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2016年12月20日 (火)

追悼、加藤初さん

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長嶋茂雄
監督の二年目に太平洋クラブライオンズから移籍してきて、この年のジャイアンツの、前年のセ・リーグ最下位からの優勝という大転換に大きく貢献するなど、移籍組では異例とも思える
15年間の長きにわたりジャイアンツで投げ抜いた加藤初元投手の訃報が入ってきた。1211日になくなられたそうで、巨人軍が発表した。66歳だった。


敗戦処理。は当時からジャイアンツを応援していたのでリアルタイムにジャイアンツの加藤初さんを見ているが、特に好きな選手の一人だった。

 



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月も半分を過ぎ、二週間後は2017年だと気付いて慌てている今日この頃だが、残念な知らせが入ってきた。


もう既にネットを中心に加藤初さんの現役時代の活躍などが振り返られているだろうが、単に贔屓チームの主力選手だったからこのエントリーを書いている訳ではない。特に好きで思い入れのある選手のひとりなので書いている。


加藤初さんがジャイアンツでプレーしたのは昭和51(1976)から平成2(190)15年間。第一次長嶋茂雄政権から藤田元司トロイカ体制、王貞治監督時代、そして二度目の藤田監督時代。V9以降の、常勝復活にもがき苦しんで「江川問題」のような我田引水の論理で突き進もうとして反感を買ったり、不成績を理由にまさかの長嶋監督解任でファンを動揺させたり、そして原辰徳らの入団、主力の若返りで新しいジャイアンツ像が出来上がる激動の時期だった。


投手として頼もしいだけでなく、無口で男らしい立ち振る舞いが、特に原辰徳の入団を境にフレッシュなヤングジャイアンツのイメージで球団がひた走る中、異彩を放つ存在だったがチーム事情によって先発に回ったりリリーフに回ったりしながら黙々と自分の役割を果たす姿はかっこよく映った。昨今のジャイアンツの補強ではもうこういう味のある選手を獲得することは無いのかもしれない。


ジャイアンツが長い歴史の中で初めて(そして今のところ唯一)最下位に終わった昭和50(1975)のシーズン終了後にこのままではいかんと危機感にさいなまれた球団がトレードで招いた。当時子供だった敗戦処理。にとってもジャイアンツの最下位というのは子供心にも衝撃だったから、加藤さんや張本勲の補強には大いに興奮した。


今の様にFA制があるわけではない。他球団の主力選手を獲得する方法はトレードを申し込むしかないのだが、交換トレードは相応の選手の放出を伴う。


ファイターズにいた張本の獲得には、V9時代に堀内恒夫に次いで左のエースと言われていた高橋一三さんと、長嶋茂雄監督の後釜として三塁を守っていた富田勝さんを放出する2対1の交換トレードとなった。加藤さんは、その高橋一三さんの次の次、ローテーションの四番手クラスの関本四十四と若手投手だった玉井信博との交換で、太平洋クラブライオンズは加藤さんの他に内野手の伊原春樹を加え、2対2の交換トレードとなった。


長嶋監督の一年目に球団史上初の最下位に終わった原因はいくつかあったが、長嶋監督自らの現役引退で王貞治が二枚看板から一枚看板になったことも主たる要因の一つとされていた。


ジャイアンツはかつてのON両雄並び立つ姿をイメージし、王と同じ年齢の張本に白羽の矢を立てた。当時のファイターズは旧東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズを経て日本ハムがこの前年の昭和49(1974)に球界参入したばかりで新しいチームカラーを模索し、旧東映色の強い大杉勝男さんや大下剛らを順次放出していた。球団社長がジャイアンツで監督まで務めた三原脩さんだったこともあり、張本のトレード交渉がうまくいった。


加藤さんは昭和47(1972)に前身の西鉄ライオンズ最後の年に入団して新人王を獲得。東尾修と並ぶ二枚看板だった。ジャイアンツの交換要員、関本も前年には防御率1位を獲得しており、それほどの大出血があったからか、トレードが成立した。


高橋一さんと関本が抜けるジャイアンツ投手陣はこの時点では先発で計算出来るのが堀内と倉田誠くらいだったが、小林繁さん、新浦寿夫の急成長があり、そこに加藤さんが加わり、途中入団の外国人サウスポー、クライド・ライトも活躍し、王と張本、さらに外野から三塁に回った高田繁らが引っ張る打線ともかみ合い、最下位の翌年にすぐにリーグ優勝をした。この優勝は現役時代に幾多の劇的なシーンを見せてきた長嶋が率いる監督のチームらしい優勝として、ファンにジャイアンツ復活を強く印象づけた。


今ほどに投手の役割分担がはっきりしていない時代ということもあったが、加藤さんは先発に、リリーフにとフル回転した。ジャイアンツ移籍一年目のこの年は154敗という素晴らしい成績だったが移籍早々の418日に広島市民球場での対カープ戦でノーヒットノーランを達成した。このことだけでももちろん快挙だが、この四日後に行われた次の試合、後楽園球場での対スワローズ戦では七回表のピンチに二番手としてリリーフで登板し、ピンチを切り抜けて最後まで投げきってセーブを記録した。交通ストライキの影響での試合中止があったとはいえ中三日。調べた訳では無いがノーヒットノーランを達成した投手が次の試合でセーブを挙げたのは後にも先にも加藤さんだけだと思う。そういうことを淡々とこなしてしまう投手だった。


ただ、投手としては故障と病気に悩まされる投手だった。この年もフル回転した反動か、オフシーズンに体調を崩して入院すると、翌年の6月まで戦列を離れた。当時は肋膜炎と発表されていたと思うが、後から知ったが選手生命を絶たれる危険のある病気だったらしい。それゆえにか移籍前のライオンズでは四年間いずれも規定投球回数に達していたが、ジャイアンツでの15年間では二年連続で規定投球回数に達したのは一度しかなかった。


しかし使い勝手がよかったのだろう。ジャイアンツでは五度、日本シリーズを経験している。ジャイアンツの移籍組では他に金田正一が五度日本シリーズに出場している。おそらくこの二人が最多だろう。江川卓でも三度だ。


投球スタイルはストレートとフォークを主体とした本格派だった。そして何より特筆されるのが牽制の上手さ。右投手であれほど一塁走者にスタートを切らせづらい投手はなかなかいないのではないか。有田修三が在籍した頃、年齢的にやや肩に衰えがあったが、槙原寬己が先発の時と、加藤さんが先発の時には山倉和博では無く有田がスタメンマスクということが多かった。槙原と組むのは当時若手だった槙原がよくいえば慎重になりすぎ、悪く言えば気が弱いタイプなので強気のリードをする有田と組ませる意図があり、加藤さんの場合は加藤さんの牽制が上手いから有田の弱肩をカバー出来るからだった。ジャイアンツでの最後の二年間は投手コーチを兼任していたが、引退後はコーチにならず退団した。そして現役時代を振り返って書いた本が「巨人軍 仲よくするより強くなれ 風雲熱投19!鉄仮面投手の直言を受けてみろ」(廣済堂出版)だった。読まなかったが、タイトルを見てジャイアンツに残らなかった理由が想像出来た。


冒頭の写真だが、加藤さんを撮影した写真が無かった。写真が無かったので苦肉の策で、プロ野球OBクラブが発行したカードを勝手に使わせてもらった。ライオンズ時代の同僚、東尾の写真と、ジャイアンツでの恩師長嶋監督に挟まれると感慨深くなる。


ジャイアンツでの現役時代に登板を生で何度か観戦しているが、当時は写真を撮っていなかった。最後に生で観たのはマスターズリーグでプレーしていた2004年の正月。敗戦処理。のネットデビューだった@niftyのベースボールフォーラムの仲間達との観戦オフだった。これも後から知ったのだがライオンズ時代の僚友、大田卓司が監督を務めている台湾プロ野球、La Newベアーズのコーチ就任が決まったのでお別れ登板だったそうだ。


昨年、高橋一三さんがなくなられたが、その高橋一さんと入れ替わりで背番号21をつけた加藤さんがなくなって因縁を感じる。ジャイアンツ入団が張本と同期になるから、次の日曜日、25日のTBSテレビ系「サンデーモーニング」のスポーツ御意見番のコーナーで張本が振り返るだろう。


高橋一三さん、山本功児さん、加藤初さん。もちろん敗戦処理。より年上だが、現役時代をリアルタイムで観ていた選手の訃報は本当に寂しい。つつしんでご冥福をお祈りします。

 

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コメント

残念でなりません。
私も加藤投手の大ファンでした。

数年前、韓国でコーチをしているというニュースを聞いた時、
ぜひとも巨人のコーチとして復帰してほしいと思っておりました。

今回の訃報のニュースを見ると、その頃から既にご病気と闘っていたのですね。

小林繁、新浦、加藤・・・あの頃の個性の強い投手陣は忘れられません。

加藤さんのご冥福をお祈りします。


白山GK様、コメントをありがとうございました。

返信が遅くなり失礼しました。

> 数年前、韓国でコーチをしているというニュースを聞いた時、
ぜひとも巨人のコーチとして復帰してほしいと思っておりました。

不思議なことに、日本ではライオンズでコーチをしただけでしたね。

もっとも、V9以降のジャイアンツの選手で、特にジャイアンツで現役を終えた選手でジャイアンツ以外の球団からコーチ、監督に招かれた選手は極めて少ないので加藤さんは貴重な存在です。

> 小林繁、新浦、加藤・・・あの頃の個性の強い投手陣は忘れられません。

そうですね。特にその三人は長嶋監督の時代には先発にリリーフにとフル回転していましたね。

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