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2013年6月14日 (金)

怪童尾崎逝く…もう少し早く生まれたかった

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日、元フライヤーズの投手、尾崎行雄さんが肺がんのためなくなられた。68歳だった。

尾崎さんは浪商のエースとして二年生の夏に全国優勝を果たすと、高校を中退して当時の東映フライヤーズに入団した。スピードガンのなかった時代ながらその豪速球は昨今の投手と比較して160kmは出ていたのではないかと言われ、「怪童尾崎」の異名をとった。


(写真:201012日に行われたプロ野球OBオールスターアスリートカップで東映フライヤーズ時代のユニを着て登板した尾崎行雄さん。この時65歳。)



また一人、野球界のレジェンドが旅立った。敗戦処理。は尾崎行雄さんの現役時代を知らない。知っているのはフジテレビの人気番組、「欽ちゃんのドンとやってみよう」のコーナー、欽ドン野球のメンバーとして辻佳紀、荒川堯との三人で子供たちの野球チームと対戦したり、日曜朝の日本テレビ「御幸野球教室」の番組の途中に流れる御幸毛織のCMに出演していたあたりから。


御幸毛織のCMでは、敗戦処理。の記憶では御幸毛織のスーツを着た尾崎さんに「怪童尾崎を知ってますか?」のナレーションが流れる。

周りの大人に聞くと、とにかく球が速かったそうだ。当時を知る年輩の方に聞くと、松坂大輔より速い、大谷翔平、藤浪晋太郎も足元にも及ばないという。ただ、典型的な“太く短く”で、記録を調べると、普通なら高校三年生に当たる学年の年齢で、フライヤーズでルーキーで20(9)。この年の球団の初優勝、日本一に大きく貢献した。セネタース、フライヤーズ、ファイターズと繋がっていく球団史の中で日本一に輝いたのは尾崎さんが活躍した1962年と、あの2006年の二回だけ。それほど燦然と輝く功績だ。翌1963年こそ8勝に終わるが、三年目の1964年から三年連続20勝以上、入団六年目には通算100勝に達した。だがそこまでの酷使がたたったか、この年に右肩を痛めて614敗に終わると、その後の6年間で3勝しか挙げられず、29歳の若さで現役を引退した。通算成績は10783敗、防御率2.70

浪商を二年で中退したが、高1夏、高2春、高2夏と三度甲子園で法政二高と対戦。当時のエースで後にジャイアンツでV9時代の核弾頭として活躍した柴田勲と名勝負を演じた。

現役引退後は一切コーチや評論家としての活動をしていない。現役引退後はレストランを経営し、その後は一般企業に勤めたこともあったという。ただ、野球への情熱は衰えず、少年野球教室の類には積極的に参加していたという。プロ野球OBによるリーグ、プロ野球マスターズリーグでは東京ドリームスに所属。毎年恒例の12日の東京ドームでの対戦ではファンに振る舞い酒をする尾崎さんの姿が恒例だった。敗戦処理。もありがたく頂戴した。例年、元ジャイアンツ他で敏いとうとハッピー&ブルーにも所属する藤城和明とともにお酒を振る舞っていた。
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特にマスターズリーグではファン層も年輩の人が多く、尾崎さんの現役時代を知る人が多く、大人気だった。

個人的な話になるが、尾崎さんらの“伝説”を聞くと、「もう少し早く生まれたかった…」と思う。敗戦処理。が日本のプロ野球に興味を持ち始めたのは1973(昭和48)。尾崎さんが最後にプレーした年だが記憶にはない。他のレジェンドで言うと、長嶋茂雄の晩年を生で観ているが、村山実さんや金田正一さんの現役時代を観ていない。もちろん稲尾和久さんや中西太さんも…。

マスターズリーグが中途半端な時期に打ち切られてから、尾崎さんの勇姿を観る機会に恵まれたのが201012日、日本プロ野球OBクラブらの主催で東京ドームで行われた法政二高VS浪商高OB戦とプロ野球OBオールスターアスリートカップ。
尾崎さんはその二試合ともにメンバーとして出場した。

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二試合ともに宿命のライバル柴田勲と対戦したが、プロ野球OBオールスターアスリートカップではファイターズの歴代OBが一様に北海道移転時のファイターズに身を包む中、貫禄の東映フライヤーズユニ姿を披露した(冒頭の写真)。



昨今のような近代的、科学的トレーニングが開拓される前の時代、尾崎さんのように“太く短く”燃え尽きた野球選手は枚挙にいとまがなかったことだろう。そうした時代から進化を加え、投手の登板間隔や球数制限などが定着したのだろう。「スピードガンのなかった時代の『○○投手は□□□km出ていた』は当てにならない」とか「バッティングマシンの進化など用具の改良を考えると、打者の進化のスピードの方が投手より早い。だから今の現役投手の方がレベルが高い」などの声がある。そう言いたい気持ちはわかるが、(現役プロ野球選手はもとより)我々ファンも先人達の足跡をきちんと踏まえることで野球の見方が変わってくると思う。もちろんこれは野球に限らずあらゆる分野に当てはまる共通項だろうが…。

ただ、故きを温ねて新しきを知るとは言っても、知ったかぶってはならない。その意味では敗戦処理。には現役時代の尾崎さんを語る資格は無い。大先輩に頭を下げて敬意を表し、自分が観た野球を、主観が入るのは避けられないにしても限られた機会に伝えていくだけだ。東京ドーム時代すら知らない北海道生え抜きのファンが札幌ドームを占める時代にはるか昔の東映フライヤーズのレジェンドの訃報はピンと来ないという人も少なくないかもしれないが、おそらくは次週16日のTBSテレビ系列「サンデーモーニング」では張本勲が尾崎さんを偲ぶだろうから、ファイターズファンに限らず、今のプロ野球を愛するファンで時間のある方は尾崎さんのニュースに注目されたい。

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