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2014年6月 1日 (日)

原貢氏、首都大学野球連盟創立50周年の年に逝去

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31日、巨人軍は原辰徳監督の実父、原貢氏が5291040分、入院先の神奈川県相模原市内の病院で心不全のため死去したと発表した。79歳だった。531日のバファローズ対ジャイアンツ戦は原監督と、原貢氏の孫に当たる菅野智之には弔い合戦だったことになる。


金子千尋がノーヒットノーランを逃した試合として刻まれる試合だったがもう一つのドラマが存在した。



(写真:2004年12月、首都大学野球連盟創立40周年記念試合で一枚の写真に収まる原貢氏と原辰徳監督=当時は読売グループの人事異動で退団)

現ジャイアンツ監督、原辰徳監督は高校時代からスター選手だった。甲子園のアイドルでありスター選手。父が監督を務める東海大相模の中心選手ということでも話題になった。その選手が大学を経てドラフト1位でジャイアンツ入り。ジャイアンツの四番として定着し、引退してジャイアンツの監督になる。絵に描いたようなエリートコースを歩んできた男だ。
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そしてその原辰徳を育てた男として原貢氏の存在も常にクローズアップされてきた。



原貢氏は原辰徳が高校を卒業するときには事前にドラフト拒否の姿勢を打ち出し、他の主力選手らとともに東海大学に進学し、自らも東海大学の野球部監督に転出した。


東海大学は関東に複数ある大学野球のリーグの中では東京六大学、東都大学野球連盟に次ぐ歴史を誇る首都大学野球連盟に所属する。今年は首都大学野球連盟創立50周年に当たる節目の年。連盟の中心にあるといっても過言でない東海大学の野球部の顔として影響力を持っていた。


十年前の40周年の年、首都大学野球連盟は記念試合として、同連盟の大学OBのプロ野球選手選抜チームと現役学生の選抜チームによる試合を行った。OB選抜チームの監督を原辰徳が務め、学生選抜チームの監督を原貢氏が務めた。首都大学野球連盟のリーグ戦のメッカとして長く君臨した川崎球場はもはやなく、記念試合は東京ドームで行われた。


原辰徳は、2003年のシーズンを最後に「読売グループの人事異動」という訳のわからない理由で監督を解任され、この時期は評論家だった(ジャイアンツにおいては特別顧問という扱いになったが実態ははてさて!?2003年に行われたNPBプロ野球OBオールスター選や古巣ジャイアンツのOB戦の類には姿を見せなかったが、この首都大学野球連盟の記念試合には出場した。
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OB選抜チームの監督という立場だが、解任前のジャイアンツの監督時代の「背番号
83」ではなく現役時代の「背番号8」のユニフォーム姿でグラウンドに登場した。


東海大学は連盟設立の時点から中心的存在であり、今なお連盟の事務局が東海大学の中にあり、連盟のトップにも東海大学関係者が就くという。例えて言えばNPBにおけるジャイアンツの様な立ち位置らしい。善し悪しは別として、そう考えると、記念試合で原父子が双方のチームの監督を務めるのは合点がいく。
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因みにその試合で原辰徳は現役プロ選手らに混じって代打で出場。大歓声を受けて打席に入り、現役時代さながらの高く上がる二塁フライを打ち上げるが、気合いでライト前安打にした。
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周年であれほどのイベントを開催したのだから、50周年の今年は周到な記念行事が行われる予定だったろう。その晴れ舞台に長く同連盟に君臨した原貢氏の姿が無いのは連盟関係者にとっては痛恨の極みだろう。


原貢氏の訃報は531日の試合後にジャイアンツ球団が公表した形だったが、同29日になくなられたということは息子である原辰徳や孫に当たる菅野智之は逝去を踏まえて初の試合が31日のバファローズ戦で、その試合のマウンドに上がったことになる。

 

そうとは知らないファンは金子千尋のノーヒットノーランが味方の無援護によって成り立たなかった試合としてこの試合をイメージしていただろうが、仮にそうだとしても金子千尋のノーヒットノーランを阻止したのは菅野の好投とも言える。


ジャイアンツ打線がノーヒットで迎えた八回表二死走者無しで迎えた菅野の打席。原監督は菅野に代打、横川史学を送った。敗戦処理。はこの采配を、延長戦を想定して勝ちに行くことよりも、金子千尋のノーヒットノーランを阻止することを優先した采配だと思った。何度も拙blogで強調しているように、ビジターチームは同点で延長になると継投に制約が加わる。そう考えると相手投手より先発投手を長く投げさせたいものだ。


菅野が7回までに120球を投じていたこともあろう。だが今季の原監督、川口和久投手総合コーチの発言からすると、菅野先発の試合は菅野と心中という感じの起用が多い。継投を考えても、もう1イニングは投げさせたいところ。
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ましてや弔い合戦と考えれば…。



ジャイアンツは延長十二回、亀井善行のソロ本塁打で1点を奪って逃げ切ったが、継投に関しては結果オーライと言いたい内容だった。


菅野に代打を出した直後の八回裏は山口鉄也。0対0で迎えた九回裏は香月良太。ファイターズだったら平気で増井浩俊投入となるところだが、スコット・マシソンはあくまで勝ち越してから起用だなと思ったのだが、香月が一死一、二塁とサヨナラ負けのピンチを招くと結局マシソンを出さざるを得なくなった。マシソンはこの回と十回裏を抑えるが、ジャイアンツは十一回表か十二回表に勝ち越しても山口、マシソン以外の投手で逃げ切らなければならない事態になってしまった。監督としてはやってはならない継投だ。それでも結果勝てたのは、もちろん亀井の一振りが大きいが、セオリーに反しながらもぎりぎりの所で失点を防ぎ続けた投手達の力だ。原貢氏は監督業という点でも原辰徳監督の師であると言われているが、父子鷹に免じて勝負の神様がプレゼントしてくれた白星だったかもしれない。



最後になりましたが、慎んでご冥福を祈ります。

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