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2015年5月 4日 (月)

「OSAKA CLASSIC 2015」の違和感

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5月1日から3日間、京セラドーム大阪で行われたバファローズ対ホークスの三連戦は、
OSAKA CLASSIC 2015」と銘打ち、バファローズは大阪近鉄バファローズとして最後に着用していたビジターユニフォームを、ホークスは前身の南海ホークスが1983年に着用していたホームユニフォームで対戦した。


敗戦処理。はパ・リーグでは当時既にファイターズファンであってこの両チームのファンで無い。また、現在の様にCS放送による中継は無く、当時の情報といえば、日々の全試合を満遍なく扱うフジテレビの「プロ野球ニュース」を希少な情報源にしていたが、ホークスのホームユニのロゴのグリーンに何だか違和感を覚えた。


「あれ、グリーン、こんなに鮮やかだった?」


twitterで呟くと、同様の違和感を覚えていた人もいる一方、「当時の南海ユニフォームのグリーンは、あれくらいの明るさ」という意見も



(写真:
OSAKA CLASSIC 20151983年の南海ホークスのユニフォームを着てプレーする内川聖一。53日放送の、CS放送フジテレビONE「プロ野球ニュース」の映像より)



「あれ、グリーン、こんなに鮮やかだった?」



グリーンはグリーンでも、もっとくすんだグリーンを敗戦処理。はイメージしていた。


こういう時、頼りになるのがこの道の第一人者、綱島理友氏の力作、「プロ野球ユニフォーム物語」(ベースボール・マガジン社)。
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今回のテーマである1983のユニフォームを調べてみよう。
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うーん、どちらかというと、隣のページにある1977年のユニフォームの方が今回の明るいグリーンに似ている様に思う。ちなみに敗戦処理。の脳裏に焼き付いているのは、一昨年にパ・リーグ六球団合同で企画された「レジェンド・シリーズ2013でホークスが着用した、この年の翌年1984年から南海ホークス最終年の1988年までのこのユニフォームのグリーンの濃さ。
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「プロ野球ユニフォーム物語」の色の再現が忠実であるとすればホークスのユニフォームのグリーンが今回の様に鮮やかだったのは、
1977年までということになる。


1977年は南海ホークスにとっては、結果的に南海ホークスとして最後のAクラス入りを果たした年。しかし選手兼任監督としてチームを牽引してきた野村克也は後に妻となる野村沙知代にまつわる公私混同が取り沙汰されこの年限りで解任された。そしてこの措置に不満を示し、トレード志願をしたリリーフエースの江夏豊と中心打者の一人だった柏原純一がトレードでチームを去ると、ホークスは一気に戦力ダウン。この翌年からずっとBクラスに低迷した。


野村監督兼捕手を解任した翌1978年からユニフォームを変更したのは野村解任、後任に広瀬叔功就任という流れに暗躍したと当時憶測が飛んだ往年の名将靏岡一人氏のカラーを復活させてユニフォームにも反映させたと見られていた。


そして、この明るいグリーンを採用していたのは同書によると1974年から1977年までの間。この明るいグリーンが復刻されたユニフォームを見て強かった頃のホークスを連想した人は、1983年ではなく1974年から1977年のホークスを連想したのだろう。パ・リーグでは1975年から1978年まで阪急ブレーブスが四連覇を果たしていて、南海ホークスが最後に優勝したのは1973年。この明るいグリーンの時代にホークスは優勝していないが、当時二シーズン制を採用していたパ・リーグで1974年からのホークスは3位(前期4位・後期2位)、5(前期5位・後期3)2(前期2位・後期2)2(前期2位・後期3)と名門球団のプライドを保っていた。後の長期低迷を考えれば、この明るいグリーンの時代を「強かった」と回顧する気持ちもわからなくは無い。


OSAKA CLASSIC 2015」二日目にホークスのこの時代のエースであった山内孝徳が始球式を務めるという報道に事前に接した。失礼ながら山内孝といえば、ホークス低迷期のエースという印象がある。ユニフォームを復刻して、その当時のエースを始球式に招く。これだけの情報が揃えば、敗戦処理。は必然的に‶低迷期のホークス″を連想する。実際、山内孝はホークスに1981年から1992年まで投手として在籍。この十二年の間、チームは一度としてAクラス入りしていない。そしてその低迷期のホークスの象徴の一つが、グリーンのユニフォームであり、グリーンの濃さはくすんだグリーンなのである。だから、冒頭の写真の様な今回の明るいグリーンに敗戦処理。は違和感を覚えたのである。


ただ、1983年を境にデザイン(グリーンの濃さ)が変更されたという認識が敗戦処理。にはなく、二年前の「レジェンド・シリーズ2013」で見た濃いグリーンのものをずっと使用していたと勘違いしていた。


◇ 
OB山内氏が始球式(西日本新聞)


「OSAKA CLASSIC 2015」の2戦目となる2日の始球式には、球団OBの山内孝徳氏(58)が登板しストライク投球を披露した=写真。今回復刻されたのは南海の1983年のユニホーム。同年は自身初の開幕投手を務めるなど10勝をマーク。通算100勝右腕は「このユニホームは気持ちが入るね」と懐かしんだ。


山内孝は「このユニホーム(元記事ママ)は気持ちが入るね」と懐かしんだとのことだが、これまで調べてきた様に「プロ野球ユニフォーム物語」の記載によると、明るいグリーンのユニフォームは1977年まで。山内孝は1981年から1992年の在籍だから、着ていないはずだ。おかしいとは思わなかったのだろうか?時期を間違えるならともかく、着ていないユニフォームを着ていたとは勘違いしないだろう?ということは「プロ野球ユニフォーム物語」の記載は!?


因みに同じく明るいグリーンを採用していた1974年から1976年までのユニフォームは同書の別のページだとこうだが、
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敗戦処理。が所有する、その当時のカルビーのプロ野球カードによると、当時の色はこんな感じである。
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左のランニングしている往年の名二塁手、桜井輝秀の写真は1975年の春季キャンプでの撮影で、右の当時のリリーフエース佐藤道郎の写真は1976年のシーズン中のものと、それぞれの裏面の記述から推定出来る。


グリーン、この時代もくすんでたの!?



よくわからなくなってきたなぁ


【参考資料】「プロ野球ユニフォーム物語」文・綱島理友、絵・綿谷寛。ベースボール・マガジン社 2005年4月1日 第1版第1刷



P.S.
5月16日追記
コメント欄でいしはらさんから情報を提供いただいたので、敗戦処理。も調べてみた。NumberのDVD「熱闘!日本シリーズ」の1983年版「1983西武-巨人」を観てみたが、ライオンズのレギュラーシーズンの映像にこの年のホークスのユニフォームが出てくるか確認したが出てこなかった。その前年の「1982西武-中日」を観ると、レギュラーシーズンでの南海ホークスのシーンが出てきた。それがこれである。
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門田博光
が三振に仕留められるシーンだが、このユニフォームの胸文字の色の濃さ…うーん…」

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