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2016年7月 3日 (日)

2016年野球知識検定

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今日(3)は東京都豊島区、西巣鴨にある大正大学のキャンパスにて行われた2016年野球知識検定」を受検してきた。昨年この検定の存在を知り、5級を受検して合格したので今年はひとつ上の4級を受検してみた。


昨年受検した5級があまりにも簡単だったので、上の方はともかく4級も大して変わらないだろうと正直いささかなめていたが、4級となるとさすがに簡単ではなかった。

 



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野球知識検定 は1級(2017年実施予定)と、2級、3級、4級、5・6級からなる。受検者は下位の級に合格しないと上の級を受検出来ない仕組みなので、昨年初めて5級を受検した。設問の内容はプロ野球を中心とした野球に関する記録、ルールなどに関する4者択一問題100問を50分の制限時間以内に回答するというもの。戦前の日本の野球に関する設問や、高校野球に関する設問など幅広い設問が並ぶ。セイバーメトリクスの定義に関する設問もあった。



 いわゆるネタ的な話題の出題はなく、純粋に野球に関する知識を問われる。当たり前だが回答に際して資料の確認などは禁止。3級と2級には4択問題の他に記述式の設問もあるらしい。敗戦処理。が受検した4級は70%以上の正答率で合格となる。

主催は野球知識検定実行委員会で、運営は株式会社マスターズリーグ。つまり母体は日本プロ野球OBクラブ。プロ野球マスターズリーグの興行が打てなくなってから、新たに立ち上げられた事業。日本を代表する人気スポーツでありながら、この何でも検定ものが流行る時代に野球に関する検定制度がなかったところに着目したようだ。検定は東京と大阪の2か所で行われる。今回は大阪で一週間前に先に行われた。


会場では過去問題集を本番直前まで頭に詰め込もうとしている人が散見される。個人的な感想を言わせてもらうと、この検定はいわゆる「資格」ではないはずだ。野球に関係する仕事に携わる人であっても、この検定の合格で何か有利になることがあるという「資格」ではないはずだ。だからこそ敗戦処理。は自分が約40年間野球ファンを続けていて、自然に身についた知識がどの程度のものなのかを図る物差しとして受検したのだ。あくまでも自然体。


だが、そんな腕試し的な感覚で受検しているのは敗戦処理。くらいなようで、他の受検者の中にはとにかく少しでも高い正答率を出そうと、本番直前まで過去問題集と睨めっこしている感じの人が少なくなかった。


大正大学の大会議室に集まった受検者はおおよそ50人程度。見た目での推測だが、20歳代から30歳代が大半で、男女比は8:2程度と言ったところか。中には「試験」というと、とにかく丸暗記、詰め込みということが身体に染みついている層もいるのかもしれない。でなければ、彼らは何故そこまで熱くなるのだろうか?敗戦処理。にとっては「野球」はしょせん趣味だ。もちろん受検料(4級の場合は4,500)を払って参加している以上、合格したい。合格すれば嬉しいし、合格出来なければそりゃ残念だ。だがそれ以上でも以下でもない。だからなすがままだ。が、そうでない人が相当混ざっているのだろうか?


「資格」ではないと書いたが、合格すれば特典はある。それぞれの級の認定証にピンバッジ。特に成績が優秀な人にはコラムの執筆や、プロ野球OBとの食事会の参加のチャンスが得られるという。


個人的にはルールに関する設問はかなり答えられたと思う。大リーグに関する設問や、高校野球に関する設問は正直に言って苦手なのでここで不正解を頻発させてしまったのではなかろうか。


歴史上の出来事の中には、引っかけ問題もあった。回答を提出する際に設問が書かれている用紙も返却するので記憶で書いているが、有名な、1979年の日本シリーズ第7戦、江夏豊が無死満塁を切り抜けたことが伝説になっているが、その試合での江夏の投球数はいくつだったか?という設問があった。選択肢の中にはもちろん“21というものもあるが、正解は“21ではなく“41。有名な「江夏の21球」の21とは江夏が九回裏に投げた投球数をタイトルにしたのであって、実際には江夏は七回の途中からリリーフ登板していて、計41球を投じたのだ。


ネタ系の設問はないと書いたが、その意味では敗戦処理。も反省すべき設問があった。日本のプロ野球史上唯一日本シリーズが第8戦までもつれた1986年の日本シリーズに関して、8試合すべてに安打を放った選手を高橋慶彦、衣笠祥雄、石毛宏典、清原和博の中からひとり選ぶという設問。敗戦処理。はこの年の日本シリーズで衣笠祥雄が“8試合連続三振を喫したことは所々でネタにしてきたが、8試合連続安打は失念していた。勘で石毛宏典にしておいたが、先ほど確認したら正解だった。


話が横道に逸れるが、野球の話題をネタにするお笑い芸人が「江夏の21球」をネタにして笑いを取っているのを聞いたことがある。「『江夏の21球』とか言って、日本シリーズの最終戦で九回裏の無死満塁を無失点で逃げ切ったって伝説みたいに言われてますけど、あれ、江夏が自分で満塁にしたんですからね。満塁で江夏がリリーフに出て行ったんじゃないですからね。自作自演ですよ」


江夏が自分で無死満塁にしたというのは(半分以上)正しい。だがこの試合で江夏は七回裏の二死一塁という場面でマウンドに上がっていたのだ。日本シリーズ第7戦という、勝った方が日本一という、究極のシチュエーションだからこその、早めの江夏投入だったのだろうが、その芸人はそれを知ってか知らぬのか端折って笑いを取っていた。実際、この芸人のネタを聞いたのかは知らないが、ある野球イベントで若い野球ファンから敗戦処理。もこの話を聞かれたことがある。丁寧に事実関係を話してあげたら驚いていたが


最近の若い野球ファンの中には、本当に過去の野球の出来事を詳しく理解している人が多い。脱帽する。この先何十年と、野球界を盛り上げてくれそうな、こうした熱心な野球ファンに正しく野球の歴史を覚えてもらうという意味では、こうした野球知識検定という試みは意義深いものがあると思う。


「江夏の21球」と言えば、無死満塁のピンチで、カープの古葉竹識監督がブルペンに北別府学、池谷公二郞という先発ローテーション投手を準備させ、当時の大阪球場のブルペンがファウルグラウンドにあるため江夏がそれに気づき、気分を害しかけたところをチームメートの衣笠がそれに気付いて窘めるシーンも有名だ。何故、プライドの高い江夏に気付かれることがわかりそうなのに古葉監督はブルペンに投手を準備させたのか?掘り下げて考えれば、江夏のこの試合の投球数が21球ではないことに気付くはずなのだ。過去の出来事を研究する若い野球ファンの方々にはこのくらいのことは学んで欲しい。「10・19」と流し素麺だけの知識(というか情報)で川崎球場やロッテオリオンズを語ろうとする野球ファンがこれ以上増えて欲しくないのだ。


この野球知識検定。試験当日に検定官として、プロ野球OBが東京、大阪各会場に一人ずつ登場する。今回は大阪は元タイガースの亀山努だったそうだが、今日は元ジャイアンツ他の岩本尭 さんだった。


岩本さんは昭和5(1930)生まれ。さすがに敗戦処理。も現役時代を知らない。「三原魔術」で有名な三原脩さんの腹心の一人だった縁で、日本ハムが初めて球団の親会社になった時に球団社長として敏腕を振るった三原さんの要請で初期のファイターズで打撃コーチ、二軍監督、ファームディレクターを歴任された人物と認識している。


早稲田大学の強打者として、まだドラフト制度がなかった時代に読売ジャイアンツから契約金180万円をもらって入団。昭和27年当時の180万円とは、当時の世田谷区に家一軒建てられる額だったそうだ。しかもジャイアンツだけでなく、南海ホークスも獲得に動き、ホークスの関係者は岩本さんを訪ねて黙って現金500万円を置いていったという。岩本さんはジャイアンツへの入団を決めてその500万円をホークスに返しに行ったと言っていた。進行役の係員が「少しくらいもらったんじゃないですか?」と茶化したら、「別に『くれ』と言ったわけではないし、向こうが勝手に黙って置いていったのだから、そうすることも出来た」と平然と言っていた。金額の少ないジャイアンツを選んだのは当時の風潮として六大学(早稲田)の選手は東京のチームから請われたらそこに入る、という流れのようなものがあったという。前出の三原さんも早大出身。早大の一年後輩、広岡達朗が次の年にジャイアンツに入ったのもその流れだったという。


南海ホークスが長嶋茂雄を取り逃した話は有名だが、その五年前にも大魚を逃していたのだ。


一番から平井三郎、千葉茂、与那嶺要、川上哲治、宇野光雄、南村不可止、とほとんど名前しか知らないが伝説の猛者が並ぶ中で入団一年目から「七番・左翼」が定位置だったという岩本さん。「打撃の神様」川上哲治さんが一塁手としては自分の顔の前のストライクしか捕球出来ないことを嘆いていた。この話は広岡がよく話しているが、後に講演や野球教室などでキャッチボールの重要性やチームワークの大切さを説いていたのが信じられなかったという。


現役時代に対戦したライバル投手の話をした時に「中日では杉下」と言っていた。話の流れとしてなのか、あるいは敗戦処理。が語尾を聞き取れなかったのか、杉下茂さんを呼び捨てにした人を初めて聞いた。杉下さんは大正14(1925)生まれだから杉下さんの方が年上なので、どちらかの理由だろう。


ジャイアンツで成績が落ち、大洋ホエールズにトレードが決まった時にはトレードを渋り、ジャイアンツから功労金500万円をもらったという。一年後に早大の先輩である三原さんがホエールズの監督になって師弟関係が再開。引退後のファイターズでの指導者時代まで続いた。ファイターズ退団後は長嶋監督が率いるジャイアンツで二軍監督を務めた。。中畑清篠塚利夫がファームにいた頃だという。長嶋監督の解任に伴う人心一新でユニフォームを脱ぎ、その後はジャイアンツでフロント入りした。


コーチとしては無名だった松原誠を育てたことで有名で、埼玉県の飯能の田舎(岩本氏の表現のまま)からやってきたルーキーを、三原監督から「半年で三番を打てるようにしてくれ」と命じられて苦心したという。松原は母親とともに岩本さんの家の近くに引っ越してきて、毎日のように岩本の家を訪ねて特訓の日々だったという。


86歳の岩本さんは背中も曲がっていなく、ダンディーな印象だった。進行役の係員が何度となく「若い頃はいい男だった」と口にしていたが、平成より昭和に思い入れのある敗戦処理。が聞くと「えっ!?」と驚く大女優と浮き名を流し、その大女優を振ったという。岩本さんに振られたその大女優は後に日本を代表する超大物映画俳優にして大スターと結婚する。その大スターがなくなられた後の今も、その元大女優の名はしばしばマスコミに出るが、ぶったまげるほどのビッグネームだ。話の中で水原茂さんと、やはり昭和の大女優の一人、田中絹代さんが仲が良かったという話も出てきたが、それをも上回るビッグネームのエピソード。ちなみに岩本尭とその大女優の名前で検索をかけてみたが、特に出てこなかった。


 ネタはダメと言いながらこういう話に飛びつく敗戦処理。は優柔不断だが、この話はともかく、古き良き時代の野球の話を聞けるだけでも、受検料の元が取れるというものだ。最後に岩本さんにまつわるクイズが出題され、正解すると岩本さんのサインボールを本人から手渡しで貰えると言う企画があった。昨年、八木沢荘六氏が検定官を務めた時にも同じ企画があったので恒例なのだろう。年配の受検者に混じって、岩本さんに関するエピソードを必死で覚えたと思われる若い受検者が何人かサインボールをゲットしていた。


4級の合格基準は正答率70%以上。5級の時には90%以上が求められたなかで、間違いなく合格する自信があったが、今回は何とも言えない。今月の末くらいに、合格者のみに合格の連絡をするという。合格したらこのエントリーに追記しようと思う。それがなかったら察していただきたい。


次回は今年の12月だという。東京の会場は同じく西巣鴨の大正大学とのこと。興味のある方は腕試しをなさっては如何だろうか

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