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2012年2月 2日 (木)

池山隆寛、もう一つの引退試合【回想】敗戦処理。生観戦録-第29回 2002年(平成14年)編

Dsc_0022 これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が55ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。

1974(昭和49)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。

【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year29回 2002(平成14)

(写真:現在はスワローズで二軍打撃コーチを務める池山隆寛<>。山田哲人<>のトスバッティングの相手をしながら打撃指導。2010年4月撮影)

現在スワローズで二軍打撃コーチを務めている池山隆寛の現役時代はスワローズ一筋で、最初はショートを守っていたが、後に三塁に回る。打撃は豪快なフルスイングを身上とする打撃ながら左右に打ち分け、「ブンブン丸」のあだ名でファンに愛された。

チームの至宝だった若松勉引退後には空き番になっていた背番号1を自ら志願してつけていた時期もあったが、その後デビュー当時の背番号36に戻していた。1990年代のセ・リーグは野村克也監督率いるスワローズと長嶋茂雄監督率いるジャイアンツの互いのライバル意識が強く、注目を浴び、池山も野村監督の提唱するID野球の体現者であったが、野村監督就任以前の関根潤三監督時代からの生き残りとしては最後の選手となっており、もうこの年には三塁のポジションも背番号1も岩村明憲に明け渡していたが、ファンはブンブン丸の復活を待ちわびていた。

 

池山は現役引退を表明し、1017日の本拠地最終戦、神宮球場での対カープ戦に「三番・遊撃」でスタメン出場。途中守備位置こそ負担を考えて一塁に代わったがフル出場。延長十回に回った最後の最後の打席までフルスイングを貫き通し、当日4万5000人のファンの前に最後の勇姿を見せて19年間の選手生活に終止符を打った。

その池山に、この年、もう一試合携わった引退試合があった。

池山と同時期にスワローズで主力投手として活躍した田畑一也がその後旧バファローズを経てこの前年の2001年途中からジャイアンツに所属。期待された一軍二年目だったが、右肩関節を痛め、現役引退を決意していた。田畑はスコアラーとして球団に残ることが決まり、二軍の試合とはいえ古巣のスワローズ戦で引退登板を行うことになった。池山もこの時期、右膝を痛めていてそれが長引き、先が見えない状態だったがかつてのチームメートの最後の舞台に花を添えようと、満身創痍の状態で打席に立つことを決意したのだった。

なお、この試合には8月3日の対カープ戦の守備で左足底部を強打して戦線離脱していた高橋由伸が、一軍復帰前に一試合限定でイースタン・リーグに実戦出場することが発表されていたことで注目を集めていたのだが、同じく左太股裏肉離れで調整中の清原和博も一打席限定で打席に立って田畑のラスト登板に花を添える意向を示し、にわかに大注目の試合となった。ジャイアンツ球場には2030人のファンが詰めかけた。

スワローズ

()橿渕聡

()代田建紀

()衣川幸夫

()畠山和洋

()ツギオ

()福川将和

()本郷宏樹

()牧谷宇佐美

()丹波幹雄

ジャイアンツ

()宮崎一彰

()十川孝富

()福井敬治

()高橋由伸

()原俊介

()後藤孝志

()小田幸平

()佐藤宏志

()堀田一郎

試合は凄まじい乱打戦になった。

先制したのはスワローズ。二回表、四番の畠山和洋!がジャイアンツの先発、佐藤宏志から左中間のフェンスオーバー、ソロ本塁打で先制すると、続くツギオも左中間に放り込む二者連続本塁打で2点を先制した。

さらにスワローズは四回表、ツギオ、福川将和、本郷宏樹が三連続四球で無死満塁。制球難の佐藤はここで降板。ジャイアンツは根市寛貴を投入。ここで牧谷宇佐美がセンター前にポテンヒットでまず1点。一死から橿渕聡がセンターに犠牲フライでもう1点。続く代田建紀がレフト前に運び、この回3点、スワローズが5対0とリードを拡げた。

田畑のためにも負けられないジャイアンツは四回裏に猛反撃。

先頭の福井敬治が三遊間を破って出塁すると、第一打席はただ合わせただけという感じのレフトライナーに倒れた高橋由が四球で出塁。一死後、後藤孝志がセンター前にはじき返してまず1点。二死後、根市の代打、高野忍が四球を選んで満塁とすると九番の堀田一郎がセンターオーバーの満塁本塁打を放ち、一挙に5対5の同点に。

スワローズも負けてはいない。

直後の五回表、この回からマウンドに上がったジャイアンツ三番手の木村龍治を攻める。先頭の衣川幸夫が右中間を破る二塁打でチャンスを作ると、続く畠山のレフト前安打で再び勝ち越し。さらにツギオ、福川の長短打で1点を加え、無死一、三塁。木村は四連打を浴びて一死も奪えずここで降板。二年前の2000年には一軍で54試合に登板してリーグ優勝に貢献、日本シリーズにも登板した木村だったが、前年に続きこの年も精彩を欠いて二軍落ちしていた。

ジャイアンツは左打者の本郷に対して左投げの柏田貴史をつぎこみ、本郷を二塁ゴロ併殺打に仕留めるがその間に三塁走者生還。スワローズはこの回3点を奪って8対5と再びリード。

ジャイアンツはその裏、この回から登板のスワローズの二番手、高橋一正から先頭の福井が三塁線を破る二塁打で無死二塁。続く高橋由はまたも四球。四球を選ぶのも四番打者の仕事の一つには変わりないが、故障明けで回復の度合いを測る意味では四球は物足りない…。ここで五番の原俊介がバントで送って一死二、三塁として後藤が一、二塁間を破り1点を返すが、高橋由が無理に本塁に走らず。この後二死満塁とするが、前の打席で満塁本塁打の堀田が遊ゴロに終わり1点止まり。8対6と2点差にした。

これ以上の追加点を与えたくないジャイアンツはルーキーの林昌範を六回表のマウンドに送る。林は死球と安打で二死一、二塁のピンチをつくるが何とか無失点に切り抜ける。そしてその裏、一死から十川孝富が内野安打で出ると、福井がレフトポール際に本塁打を放ってついに8対8の同点に追いついた。そしてさらにこの後、高橋由がジャストミートしてライトオーバーの勝ち越し本塁打。軽く打った感じの打球が綺麗にライトのフェンスを越えていく。高橋由伸は感触を確かめるかの様にゆっくりベースを一周。首脳陣も復活の感触を得たのか、高橋由はこの回で交代。鈴木尚広と代わった。

最大5点差を逆転し、ジャイアンツとしては後は田畑の出番だけ…といいたいところだがそう単純にはいかない。

1点を追う立場になったスワローズは七回表、すぐに反撃。この回から登板のジャイアンツ六番手、條辺剛を攻めて二死から代打の宮出隆自が四球を選ぶと、橿渕、代田が連続安打ですぐに9対9の同点に追いつく。

條辺はこの前年、入団二年目ながら一軍で46試合に登板して7勝8敗6Sと大車輪の活躍。投壊といわれた先発投手陣を救ったがその反動かこの年は不調、この時期は二軍落ちしていたがこの後、一軍復帰を果たす。

そして9対9で迎えた八回裏、ジャイアンツはスワローズの三番手、七回から登板の丹野祐樹を攻めて一死から原が内野安打で出ると、二死から小田幸平も内野安打で二死一、三塁とし、続く高野がレフト前にはじき返し、9対10、ついにジャイアンツにこの試合初めてリードを奪われた。

八回裏のジャイアンツの攻撃中、三塁側のスワローズベンチの前で池山が軽い素振りを始めた。ここまで田畑の出番はない。九回表に登板とふんでスタンバイといった感じだった。

そして九回表、八番手として田畑がマウンドに上がる。田畑がライトフェンス後方のブルペンから小走りでマウンドに向かうと、スポーツ新聞の報道などで引退登板と知るファンから大きな拍手と歓声が。スワローズも先頭の牧谷に代打池山で応える。

代打池山が場内アナウンスで告げられると、田畑引退登板に花を添えてくれた池山にジャイアンツファンから大拍手が送られた。

田畑の初球、とても速いとは言えないストレートを池山が池山らしいフルスイングで打ち返すが、タイミングが狂いボテボテのピッチャーゴロ。池山は右膝を痛めており、とても一塁まで走れない。足を引きずる様に申し訳程度に一塁方向に向かうが、もちろんボールは田畑から一塁の原に送られてアウト。

しかしスタンドからは、まともに一塁まで走れないほどの状態ながら田畑のために打席に立ってくれた池山の男気に感動して拍手が鳴り止まない。田畑もスタンドのファンと、スワローズベンチに挨拶してマウンドを降りる。スワローズベンチを見ると、全員が立ち上がって田畑に拍手を贈っている。本当にいいシーンだった。

この状況でマウンドに上がったジャイアンツの九番手西山一宇は二死から橿渕に安打を浴びるが、橿渕が二盗を試みて失敗し、ジャイアンツが1点差で逃げ切った。

2002年9月14日・ジャイアンツ球場】

Ys 020 330 100 =9

G  000 513 01× =10

Ys)丹波、高橋、●丹野-福川

G)佐藤、根市、木村、柏田、林、條辺、○鴨志田、田畑、S西山-小田

本塁打)畠山19号ソロ(佐藤・2回)、ツギオ7号ソロ(佐藤・2回)=二者連続、堀田15号満塁(丹波・4回)、大須賀5号ソロ(高橋・6回)高橋由1号ソロ(高橋・6回)=二者連続

ジャイアンツ球場に現在の様にネット裏と一、三塁側の内野席が整備されたのは2005年のシーズンからで、この当時は一、三塁側のスタンドこそ出来ていたもののネット裏はその双方を行き来するための通路となっており、真後ろで観たいファンはそこに自前で椅子を置くなりして観戦していた。位置的に、かつて札幌オリンピックのためのスキーの強化練習などにも使用されたジャンプ台が残っていてネット裏にどうしてもスタンドを作れなかったのだが、それはそれで親子連れのファンが「パパ、あの滑り台みたいなのは何?」「あれはね…」等と会話が弾むという風情があったのだが、2005年のネット裏スタンド作成の際に取り壊されたのだ。したがってこの日の2030人という観客は当時のジャイアンツ球場としては最多の入場者数だったそうだ。もちろんその多くは高橋由観たさや、清原目当て(清原はグラウンドコンディションが今一だったため出場を回避)だったのだろうが、田畑の奥さんと二人の息子さん、さらには故郷の富山から50人以上も後援者が集まった最後の舞台に満身創痍ながら出場して最高の舞台とした池山隆寛という男の男気に感動した。

【参考資料】

2002ファン手帳(ファン手帳社)

12球団全選手カラー百科名鑑2002(日本スポーツ出版社)

スポーツ報知2002年9月14日付け

スポーツ報知20021018日付け

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