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2016年8月16日 (火)

ライオンズ・クラシックをもう一度…。

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西鉄ライオンズ黄金時代の主力選手の一人、豊田泰光さんがなくなられた。81歳だった。


豊田さんは引退後、評論家として長く活動していた。地上波でジャイアンツの試合が毎試合放送されていた時代のフジテレビ「プロ野球ニュース」での御意見番的な立ち回り。ベースボール・マガジン社の週刊ベースボールや日本経済新聞での連載、そしてライオンズの球団史にスポットを当てる「ライオンズ・クラシック」のプロデューサーとして歴史を掘り起こした。


豊田泰光さんのご冥福をいのります。


(写真:2012年のライオンズ・クラシック「稲尾和久生誕75周年 永久欠番メモリアルゲーム-背番号<24>の記憶」で挨拶をした豊田泰光さん。 20127月撮影)



敗戦処理。は豊田泰光さんの現役時代を知らない。評論家になってからの豊田さんしか知らない。地上波でジャイアンツ戦が毎試合中継されていた頃のフジテレビ系「プロ野球ニュース」の解説者として、また、フジサンケイグループのお家騒動のあおりを食ってテレビ東京の夜のスポーツニュースのコメンテーターになっていた時期に、青田昇、有本義明、そしてタレントのダンカンらとのトークバトルを毎週月曜日に繰り広げていたのも印象に残っている。



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その後はテレビで喋る方から、書く方に主戦場を移し、週刊ベースボールや日本経済新聞で健筆をふるっていた。また、2008年からの西武ライオンズの球団史にスポットを当てる「ライオンズ・クラシック」のプロデュースも行っていた。



豊田さんは2006年に野球殿堂入りを果たしているが、その主たる理由は現役時代に西鉄ライオンズの黄金時代の主力選手として活躍した実績よりむしろ、引退後の評論家としての野球界への貢献度だったという。


確かに、サンケイスポーツとの専属契約を皮切りにした評論家生活の集大成とも思えた、週刊ベースボールや日本経済新聞の連載執筆は、自分で原稿用紙に書いたものを編集者に渡していたという。他の評論家にありがちな口述筆記に頼ったり、ましてやゴーストライターを使ったりすることはなかったという。


個人的には1990年代の終わりくらいから、豊田さんが週刊ベースボールの連載で書いていることに感銘を受けることは少なくなっていた。現役引退後のコーチ生活が一年間しかなかったらしく、時計が止まっているのではないかと感じることもあった。


一方で2008年からスタートした「ライオンズ・クラシック」では古き良き時代を知る生き証人として、西鉄ライオンズ時代だけでなく、太平洋クラブ時代にスポットを当てたり、冒頭の写真のように、2012年には当時既に故人となっていた稲尾和久さんの現役時代の「背番号24」を永久欠番にするべく奔走し、実現にこぎ着けると、記念試合としてライオンズの全選手が「背番号24」のユニフォームを着用して試合に臨むという試合が行われた。


過去に遡ってユニフォームを復刻し、歴史を振り返る企画はその後他球団にも派生していったが、いくつかの球団は単に復刻ユニフォームを出せば売れるという、始めに販促活動ありきで企画されているようにしか思えず、残念である。その点ではライオンズが行う企画、豊田さんが監修する企画は後発の他球団の類似企画とは一線を画するものであったと思う。



ライオンズ球団では堤義明元オーナーがの時代には西武以前を振り返る企画などはタブー視されていた。ファンに公開していた球団事務所の球団のあゆみは西武ライオンズになった年から始まっていた。その最大の理由は、野球はともかく、アイスホッケーに関しては心底スポーツとして一目も二目も置くスポーツ好きのオーナーにとって、八百長に手を染めた球団などはもってのほかなのである。そんなオーナーの考え方を忖度する側近連中がいつしか「西武以前はダメ」とNGにしてしまったかららしい。


堤オーナーが表舞台から去り、地域密着を旗印に掲げる「埼玉西武ライオンズ」と球団名を改め、ファンにこのチームの歴史の重みと、先人の偉大さを知ってもらうためにOBの豊田さんらを引っ張り出して「ライオンズ・クラシック」を一大企画として立ち上げた。


「ライオンズ・クラシック」は2008年にスタートして2014年に幕を閉じた。これが豊田さんの体調の衰えと関連していたのかは定かではない。ただ敗戦処理。はお人的には「黒い霧事件」と向き合って完結して欲しかった。別に今まで語られなかった新事実が出てくる必要はない。豊田さんを始め、当時を知る人が健在な間に、いかに反社会的人間、組織との接触が怖いことなのかを語って欲しかった。


また、稲尾さんの「背番号24」を永久欠番にしたのだから、次は中西太さんの「背番号6」をという声もあったのだから、これも是非機会を設けて欲しい。豊田さんの「背番号7」は。さすがに無理があるかな。


まだまだ「ライオンズ・クラシック」にはやるべきテーマがあるのではないか?豊田さんの志を継いで、後発の他球団の様なグッズの売り上げ見込みの企画とは一線を画した企画を年に一回、一定期間行って欲しい。松崎しげる渡辺美里にスポットを当てる企画でも良いと思う<>



豊田さんは評論家としての活動が評価されて野球殿堂入りを果たした人だ。現役引退後にコーチ歴が一年間しかないと言うが、だからこそしがらみにとらわれずに歯に衣を着せぬ物言いが出来たのだろう。それを振り返り、特定球団とのしがらみにとらわれずに真っ当な評論家活動をしている若手評論家を奨励する豊田賞の制定も考えて欲しい。


少なくともライオンズ球団は来年にも「ライオンズ・クラシック」を再開させて欲しい。

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