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2010年5月11日 (火)

日本球界マスコットの第一人者、島野修さん死去。

Dsc_0055 日本プロ野球界におけるマスコットの草分け的存在だった旧ブレーブスのブレービー、島野修さんが亡くなられた。59歳だった。

ジャイアンツのドラフト1位入団投手から、移籍先の旧ブレーブスでマスコット、ブレービーに転身。球団が身売りしてからもネッピーとして1998年まで活躍。その後球団職員としても活動され、2004年に退任された。

昨今の日本プロ野球でのマスコット人気の下地を作ったのは間違いなく島野さん=ブレービー。当時既にアメリカ大リーグでは球団ごとのマスコットキャラクターがファンに浸透していたが、日本プロ野球では初めて。好奇の目で見られたり、ファンの側にも戸惑いがあっただろうが相当な努力で昨今の人気の下地を築いたことと思う。1981年から1998年までのブレービー、ネッピーあらずしてドアラや、つば九郎らに代表される昨今のマスコット人気はなかっただろう。あったとしても形が違っただろう。

明日はマスコット交流が盛んに行われがちな交流戦の初日。球場に登場するマスコット全員が喪章をつけて哀悼の意を表して欲しいくらいだ。

 

謹んでご冥福をお祈りします。

(写真:かつては島野修さんが演じていたネッピー。写真は島野さん退任後の2008年4月撮影)

 

あらゆる事柄に共通すると思うが、新しいブーム、潮流などが定着するにはその礎になる人がいるものだ。そして往々にして、その人自体はあまりスポットライトを浴びず、後になって、振り返って功績を讃えられ、ようやく真っ当な評価を受ける。現在のマスコット達も、そのスタッフを含め並々ならぬ努力をしていると思うが、道を拓いてくれた島野さんのことを忘れてはいけないと思う。そして広い意味では我々ファンも。

島野さんがジャイアンツからドラフト1位で指名された時のエピソードなどは明日のスポーツ紙に載るだろうからここでは割愛させていただく。選手としての島野さんの印象というと、長嶋茂雄監督初年度の1975年の春季ベロビーチキャンプで、たしかドジャース相手だったと思うが大リーグのチームとのオープン戦で好投。完投勝利で一躍脚光を浴びた。残念ながらシーズンで活躍できず、そのシーズン後に当時のブレーブスにトレードされた。現役を辞めて、打撃投手になってその後でブレービーとして活躍したと記憶している。マスコット勇退後、体調を崩しているらしいことも何かの記事で読んだ。

島野さんが下地を作り、そして後に続いたもの達がファンと野球の距離を近くしてくれた。いまやチームによってはファームに独自のマスコットがいる時代。以前にB☆Bが球団HP内の自分のコラムで「マスコットが明日からいなくなっても野球そのものは変わらずに続けられる」という主旨のことを自嘲気味に書いていた。確かにそうだが、ファン心理としてはもはや無くてはならないもの、球場に行けば必ず会える存在という域に達していると思う。

日本プロ野球界として、日本のプロ野球のマスコットの草分けに当たる方にどう報いるのか。これは日本のプロ野球界がファンサービスというものをどのくらい重要に考えているかの試金石かもしれない。単にひとりのOBの訃報というだけでは済まされまい。

 

 

P.S.

今日のオマケ

ブレービーの本拠地、阪急西宮スタジアムも今はない…。

01 (写真:野球場としては使われなくなってからの阪急西宮スタジアム。2002年8月撮影)

 

 

 

筆者注.

島野修さんの活動期間に一部誤りがありましたので訂正しました。

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