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2011年12月 9日 (金)

中畑清が監督になった

01 確実視されていた工藤公康の監督就任が消えた横浜DeNAベイスターズ。結局報道されたとおり、元ジャイアンツの中畑清の監督就任が決定した。高田繁GMとはジャイアンツの先輩後輩で、高田にとって代わって三塁のポジションをつかんだのが中畑だった。しかし、今回の話はジャイアンツでなくベイスターズの話。ベイスターズファンはさぞ困惑しているだろうが…。

(写真:横浜DeNAベイスターズの初代監督に決まった中畑清。200711月撮影)

中畑清さん、横浜DeNAベイスターズ初代監督就任決定おめでとうございます。今から32年前、野球界どころか社会を揺るがした「江川問題」で球団どころかファンまでが暗澹とした気持ちで迎えたシーズンにあなたは彗星のごとく現れ、「絶好調!」というフレーズで我々ジャイアンツファンの心を摑んでくれました。現役時代の長嶋茂雄を彷彿とさせるオーバーアクション、選手としてはとても「長嶋二世」になれないと誰もが気付いていましたが、それでもあの時期に明るく振る舞い、そして攻走守にファンを魅了してくれたあなたのおかげでどれだけ多くのジャイアンツファンが救われたことでしょうか。

あの時、ジャイアンツとジャイアンツファンを救ったのは間違いなく中畑清選手、あなたです。私は、私が野球ファンである限り、あなたへの恩を忘れません。私は当時も今もずっとジャイアンツファンですから、ベイスターズのファンになることはありませんが、中畑清のファンであることに変わりはありません。これから大変な思いをされることの方が多いでしょうが、どうか新生ベイスターズとベイスターズファンのために、尽力して下さい。応援しています。

正直、まさかの展開だった。DeNAが横浜ベイスターズを買収することになるであろうという時期に何人かの監督候補の名前が挙がっていた。たしかにそのなかに中畑の名前もあったが、江川卓と並ぶジャイアンツの万年次期監督候補に他球団から声がかかるとは思わなかった。アテネ五輪が中畑にとっての最後のユニフォームと言うことになると思っていた。

DeNAは球団経営に当たり、チーム作りを専門のGMに委ねる考えで、NPBから正式に承認される以前より、参入成立を前提に高田繁にGMをお願いし、監督の人選を行っていた。高田は2005年から2007年にかけてファイターズでGMを務めていた。高田の手腕ばかりではないが、この間ファイターズは二年連続優勝を果たし、その後もAクラスの常連となっている。高田は日本プロ野球でGMという肩書きが付いた人物では唯一の成功例と言っても過言でなく、DeNAが高田をGMに招聘してチーム作りを任せるとの報道に接した時、「これは本気だな」と思った。

高田繁は現役時代はジャイアンツV9時代の名外野手。後に三塁手に転向した。攻走守の三拍子揃った名選手だった。引退後はファイターズの一軍監督、ジャイアンツの一軍コーチ、二軍監督を歴任。そして2005年から2007年がファイターズのGMで2008年からスワローズの監督に就任。監督として優勝経験はないが、ともに戦力が充実しているとはとても言えないファイターズ、スワローズでそれぞれAクラス入りの経験がある。ファイターズの監督時代には後にミスターファイターズと呼ばれる田中幸雄を抜擢、スワローズでは大器晩成型の畠山和洋を辛抱強く起用し続けた。

ファイターズでは球団が現場とフロントの役割分担を明確化し、大リーグスタイルの運営を模索しているなか、まず大リーグスタイルの運営にふさわしい外国人のトレイ・ヒルマン監督を招聘し、その後で監督を始め現場をコントロールするGMとして高田に白羽の矢が立った。今回はDeNAが球団運営に関しては素人であるとの自覚からGM体制を先に決め、人選をしていた。高田以外に球団OBの山下大輔の名前も挙がったそうだ。山下も高田に負けず劣らず様々な角度から野球に接してきたが、GMとして実績のある高田に落ち着いた模様だ。

その高田が、中畑を監督に指名した。

先述の通り高田と中畑はジャイアンツの先輩後輩。長嶋監督の方針で外野から三塁にコンバートされて一度は輝きを取り戻した高田だったが、年齢的な衰えもあったか、中畑の台頭で控えに追いやられた。長嶋監督は中畑を中心選手と見据え、高田を再び外野にコンバートさせたが、もうかつての輝きはなかった。

高田はファイターズのGM時代にも中畑に監督就任を打診したことがあるというから、中畑の監督としての適性に目をつけたのだろう。中畑は監督は未体験。強いて言えばコーチとしての出場予定だったアテネ五輪の野球日本代表チームで、長嶋監督が病気で離脱した後に監督代行に就任し、五輪本番では監督登録されたくらいだ。

また中畑は、長嶋がジャイアンツの監督に復帰した1993年に打撃コーチに就任したが、わずか二年間で退任した。二年目の1994年にジャイアンツはリーグ優勝、日本一に輝いたが、シーズン途中から打線の停滞が甚だしく、独走に近い状態からあわやドラゴンズに逆転優勝される状態に陥った。中畑は打撃陣低迷の責任を取る形でシーズン後に辞任した。それ以後は日本テレビ系列の解説者生活が続いており、アテネ五輪以外ではユニフォームを着ていない。2004年に堀内恒夫監督のもとジャイアンツが3位に終わると、渡邉恒雄会長、滝鼻卓夫オーナーという当時のツートップから助監督就任を要請されたが固辞した。また昨年の参院選ではたちあがれ日本から立候補したが落選した。街頭演説では「巨人の監督就任の目が無くなったので政界に進出します」と笑いを取っていたという。

高田GMは中畑のどこを見て、監督に適任と思ったのだろうか…?

おそらく現時点では当のベイスターズファンを筆頭に中畑の監督としての適性を疑問視するファンが大半を占めるだろう。当事者であるベイスターズファンでは、そもそも讀賣が嫌いという理由で中畑を拒否する層もいるだろうが、それ以外はおそらく日本テレビ系列での野球解説を見て内容に乏しいと思っているからだろう。

まあしかし、ある層には「解説がわかりやすい」と好評の栗山英樹が別の層からは「監督で絶対に成功しない」と見られている事を併せて考えると、野球解説と監督の適性に相関関係があるかどうかも疑わしい。「中畑が監督になるならファンをやめる」と言い出す人までいるそうだが、ここは腹を決めて中畑ベイスターズを暖かく厳しく応援して欲しいものだ。

ファイターズのファンにだって、ファイターズが東京から北海道に移転する時に「もう日本ハムのファンはやめる」とか言っていたのに2006年に優勝したら、さもずっと応援していたかの様に「東京時代があって今のファイターズがある」等と言っている輩が存在する。ベイスターズファンにはどうか短絡的にならずに新球団を見守って欲しいものだ。

マルハだろうがTBSだろうがDeNAだろうがベイスターズはベイスターズに変わりはない。その意味では新球団の初代候補に佐々木主浩と途中可能の工藤公康くらいしか名が挙がらなかったのが寂しいくらいだ。春田真新オーナーは当初から「OBにはこだわらない」と言っていた。これは「OBでなくてよい」と言っているに等しい。中畑監督と年代が近い斉藤明夫高木豊当たりの名前が出ないのがベイスターズの現状なのだ。

Dsc_0126 高木豊は中畑とはアテネ五輪で一緒にコーチをした間柄と言うこともあって中畑内閣でヘッドコーチ格として入閣すると見られている。監督候補だった工藤がヘッドコーチに達川光男を推した時に高田GMは監督が投手ならヘッドコーチは野手、監督が野手ならヘッドコーチは投手が望ましいとして工藤の案を却下し、それが決裂の一因と言われているが、中畑、高木ラインには異議がない模様だ。

先ほど報道ステーションで中畑の会見を見た。本当に大丈夫かなという気がしないでもないが、途中挿入された現役晩年のVTRを見て思いだした。あの現役最終年の、リーグ優勝を決めた試合での二塁へのヘッドスライディング。今のベイスターズに欠けているものは、ああいう熱いプレイではないのか。そういう意味では数字は残してもそれが繋がりというか、膨らみを持たなかった内川聖一村田修一の離脱を、本来なら大きなマイナスを新しいチームカラーでマイナスでなくすることも不可能ではないと思う。監督は部門コーチとは違い、全体を統括するのが役目と考えれば、中畑はコーチより監督向きかもしれない。少なくともアレックス・ラミレスには尾花高夫前監督よりも中畑監督とのツーショットの方が似合うだろう…。

栗山監督にも当てはまることだが、良い意味で一般的な野球ファンの下馬評を覆してくれれば、野球界が面白くなる。四年連続最下位のチームを変える劇薬になれるだろうか…注目しよう!

 

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