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2013年9月26日 (木)

所変われば人が変わる~上原浩治、リリーバー転身で大成功

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日本時間
21日、アメリカ大リーグのア・リーグ東地区でボストン・レッドソックスが地区優勝を決めた。その立役者の一人が上原浩治。リリーフ投手として27試合連続無失点、37打者連続凡退など抜群の安定感を誇り、レッドソックス投手陣最年長の38歳ながら日本人大リーガー投手としては大塚晶則、斎藤隆以来となる年間70試合登板とフル回転。

日本のジャイアンツ時代にも2007年にクローザー、2008年にセットアッパーの経験がある上原だが、当時は先発に戻りたい願望が強かった。“所変われば品変わる”というが、上原はさしずめ“所変われば人が変わる”!?


(写真:読売ジャイアンツ時代、ピンチにリリーフのマウンドに上がる上原浩治。 20087月撮影)



あまり大リーグの野球に関心が深くない敗戦処理。だが、さすがに今年は上原のニュースはよく目に入ってきた。レッドソックスのジョン・ファレル監督はこう語る。



コージの存在なしに今季の優勝はなかった。当初予定していた2人のクローザーがともにケガをしたからね。コージは現場もフロントも救ってくれた。特にこの2カ月間は信じられない。しっかり打たれた打球がほとんどない。監督業はストレスが多い仕事だが、コージがマウンドに上がれば、私の頭の中では「ゲームオーバー」なんだ。

(スポニチ・アネックス922日)


日刊スポーツでは福島良一氏がMVPとサイ・ヤング賞のW受賞もあるのではと書いている。


いやはや、凄い変貌ぶりだ。


上原浩治
2008年のシーズン早々に海外FA権を取得し、シーズン終了後にFA移籍で大リーグ入り。資格取得前からジャイアンツ球団にポスティング移籍を掛け合ったが、そもそもポスティング移籍を認めない球団の方針を前にFA権を取得するまで待つしかなかった。しかし、1999年にジャイアンツに入団して一年目に20勝を挙げてから先発一本で投げ続けてきた上原がリリーフに回ったのがジャイアンツ在籍最後の二年間、2007年、2008年だったことを考えると、この時のリリーフ経験が今に活きているのではないかと思う。ただし、当時の上原は大リーグでプレーする自分の姿をイメージしていただろうが、リリーフ投手として活躍するイメージを持たなかっただろう。


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2007
年のジャイアンツでの上原の成績はすべてリリーフで55試合に登板してその内の50試合が交代完了。4332セーブ。3敗はいずれも同点での場面でマウンドに上がって勝ち越されたもので、リードした場面での登板を引っ繰り返されたケースは一度もなかった。この年のジャイアンツでは移籍二年目の豊田清がシーズン序盤からリリーフで失敗続きだったこともあり、調整遅れで一軍に上がってきた上原にお鉢が回ってきた形だったが、結果的に大成功だった。ジャイアンツでは前年にも先発ローテーションの高橋尚成をシーズン途中からクローザーに回してそれなりの成績を挙げたが、高橋尚本人がギブアップして翌年には先発復帰を直訴。豊田に託そうとしていた。

そして上原もクローザーのしんどさにまいったのか、シーズンが終わると首脳陣に先発復帰を直訴。シーズン終了後に行われた2008年北京五輪のアジア地区予選でもクローザーとして本選出場決定に大きく貢献したが、日刊スポーツに寄せた手記では「北京では先発のマウンドに上がってチームに貢献したい」とリリーフ卒業をここでも公言していたほどだった。

高橋尚、上原共にリリーフに回った年の終了後に「もう二度とこんなしんどい仕事は出来ない。先発に戻してもらいたい」という趣旨の声明をし、なおかつ「こんなしんどい経験を毎年やり遂げている豊田さんは凄い」と二人とも豊田を持ち上げていた。

上原は翌2008年には念願かなって先発復帰。チームとしてもマーク・クルーンを獲得してリリーフ陣を強化。越智大祐、山口鉄也の風神雷神が大車輪の活躍をしたのもこの年。だが上原はこの年も故障に泣かされ、6月下旬に戦列に復帰。北京五輪の代表に選ばれるのかも微妙だったが、星野仙一監督との直接交渉で代表入りが決まり、原辰徳監督も星野監督の構想に気を遣ったか、上原をクルーンの前に投げるセットアッパーに起用した。前年ほどの完璧度がなかったセットアッパー上原は何度か失敗もあったが、北京五輪に向けての準備を終えて<苦笑>北京に挑んだ。

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結果は、クローザーとしては格上の藤川球児、岩瀬仁紀を差しおいて星野監督からクローザーに指名されたものの上原の出番前に試合が崩れることが多く、メダル獲得を逃した。


上原は五輪終了後、ジャイアンツに復帰すると先発に戻ったが、既にシーズン早々にFA権を取得した際にシーズン後の大リーグ挑戦を明言していた(普通は「今はシーズン中だから…」等と言って本音を明かさない選手大半)上原はいきいきとして先発に徹していた。

念願叶って大手を振って大リーグに挑戦できることになった上原はライオンズとの日本シリーズ第7戦の当日の昼間に当時の清武英利球団代表に手続きの確認の打ち合わせをした。


まあジャイアンツ時代にも“もうリリーフはごめんだ”と言いながら翌年にリリーフに回され、北京五輪でもクローザーを務めたので心底リリーフ拒否という訳ではなかったのだろうが、星野監督はこの年のセ・リーグ公式戦で今一つ調子の上がらない上原にクローザーの座を用意した結果、格上の藤川、岩瀬をセットアッパーに回した軋轢が(メダルを逃したという結果からの推論かもしれないが)取り沙汰され、それが元でドラゴンズの落合博満監督は国際大会に対するNPBの選手へのフォロー体勢に不信感を持って翌年のWBCにその岩瀬を始めドラゴンズから一人も出場しないという事態に至ったという見方もなり立つかもしれない。

念願の大リーグ入りを果たしたは良いものの故障等で思う様な成績が挙げられず、生き残るために受け入れたリリーフでこれほどの活躍をするのだから、何が幸いするのかわからない。

念願の大リーグ入りを果たしながら、短い期間で日本に戻ってくる選手もいれば、石にかじりついてでもアメリカの機構の中で居場所を見つける選手もいる。個人的には少なくともポスティングシステムで海を渡った選手には安直に短期間で日本に戻ってきて欲しくない。ポスティング移籍は選手に球団を選べないという事情はあるが、それを承知の上でシステムに賭けたはずなのだから。

上原に関しては、大阪体育大学在学時のドラフトの際に、大リーグ入りも噂されていたが、当時の逆指名制度を利用してジャイアンツに入団。当時から早期大リーグ移籍の噂がまことしやかに流れた。しかしジャイアンツは上原に限らずポスティングシステムの利用を認めない方針。元々球団に選択肢のある制度なのでジャイアンツは間違ったことをしている訳ではないのだが、上原はことあるごとにポスティングを掛け合ってくれない球団に不満を述べ、海外FA権を取得するとシーズン中にもかかわらず大リーグ挑戦を明言した。

ここから先は邪推だが、ドラフトの入団交渉時にジャイアンツと上原の間には噂されたような、大リーグ移籍への口約束があったのかもしれない。ところが上原がその実力を発揮してエースになったことで球団も移籍を認めたくなくなったのだろう。ポスティング移籍の容認が該当するかは定かでないが、入団時の交渉で将来の移籍を確約するのは協約違反。明確な文書で交わされていないのを良いことに、無かった事にされたのかもしれない。そういうことをやりかねないのが清武前球団代表だ。


清武氏は上原の件ではないが、昨年、ジャイアンツの契約金スキャンダルが発覚した後で、高額な契約金をもらったとされる選手の中で唯一、清武氏が球団代表に就任後に入団した野間口貴彦に関し、規定額を超える支払いを打ち切ったと言っている。これが真実ならば、ドラフトでそのような餌をまいて有望新人を獲得する手法が使えなくなる事を考えたら、「エース」を安直に手放すまいと考えても不思議ではない。球団代表に正論で押された上原はFA権取得まで待たざるを得なくなったのではないか。

ここまでお付き合いいただいた方は既にお気づきだろうが、敗戦処理。は上原のFA権行使にかかわる言動を良く思っていない。

しかし、本人が認めるか認めないかはともかく、ジャイアンツでの最後の二年間の不本意ではあったが先発を外れてリリーフに回った経験が少なからず今の成功に繋がっているのではないか。少なくとも豊田清の偉大さに気が付いた点だけを取っても、役立っていると思う。だからジャイアンツに感謝しろと言うつもりで書いているのではない。ジャイアンツではいやだったものを受け入れる魅力が大リーグにはあるということだ。

上原が夢見た世界には、究極の選択だったのかもしれないが、日本では受け入れたくなかった転身を認めるにやぶさかでない魅力があったということだろう。

ポスティングシステムが失効して、それに代わる新制度が出来るのか出来ないのか現時点では不明だが、海外FA権を行使して大リーグに渡るものは今後も出続けるだろう。流出を嘆くだけでなく、それほどに魅力に差があることを痛感して流出対策を考え、流出の時代に対峙していくしかないのだろう…。

それはおそらく、金の問題ではないだろう。高額年俸を棒に振りたくないからリリーフ登板を受け入れるという簡単な図式ではあるまい。日本では所属球団である程度“お山の大将”的に振る舞えたかもしれないのに、契約条項によっては自分の立ち位置が保証されなくても、彼らは好んで海を渡る。それだけの魅力差があるということからまずNPBは認識すべきである。


最後になったが、上原、おめでとう。せっかくだからワールドシリーズでもクローザーとしてマウンドに上がり、ワールドチャンピオンの胴上げ投手を目指して欲しい。

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