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2016年3月11日 (金)

【一日契約】引退試合、山本昌の背番号は0だった!?

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昨シーズン限りで
32年間の現役生活を引退した元ドラゴンズの山本昌引退試合5日のナゴヤドームでのオープン戦、対スワローズ戦で行われたが、山本昌はこの試合に出場するためにドラゴンズとこの日一日だけの選手登録を結んだ。


山本昌は
33年目の支配下選手登録をし、ドラゴンズの選手としてこのオープン戦に先発し、スワローズの一番打者、森岡良介を三振に仕留めた。


山本昌は昨年までの32年間の現役生活で一貫して付けていた「背番号34」のユニフォーム姿でマウンドに上がった。山本昌がこの日限りとは言え「背番号34」で出場したと言うことは、山本昌から「背番号34」を引き継いだルーキーの福敬登は便宜上一日だけ別の背番号を付けたのかと思ったら、福はあくまでも「背番号34」で山本昌の背番号は0だったという。


中日、山本昌氏と1日契約、背番0で登録 5日引退試合登板で


調べたら当時既に記事になっていたようだが、敗戦処理。は知らなかった。山本昌が一日契約に際して空き番の「背番号0」で登録されたことを知ったのは
10日発売の「週刊新潮」の記事だった。
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記事によると、山本昌の「背番号34」はルーキーの福敬登に引き継がれたため、山本昌は空き番の「背番号0」で登録。試合には「連盟と各球団の了解を得て“34”を付けることが出来ました」(球団広報)だそうだ。おそらくは、ごくまれにある、ユニフォームを忘れた、何らかの事情で試合の球場に届かなかった選手が別の選手、コーチなどのユニフォームを着て試合に出る。あれと同じ考え方なのだろう。


一日だけ背番号を変えた例というと、元ファイターズのSHINJOが現役最後の公式戦に、当時付けていた「背番号1」ではなく、その一日だけ、タイガースに入団した当初に付けていた「背番号63」でプレーしたが、この年のファイターズで「背番号63」を付けていた渡部龍一は一日だけ「背番号65」に変えた。ただし当時の渡部は二軍暮らしで、ファームの試合もなかったので渡部が「背番号65」のユニフォームを着たのかは不明だ。


敗戦処理。もこの事例が頭にあったため、福が背番号を何番に変えた(ことにした)のか、興味を持っていたがそういった記事には出会わなかった。そりゃそうだ。背番号を変えたのは福ではなく、山本昌の方だった。



余談だが、一日とは言え支配下選手登録された山本昌が「背番号0」だったと言うことは、山本昌は33年目にして初めて「背番号34」以外の背番号を付けたことになる。そして生涯唯一の背番号を付け続けた最長不倒の記録は34年間の山本昌ではなく、国鉄スワローズ、読売ジャイアンツでの現役生活とロッテオリオンズでの監督生活計28年間、生涯唯一「背番号34」しか着なかった金田正一に移る。 ま、ほとんど意味がない記録だが


ところでドラゴンズでは2013年限りで現役を引退した山崎武司にも翌春の2014年のオープン戦で引退試合を行ったが、その時も「一日契約」を結んだ。山崎の引退直前は「背番号7」だったが、この一日契約では若かりし頃に付けた「背番号22」のユニフォームでプレーした。この時も「背番号22」の持ち主は大野雄大で、山崎は登録上は空いていた「背番号20」だったそうだ。


近年の実質的な引退試合は大半が最後のシーズンの終盤の本拠地の公式戦で行われ、山本昌や山崎のように翌春のオープン戦で行われるのは異例だが、かつては翌春のオープン戦で行われることが多々あった。ドラゴンズでも敗戦処理。が記憶しているだけでも高木守道、木俣達彦、谷沢健一が引退した翌春のオープン戦で引退試合を行った。だが当時「一日契約」云々が取り沙汰されたことはなかった。


高木は「背番号
1」をコーチとしてそのまま付けていたが、木俣の「背番号23」は川又米利に引き継がれていた。非公式戦のオープン戦だから、引退した人がプレーしても、同じ背番号がチームに二人いても特に問題にはならなかったのだろう。個人的には公式戦で引退試合を行い、引退する選手に花を持たせるために相手選手が手心を加える近年の習慣がまかり通ることの方が、非公式戦のオープン戦に支配下選手でない、引退した選手がプレーすることより罪深いと思う。山本昌や山崎がオープン戦で引退試合を行うために一日だけでも支配下選手登録をしなければならないと言うように厳格化したのだとしたら、敗戦処理。としては本末転倒だと思う。公式戦でのやらせは広義で言えば八百長だ。


山本昌の昨年の引退試合はその日の勝敗にクライマックスシリーズ進出がかかっていたカープ戦で行われた。たとえ打者一人であれ、公式戦でやらせが行われることを曖昧にしていると、大事な試合で平気で行われてしまうのである。こんなことがまかり通っていて、一方ではオープン戦で引退試合をするのに杓子定規に支配下選手登録が必要だとしたら、本末転倒だと敗戦処理。は思う。願わくば一日契約は必須事項ではなくドラゴンズのシャレで行っている演出であって欲しい。


最後に、上述の「週刊新潮」の記事(=新潮社・2016317日号)の見出しだけ見ると山本昌が「背番号0」で登録されたことに怒ったように思えるが、本文にはそんなことは一言も書いていない。空き番にせずすぐに新人に「背番号34」を与えた落合博満ゼネラルマネージャーへの愚痴は書いてあるが…<>

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コメント

僕はそれほど引退試合や引退セレモニーに強い関心を持っていなかったのですが、引退試合をするならばという
スタンスから引退試合のあり方について考えてみました。

まず時期ですが引退するシーズンの翌年に引退試合を行うのは良しとしません。
やはりその年に止めるのであれば引退試合もその年にするのが妥当であり、現役最後のプレーを見てお別れとしたいものです。
「別れ」という観点で見るなら別れはタイミングこそ最も重要な要素と言え、時期のズレた別れほど白けるものはありません。

そしてここが一番のポイントなのですが
ファンが見たい「現役最後のプレー」というのはその選手の衰えも含めた現役最後のプレーであり、そのラストプレーはその年でなければ見られないからです。
引退試合を翌年のオープン戦にするとなると5ヶ月ほど期間が空くことになりますが、そうなると衰えて引退する選手+オフのブランクによる衰えで
その選手のラストパフォーマンスとはならないのです。

今年3月5日の山本昌のピッチングなんかは引退試合というよりも前年に引退した球団OBのファーストピッチセレモニー
と評したほうが適切なくらいでした。
勿論これは山本昌に対してどうこう言ってるわけではありません。誰しもオフをまたけばこうなってしまうものなのです。
まずこれが翌年に引退試合を行うのを良しとしない理由です。


引退試合を翌年のオープン戦にと考えている人はその時期こそが最適だと本気で考えているというより
おそらくは引退試合を順位争いのかかった試合ですべきではないという考えや、消化試合だろうと公式戦で引退試合をするのはけしからんといった原理主義的な考えを
前提にした消去法から主張されているものと思われます。前者に関してはたしかにその通りで同感です。
じゃあもしそういう状況になった場合どこで引退試合をしたらいいのか。僕の答えは2軍での引退試合です。

引退には二通りあります。1つはこのパターンが多数派ですが衰えたベテランが事実上の戦力外を受け入れての引退
もう1つは1軍レベルの実力を残しながらの引退です。新庄やジーターがこのパターンでプロとして見事な引退試合を見せてくれました。

なぜ前者のような選手の引退試合が真剣勝負の妨げになるのかというと現状2軍レベルの選手を引退試合を理由に1軍に上げて使わなきゃならなくなるというとこに本質的な問題があると言えます。
そう考えた場合2軍で引退試合を行うというのもあながち不自然なものでもないのではないでしょうか。

近年2軍で引退試合を行った選手と言えば城島が挙げられます。これは本人たっての希望だったようですが鳴尾浜に駆け付けた城島ファンにとっても
一生記憶に残る別れになったことでしょう。1軍の試合じゃないからショボかったなんてことはありません。

僕の意見もあくまで1軍でできない(1軍に上げられない)場合の選択肢ですので2軍でなければならないとは思っていませんが
少なくとも翌年のオープン戦にやられるよりははるかにマシだとは思っています。

引退試合を「引退興行」として見ている球団関係者の方からしたら、まったくの逆で時期なんかどうでもよくその年の2軍よりは翌年のオープン戦のほうがマシ
となるのでしょうがそこはファンと球団の立場の違いとしか言いようがないですね。


>引退する選手に花を持たせるために相手選手が手心を加える近年の習慣がまかり通ること
これはまったく同感ですね。
昨年も引退する投手の明らかなボール球に対し「敬意を表したつもり」の空振りがいくつか見られました。
これについてはそういう風潮自体を否定し、なくしていかなければならないものとしか言いようがないです。

一応付け加えておくと去年の小山の引退試合では真剣勝負が行われ高濱が二塁打を放つということがありました。
ファンやマスコミがそのことに対し「空気嫁」と高濱批判がなかったことは良い兆候として捉えています。
選手の意識、風潮が変われば真剣勝負はできるのです。

引退試合で村田にホームランを打たれた佐々岡のコメントにもあるように引退する投手にとっても誤った敬意など求めていません。
打たれようが抑えようが、三振しようがヒットを打とうが
現役最後のプレーだからこそ公式戦での真剣勝負を見たいものです。

P.S. 八百長対戦の起こりやすさという観点から見ても引退試合は公式戦で行うべきで非公式試合のオープン戦ではすべきではないですね。

サフラン様、コメントをありがとうございます。

貴重なご意見、ありがとうございます。

> 引退試合を翌年のオープン戦にと考えている人はその時期こそが最適だと本気で考えているというより
おそらくは引退試合を順位争いのかかった試合ですべきではないという考えや、消化試合だろうと公式戦で引退試合をするのはけしからんといった原理主義的な考えを
前提にした消去法から主張されているものと思われます。前者に関してはたしかにその通りで同感です。
じゃあもしそういう状況になった場合どこで引退試合をしたらいいのか。僕の答えは2軍での引退試合です。

引退セレモニーを二軍戦でという発想はありませんでした。

いささか消去法での選択という感じもしますが、力が衰えて引退するのだから、二軍で行うべきというのは理解出来ます。

二軍で引退セレモニーというと、私が思い出すのは小宮山悟。

現役最終年のシーズン途中から二軍落ちしていた小宮山はよほど二軍の選手達に慕われたのか、マリーンズの二軍最終戦で惜別登板の機会をもらいました。

ジャイアンツとの勝った方が優勝というマリーンズの最終戦、ジャイアンツファンの「何でここで小宮山が出てくるのか…」という空気の中、ジャイアンツ打線は容赦なく小宮山に襲いかかり、勝利(=リーグ優勝)に近づく追加点を奪いました。

小宮山はその後一軍の本拠地最終戦で引退登板。お約束通りに相手打者が凡退してくれたため、最年長セーブの記録を達成しましたね。

一軍より先に終了する二軍の試合に、本当の意味の“消化試合”はありません。

二軍の順位が決まっていようと、一軍の試合が残っている限り一軍入りを賭けた戦いが続き、それは消化試合ではありません。

> そしてここが一番のポイントなのですが
ファンが見たい「現役最後のプレー」というのはその選手の衰えも含めた現役最後のプレーであり、そのラストプレーはその年でなければ見られないからです。

正論かもしれませんが、それに対する答えが、二軍戦での演出ということになるのでしょうか?

私にはわかりません。

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