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2010年5月 7日 (金)

プロ野球選手である前に、一社会人であることを自覚すること

先月16日の日本経済新聞に掲載されて以来、企業の経営理念や行動指針などを書面にして社員に徹底させる、いわゆる「クレド」をプロ野球界でも取り入れている球団があることで話題になっているようだ。記事ではライオンズとゴールデンイーグルスの事例が挙げられていた。

ライオンズの方はスカウトの不正行為などがあり球団職員の襟を正す狙いもあるようだがゴールデンイーグルスの方は選手の行動基準を定めている(リンク記事を参照されたい)

野村克也前監督自体が選手に対し、身だしなみなどを厳しく指示していたこともあるが、選手を「楽天グループのイメージシンボル」(米田純球団代表)と位置づけて徹底したい意向のようだ。

素晴らしい!

冒頭のタイトルは記事で抜粋されていたゴールデンイーグルスの選手行動基準の一節だ。「プロ野球選手である前に、一社会人であることを自覚すること」-素晴らしい考え方ではないか。そこで敗戦処理。は思った。プロ野球界に慣習として定着している、一般社会ではあり得ない習慣が改められるのかどうか?

プロ野球界に慣習として定着している、一般社会ではあり得ない習慣とは…、

ヒーローインタビューを始め、あらゆるインタビューにおいて、プロ野球選手は身内といえる自軍の先輩を公の場で「○○さん」と、さん付けをする。「阿部さんのサイン通りに投げました。」「金本さんまで回そうと必死で食らいつきました。」…etc

一般社会ではたとえ社長であろうと、自分の所属する会社の人間であれば、「○○が」と公の場で語るのが常識だ。敗戦処理。は四十年近くプロ野球ファンをしているが常識どおりのスピーチを観た(聞いた)記憶がない。おそらくは大学、高校あるいは中学時代から面々と続く体育会的タテ社会の常識をそのまま踏襲しているのだろうが、そのこと自体が非常識であるということを少なくとも自覚しているのかどうか?

個人的にはこの一般社会の常識とはかけ離れた慣習を否定する立場ではないし、とやかく言うつもりはない。だが球団側や球界が本気で「プロ野球選手である前に、一社会人であることを自覚すること」を考えているのであれば、見て見ぬふりでよい訳がない問題だと思う。

そしてもちろん野球界では常識でも一般社会では通用しないことというのは単に目上の人の語り方だけではない。先述のライオンズのスカウトの不正行為(実際はライオンズだけではないかもしれないが)にしても常軌を逸した裏金の額に当時驚いたファンも少なくなかっただろう。そういったウミを出す機会になれば、クレド導入万々歳ではないか。

ところでクレドとは趣を異にするかもしれないが、球界の盟主を自称するジャイアンツにはジャイアンツどころか「プロ野球の父」とあがめられる正力松太郎の遺訓が巨人軍憲章とともにあった。

「あった」と過去形のように書くのはある年を境に球団が発行する公式のメディアガイド-データブックに記載されなくなったからだ。

巨人軍は常に強くあれ

巨人軍は常に紳士たれ

巨人軍はアメリカ野球に追いつけ、そして追い越せ

この大正力の三遺訓が球団発行の公式のデータブックに最後に記載されたのが1996年。翌1997年版には巨人軍憲章ともども記載がない。

では1996年のジャイアンツと1997年のジャイアンツで何が変わったか?

1996年までの正力亨オーナーに代わり、1997年からは渡邊恒雄オーナーが誕生した。既にそれ以前から前面に出て存在感を示していたが正式にオーナーに就任したのは1997年だ。

そのジャイアンツも2004年の球界再編騒動の最中に発覚した栄養費問題で滝鼻卓雄オーナー、清武英利球団代表体制になり、様々な球団内改革が断行された。昨年は節目の75周年を迎えた。そして先頃刊行された読売巨人軍75年史を見ると、カバーの帯にこの三遺訓が創設者の信念として掲げられているし、本文の冒頭の滝鼻オーナーの刊行のことばでも三遺訓が記されているから球団として取り下げたということではないようだ。今年は76周年だが、せっかくだから三遺訓と巨人軍憲章を全面的に前面に押し出してみてはどうだろうか?

【参考】巨人軍憲章

 東京読売巨人軍のわれらは、名誉あるユニフォームを何よりも誇りとする。

-それは、チームの伝統と歴史の神聖な象徴であるからだ。

 東京読売巨人軍のわれらは、最高の肉体的コンディションを保ち、精神の錬磨につとめる。

-それは、フェアプレーおよびスポーツマンシップを通じて、健全なプロ野球の高度の技術を大衆に公開する義務があるからだ。

 東京読売巨人軍のわれらは、日本プロフェッショナル野球協約、セントラル野球連盟およびチームの諸規則をきびしく守る。

-それは、公私にわたる生活と行動を正す道であり、ユニフォームの栄光を汚さぬ良心の鏡であるからだ。

(DATA BOOK 1996 東京読売巨人軍 より)

 

 

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