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2011年10月 2日 (日)

ファイターズ、ファーム日本選手権進出記念特別企画!7年前の宮崎は壮絶だった。【回想】敗戦処理。生観戦録-特別編 2004年(平成16年)編

Cdsc01_3 これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が55ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。

1974(昭和49)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。

今回は年代順に行けば2000年(平成12年)ですが、今週8日にサンマリンスタジアム宮崎で行われるファーム日本選手権の出場チームがイースタン・リーグ優勝チーム・ファイターズ、ウエスタン・リーグ・ドラゴンズと決まったため、7年前に同じサンマリンスタジアム宮崎で行われた、同じ顔合わせのファーム日本選手権を振り返ることとします。2000(平成12)編は次回に回します。また、2004(平成16)編も後日エントリーします。

【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year特別編 2004(平成16)

(写真:開会式で整列するドラゴンズとファイターズの選手達)

2004年という年はファイターズにとっては北海道移転元年。一軍も四年ぶりのAクラス進出を果たし、この年導入されたパ・リーグのプレーオフに参戦。レギュラーシーズン2位のライオンズを相手に西武ドームで大奮闘。1勝1敗で迎えた第三戦で、3対5から九回表に木元邦之がライオンズの絶対的守護神、豊田清から同点2ランを放って盛り上げたが、その裏、横山道哉が和田一浩にサヨナラ本塁打を打たれて敗退が決定したのだった。

その六日後、岡本哲司監督の下、2003年に続くリーグ二連覇を果たしたファイターズが、宮崎県のサンマリンスタジアムでウエスタン・リーグの覇者ドラゴンズとの一戦を迎えていたのだ。前年のファーム日本選手権でタイガースに0対3で敗れていたファイターズとしては対戦相手こそ違えど、リベンジを果たしたいところだ。

ドラゴンズはこの年の二シーズン制のウエスタン・リーグの後期を制した。前期を制したのがこの年を最後に事実上消滅してしまうことが濃厚だった大阪近鉄バファローズだったため、年度優勝決定試合では完全アウェイに近い状態のようだったが、126で圧勝した。

なおドラゴンズの二軍監督は、現役時代にホークスで抑えを務めていた佐藤道郎。日本のプロ野球にセーブのタイトルが出来る頃の話。近年、再婚した相手が仲根かすみの母親だったことから、ホークスの和田毅の義父になった

ファイターズ

()西浦克拓

()阿久根鋼吉

()林孝哉

()藤島誠剛

()小谷野栄一

()田中賢介

()飯山裕志

()實松一成

()須永英輝

ドラゴンズ

()仲澤忠厚

()森岡良介

()関川浩一

()森章剛

()筒井壮

()田上秀則

()善村一仁

()中村公治

()朝倉健太

ファイターズの先発、須永英輝はこの年のドラフト2巡目ルーキー。ドラフト会議の時期には熱烈なジャイアンツ志望と言われていたが、ファイターズが2巡目で指名し、獲得に漕ぎつけた。イースタン・リーグで10勝を挙げて、誰もが納得のファーム日本選手権先発だ。

試合が動いたのは二回表、ファイターズ先頭の藤島誠剛が四球で出ると、続く小谷野栄一がセンターの頭上を超える三塁打を放ち、藤島が還り、ファイターズが幸先良く1点先制。なおも無死三塁で、追加点の欲しいファイターズだが、ドラゴンズ先発の朝倉健太の前に田中賢介飯山裕志が連続三振。二死三塁と変わった。

ここで打席には八番でスタメンマスクの實松一成。この年、高橋信二が一軍の正捕手に定着。實松はレギュラーから一転ファームに回っていた。この試合はウエスタン・リーグ優勝チームの主催扱い。ウエスタンの優勝チームがDH制を採用していないドラゴンズだったため、この試合はDHなし。實松の後には先発の須永が打線に入っていた。ドラゴンズベンチは大事を取って實松に敬遠策。

Cdsc01 實松敬遠という貴重な一枚を納めることが出来た。スタンドには鎌ヶ谷の常連さん達の姿もあったが、捕手の田上秀則が立ち上がって朝倉が敬遠の投球を始めると、ファイターズファンから「もったいないぞ~」の声が飛んだ<>

Cdsc01_2 二死一、三塁で左打席に入った須永は初球を三塁側スタンドにライナーのファウルを放った。すると先ほどのファンから「ほら見ろ!」と再びヤジが飛んだ。結局須永はレフトフライに倒れ、この回は1点止まり。

続く三回表には阿久根鋼吉が右中間にソロ本塁打を放ち、2対0とリードを拡げる。

この後ファイターズは五回表には相手失策と野選による無死一、二塁を、六回表には四球二つと相手失策による二死満塁を、ともにもらったチャンスを活かせず2対0のまま。須永も一回裏に森岡良介に二塁打を打たれたのと三回裏に仲澤忠厚に内野安打を打たれたに安打のみでゼロ行進。

七回表、ドラゴンズ二番手の紀藤真琴に対し、先頭の西浦克拓が三遊間を破る。一死から林孝哉、藤島が連続安打で西浦を還し、3対0とする。須永の調子から見て、かなりファイターズにとっては大きな追加点だと思えた。

Cdsc04 須永は八回を終えて依然被安打は2、与四球も1で無失点の投球。完璧と言っても良い内容で、3対0で迎えた最終回のマウンドにも上がった。

先頭の代打、清水清人が遊ゴロに倒れ一死。ファイターズファンと三塁側のファイターズベンチがざわついてきた。続く仲澤が三遊間を破り、チーム三本目の安打。それでも次打者を併殺に仕留めれば試合終了なので、ファイターズベンチは即飛び出すぞ!という選手達が早くも身を乗り出していた。

しかし森岡の代打、酒井忠晴が一、二塁間を破り、一死一、二塁で一発出れば同点というシチュエーションになってしまい、岡本監督が自らマウンドに行って須永に気合いを入れる。

Cdsc01_4 一度ついた勢いは簡単には止められない。関川も一、二塁間を破り1点を返されてなお一死一、二塁という場面でついにファイターズは須永からこの年ファイターズのファームでは最多の6セーブを挙げている関根裕之にスイッチ。

一塁側のスタンドには一軍のドラゴンズ戦を応援している応援団が大挙詰めかけており、今まで静かだったのにこの回になって盛んに「狙いうち」が鳴り響く。そんななか、関根は四番の森に四球を与え、一死満塁。星野仙一の甥っ子、筒井壮がセンター前にはじき返し、二者生還でついに3対3の同点。

ここで田上の代打、土谷鉄平(現鉄平)が右中間を破るサヨナラ二塁打、ファイターズは「あと二人」からまさかの大逆転負け。

Cdsc01_5 岡本監督胴上げの準備までしていたファイターズナインは逆に佐藤監督の胴上げを見ることになった。

Cdsc

200410月9日・サンマリンスタジアム宮崎】

F 011 000 100  =3

D 000 000 004× =4

F)須永●関根-實松

D)朝倉、紀藤、山北、○遠藤-田上

本塁打)阿久根1号ソロ(朝倉・3回)

土谷にサヨナラ打を打たれた関根はこの年限りで現役を引退。打撃投手に転身した。関根の現役引退はこの時点で決まっていたそうで、最後の登板を飾れなかった。上記のスタメンを見ていただいてもわかるように、ファイターズのメンバーには元一軍という選手がけっこうおり、関根の他、三、四番の林、藤島もこの年限りで退団。

余談だが敗戦処理。はこの年の鎌ヶ谷でのファンフェスティバルの日に行われた鎌ヶ谷の常連さん達の打ち上げに参加させていただいたのだが、酔った勢いもあり、関根の現役引退、打撃投手転身という話に触れて「関根は問題ないですね。今までやってきたことと大して変わらない<>などと大声で叫んでいたら、すぐ横に岡本監督本人がいて一気に酔いが醒めた<苦笑>。ファンだけでなく球団関係も御用達にしている仁陣での酒席だったので岡本監督も後から駆けつけてくれていたのだ。この後、敗戦処理。はトイレで再び岡本監督と鉢合わせになったが、岡本監督が大人の対応をして下さって助かった…。

この年を境にファイターズのファームは急速に若返りを図る。翌2005年にはダルビッシュ有が入団してすぐに一軍に行ってしまったが、鵜久森淳志市川卓がルーキーながら積極的に登用された。あれから7年、ようやくファイターズのファームがイースタンを制したのだ。

ドラゴンズの方も、関川、酒井、紀藤と言った元一軍組は余剰戦力と見られ、翌年に新規参入したゴールデンイーグルスに移籍。さらに一年後には土谷も移籍。鉄平の登録名でのその後の活躍は説明不要。

胴上げが一段落し、表彰式に。優勝監督の佐藤監督がまず表彰されるが、何故か一部のファンからブーイングが…。

Cdsc01_6 表彰しているのがこの当時の根来泰周コミッショナーだったからだ<苦笑>。コミッショナーという立場ながらこの年の球団再編騒動に際して「私には権限がない…」としてリーダーシップを取ることなく傍観者に徹したかのイメージがファンの間に浸透していたからだろうが、佐藤監督は気の毒だった。

Cdsc02 もちろん健闘したファイターズの岡本監督も表彰された。

なおドラゴンズはこの後も2007年と2009年にファーム日本選手権に出場し、ともにジャイアンツに勝っていて、出場したファーム日本選手権に関しては四連覇中。逆にファイターズは三連敗中で、最後にファーム日本選手権を制したのは鎌ヶ谷元年の1997年。

ファーム日本選手権がサンマリンスタジアム宮崎で開催されるのはこの年以来、7年ぶり。顔合わせが同じというのも奇遇だ。結果まで同じなんて事にならないよう敗戦処理。も現地応援予定。

【参考資料】

12球団全選手カラー百科名鑑2004(日本スポーツ出版社)

プロ野球イースタン・リーグ観戦ガイド2005(イースタン・リーグ)

2011ベースボール・レコード・ブック(ベースボール・マガジン社)

blog2008年6月2日付エントリー「生」観戦した野球場(45)-サンマリンスタジアム宮崎

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