝を果たして二度の日本一に輝くが、唯一日本シリーズで苦杯を喫したのがタイガースを相手にした昭和60(1985)だった。この年はセ・リーグで三冠王に輝いたランディ・バースが日本シリーズでも第一戦から三試合連続本塁打と大暴れしたのだが、知人のライオンズファンに言わせると第一戦で対バースに永射さんを使わずに同じ左投手とはいえ工藤公康を起用したことがすべての間違いだと言う。


松沼博久(松沼兄)池田親興の息詰まる投手戦で0対0で迎えた七回表、ライオンズは無死一、三塁のピンチでバース、掛布雅之、岡田彰布と続く場面で松沼兄から永射さんでなく、工藤にスイッチ。これが裏目に出てバースにレフトスタンドに3ランホームランを浴びるのだった。永射さんだったら…ライオンズファンが悔やむのも無理はない。


昨今のプロ野球では打者の打撃技術の進歩により、極端に左投手を苦にする左打者が減ってきた。また、投手の分業化が進んだ結果、リリーフ投手に過度の負荷がかかることを避ける意味で、リリーフ投手のいわゆる“イニングまたぎ”を避ける傾向が強まり、その結果、精度が高くても左打者だけ(あるいは右打者だけ)を抑える投手より、相手打者の右左にかかわらず1イニングを抑える投手が求められる傾向が強まった。その結果、ホークス時代の森福允彦のような左打者封じのスペシャリストはむしろ例外的な存在になっていると言っても過言ではない時代になった。


そうなると永射さんや、冒頭で名前を出したカープ時代の清川栄治のような存在は言い方に語弊はあるが“過去の人”になってしまう。様々なデータが整備されている時代だ。永射さんの現役時代を調べて、対左打者の被打率を調べて既にブログなどで発表している方もおそらくいるだろう。その中には対右打者の被打率まで調べ、いかに永射さんが対左打者封じに特化した可を強調する人もいるかもしれない。


だが
自分できちんと調べもせずに言うのもナンだが、永射さんに限らず、左打者封じのスペシャリストの真価を問うならば、対左打者の被打率を調べるだけでなく、その左打者に右の代打が送られたケースも、いわば大相撲の不戦勝のごとく1打数0安打とカウントして加算すべきだと思うのである。永射さんの出番は終盤とは限らない。その左打者が代打を送られて退くだけでも永射さんの価値があるのだ。ケース・バイ・ケースではあるがその右の代打に打たれたとしても、左打者が退いて次の打席に出てこないプラスの方が大きい場合があるからだ。


野球における戦術、セオリーは時代によって変化する。現在の価値観で過去の名選手を“格付け”するのは慎重を期さなければならない。そこは主観が入り込む余地が大きいとは言え、リアルタイムに二つの時代を知っている身にとっては記憶というものが、生半可な物差しより場合によっては正確な指標になり得ると敗戦処理。は思う。


blogで永射さんの素晴らしさが、現役時代を知らない若い人に伝わるとは思わない。そこまでの表現力が無いのは自覚している。せめて永射さんを知る年代の方に目を通していただき、当時を思いだしていただければと思う。


【参考資料】
『日本プロ野球トレード大鑑』ベースボール・マガジン社
『プロ野球人名事典』森岡浩編著、日外アソシエーツ
『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY』ベースボール・マガジン社
『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』長谷川晶一 日刊スポーツ新聞社
1968-1997 ORICON CHART BOOK オリコン
『日本シリーズの軌跡 NIPPON SERIES HISTORY』ベースボール・マガジン社

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コメント

当時はL永射、Bu藤瀬、Br高井と、meal ticketを持った選手が輝いていました。あちらでソレイタ選手と勝負しているのでしょうね。ご冥福をお祈りいたします

Fファンです 様、コメントをありがとうございます。

> 当時はL永射、Bu藤瀬、Br高井と、meal ticketを持った選手が輝いていました。

懐かしい名前ですね。

今は月刊誌になっている『ベースボールマガジン』で(引退後の)永射投手と広島の清川の対談があったので、次は藤瀬と元広島の今井の対談があるかなと期待したのですが実現しなかったですね。

> あちらでソレイタ選手と勝負しているのでしょうね。ご冥福をお祈りいたします

西武戦で、自分の打席で永射投手への交代を告げにベンチから出てきた広岡監督にシッシと追い払うようなポーズをソレイタがしたのを思いだしました。

永射さんに対してソレイタが「こっちに来るな」というポーズをしているかもしれません。

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