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2017年1月 8日 (日)

古葉竹識さんのトークイベントを聞いてきました。

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今日
8日は東京ドームの野球殿堂博物館で行われた古葉竹識さんのトークイベントを聞いてきた。


古葉さんは言わずと知れた昭和50(1975)の広島東洋カープの初優勝を始め、四度のリーグ優勝、三度の日本一を果たした名将。現在、野球殿堂博物館では昨年震災に遭った熊本を応援する企画として、熊本県出身の大監督、故川上哲治さんに因んだ「川上哲治特別展」を開催しているが、その企画の一環として川上さんと同じ熊本県出身の古葉さんがトークショーを行ったものだ。


(写真:「川上哲治特別展」開催記念のトークイベントを行った古葉竹識さんと、司会進行を務めた“ニッポン放送ショウアップナイター”の胡口和雄氏)



古葉竹識さんは、現役時代はカープと南海ホークスでプレー。ホークスで引退してコーチになり、その後コーチとしてカープに戻り、昭和
50(1975)にシーズン途中でジョー・ルーツから監督を引き継ぐと、カープに球団創設以来26年目で初めてのリーグ優勝をもたらした。カープでは昭和60(1985)までの11年間監督を務め、四度のリーグ優勝、三度の日本一を果たした。その後、昭和62(1987)から平成元年(1989)までの三年間、カープ時代のコーチ陣を引き連れて横浜大洋ホエールズの監督を務めたが、三年間Bクラス続きで期待に応えることは出来なかった。


このように敗戦処理。の贔屓チームには一度も在籍していない。敗戦処理。にとっては“対戦相手の人”。現役時代は見ていない。カープの監督として、テレビ中継でカープベンチが映ると、バットケースに隠れて顔が半分しか映っておらず、それが何とも不気味だった。


当時のジャイアンツは川上哲治さんが監督として築き上げたV9時代が終わって長嶋茂雄監督になって、V9時代のような緻密さから明らかに離れていたから、カープの試合巧者ぶりに敗戦処理。はいつも怯えていた。ある年は本塁打攻勢の重量打線を前面に出し、ある年は機動力野球、ある年は投手力中心。黄金時代のカープは本当に“嫌らしい野球”をするチームで、その象徴がカープベンチで身体半分を隠す古葉監督の姿だった。


80歳になられた古葉さんは、「江夏の21球」の試合を振り返る話で相手の佐々木恭介の名前が出てこなかったり、石渡茂と間違えたりと年齢を感じさせる部分もままあったが、話の折々に野球ファンやお世話になった人達への感謝の思いを語っていた。


川上さんとは、古葉さんが新人の年が川上さんの現役最終年だったことで一年だけかぶっていたそうで、初めてジャイアンツ戦で安打を放った時、一塁ベース上で川上さんに自分が熊本県出身であると名乗って挨拶した話をしていた。


“川上さんの現役最終年”でピンと来た方もいらっしゃるかもしれないが、長嶋茂雄とは同期入団
(学年は長嶋がひとつ上)。入団六年目に長嶋と熾烈な首位打者争いを繰り広げたものの、終盤戦で死球を受けて亀裂骨折。長嶋の打率を逆転するチャンスを逃した。古葉さんによると、治療のために入院した古葉さんの元に長嶋から電報が届いたという。球界では類を見ない長嶋の気配りに古葉さんは感動したという。


プロ野球選手としてのスタートが同時だった長嶋とは監督としても同期。ともに昭和50(1975)に監督生活をスタート。古葉さんはカープ球団にとって初の外国人監督となるルーツ監督が開幕早々に球団とトラブルを起こして退団。コーチだった古葉さんが監督を引き継いだので監督デビューは厳密に言えば長嶋の方が早いが同期ではある。


古葉さんが率いるカープは一年目に初優勝を果たすのだが、その初優勝を決めたのが後楽園球場でのジャイアンツ戦。昨年、カープが25年ぶりにリーグ優勝を決めたのも東京ドームでのジャイアンツ戦。古葉さんはこの二つの偶然の一致に因縁を感じるそうだが、勝てば優勝というビジターでの試合に臨む前に、親しくしている夕刊フジの記者から予想もしなかった申し入れをされたという。それは「もしも今日後楽園で巨人相手に優勝を決めたら試合後に長嶋監督と対談して欲しい」というものだった。


この年のジャイアンツはカープとは対照的に球団史上初(そして今のところ唯一)の最下位。ジャイアンツにとっては屈辱の一年。そんな状況で長嶋監督が目の前で優勝を決められてその日に優勝記念の対談に応じるはずがないと古葉さんは最初は信じなかったそうだが、記者の話によると長嶋監督はそんなことは全く気にしておらず、純粋にカープの初優勝を祝いたいと考えているそうだ。そしてその試合で優勝を決めて、胴上げやら取材の対応を終えて指定された場所に出向くと、長嶋監督が待っていてくれて優勝を心から祝福してくれたという。対談の最後に「でも古葉ちゃん、来年はウチが優勝するからね」と締めくくられたら、次の年、本当にそうなってしまったとオチを付けていた。この翌年、昭和51(1976)はジャイアンツが前年の最下位から一転してリーグ優勝。最終戦でカープを相手に広島市民球場で優勝を決めて長嶋監督が宙を舞った。この話は、カープが初めてのリーグ優勝を決めた19751015日をまとめた堀治喜さんの「初優勝 PLAYBACK 1975.10.15にも書かれていない。今年も3月に行われる「東京野球ブックフェア」でお会い出来たら堀さんに聞いてみたい。
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古葉さんはカープでコーチから監督になる前にホークスでコーチを務めていた。現役時代のカープからホークスへのトレードも当時の野村克也監督兼捕手からの要請だったそうだが、現役引退を決意してこれで広島に帰れると家族一同で考えていたらコーチで残るように言われたという。野村監督は古葉さんの指導者としての手腕を高く買っていたようで、森永勝也さんがカープの監督になった時にコーチとして呼び戻そうとした際にも野村監督は手放したがらなかったそうだ。古葉さんはカープの現役時代に出場したオールスターゲームで捕手野村から例の“囁き戦術”でこけ降ろされたりした経験があって野村のことを嫌いで、トレードの話を聞いた時には現役引退をも考えたが野村野球の元でのコーチ経験が後のカープでの監督生活に役立ったと野村監督にも感謝していると語っていた。



古葉さんは自分をカープに呼び戻してくれた森永さんと、カープの低迷期に長くエースとして君臨した長谷川良平さんを、自分が監督になった時にOBとして試合の前にグラウンドに出て選手に直接指導をして欲しいとオーナーに頼み込んだそうだ。当然、担当コーチの立場はどうなるんだ?ということで反対されるが古葉さんは押し切った。そんなこともあったので初優勝の記念のハワイ旅行に森永さんと長谷川さんを夫婦で参加出来るよう、オーナーに直訴。実現したという。カープが初優勝に至るまでの長く、報われない時代を支えてきた両先輩への感謝を古葉さんは忘れなかったのだ。


カープ監督としての古葉さんは、ファンやマスコミに見せる柔和なイメージとは裏腹に、当時は鉄拳制裁も辞さない厳しい監督であることも伝えられていたが、そのことを振り返って「私は手を出したり足を出したりなんてことはしていません。ただ触っただけです」と否定していたが、そう言いながら右脚で蹴る仕草をしていた<>


このトークイベントが野球殿堂博物館で行われたと言うこともあって古葉さんは知り合いから「『広島の関係者が一番殿堂入りしている』と言われるけど、巨人の方が多いですよね」と言った。これには進行役の胡口和雄氏が「それは古葉さんの教え子が多いと言うことでしょう」と断言。
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古葉さんも当然殿堂入りをしているが、山本浩二、衣笠祥雄、外木場義郎、北別府学、大野豊、津田恒実さんと確かに古葉監督の下でプレーしたメンバーが多数殿堂入りを果たしている。



胡口氏の「強いて、一番印象的な選手を挙げていただければ」と言う問いかけには、一番自分の野球を理解してくれた山本浩二の名前を挙げ、山本浩二をセンターからレフトに回す時に本人に納得させるのが大変だった話をした。何と、広島市民球場のセンター後方の席で山本浩二を応援していた人達が反対して古葉さんの家まで押しかけてきたとか。


最後に質疑応答があり、津田恒実さんと、津田さんの息子を東京国際大学の監督時に指導したことについて聞かれると、若くしてなくなられた津田さんのことに思いが及び、言葉に詰まる一幕があった。また横浜大洋ホエールスのファンという参加者から「昨年のカープ打線を指導した石井琢朗コーチは古葉さんが横浜大洋の監督の時に入団した選手ですが、当時はどうでしたか?」と言う質問には若き日の石井琢朗はカープの高橋慶彦と双璧を為す猛練習の主。と答えた。石井琢が現役続行希望でありながらベイスターズから引退勧告を受けた時には古葉さんはカープのフロントに石井琢獲得を勧めたという。古葉さんは「神ってる」にも寄与しているのだ。


最後に抽選で古葉さんの直筆サインが当たる抽選会。それも予め用意されたサイン色紙ではなく、抽選で当選者を決めてから当選者の名前を入れてその場で古葉さんが書くというもの。抽選で5人を選ぶという企画だったが、最後のひとりを決めるくじを引く時に古葉さんは2枚引いてしまい、急遽6人となった。滅多にこういうものに当たらない敗戦処理。だが、抽選番号が古葉さんがカープを率いていた頃の主力選手の背番号と同じだったので密かに期待していたら見事当選した。
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目の前でサインを書いていただき、胡口アナからも祝福されて大感激だったが、「実は巨人ファンです」とはさすがに言えなかった<>。握手をさせていただいたが80歳とは思えぬ力強さだった。


古葉さんが最後にカープで優勝したのが33年前。参加者も年配の人が多かったが、中には二十歳代と思われる、カープユニ姿のファンもいた。中には熊本から来たという人もいた。それら、カープファンを差し置いて古葉さんの色紙をいただくのはいささかの気まずさも感じたが、せっかくなのでありがたく頂戴した。多分今年はもう運を使い果たしたと思う。


野球殿堂博物館での「川上哲治特別展」は今月15日まで。この日は古葉さんのトークイベントに因んで館内の映像シアターでは古葉監督が率いたカープの四度の日本シリーズのダイジェスト映像を繰り返し流していた(この日のみ)
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敗戦処理。は早めに行って全回を通して見たかったが、(古葉さんにとってもその後のカープにとっても)最後の日本一になった昭和
59(1984)と、初優勝で山口高志にきりきり舞いさせられた昭和50(1975)しか見ることが出来なかった。



昨年のカープの25年ぶりの優勝は、何かと昭和50年の初優勝と比較された。優勝パレードをしたのもこの二度だけだという。古葉さんの時代はこの昭和50年からの十年間で四度の優勝をした。今回のカープはこれかRどうなるのか?昨年のカープの優勝で、カープの球団運営、経営戦略などがあらためて見直されたが敗戦処理。に言わせれば、24年間も優勝から遠ざかるチームが一度優勝したくらいで評価するのはナンセンス。本当にカープへの評価が下されるのはあと数年は待たなくてはならないと思う。昨年カープと日本シリーズで対戦したファイターズも2006年に優勝した時には25年ぶりだったが、それからの十年間で四度の優勝を果たしている。


セ・リーグでは
2015年に優勝を果たしたスワローズも一年後にはBクラスに転落している。カープでは精神的支柱と言われる黒田博樹の引退という戦力ダウンがあるが、野手の主力が軒並み伸び盛りの年齢という強みがある。古葉さんの時代のような、嫌らしい野球の頃とは時代が違うが、再びカープの時代がくるのか?古葉監督に目の前で胴上げをされた長嶋監督は翌年にリベンジを果たしたが、緒方孝市監督に目の前で胴上げされた高橋由伸監督は今年リベンジを果たせるのか?高橋監督を始めとするジャイアンツナインは緒方監督らの胴上げを見ずにベンチを後にしたそうだが…<苦笑>。
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奇しくもジャイアンツの高橋監督はジャイアンツが最下位になり、カープが初優勝した昭和
50年の生まれ。敗戦処理。が神宮球場でルーツ監督の初陣を生観戦した二日前に生まれている。

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