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2012年12月24日 (月)

V9達成から40年…ついに一人もいなくなる!?

01ジャイアンツが空前絶後の9年連続日本一、いわゆるV9を成し遂げたのが1973(昭和48)、来年はV9最後の年からちょうど40年後になる。この間、V9戦士達は前後して現役を退き、何人かはコーチ、監督として各球団で後進の指導に当たってきた。ジャイアンツのV9の象徴、ONこと長嶋茂雄王貞治がジャイアンツの監督の座に君臨したことはもとより、脇を固めた個性派のレギュラー達、次の時代を担おうとしていた準レギュラーの若手達がジャイアンツや他球団で監督、コーチを務めてきた。V9が途切れてから39年間、誰かしらユニフォームを着てきた。

だが最後の一人となった、V9後期に代打要員として頭角を現した淡口憲治がスワローズの二軍打撃コーチを今季限りで退任。十二球団の監督、コーチ人事が完了していることから来季ユニフォームを着る可能性はほぼ無くなった。


V9の七年目、1971(昭和46)にジャイアンツに入団、トレードで行った旧バファローズで1989年に現役を引退後、翌1990年からジャイアンツ、ファイターズ、スワローズでずっとユニフォームを着続けてきた淡口がユニフォームを脱ぐことで、ついにV9経験者が現場から姿を消す。


(写真:V9戦士として最後までユニフォームを着続けた淡口憲治。懐かしいお尻を一振りする打撃フォーム。2007年の巨人対阪神OB戦)

実は

2007年限りで淡口憲治がファイターズの打撃コーチを解任され、37年着続けたユニフォームを脱ぐという事態になった時に拙blogでは20071113日付エントリー V9は遠くなりにけり… で、当時V9戦士としては最後の一人だった淡口がユニフォームを脱ぐことについて述べた。まだその時は2008年の新体制でV9時代の名外野手高田繁がスワローズの監督に就任し、V9時代の名遊撃手黒江透修がライオンズのヘッドコーチに就任。
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Adsc_0196そして高田監督の要請もあって淡口はスワローズの打撃コーチに就任し、ユニフォーム生活が続いていた。黒江は一年で退任、またこの年限りで王貞治ホークス監督がユニフォームを脱いだ。翌
2009年にはV9最後の年に入団してシーズン終盤には一軍マウンドにも上がった小林繁がファイターズの二軍投手コーチに就任。
Adsc_0002小林コーチは翌年の
1月に急逝し、高田は2010年のシーズン途中に成績不振により休養、そのまま退団した。2011年からは淡口がただ一人のV9戦士の生き残りとなった。

そしてその淡口もついにユニフォームを脱ぐ。

○淡口憲治の所属変遷

1971年~1985年 ジャイアンツ外野手
1986年~1989年 旧バファローズ外野手
1990年~1996年 ジャイアンツ一軍打撃コーチ
1997年~1999年 ジャイアンツ二軍打撃コーチ
2000年~2001年 ジャイアンツ二軍打撃兼外野守備コーチ
2002年~2003年 ジャイアンツ二軍監督
2004      ジャイアンツ一軍打撃コーチ
2005年      ジャイアンツ二軍ヘッド兼打撃コーチ
2006年~2007年 ファイターズ一軍打撃コーチ
2008年~2010年 スワローズ一軍打撃コーチ
2011年~2012年 スワローズ二軍打撃コーチ

淡口がジャイアンツを退団したのは2005年のシーズン後だが、この時、V9時代のエースだった堀内恒夫監督が退任。同時に高橋一三二軍監督、関本四十四二軍投手コーチ、河埜和正二軍内野守備走塁コーチが揃ってユニフォームを脱ぎ、ジャイアンツからV9戦士が消えた。以後、ジャイアンツではV9戦士の現場復帰はない。

ちなみに週刊ベースボール12月31日号(ベースボール・マガジン社)の12球団IN&OUTリストによると淡口前コーチの進路は空欄になっている。


なお42年間ユニフォームを着続けるというのはジャイアンツのV9云々を別にしても長い。現役のユニフォーム組で、淡口の上を行くのはカープの内田順三二軍監督ただ一人。
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内田は淡口より一年早い1970(昭和45)にヤクルトアトムズに入団。その後トレードでファイターズ、カープを経て1982年限りで現役を引退するとそのままカープのコーチに就任し、以後、二度にわたりジャイアンツに移籍するも常にユニフォームを着続けている。来季もカープで二軍監督を務め、44年連続となる。


ジャイアンツのV9が途切れた1974年はジャイアンツにとって創立40周年にあたる年だった。ジャイアンツはV9時代以降も他球団よりは優勝回数が多いが、V9時代以降、黄金時代と呼ばれるほどの強さはない。近年ではV9時代以来、セ・リーグではどの球団もなしえなかったリーグ三連覇を2007年から2009年にかけて達成したが、その三年間に日本シリーズで日本一になったのは2009年だけ。そもそもV9以降、二年連続して日本一に輝いたことがない。ジャイアンツのV9が途切れた後の約40年間、二年連続日本一を達成したのはブレーブス、カープ、ライオンズ、スワローズであり、その事が示すように群雄割拠の時代になったと言えよう。

しかしその間、V9戦士達は古巣ジャイアンツに限らず、どこかの球団で後進の指導に当たっていた。多くの球団に何らかの形でV9の遺伝子が引き継がれたのだろう。今でも王はホークスの取締役会長の要職に就いているし、高田繁はベイスターズのゼネラルマネージャー、そして高田に引っ張られてV9時代の二番手捕手、吉田孝司はベイスターズのゼネラルマネージャー補佐兼編成、スカウト部長を務めている。一方、拙blogでは何度か取り上げているが、V9以降のジャイアンツに入団した選手、特に現役生活の最後がジャイアンツだった選手は中畑清、西本聖ら一部の例外を除いてジャイアンツ以外の球団から指導者として声がかからない。
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Adsc_0068V9以降の約
40年でジャイアンツが失ったものは強さだけではないのだろう。

ジャイアンツは今年、やたらに強かった。セ・リーグ優勝、交流戦優勝、クライマックスシリーズ制覇、日本シリーズ制覇、アジアシリーズ制覇と5冠を達成した。白石興二郎オーナーはV9どころかV10を目指すと豪語したそうだ。まぁ大言壮語したくなるくらいの強さだったことは確かだが…。


ジャイアンツが球界の王者だった最初の四十年間と、強いことにこだわったもののそれほどには成果が上がらなかった次の約四十年間。そして王者だった頃の象徴とも言えるV9戦士がその四十年でついにユニフォーム組から姿を消す。それでもまだ、ジャイアンツが他の球団と同じ
12分の1になったと思うファンは(アンチ派を含めても)少ないのではないか。

少なからぬファンがもしも今でもジャイアンツが12分の1の存在ではないと思っているとしたら、それは優勝回数が他球団に比べればいまだに多いというのもあるが、NPBの“ジャイアンツ頼み”の体質に何ら変化がないからではないか?だとすれば、V9戦士がユニフォームを着なくなる新年からでもそうした体質にメスを入れて欲しいものだが。


P.S.
敗戦処理。がジャイアンツのV9を境に前と後と分割するのにはもう一つ理由がある。V9が途切れた1974(昭和49)、敗戦処理。は初めてプロ野球を生観戦した。現在、毎月2日にその1974年からの一年ごとの最も印象に残った生観戦を振り返る【回想】敗戦処理。生観戦録 「生」観戦した野球場 とともに連載しているが、どちらも早晩出尽くすので来年2月開始を目途に1974年以降の日本プロ野球にスポットを当てた企画を準備中。お楽しみに…。

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