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2012年7月 1日 (日)

稲尾和久さんの背番号24が永久欠番に

Adsc_0063ライオンズ恒例の“ライオンズ・クラシック”今年は西鉄ライオンズ時代の大エース、故稲尾和久さんの生誕75周年に当たる。「ライオンズ・クラシック2012 稲尾和久生誕75周年」を取り上げた。稲尾さんの現役時代の背番号24を永久欠番に制定するとともに今日(1日)は永久欠番メモリアルゲームということでライオンズの選手、監督、コーチ全員が当時のライオンズの背番号24を付ける。今季のライオンズで背番号24の選手はいないが、今日がライオンズの背番号24の見納めになる。

なお、大リーグで行われるジャッキー・ロビンソン・デーのように全チームが一つの背番号を付けるのではなく、あくまでライオンズナインのみ。ファイターズからは陽岱鋼が背番号24のユニフォームでプレーした。


(写真:稲尾和久さんの背番号24を永久欠番に制定する事を宣言する西武ドームのLビジョンの表示)


稲尾和久さんが付けていた背番号24を永久欠番にするという報道が4月に出たとき、これは遅まきながら素晴らしい話だと思った。ただツイッターで“稲尾さんの背番号24は西鉄時代に一度永久欠番になったのに西鉄の身売りによって失効したから今度こそ本当の永久欠番”という呟きを見たので“そんな事実はないと思いますよ”とリツイートしたところ“ウイキペディアに出ていましたよ”と反応があった。確かに当時のウイキペディアの永久欠番の項目では稲尾和久さん、中西太さん、大下弘さんの背番号は一度永久欠番になりながらそれぞれに失効したとなっていてびっくりした。そこで敗戦処理。が当時の資料を調べてまとめたのが5月12日付エントリー 稲尾和久さんは西鉄ライオンズ時代に永久欠番になっていたのか? だが、不思議なことにこのエントリーを公開した直後にウイキペディアの項目が書き改められた。また、週刊ベースボールに“綱島理友の新ユニフォーム物語”を連載中の綱島理友氏も稲尾さんの背番号24が過去に永久欠番になったという説に懐疑的で、同連載でおかしいと主張していた。その綱島氏が今日は永久欠番メモリアルゲームを記念したライオンズ史研究室というトークイベントを西武ドームゲート前特設ステージで行った。西日本新聞社等で約25年間プロ野球担当記者を務め、稲尾さんとも親しかった今西良光氏をゲストに迎えて稲尾和久さんについて語った。Dsc_0033今西氏は、稲尾さんが入団時にはあまり注目を浴びていなかったこと、球団が期待していたのは別の新人で、稲尾さんはコントロールが良かったのでモノにならなくても打撃投手で使えるという程度の評価だったという話や、稲尾さんが練習の手伝いで打撃投手を務めていたときに「この投手使えますよ」と当時の三原脩監督に稲尾さんを強く薦めたのが豊田泰光氏で、稲尾さんの大成に豊田氏の存在が大きかったことなどを挙げた。また、稲尾さんが西鉄時代に永久欠番になった事があるという解釈が一部に流れていることに懐疑的な綱島氏はその件を今西氏に直撃。今西氏は稲尾さんだけでなく、中西さん、大下さんに関してもそうした事実はなく、大選手の番号だっただけに次に付ける選手がなかなか出なかっただけだと明言した。綱島氏は「私も昔の資料を調べたがどこを見てもそんな話は出てこない。マスコミの中にも一部そういう人がいるが、何に載っていたのか。でもやはりその事実はなかったのですね」と語った。もちろん今西氏は今回の永久欠番制定を素晴らしいこと埼玉西武ライオンズ球団に対して素直に感謝の意を表していた。

今西氏は永久欠番に制定されている選手が稲尾さんで14人目であると挙げて、野球殿堂入りしている元選手らが90人を超え、特別表彰を加えると100人を超えていることと比較して永久欠番が如何に凄いことかと力説した。

そして綱島氏は永久欠番制定に関して「日本シリーズの奇跡的な活躍や、年間42勝という偉業を筆頭にした成績だけでなく、後の低迷期にも監督として尽力したことへの評価」であることを強調していた。明言こそ避けたがいわゆる“黒い霧事件”の時期に監督として骨を折って泥をかぶってくれた事なども含まれているということだろう。

また、稲尾さんを語るときに必ず出てくるフレーズに「神様仏様稲尾様」というのがある。生前に稲尾さんは昭和33(1958)の西鉄ライオンズが日本シリーズで三連敗から四連勝した中で自らサヨナラ本塁打を放って勝った試合で言われたのが「神様仏様稲尾様」の発端だと語っていたそうだが、今西氏によると、その年の公式戦で大活躍する稲尾さんにシーズンの終盤に西鉄の応援団の人がそういったのが記事になって広まったと言っていた。当時の人が語ると説得力がある。また綱島氏が今西氏に「稲尾さんの後にも“神様”と呼ばれた人はいますけど、現人神的にあがめられたのは稲尾さんくらいでしょ」と振ると、「そうですね。他にはせいぜい“打撃の神様”の川上哲治さんくらいでしょう」と返した。日本のプロ野球界で“神様”を語るときには川上さんと稲尾さんを他の「○○の神様」や「○○神」と一緒にしてはいけない。


ライオンズ史研究室を終えて西武ドームに入場。ファイターズの打撃練習が終わり、ライオンズの守備練習に。ライオンズナインは練習から全員背番号24のユニフォームを着用。選手だけでなくノッカー(コーチ)も背番号24
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アメリカ大リーグでは黒人で初めて大リーガーになったジャッキー・ロビンソン選手を讃えて毎年415日に全試合で両軍選手が同選手の背番号42のユニフォームでプレーするジャッキー・ロビンソン・デーという日があり、ニュースで見たことがあるが、実際に生で観るとやはり違和感がある。もちろん試合もこのスタイル。スターティングメンバー紹介でライオンズのスタメンが紹介されるときには全選手が「1番セカンド片岡、背番号24」というように紹介されたが試合が始まってからは第一打席で紹介される背番号のアナウンスを省略していた。全員背番号24だからか。

試合前に稲尾和久メモリアルデーのセレモニーが行われた。稲尾さんのかつてのライバルとして、現役当時ライバルチームだった南海ホークスの主砲であった野村克也と、王貞治福岡ソフトバンクホークス会長からのビデオメッセージが流れた。
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Dsc_0052続いて大型ビジョンに稲尾さんの現役時代の勇姿と輝かしい記録の数々が移された後、三本間にライオンズナインが整列し、ライオンズクラシックのエグゼクティブディレクターである豊田泰光氏が開会宣言を行った。

Dsc_0068豊田氏は足がちょっと覚束ない感じながらマイクの前に立つと、既に涙声になっていて「すぐそばに居そうな気がして…」とファンに謝るように話しかけながら開会宣言を行った。稲尾さんが生誕75周年なら豊田氏は77歳。野村克也がビデオメッセージで言及していたようにもっと早くこの日を迎えられなかったのかと思う。この後、稲尾さんのご遺族にライオンズ球団から花束と記念品が贈られ、記念撮影が行われた。
Dsc_0080この写真の背番号24渡辺久信監督。なお稲尾さんの娘さんはこの後、始球式のマウンドにも立った。

試合
はライオンズが菊池雄星、ファイターズがブライアン・ウルフの先発で行われた。稲尾和久さんの功績を讃える特別な試合で、菊池が先発に指名されるとは、やはり次代のエースとして期待大ということだろう。もちろん実際にはローテーションの谷間だからなのだが、別のローテーションの谷間を平野将光野上亮磨でやり繰りしてこの特別な日に菊池の先発を回したというのもあろう。

なお、敗戦処理。や周囲の野球ファン仲間に人気が高い村山太朗審判員がこの特別な試合で二塁塁審を務めたが、責任審判も担当したそうだ。


Dsc_0097菊池は立ち上がりからストレートが走った感じだったが、二回表に中田翔小谷野栄一に二人続けてセンター前に運ばれて無死一、二塁のピンチ。ここで六番の陽岱鋼を迎えた。

Dsc_0151陽が引っ張った打球はバウンドして三塁ベース際に跳び、捕ったエステバン・ヘルマンがそのまま三塁ベースを踏んで5-5-4-3と転送して何と三重殺が完成した。
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Dsc_0155敗戦処理。も三十年以上にわたって生観戦をしているが、生で三重殺を観たのは記憶がない。たぶん初めてであろう。


こういうチャンスを逃すと尾を引くぞという感じだったが、続く三回表、二死から九番の飯山裕志が四球を選び、糸井嘉男が内野安打で出ると、杉谷拳士がレフトスタンドにライナーで突き刺さるような先制スリーラン。
Dsc_0171だが、ファイターズの得点は結果的にこの3点だけだった。

稲葉篤紀、ターメル・スレッジ、金子誠を欠く上に絶好調の二岡智宏も足を痛めてDHでもスタメンで出られない現況。相手先発がサウスポーの菊池なのでマイカ・ホフパワーを外して田中賢介以外(スイッチヒッターを含め)右打者をずらりと並べたオーダーを組んだが、いかんせん威圧感に乏しい。この後も散発的に安打が出るがつながらない。

こんな状況下で今最も頼りになると言えるのが今日の先発のウルフと言うことになるのだろう。
Dsc_0121ウルフは六回まではほぼ完璧な内容だったが、七回に浅村栄斗を四球で歩かせると、先月絶好調だった大崎雄太朗に綺麗に一、二塁間を破られて一死一、二塁のピンチ。ここでライオンズが炭谷銀仁朗の代打に左のクリス・カーターを送ったところでファイターズは宮西尚生にスイッチ。宮西はカーターにレフト前に運ばれて3対1とされるが続く星秀和の代打熊代聖人片岡易之を打ち取って反撃を
1点で食い止めた。

ここで八回からすぱっと増井浩俊につなげればいいのだが、栗山英樹監督は八回裏も宮西を続投。先頭打者が左打者の栗山巧だったということもあるかもしれない。だがその栗山に内野安打を打たれ無死一塁で右打者が三人並ぶクリーンアップを迎えると、増井をマウンドに送った。

Dsc_02676月23日の対ホークス戦では3点リードの八回裏に二つの四球と連打で逆転負けを喫した増井はその後、28日の対ゴールデンイーグルス戦でも同じく3点リードの八回表に登板して先頭打者から二者連続で外野を抜かれる二塁打を打たれ不調ぶりを露呈。翌29日の対ライオンズ戦では同点の八回裏に登板して完全に自滅した。

これだけ悪い結果が続いているセットアッパーをいつも通りにマウンドに上げる栗山監督や吉井理人、厚澤和幸投手コーチはある意味凄いと思う。敗戦処理。が何度か書いている“三年やって一人前”の考え方からすれば、増井はセットアッパー二年目。こういう壁を乗り越えなければ本物ではないと敢えて役割を代えないのかもしれない。大エース、ダルビッシュ有が抜けて完投が見込める投手がいなくなり、勝つためには増井と武田久の投入が必須となって登板過多な面がストレートのキレを悪くして痛打を浴びる原因になっている様に素人目には映っている。今日はストレートが東京ドームの時より走っている感じだったが落ちないフォークボールを狙い打ちされた。
Dsc_0274中島裕之の打球は打った瞬間にわかる当たりだった。3対3の同点。この後も増井は二死一、三塁のピンチを招くが星孝典の代打、上本達之を三振に仕留めて逆転だけは免れた。

九回表を、この回から代わった二番手の長田秀一郎に三者凡退に抑えられたファイターズは時間的に延長十回まではありそうなタイミングにもかかわらず九回裏のマウンドに武田久を送った。
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611日付エントリー ビジターゲームの難しさ、同点でクローザーをいつ使うか? で書いたようにビジターゲームの場合、同点でクローザーを投入するのは勇気が要る。勝つためにはそのイニングだけではなく、次の攻撃で勝ち越しても2イニング投げなければならないからだ。

武田久は先頭の熊代にセーフティバントを決められていきなりサヨナラの走者を出すが、バントで走者を得点圏に進めようとするライオンズに対し、執拗に一塁走者を牽制。レフトスタンドのライオンズファンからブーイングを盛んに浴びたが、一塁走者を釘付けにするとともに片岡のバントを二度ファウルにし、強攻策に切り替えたところで遊ゴロ併殺打に仕留めた。
Dsc_0305しぶといライオンズは栗山が三遊間を破り、ヘルマンは粘ったあげく四球を選んだ。ファイターズとしては一番回してはいけない打者に回してしまったが、中島に対し強気の内角攻めでカウントを稼ぐと最後は空振りの三振に仕留めた。

延長十回、ライオンズは三番手の涌井秀章をマウンドに送った。普通は涌井がマウンドに上がれば、ライオンズファンからは場内アナウンスを待たずに拍手や歓声が起きるが、今日に限っては全員同じ背番号のユニフォームを着ているので歩く姿だけでは誰だかわからない。「長田に代わりましてピッチャー…涌井」とアナウンスがあって初めて場内が沸く。下位打線のファイターズは代打にホフパワーや二岡を送り込むがこの回も三者凡退。裏の守備で3時間30分を超えそうな気配で、実質的にファイターズの勝ちがなくなった。

十回裏、勝ち越し点を入れていたら武田久の続投だったのかもしれないが森内壽春を投入。
Dsc_0351昨日の試合で六回裏に突如崩れた吉川光夫のリリーフでマウンドに上がり勢いを止められずに決勝の満塁本塁打を打たれた森内だが、今日は落ち着いてライオンズ打線を三者凡退に抑え、3対3の引き分けで終わった。ファイターズとしては勝たなければいけない展開であったが、後半は負けなかったのが不思議なくらいの試合内容だった。

Dsc_0354森内はルーキーとしてはここまでは一つずつステップを上げて来たが、昨日は相手が勢いづいていて走者を背負った場面での登板である意味試練だったが、完膚無きまでにやられてしまった。しかし昨日の今日とはとても思えない落ち着いた投球だった。

増井
は登板過多による球威の衰えが痛打を浴びる原因であるならば十日間リフレッシュさせるのも一つの策だろうが、そうでないのなら配置転換は必要かもしれないが投げさせて調子を戻させるしかないのかもしれない。今、増井の役割を代替させるなら宮西だろうが、例えば今日のウルフが招いたピンチに乾真大がつぎ込めるようにならないと今度は宮西が一人で二人分投げなければならなくなり、パンクするのが目に見えている。今日再登録された榊原諒を上手く使ってリリーフ陣の負荷の軽減を図らなければならないだろう。


試合後、ライオンズ・クラシックシアターが上映された。スタンドからの観戦は不可で、鑑賞希望者は全員グラウンドに降りて鑑賞することになった。ダイヤモンド、内野エリアには立ち入れず、外野を開放した形だ。
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敗戦処理。がプロ野球が行われる球場のグラウンドに降りるのは7球場目だ。選手達が生活を賭けて戦っている聖地に素人が足を踏み入れて良いものかといつも思いながらも、せっかくのチャンスだからと今日も降りた。
Dsc_0363まずはチャゲ&飛鳥のCHAGEが中西太さんについて語る映像から始まり、かつてのライオンズや福岡の映像をCHAGE「NとLの野球帽」をバックに流しながら上映する。CHAGEと断りがなければ、長渕剛と勘違いするかもしれない。

その後は試合前に流れた野村克也による「野村克也氏がライバル・稲尾和久を語る」のロングバージョン版上映。
Dsc_0371初対戦はお互いが二軍だった試合だった話から始まり、インタビュアーによる質問(上映では字幕がLビジョンに…)に野村が一つ一つ答えていく感じだ。稲尾さんのシュートがあまりにも切れが良く、その印象が強かったから自分が監督になってから投手達に「シュートを身につけろ」と口を酸っぱくして言い続けたというような話から始まって、何故か捕手次代のささやき戦術が長嶋茂雄王貞治には通用しなかったなどという稲尾さんとはほとんど関係のない話も混じり、延々
20分以上にも及んだ。最後に稲尾さんの現役時代のハイライト映像でも流れるのかと思ったら野村克也独演会の終了を以てライオンズ・クラシックシアターは終了となった<苦笑>


ライオンズは堤義明オーナーが君臨していた時代には、西武以前のライオンズとは一線を画していた。堤オーナーが退陣し、体制が変わってからライオンズ・クラシックがスタートした。堤オーナーは長野五輪開催時に取り沙汰された暗躍ぶりに象徴されるようにある意味スポーツを食い物にしていると揶揄されがちだが、野球はともかくアイスホッケーに対する傾倒ぶりを見る限り、スポーツに対して一定のリスペクトは持っているようだ。そんな堤オーナーだからこそ“八百長行為はスポーツの最大の敵”という感覚が強く、いかにかつての栄光がある球団でもその球団とは一線を画した形で新球団を作っていきたいと考えたようだ。だが敗戦処理。的には(野球に限らないが)良いときも悪いときも含めて歴史と伝統の積み重ねがあって今日がある。個人的には今年は開幕前にジャイアンツの契約金標準額超過問題が発生したことなどもあり、球界のトラブル氏を振り返って再発防止の意思を強固にする意味でもライオンズクラシックのテーマに“黒い霧事件”を選んで欲しかったくらいだ。

だがもちろん稲尾さんの永久欠番制定とあれば話は別だ。惜しむらくは中西太さんの背番号6も同時に永久欠番にして欲しいものだ。あるいは来年に残しているのかもしれないが…因みに今日の試合前のセレモニーに豊田氏以外にも西鉄ライオンズ黄金期のOBが参加していたようだが中西太さんの姿は無かった。


前出の綱島氏がさかんに「ジャッキー・ロビンソン・デーと同じようにライオンズの全員が同じ24番のユニフォームを着る。これは画期的なこと。」と言っていた。その画期的な日にスタンドで観戦出来た敗戦処理。は幸せ者だと思うが、既に書いたように違和感ありありだった。慣れ不慣れの問題だろうが…。
 Cdsc_240244選手交代の時など、誰が誰だかわからない。渡辺監督から交代を告げられた良川昌美球審は場内アナウンス担当者に正確に伝えるのに苦心したことだろう。


試合でファイターズが勝てなかったのは極めて残念だったが、先月23日の福岡遠征観戦でチケット料金で試合の他に鈴木雅之の生歌を3曲聴けたのと同様に野村克也独演会をタダで聴けたと思えばお得感もある。



7月4日追記
ライオンズはこの後、4日に福岡ドームで行われた対ホークス戦でも全員が背番号24の付いた西鉄ライオンズ時代のユニフォームを着用した。そして正式に稲尾和久さんの「背番号24」が正式に永久欠番となった。

 

 

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