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2012年10月 4日 (木)

ファイターズがリーグ優勝を決めた日に移転後初優勝の大功労者MICHEALが現役引退表明

Dsc_0138_2偶然か因縁か、ファイターズがパ・リーグ優勝を決めた2日、ライオンズのMICHEALが現役引退を表明した。MICHEALはファイターズに2005年から2008年の間に在籍し、2006年と2007年のリーグ二連覇にクローザーとして大きく貢献した

MICHEALはファイターズからジャイアンツを経て今季ライオンズに入団したが、来季の構想から外れた。


(写真:セーブを挙げ、ナインとハイタッチするファイターズ時代のMICHEAL2008年4月撮影)

現役引退を表明したMICHEALは会見で「去年、今年と思った活躍ができず、引退することを決めた。06年の日本シリーズで、優勝を決めるマウンドに立てたことが、一番印象に残っています」と語った(10月3日付け日刊スポーツ)。個人的にはMICHEALといえば、ファイターズ時代の2006年のクローザーぶりに尽きる。


ファイターズのリーグ優勝は三年ぶりとはいえ、この7年間の間に4回もしている。二十一世紀になってからのリーグ優勝回数ではジャイアンツの5回に次いでドラゴンズと並ぶ
4回で2位タイ。パ・リーグでは最多である(注.2004年と2005年のレギュラーシーズン勝率1位のホークスは優勝ではない)。個人的には今も夢を見ているのではないかと思う面があるが、どうやら本当のようである。

後楽園球場を本拠地にしていた時代から応援している身としては、あの1981年の優勝以降遠ざかっていた優勝を25年ぶりに達成した2006年の優勝が最も印象深い優勝である。あの時は、前の年まで「生きているウチにもう一度優勝して欲しい」と真面目に思っていて、2005年にはマリーンズが優勝してしまったので“(新球団ゴールデンイーグルスを除く)十一球団で最も長期間優勝から離れているチーム”になり、心底焦った。

その2005年のシーズン後のパ・リーグ東西対抗を静岡草薙球場に観戦に行った。試合後恒例の外野席入場口前の広場での二次会で各球団の応援団のリーダーが順番にステージに上がって選手のヒッティングマーチなどを歌ったりするのだが、日本一に輝いたマリーンズの応援団のリーダーが「本当に昨年までは私の目が黒いうちにロッテが優勝出来ないのではないかと思っていた」と語り、六球団のファンから「おめでとう!」と祝福を受けていた。そのリーダーがパフォーマンスを終え、たまたま敗戦処理。のそばに来たので、「おめでとうございます」と声をかけたら、私の出で立ちからファイターズファンと察して「ウチが日本一になれたのだから、次は日ハムさんですよ!」と返してくれた。私はその時「いや~、いつになる事やら…」と返した。

2005年のファイターズは北海道移転二年目でパ・リーグ5位に沈んだ。しかもこの年は球界再編騒動があってゴールデンイーグルスが新規参入した年だ。誤解を恐れずに言えば、パ・リーグ5位は実質的には最下位も同じだ。移転元年でSHINJOフィーバー等で盛り上がりに盛り上がった2004年とは好対照で、こんなシーズンが続いたら“熱しやすく冷めやすい”と言われる気質の北海道のファンに見放され、札幌ドームに東京ドーム同様に閑古鳥が鳴くのではと心配したほどだ。2006年のシーズン開幕前に自分なりに星勘定をしたら、ファイターズの投手陣に二桁勝利の経験者が金村曉ひとりしか存在しない事に気付き、唖然とした事も覚えている。実際には二年目のダルビッシュ有の頭角、ルーキー八木智哉が即戦力として大車輪の働きを見せるなど、またパ・リーグ二冠王に輝いた小笠原道大ら打撃陣ともかみ合い、トレイ・ヒルマン監督の指揮の下2006年に念願のリーグ優勝を果たすのだが、そんな経緯があったからこの2006年の優勝というのが敗戦処理。には最も思い入れの深い優勝なのである。

してその2006年にクローザーとして君臨したのが二年目のMICHEALだったのである。
Cdsc_micheal01武田久岡島秀樹がセットアッパーを務め、最後は
MICHEALが締めくくるというのがファイターズの勝ちパターンだった。この年のMICHEAL39セーブは今もパ・リーグの年間最多セーブ記録である。ゆったりしたモーションからサイドハンドで投げ込む大きなカーブは左の好打者でもとらえづらかった。

余談だが日本シリーズで対戦する事になったドラゴンズを応援する知人が東京中日スポーツが特集したファイターズ攻略法を敗戦処理。に提示し、3点差以内での登板時のMICHEALの先頭打者被打率が3割を超えているとかで、「先頭打者が出て、モーションが大きいから盗塁を決めて無死二塁にして、バントで一死三塁にすれば得点しやすい」と言ってきた。「うーん」と唸るしかなかったが、実際には日本シリーズではMICHEALは勝ち試合すべての最終回に登板し、いずれの登板でも一人の走者も許さない、三者凡退で試合を終わらせるという神業的な投球をして44年ぶりの日本一に大きく貢献した。

2007年も34セーブを挙げ、クローザーとして君臨してリーグ二連覇に貢献。この年は岡島がFAで大リーグのボストン・レッドソックスに移籍、建山義紀が何をとち狂ったか先発転向を申し出るなどリリーフ陣が手薄になったが金森敬之らの頭角もあり、武田久、MICHEALの必勝リレーは盤石だった。

梨田昌孝が監督に就任した2008年はシーズン途中から武田久が調子を崩し、MICHEALに繋ぐ前に試合を引っ繰り返されるというケースが多発し、3位に終わった。ここでファイターズは武田久でなくMICHEAL放出という大英断を行った。トレードの相手がジャイアンツで、前の年まで不動のレギュラーであった二岡智宏ということあっったが、クローザーMICHEALの放出は衝撃だった。MICHEAL、工藤隆人と二岡智宏、林昌範という2対2のトレード。 あれから四年、今もトレード先のチームにいるのは二岡だけだ。

ジャイアンツに移籍してからのMICHEALは鳴かず飛ばずだった。
Cdsc_micheal0161ファイターズでは
2006年から不動のクローザーだったが、ジャイアンツにはマーク・クルーンがいてMICHEALはセットアッパーに期待された。シーズン開幕二戦目に2点リードの八回に登板して同点に追いつかれる失敗でいきなり躓いたのがたたり、ついにMICHEALらしい本調子には戻らなかった。ちなみにこの年のジャイアンツにはMICHEAL、クルーン、豊田清と通算100セーブ以上挙げている投手が三人揃うという豪華な顔ぶれになった(2010年には小林雅英が加わり四人に…余談だがジャイアンツでは通算100セーブに達した投手はいまだ出ていない)

ジャイアンツファンの知人からはMICHEALには騙された」、「あのトレードは日ハムにはめられた」と散々嫌みを言われた<苦笑>

ジャイアンツには2011年までの三年間在籍して戦力外通告を受け、今季はライオンズでプレー。全盛期のキレは復活しなかったが、9月2日にはファイターズ入団から八年目で初の先発も経験した。この時、敗戦処理。と周囲の一部のファイターズファンはライオンズと優勝争いをしているにもかかわらず、先発MICHEALを応援したものである<>。4イニング1失点で降板したが、ローテーションの谷間を埋めた事で渡辺久信監督は一定の評価をしていたようだ。だが二度の先発登板を加えても今季の一軍マウンドは17試合にとどまり、来季の構想から外れた。

初めに書いたようにファイターズは2006年から四回も優勝している。いろいろな考え方、意見があるだろうが、敗戦処理。にはやはり最初の優勝には思い入れが深い。一回目があって二回目があり、二回目があって三回目があり、四回目があるのだろう。2006年の優勝がMICHEAL一人の力によって成された等と言うつもりはないが、大きく寄与した事には変わりあるまい。

MICHEALには本当に感謝している。ありがとう、お疲れ様、MICHEAL

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