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2014年5月 3日 (土)

連続試合記録が止まるとき~原辰徳監督は連続試合出場記録の要件を知らなかったのか!?

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寝違えて首を痛めたというジャイアンツの坂本勇人が1日のスワローズ戦でスターティングメンバーから外れた。坂本は六回裏、勝ち越しタイムリーを放った高橋由伸の代走として出場し、盗塁も決めたが攻撃が終わると守備に付かず退いた。この結果、坂本は試合には出場したものの、連続試合出場記録の要件を満たす、
1打席完了、またはイニングの始めから終わりまでの出場を満たさなかったため、2009728日の対ドラゴンズ戦から続いていた連続試合出場記録が662でストップした。


記録制度上の盲点とも言えるが、翌2日のスポーツニッポンが“ベンチが規則知らなかった?”と疑問を投げかけるなど、「原監督は規則を把握していなかったのでは?」、「試合に出すのなら記録が継続する形で出してやれ」などの意見も出たようだ。



(写真:
2012年の公式戦最終戦、最多安打のタイトルを争っていた坂本勇人が安打数で並んだ直後の長野久義の打席で、長野に代打を出し、二人同数でタイトルを分かち合わせようとする原辰徳監督)



公認野球規則
10.23連続記録の規定
(
c)プレーヤーが連続試合出場を記録するためには、少なくとも自チームのあるイニングの守備(回の初めから終わりまで)に出場するか、あるいは塁に出るかアウトになって打撃を完了しなければならない。代走として試合に出ただけでは、連続試合出場を記録したことにはならない。



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2日付けスポーツニッポンによると川相昌弘ヘッドコーチは「守備や打席に立つことは難しい状態だった」と説明。原辰徳監督は「また新しいスタートをすればいい」とコメントしたそうだ。坂本勇人本人は「自分がスタメンで出られない状態だったのでしょうがないと思う。また頑張ります」と口にした。



川相ヘッドコーチのコメントが原監督を擁護するものでなくその通りであれば、この日の坂本の状態は連続出場記録の要件を満たす、“自チームのあるイニングの守備(回の初めから終わりまで)に出場するか、あるいは塁に出るかアウトになって打撃を完了”するのは難しい。元から連続試合出場記録の継続は困難だったことになる。


だとすれば、何でそんな状態の選手をベンチに入れ、代走に起用したのかという疑問も残る。


普段は原監督に厳しい敗戦処理。だが、敢えて原監督を肯定する立場を取ると、ベンチ入りをさせたのはベンチに坂本が控えているということで相手のスワローズの采配に警戒感を持たせることが理由の一つと考えられる。また代走で起用したことは、この試合で既に松本哲也レスリー・アンダーソンに代わって途中出場していたし、鈴木尚広を起用するにはまだ早い。坂本が守備に付けないのならば、藤村大介をここで代走に使うのももったいない。それで走るだけなら何とかなる坂本をいわば消去法的に代走に起用したのではないか、と考えることが出来る。


原監督は昨年の7月31日の対スワローズ戦で坂本に途中交代を命じて連続試合フル出場記録が225でストップしたときには「連続イニングをつなげるために戦っているわけではない」と話し、チームの目標のためには個人の記録にも時に厳しく対処する面を示したが、シーズン終盤の順位が決まった後では選手の個人タイトルに配慮を見せてきた。


2011年のシーズン最終戦ではドラゴンズの吉見一起と最多勝争いをしている内海哲也を敢えて先発登板させず、ビハインドの状態でリリーフさせて逆転すれば勝利投手の権利を手にする形を取った。
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結局ビハインドのまま九回まで内海は投げ抜き、九回裏に逆転サヨナラ勝ちして内海は勝利投手となり、最終的に吉見と最多勝利を分かち合った。


そのサヨナラ打を放ったのは長野久義だったが、長野はタイガースのマット・マートンと首位打者争いをしており、打率を下げないためにスターティングメンバーから外れ、最終回の無死満塁という場面で代打で出場した。打率の高い長野を代打に起用することで内海に勝利投手が転がり込む確率を高めると共に、仮に外野フライでも犠牲フライになれば打率が下がらない場面で打席に立たせることで長野もリラックスして打席に立てる。この一挙両得を狙った采配は奏効し、長野は代打満塁逆転サヨナラ本塁打を放ち、内海に最多勝利のタイトルを手中にさせると共に自らの首位打者も安泰にした。


 (その一方で同じ試合で澤村拓一が新人投手として200イニング到達&防御率1点台という権藤博以来50年ぶりという快挙をかけて先発したのだが、双方を達成した時点で交代してあげればよいものの、前の打席で本塁打を打たれている村田修一を迎えて続投させ、本塁打を浴びて防御率が2点台になってしまうという恩情のかけらもない継投をした。やはり個人記録には疎い!?

 


2012
年の最終戦では最多安打のタイトルを争う坂本と長野を共にスタメンで起用。この年のスタンダードは一番長野、三番坂本だったのを、最終戦では安打数で3本少ない坂本を一番に入れ、長野を三番に入れた。長野が安打を打たず、坂本が4打数3安打で安打数が並ぶと、原監督は長野に代打を起用、坂本にも次の打席で代打を起用した。


もちろん、この二試合の原監督の采配
<!?>には賛否両論。敗戦処理。は否定的であるが、少なくとも原監督が順位決定後であれば個人タイトルに配慮をする監督であることはわかる。昨年もリーグ優勝にフル回転したいわゆる“スコット鉄太朗”の三人に揃ってタイトルを獲得させようと、西村健太朗には最多セーブ、スコット・マシソン山口鉄也には最多ホールドで同数に並ぶように絶妙の起用をした。


こうしたケースから考えると、原監督やジャイアンツのコーチ陣が連続試合出場記録の要件を勘違いしていた可能性も否定出来ないが、まだシーズン序盤であることを考えると、個人記録よりチームの勝利を優先させたと考えるのが自然だと敗戦処理。は思う。阿部慎之助村田修一に平気で七番を打たせるような、選手のプライドを考慮しない冷徹さと整合性がある。



これまでに聞いたところによると、一般的には選手の個人記録などはマネージャーや部門コーチが把握し、ミーティングなどで監督の耳に入れるという。例えば昨年、ベイスターズの藤井秀悟427日のタイガース戦で107試合連続先発途中降板のプロ野球記録に終止符を打つ完投勝利を記録したが、点差があったとはいえ、記録を把握していたデニー友利投手コーチが中畑清監督に進言して完投に結びつけたという。


連続試合出場記録は通算○○安打などの節目の記録とは異なり、またジャイアンツでは歴代2位とはいえ歴代1位の松井秀喜1250試合と比べれば半分を超えた程度だから、記録継続のための要件を仮に原監督が把握していないにしても進言する人もいなかったかもしれない。


余談だがベイスターズではかつて始球式に登板する女優の吹石一恵が「目標は150キロです」と言ったのを聞いた当時の山下大輔監督が球場スタッフに手を回して始球式の投球の際のスピードガン表示を“150km”と表示させたこともある!から、そういう土壌のある球団なのかもしれない。


ところでこの連続試合出場記録だが、坂本のように試合には出たのに連続試合出場とみなされなかったケースというと、金本知憲のケースが思い出される。
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金本は右肩を痛めて連続フルイニング出場記録が中断してからも、連続試合出場記録は続けており、その試合も二死一塁で代打で登場したが、一塁走者の俊介が二塁盗塁に失敗してスリーアウトチェンジに。金本は打席を終えたことにはならなかった。それでも金本が守備に付けば連続試合出場記録を続けることは出来たのだが、真弓明信監督は肩を痛めて守備に不安のある金本を守備に付けず、この瞬間に連続試合出場記録が止まった。
2011415日の対ドラゴンズ戦。連続試合出場記録はこの試合の前までの1766試合で止まった。


もう一人は松井秀喜
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ジャイアンツで
1250試合連続出場を継続したままFA移籍でニューヨーク・ヤンキースに所属した松井はヤンキース入団後も連続試合出場記録を継続していた。大リーグでは主力選手でも適宜休養を与えて完全に試合から外す日を設けることが多いが、松井が連続試合出場にこだわりを持っていることを知った当時のジョー・トーリ監督はスターティングメンバーから外しても代打で起用するなど、松井の連続出場記録に理解を示して後押しをしていた。


その松井の連続出場記録が止まったのは守備中でのケガ。レフトを守っていた松井が前進してダイレクト捕球を試みた際に左手首を痛め、試合から退いた。このシーンが一回表の守備の途中だったことから、松井は連続出場記録の要件である“自チームのあるイニングの守備(回の初めから終わりまで)に出場”を満たさず、この試合が五回を終えて成立した時点で松井のヤンキース入団以来の連続試合出場記録は前の試合までの518試合連続出場、日本からの合算では1768試合連続出場で止まった。この記録、よく考えると金本の連続試合出場記録を上回っているのだから相当凄い!


その金本を連続試合出場記録では上回る衣笠祥雄2215試合連続試合出場の記録を継続中のまま現役を引退した。
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最後の二年間はシーズン途中まで打率一割台でもスタメン出場を続け、当時の大リーグ記録だったルー・ゲーリッグ
2130試合連続出場に挑んで更新した現役最終年の1987年にはとにかく連続試合出場記録を続けることが優先と考え、疲労を溜めないために途中で退く試合が多く、当時の130試合全試合にスタメン出場したにも関わらず、打席数は年間の規定打席ぴったりだった。


そんな衣笠の連続試合出場記録最大のピンチはまだ若かりし
197981日のジャイアンツ戦で西本聖から死球を受けて左の肩甲骨骨折で全治二週間と診断されたときであろう。死球を受けた衣笠は冷静を装っていたが実はこの試合のこのイニングで3個目の死球だったこともありカープのチームメート達が激昂。田中尊コーチがジャイアンツの捕手の吉田孝司に猛抗議したのを皮切りに両軍ナインがグラウンドに入り乱れて、結局田中コーチと吉田捕手が退場処分になった。衣笠に代走が送られ、衣笠の連続試合出場記録も翌日には止まるものと多くのファンも思った。


実はこの年の衣笠は開幕から極度の打撃不振でスタメン落ちを経験し、当時三宅秀史が持っていた連続試合フルイニング出場記録700にあと22試合と迫っていたところでストップした。連続試合フルイニング出場記録に続いて連続試合出場記録も…と思われたが翌日の同じジャイアンツ戦で衣笠は代打で出場した。診断通り左肩甲骨骨折の状態でだった。


規則上は一打席を完了すれば連続試合出場記録は継続する。つまり立っているだけで見逃し三振でも記録は継続する。記録のために衣笠は打席に立ったと考えたファンもいただろうが、衣笠は骨折した身体で江川卓を相手に三球続けてフルスイング。ジャイアンツ側も骨折している衣笠にはストレート勝負とばかりに江川が全力投球。衣笠は三球三振に終わったがスタンドのファンからは拍手が起きた。そして衣笠はその翌日からスタメンに復帰した。さすがにすぐには安打が出ず、無安打の試合が続き、また守備位置も負荷をかけないよう一塁で出場したりしていたが…。敗戦処理。もこの一連を当時テレビで観ていたので、晩年の衣笠の記録継続のためだけとも思える出場を見ても、当時声高に批判することはしなかった(まだネットのない時代だったが…。)。



そして衣笠が苦しんでいたとき、カープにはもう一人連続試合記録と戦っていた選手がいた。


高橋慶彦である。


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高橋慶はこの年の
66日から731日まで33試合連続安打を達成。これは今も破られぬ日本最長記録であるが、並んでいた長池徳士32試合連続安打を抜いて単独での日本記録のかかった731日のジャイアンツ戦の一回裏の第一打席で新浦寿夫から左前安打を放って33連続試合安打を達成したが直後の二回表の守備でジャイアンツの山本功児と接触して左足首を打撲。ベンチに退いた。単独新記録達成の直後だったのが救いではあったが、もしも守備の負傷が打席に回る前の一回表だったら…とファンは肝を冷やした。


ところが連続試合安打の記録の要件では、試合に不出場だった場合は連続試合安打は止まらない。また試合に出ても打席が回ってこなかった場合には連続試合安打は止まらない。したがって高橋慶はこの後の5試合を欠場したが33試合連続安打は継続中であるし、仮にこの負傷が松井のように一回表に途中交代を余儀なくされるものであったとしても、32試合連続安打で記録が継続中だったのだ。つまり、82日のジャイアンツ戦では衣笠はどこかで打席に立たせるなりしないと連続試合出場記録が止まる。高橋慶はなまじ試合に出して打席に立つと連続試合安打が止まる危険性を孕んでともにベンチ入りしていたのだ。


実際、この規則を確認したカープは高橋慶を回復してもまずは代走から起用させ、万全になってからスタメンに入れようとも考えたそうだが、高橋慶は6試合後の88日にスタメン出場。無安打に終わってしまい、連続試合安打は33で止まった。


公認野球規則10.23連続記録の規定
(b)
連続試合安打の記録は、すべての打席が四球、死球、打撃または走塁妨害および犠牲バントのいずれかであったとき、中断されたことにはならない。しかし、犠牲フライはその記録を中断する要素となる。
 
プレーヤー個人の連続試合安打の記録は、そのプレーヤーが連続出場した試合の結果によって決定される。

【注】プレーヤーが試合に出場していたが、打席がこないうちに試合が終わった場合および塁上の走者がアウトになって攻守交代となったためなど打席に入ったが打撃を完了できなかった場合は、連続安打および連続試合安打の記録が中断されたものとはみなさない。



金本の連続試合出場記録を中断させたシーンが、もしも連続試合安打を継続している選手でのシーンだったら中断させることにならないというのは何とも皮肉というか…。


こういうことを頭に入れた上で野球を見ると、面白さが一味変わると思う。

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