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2013年8月 5日 (月)

ファイターズが崩れていく…。武田勝5回1/3、79球交代の波紋!?

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ファイターズは昨日
(4日)の大敗があまりにもあまりにもあまりにもだったので霞んでいるかの様だが、その前日(3日)の0対0の六回表の一死無走者で先発の武田勝を代えてルーキーの河野秀数を投入して、マギーに打たれたのを皮切りに先制点を失って敗れた試合も看過できない負け方に思えてならない。

一瞬、武田勝に何かアクシデントがあったのかと思ったがそうではないようだ。降板を命じられた武田勝は次のようなコメントを残した。


「チームの指示なので…。こういう状況ですし、勝つことを前提にして試合を進めていた。まだ、そこまでの信頼を勝ち取っていないということです」
(日刊スポーツ84日付け)


(※ 写真はイメージです。)


このコメントを載せた日刊スポーツによると、武田勝が前回のこのカードの登板でマギーに打たれていることが交代の理由とある。
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79日のゴールデンイーグルス主催の東京ドームでのカードで、先制タイムリーと2ラン本塁打を浴びたのが栗山英樹監督の心証を損ねているのかもしれない。だが、もし本当にそうなら長くファイターズを支えてきた武田勝への栗山監督の信頼の度合いがその程度なのかと残念に思う。

たしかに、野球における投手と打者の相性というものは時に野球のセオリー、定石を超越した結果を導き出すこともある。しかし、武田勝に代わってマウンドに上がったのはルーキーの河野秀数だった。
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ファームでの安定感を買われて一軍に上がって登板機会を与えられているが、まだこうした緊迫した場面での経験は乏しい。一か八かの起用だったのかもしれないが、場面を考えれば、セットアッパーからこのところ中盤の勝負所に登用される増井浩俊起用の方がまだうなづける。投球数もまだ
79球だったし、武田勝を降板させざるを得ない状況ではなかったと思われる。

もちろん、チームにはチームの事情があり、外から見ているファンにはわからない台所事情があったのかもしれない。だが気になるのは冒頭に引用した武田勝のコメントである。念のためもう一度引用しよう。


「チームの指示なので…。こういう状況ですし、勝つことを前提にして試合を進めていた。まだ、そこまでの信頼を勝ち取っていないということです」
(日刊スポーツ84日付け)


武田勝といえば、先発して好投しても、味方打線の援護に恵まれず勝利を得られないケースが多い投手として有名だ。だが、例えば0対1で敗れるようなケースが続いても武田勝のコメントはだいたいこんな感じのものが多い。

「あの回を僕が抑えていれば、ウチに流れが向いてきたと思う。もったいないことをした」

好投が報われなかった投手にありがちな、「自分の仕事は出来たと思う…」といったコメントを残すことはあまりなかったと思う。実際、6イニングか7イニングを1失点か2失点で敗れてもそれは投手の責任では無いだろう。その意味では「自分の仕事が出来た…」云々のコメントに違和感はないが、うがった見方をすれば「俺のせいじゃねえよ」と聞こえなくもない。

極論すれば、味方が1点しか取れない時には0点に抑えるのが投手の役目だし、投手陣が
10点取られたらそれ以上取り返すのが打線の役目なのである。そしてそういう星の拾い方を多くしたところが一年間を通して高い勝率をマークすることが出来るのだろう。武田勝がそこまで考えて言葉を選んでいるのかはわからないが、本心はともかく広報を通じたコメントでは自責の念にあふれた発言に終始するのが武田勝という男なのだ。

その武田勝が「そこまでの信頼を勝ち取っていないということ」というコメントを残したのだ。このコメントはとてつもなく重いものと思わざるを得ない。

結果的に武田勝を傷つけ、河野にもダメージを植え付けてしまった。さらに言えば、一死無走者の場面で降板させたということは1点でも与えたら挽回が困難と判断したとも思えるから、自軍の打線をも信用していないことも露呈した。実際完封負けしたが…。栗山監督はこういう負け方をした時に「すべて俺が悪い」的なコメントを残す。特定の選手を名指ししないスタンスには大いに共感するが、それで済む問題だろうか…。


だが一方で、武田勝が全幅の信頼を置ける、文字通りの“エース”かというと、いささかの疑問が残る。
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blog617日付け内海哲也が球団史上三人目の100勝サウスポーに! でジャイアンツの内海哲也について論じたのと同様、チームの大黒柱、エースというイメージとはいささか異なるというのが個人的な印象だ。もちろん異論はあろうが。

登板間隔は中六日かそれ以上。投球数100球未満での「大事をとって」の交代も頻繁にあるように思える。一昨年までは“大エース”ダルビッシュ有が君臨していたために偉大なる№2で良かったし、昨年は吉川光夫が実質的に中心的存在になった。武田勝は成績的には安定しているが、チームの先頭に立てるタイプではないのかもしれない。早め早めの降板は監督が栗山であっても梨田昌孝前監督であってもなされていたから、あるいは無理が利かないタイプなのかもしれない。

ダルビッシュが抜けた昨年に、“エース”の証明とも言える開幕投手の指名を受けなかったのも(初めに“斎藤佑樹”ありきだったのかもしれないが)そう考えると理解出来るし、本当なら栗山監督が新“エース”に指名したかった吉川が故障上がりで無理をさせられないから今年は昨年の借りも含めて開幕投手に指名されたのかもしれないが、その開幕戦のマウンドで故障をしてしまった…。


ただ、仮にそういう盤石ではない要素があるにしても、武田勝は北海道に移転してからの、ファイターズと共に歩んだと言っても過言でない存在。チームの浮沈がかかっていた試合でギャンブル的に降板させたのが良かったのかどうか…。

武田勝は2006年の入団、そう、移転三年目でリーグ優勝、日本一になった年の入団だ。この年に中継ぎから始め、やがて先発ローテーションに不可欠な存在になった武田勝はその後も安定した成績を残し、それがこのチームのそれから七年間で四回有償という足跡に大きく寄与したのは間違いない。そして人の入れ替わりが早く、もはや2006年の日本シリーズに出場した選手が数えるほどしか残っていないチームで貴重な生き証人でもある。

その投手を、まだ無失点で、走者がたまっている訳でもなく、投球数で考えてもまだ余裕のあるタイミングでルーキーに代え、バックのミスがあったとはいえそのルーキーが失点してその試合を落としたということはただの一敗ではないのかもしれない。もちろんその結果が直ちに翌日の記録的大敗に直結した等と言うつもりはないが…。

栗山監督が就任した時に「二年間我慢しなければならないのか…」と覚悟したものの、昨年はいきなりリーグ優勝を成し遂げてくれた監督…。さかのぼれば、「生きてる間にせめてもう一回優勝してほしい」と思っていたのに四回も優勝してくれた球団…。二十五年間の、優勝から遠ざかっていた長い長い日々を考えれば、今の悩みはむしろ贅沢な悩みかもしれない。でも、日本一から十年と経つ前に最下位が指定席になった球団もある。去年勝ったから今年はいいやというものでもないだろう。それより何より、2006年のリーグ優勝から、脈々と連なってきたファイターズの野球が崩れていくように思えて、それが心配なのだ。連なりと繋がりは一度途絶えたら、再びそれを為すのは容易ではない。

後楽園時代の1981年に優勝した時も、翌年のプレーオフ敗退、その翌年もAクラスと、その後四半世紀も優勝から遠ざかるとは思えなかった。実際、Aクラスの長さに関していえば、北海道に移転してから、まだ東京時代の6年連続Aクラスに並んではいない。勝ち続けることは難しいが、転落はあっという間だ。

今年波に乗れないのは、さかのぼれば糸井嘉男のトレードに行き当たるのは当然だ。だが、今回取り上げたことはそういったチームの編成上の選択とは別次元の現場での象徴的シーンとして気になったので思うがままに率直に書いてみた。


何が特効薬になるかはわからないが、そろそろ歯止めをかけてほしい。敗戦処理。はあの苦しみをまた味わいたくはないのである。

 

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