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2017年1月26日 (木)

しもしも~北別府!?-平野ノラとプロ野球

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あまりバラエティ番組を見る方ではないが、比較的この時期はよく見る。そうすると嫌でも目に入ってくるのが旬なお笑いタレント。主に1980年代後半からのバブル期を題材にしてネタにする一人芝居の平野ノラをテレビでよく見かける。


(写真: 平野ノラのネタによく出てくる北別府学。 19924月撮影)



平野ノラのプロフィールに書いてある年齢が本当の年齢であるならば(いきなり失礼だろ)彼女自身はバブルを謳歌していない。にも拘らず彼女はバブリーな時期を思いださせる、ツボに来る人物やフレーズを連発して笑いを取っている。よほど当時のことを勉強したのだろう。



ところで平野ノラのネタの中に時折当時のプロ野球選手の名前が出てくる。敗戦処理。が記憶にあるだけでも北別府学、ランディ・バース、ゲーリー、オレステス・デストラーデ。因みに肩パットの中には北別府のウイニングボールが入っているという<笑>。


彼女がどうやって北別府のウイニングボールを手にしたのかは謎だが、実は冒頭の写真の北別府登板試合でジャイアンツ打線を手玉にとって勝利投手になった北別府がヒーローインタビューの後に無造作にスタンドに投げ入れたウイニングボールは敗戦処理。が観戦していた席に飛び込んできた。縁があってたまたま手に入った三塁ベンチ上あたりの特等席。もちろんジャイアンツを応援していた敗戦処理。はヒーローインタビューを受ける北別府の声がスタンドに流れないこともあってとっとと帰り支度をして席を立ったためにこのボールを手に入れ損ねたのだ。



ただ、とんねるず石橋貴明からは「野球選手言えば俺が笑うと思ってるだろ!?バブルからはちょっと時代がズレてるぞ !」と突っ込まれたという。北別府は1970年代の終わりに頭角を現して1990年代半ばまで第一線で投げていたから、バブル期のエースとは言えるが、活動期が長いばかりにバブルの象徴とは思われないのだろう。


だいたい今から四半世紀前のことだ。現在の日本プロ野球と当時の日本のプロ野球との大きな違いはいくつかあるが、当時からジャイアンツファンだった敗戦処理。にしてみればテレビ中継の有無に一番の相違を感じる。もちろんまだようやく衛星放送(BS)が定着したころ。まだCS放送はない。BSもNHKが二局とWOWOWがあっただけだが、そもそもジャイアンツの試合はホームだろうとビジターだろうと地上波で生中継されていた。それが当たり前だった。それどころか、巨人戦は試合が伸びれば、中継も延長されていた。30分、時には60分放送時間が延長され、その分、その後の番組が後ろにずれたのだ。


いわゆる民放は番組にCMを入れてくれるスポンサーの収入で成り立っている。当時、巨人戦が地上波で常時中継されていたのはもちろん視聴率が高く、スポンサーが付くからだが、試合が放送時間枠(たいていは午後9時まで)で終わらないときには30分ないし60分放送を延長していた。


野球中継が伸びれば、その後の時間帯の番組はその分放送する時間帯が遅くなる。スポンサーは番組に対してスポンサー料を払うのだが、その番組を視聴する人にCMを見てもらうのが目的だから、放送する時間帯がずれれば、見てほしい人に見てもらえるとは限らなくなる。だから、テレビ局は野球中継によって放送の時間帯がずれた番組のスポンサー料を値引きして一部を返上するのだ。そうして収入の一部を減らしてでも野球中継を延長するのは、野球中継を延長する30分間、ないしは60分間の広告収入がその減少分を補って余りある莫大な金額だったからだそうだ。通常では考えられない広告料金を設定しても野球中継の延長時間帯の広告枠は飛ぶように売れたという。それこそ野球界にとってもバブルな時代だったのである。


こう書くと「テレビ中継があったのは巨人戦くらいじゃないか」という反論があるだろう。それはその通りだ。だが、その野球中継の延長を当たり前にしたのはジャイアンツのホームゲームを独占中継していた読売グループの一員である日本テレビではなく、フジテレビだった。フジテレビは「プロ野球ニュース」によって、その日の試合すべて、ジャイアンツだけでなくセ・パ満遍なく試合のハイライトを扱って解説者とアナウンサーが試合を振り返るというスタンスで、従来の巨人戦一辺倒が当たり前だったスポーツニュースに一石を投じた。


珍プレー好プレー企画では、ミスをした選手だけでなくスタンドの観客なども対象となった。隠し玉で走者をアウトにしようとしている内野手の動きを追い続けたカメラマンには金一封が贈られた。これは裏を返せば、生中継しない試合、夜の「プロ野球ニュース」で数分しか流さない試合にも多くのカメラスタッフを投入していたことを意味する。それだけやっても元を取れる。そういう時代だったのだ。



余談だが、野球中継の放送延長を容認した初期のスポンサーは塩野義製薬だと記憶している。昭和53(1978)、セ・リーグでデッドヒートを繰り広げたスワローズとジャイアンツの直接対決はいつも終盤までもつれた。所定の放送時間には収まらない。すると、「この時間は塩野義製薬提供『ミュージックフェア』の時間ですが、スポンサーのご厚意によりこのまま野球中継を続けさせていただきます」というアナウンスが入り、スワローズとジャイアンツの首位攻防戦の中継が延長されるのであった。


今は土曜日の午後6時からの放送となって長い『ミュージックフェア』。今もシオノギの重役が時折収録のスタジオに顔を出して、ビビるスタッフに対して「多少の視聴率の上がり下がりは気になさらないでけっこうですから、土曜日の夕方にお茶の間に良質の音楽番組を届けてください」とだけ言って去っていくそうだが、約四十年前にもお茶の間に野球中継を延長する太っ腹さを発揮していたことになる。



石橋貴明が指摘したように、平野ノラがネタとして演じるバブリーな時代は、北別府とは合致しないかもしれないが、日本のプロ野球がバブリーだった時代と重なるかもしれない。別にプロ野球選手の名前を挿入しなくてもバブリーな時代のネタで笑いを取ることは可能だろうが、彼女がわざわざ北別府やバース、デストラーデなどの名前を出すのは彼女自身が野球好き(2009年頃にはジャイアンツの現役選手と交際していたらしい)だということもあるだろう。野球脳な敗戦処理。にとってはありがたい芸風だ。これからも続けてほしい。


敗戦処理。自身はとてもバブルを謳歌するほどの身分ではなかったが、身分不相応も顧みずに夜のギロッポンに繰り出し、女の子たちに「見て見て、あそこにいるの、吉田照美じゃない!?テレビのイメージより大きいのね」と言われてその方向を見たら眼鏡をかけて変装しているつもりの秋山幸二だったのもバブルの頃<>


平野ノラは登場曲に荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」のイントロを使っている。昭和61(1986)の大ヒット曲で、歌手としての荻野目洋子がブレークした曲だ。ノリの良いイントロで、バブリーな時代を連想させるにはうってつけだ。荻野目洋子といえばこの代表曲ともいえる「ダンシング・ヒーロー」の二曲前のシングル「恋してカリビアン」がライオンズ時代の秋山のヒッティングマーチに使われている。これは単なる偶然だろうが<>


今の芸風だけでは長持ちしないなどと危惧する向きもある。仮にそうなったとしても、いつか「あの人は今」的に取り上げられるようになったら、「しもしも~北別府!?」と野球選手の名前を出しながらバブリーな時代を振り返って欲しいものだ。

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