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2013年12月 7日 (土)

タイガースの新助っ人オ・スンファン(呉昇桓)「4イニングでも、週6登板でもOK!」

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何とも頼もしいクローザーがタイガースにやってきた。韓国球界最多の
277セーブを記録したナンバーワンクローザーのタイガース入団が決まった。

オ・スンファン(呉昇桓)は4日にソウルで行われた入団会見で「過去に最大で4イニング投げたこともある。<中略>1週間で6ゲームあるとすれば、全部、行けるように準備する」と語った。

日本やアメリカでは、クローザーは最終回1イニング登板が原則、チームの連勝が続いていても三日間連投が続いたら休養日を設けることがあるというのを承知の上で、自信を見せつけた。

果たして韓国球界ナンバーワンクローザーは日本球界のクローザーの常識を覆す投球を見せることが出来るのか?



韓国球界での実績に敬意を払うものの、さすがに4イニング投球、週6連投は割り引いて考えた方が本人とタイガースのためには良いのだろうが、オ・スンファン(呉昇桓)が自己申告に近いタフな投球を見せれば日本のプロ野球界の継投策に一石を投じることになるかもしれない。


現在の日本のプロ野球界ではクローザーは原則、リードした試合の最終回1イニングを投げきってチームに勝利をもたらすのが仕事。そしてそのクローザーの存在を前提に、チームは如何にしてそのクローザーにつなぐかを考える。クローザーが最終回1イニングに集中出来るように、八回や七回に投げる投手も専門職として専任される時代だ。かつて長嶋茂雄監督が八回に橋本清、九回に石毛博史とつなぐ継投を「勝利の方程式」と呼んだ時、森祇晶監督は「野球において『勝利の方程式』などというものは存在し得ない」と真顔で否定していたが、今では「勝利の方程式」という言葉はどこの球団でも普通に使われている。

要するに、抑える確率が極めて高いクローザーを擁するチームは如何にそのクローザーの登板までリードを保つかが監督の采配であり継投策であって、最終回から逆算するかのような組み立てがされた。時には先発投手でさえ、継投の一番手のようになることすらある。

敗戦処理。の見立てではこのようにクローザーが「主」となってクローザーの存在を前提に采配や継投が組み立てられる様になったのは佐々木主浩が境だと思う。

佐々木主浩という絶対的守護神を擁した当時の横浜ベイスターズを率いた権藤博監督は、この佐々木に年間を通して完璧なクローザーぶりを見せてもらうことがチームの成績を最も良くする方法だと考え、佐々木には極力イニングまたぎをさせず、最終回1イニング限定登板とさせた。そしてそれを可能にするために、佐々木登板の前の七回、八回に試合を引っ繰り返されることの無いようにセットアッパーにも特定の投手に負担がかからないように“中継ぎ投手のローテーション化”を考えた。五十嵐英樹、横山道哉、島田直也、阿波野秀幸…と言った投手を交代で休ませながら起用した。すべては「大魔神」佐々木に最大限の力を発揮させるために。

当時のベイスターズは攻撃陣も「マシンガン打線」の異名を取る、どこからでも得点出来る強力打線を売りにしていたのだが、石井琢朗、波留敏夫、鈴木尚典、ロベルト・ローズ、駒田徳広、佐伯貴弘、進藤達哉、谷繁元信と並ぶ打線は相手先発投手の右左によって佐伯と中根仁が入れ替わる以外は固定され、全員が守備固め、代走を必要としないメンバーだった。それ故に野手のベンチ入り、出場選手登録を最小限に抑え、その分投手を多い人数登録することが可能になり、中継ぎ投手を交代で休ませながら回すことが出来たのだ。後のベイスターズの長期低迷がこの時期に固定メンバーで戦っていたのが発端だとする説もあるようだが、それはともかく、ベイスターズが佐々木を基準に、中心にした野球をすることで1998年にベイスターズが日本一になったのは確かだと思う。

々木以前のクローザー、いやその当時はクローザーという呼び方を日本ではしていなかったが、その典型は江夏豊だろう。

江夏を始め、津田恒実、山口高志、牛島和彦、斉藤明雄、山本和行ら当時の抑え投手に共通していたのは、あくまで先発投手や、先発投手を引き継いだリリーフ投手を助けるためにいるのが抑え投手で、先発投手が完投出来ればその日は出番無し。極論すれば先発投手を補助するのが抑え投手だった。


先発投手を補助するのが仕事だから、ここが今日の試合の最大の山場だと監督が判断したら、八回の途中だろうが、八回の頭からだろうが抑え投手をつぎ込むのが当たり前だった。江夏の抑え投手としての修羅場として語り継がれる「江夏の21球」は日本シリーズ第7戦という、勝った方がその年の日本一という究極の試合だったこともあって江夏は七回裏二死一塁から登板した。「江夏の21球」の“21球”とは九回裏に投じた球数であって、その試合での江夏の投球数は41球だ。

もちろん当時の感覚でも抑え投手の七回途中からの登板は異例だ。日本シリーズ第7戦という究極のシチュエーションだったからこその“異例”なのだろうが、いずれにせよ江夏を初めとする当時の抑え投手達には「自分の出番は九回の頭から」などという頭はなかっただろう。

冒頭のオ・スンファン入団会見をトップに持ってきた5日付けのデイリースポーツでもタイガースでは2010年に当時の絶対的クローザーだった藤川球児をシーズン序盤からイニングまたぎも辞さぬ起用をした結果、終盤に調子を崩し、ドラゴンズに優勝をさらわれたことを振り返っている。オ・スンフォンがいくら自信の程を見せても、来年、タイガースは日本流の起用法でオ・スンファンに実力を発揮してもらうだろう。だが、藤川には藤川の前にJとKがいたからJFKの「勝利の方程式」が確立されたが今のタイガースにオ・スンファンまでつなぐ方程式はない。

今季、久保康友で失敗した後にクローザーに回った福原忍や進境著しい松田遼馬らをセットアッパーにしてやり繰りしようとするのかもしれないが、方程式が確立されない場合、韓国ナンバーワンクローザーによるイニングまたぎの大車輪が観られるかもしれない。つまり、“最終回にオ・スンファン”から逆算するという点では他球団の方程式と同じでもオ・スンファンと他のリリーフ投手の信頼感に差がありすぎると、勝つためにはいつでもオ・スンファン、どこでもオ・スンファンという事態になりかねない。それもまた、かつての佐々木に次ぐ「抑え革命」だが…。


もちろん、すべてはオ・スンファンが日本でも額面通りの投球が出来るという前提での仮説だが…。

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