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2013年6月17日 (月)

内海哲也が球団史上三人目の100勝サウスポーに!

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ジャイアンツの内海哲也が
16日の対ホークス戦に完投勝利して今季5勝目。プロ入り通算100
勝を達成した。日本プロ野球131人目。ジャイアンツの左腕投手では中尾碩志209勝、高橋一三110勝に次いで三人目。

来年創立80周年を迎える名門チームにしては左の好投手が少ないということか…。長い歴史の中で三人しか達成していない快挙。内海という投手を見直さなければなるまい。

、何はともあれ内海哲也、通算100勝達成おめでとう!


(写真:16日のホークス戦で通算100勝を挙げた内海哲也。2013年3月撮影)



いくら左投手が右投手に比べて少ないとはいえ、長い歴史を誇るジャイアンツで内海で左投手による
100勝が三人目とは意外だ。

ジャイアンツ在籍期間中に通算100勝以上を挙げた投手は内海哲也16人目。勝ち星順に並べてみよう。

別所毅彦 221
中尾碩志 209
堀内恒夫 203
スタルヒン199
藤本英雄 183
斎藤雅樹 180
桑田真澄 173
槙原寛己 159
城之内邦雄141
江川卓  135
大友工  129
西本聖  126
藤田元司 119
上原浩治 112
高橋一三 110
内海哲也 100

(青文字が左投手)

圧倒的に右投手が多い。ジャイアンツの左投手は意外に勝ち数が伸びていない。


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通算
400勝の金田正一はジャイアンツに五年間在籍したがジャイアンツでの勝利数は47勝。

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1977
(昭和52)1978(昭和53)に二年連続15勝を挙げた新浦寿夫は全盛期が短く80勝。高橋尚成は二桁勝利をコンスタントに挙げられず79勝。宮本和知66勝にとどまった。逆にFA移籍で在籍期間が七年と短い工藤公康53勝と健闘している。なお、球団最多セーブタイ(93セーブ)角三男29勝。珍しいところでは「打撃の神様」川上哲治さんが投手として11勝を挙げている。

昨年FA移籍した杉内俊哉「背番号18を背負うことになった時、“ジャイアンツのエースナンバーに左投手のイメージがない”という声が一部のファンから挙がった。
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このデータを見ると、そういう印象を持つファンの気持ちがよくわかる気がする。



左投手最多勝の中尾碩志さんの現役時代を敗戦処理。は知らない。漫画「侍ジャイアンツ」(集英社)に出てきた鬼コーチという印象があるくらいだ。次いで多い高橋一三は敗戦処理。が初めて目の前でサインを書いてもらったプロ野球選手。
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V9時代の左腕エースで堀内恒夫に次ぐ投手陣の№2的位置づけであった。しかし公式戦、日本シリーズでのいわゆる胴上げ投手になる機会は堀内より多かったという。両肩が下がった感じからの投げ方で“えもんかけ”と呼ばれていた。V9最終年の1973(昭和48)の年間23勝は圧巻だたが、この年をピークに成績が急降下。1975(昭和50)にジャイアンツが球団史上初の最下位に終わった年のオフに冨田勝と共にファイターズにトレード。トレードの相手は張本勲だった。

高橋一は現役引退後はファイターズの監督候補にも挙がったが本人が体調に十分な自信がなく断っていたという。引退後に指導者としてジャイアンツに復帰して二軍監督などを歴任した。

内海はこの両先輩に次ぐ球団史上№3として名が残る。しかも来年あたり高橋一三の勝利数を抜き、第2位になる可能性もある。

内海の100勝達成にケチをつけるつもりは毛頭無いが、ジャイアンツは左投手を育成するのが苦手なのだろう…。

FA制度が出来てから川口和久を皮切りに河野博文、工藤公康、前田幸長、野口茂樹、藤井秀悟とFA宣言した左投手に食指を動かしてきた。トレードでも阿波野秀幸、野村貴仁、河本育之、高木康成、須永英輝、阿南徹、青木高広を獲得してきた。

今シーズンに入ってから獲得した青木は高木康の左肩痛が長引きそうだからということでの緊急補強のようだが、ファームから左投手を上げてまかなうという発想はおそらく無いのだろう。

昨年はファームでリリーフで場数を踏んだ辻内崇伸が今年は実戦で投げていない。昨年育成選手から支配下登録された岸敬祐、大立恭平はその後一軍に上がれず。大立は自由契約を志願してホークスに入団した。

山口鉄也高木京介が戦力になっているが、他にいないので特に山口には負荷がかかっているのが実態。川口、阿波野と左投手だった人がコーチをしていても左投手は育ってこない…。


内海は
敦賀気比高校時代に旧ブルーウェーブからドラフト指名を受けたものの入団拒否。祖父の五十雄さんが川上哲治さんや千葉茂さんらと同期のジャイアンツの選手だったこともあってジャイアンツ入りにこだわった。東京ガスを経て2003年のドラフト自由獲得枠でジャイアンツに入団。入団以来背負っている背番号26は祖父五十雄さんが1938年(昭和13年)から二年間付けていた番号で五十雄さんが初代。だがそんな巨人一家の血筋を受けていながら、春季キャンプを視察した金田正一のことを知らず、原辰徳監督から「このお方をご存じか」と聞かれて「金村さん…」と答える大失態をやらかした。余談だが臨時コーチを務めていた広岡達朗はこの話を聞いて激怒。二軍選手の練習を中断させ、球団の歴史、諸先輩の業績を知識として身につける必要性を説教したという。

そんな内海だったが、二年目の2005年にプロ入り初勝利を挙げると、翌2006年には12勝を挙げた。この年から昨年まで七年間で六度の二桁勝利、2011年と2012年にはセ・リーグの最多勝利、2007年には最多奪三振のタイトルを獲得している。

先発ローテーション投手の活躍の目安として挙げられる二桁勝利を六度経験しているが、2009年に9勝止まりだったのが悔やまれる。この世界、れば・たらは禁物だが2009年に二桁勝利を挙げていれば昨年まで七年連続二桁勝利継続となるところだった。

その2009年もシーズン最終戦に先発。勝てば二桁10勝となるところだった。内海は6回2失点の好投で、1点リードの状態でリリーフ陣に託したがリリーフ陣がリードを保てなかったのだ。試合後に現役引退セレモニーを予定されていた城石憲之がこのお方の前で安打を放ち、その後タイムリーで同点のホームを踏んだのだ。
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いわゆる引退への花道として空気を読んだ結果だったのだが、内海はこの試合の前にも
10勝目を前にして足踏みしていたので致し方なかった。

もっともこの2009年は内海にとってはWBCの日本代表に選ばれながら本来の活躍が出来ず代表監督を務める原監督から「ニセ侍」と罵られたことの方がインパクトが大きかったかもしれない。
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そのトラウマは今年の第
3回WBCにも引きずられたか、二大会連続で代表メンバー入りを果たしたものの期間中に調子が上がらず、あのコールド勝ちをしたオランダ戦でも12対0の状況でリリーフして先頭打者に四球を出し、4失点する有様だった。

そうした大舞台でのネガティブな印象があるからか、ジャイアンツファンの間でも内海を「エース」と認める向きは少ないかもしれない。敗戦処理。が野球に興味を持ち始めてからに限っても堀内恒夫、江川卓、斎藤雅樹、上原浩治には「エース」という称号を贈るのに躊躇はないが、上原以降、ジャイアンツに「エース」と呼べる存在はまだ出ていないと思う。変な例えだが、今一つ頼りない四番打者を“四番目の打者”と揶揄することがあるが、投手にそれに相当するフレーズがあれば内海に当てはまりそうだ。拙blogでも内海を「エース」と表現したことはほとんど無いと思う。

おそらくはファンの間でも「エース」というものは絶対的なものであって相対的なものでない。その年代で一番頼りになる投手を「エース」と呼ぶのでなく、ある基準に達したものを「エース」と呼ぶのだろう。原監督は自分が現役時代に背負ってきた「巨人の四番」を聖域と表現したが、ファンにとって「エース」も聖域なのだろう。ジャイアンツファンの多くが内海をジャイアンツ投手陣の中心的存在と認めていながらも、“絶対的”が要求される「エース」とは思っていないのであろう。ただ、その“絶対的”「エース」が存在しないチームでも複数の安定感ある投手を擁していれば優勝出来るのが今のプロ野球なのだろう。

今朝のスポーツ報知に内海の手記が載っているが、それによると今年の初登板を前に原監督が「マエケンとのエース対決だ」と全体ミーティングで初めて「エース」と言ってくれたという。将来的には40代まで現役投手を続け、200勝も達成したいと語っている。

200勝はぜひ達成してほしいが、細く長くではファンは「エース」とは思わないだろう。引き合いに出して申し訳ないが、山本昌には頭が下がるが山本昌が「エース」と呼ばれたのは今中慎二と二枚看板だった時代くらいで、近年なら川上憲伸吉見一起がドラゴンズの「エース」だろう。ファンが求める「エース」像とはそういうものではないか?

昨年内海は日本シリーズでMVPに輝いているが、何年か後にファンに語り継がれるのは日本シリーズでの二勝よりその前のドラゴンズとのクライマックスシリーズでの中三日での熱投だろう。トニ・ブランコに同点本塁打を浴びて交代を告げられたときの無念そうにグラウンドにボールを転がした内海の姿の方がファンには印象に残っているのではないか。

安定した成績を残すが、どこか「エース」と呼ぶほどではない存在。でも優勝するためには欠かせない存在。しかし記録上は球団史で三人目の記録という希少価値も持った存在…。

以前ほど200勝投手が出ない時代、100勝する前に海を渡る投手が出る時代。他球団の指名を断って三年遠回りしたいわく付きの投手が入団十年目で100勝。いろいろな見方があると思う。

後輩の澤村拓一が今一つ伸び悩んでいるように、菅野智之も早晩壁に突き当たるかもしれない。そう考えると、やっぱり内海にジャイアンツの投手陣を引っ張ってもらいたくなる。でも「エース」とはなかなか認められない。

本当は今の時代にピッタリの「エース」なのかもしれない…。

ジャイアンツファンはこれからも内海には時折期待を裏切られるだろう。でも誰もが内海に期待する。ジャイアンツに「エース」が出てくる時、その時にジャイアンツファンは「内海って凄かったな」と振り返るのかもしれない。



注.OB投手の写真は2007年または2012年のOB戦にて撮影した写真を使用。

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