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2010年1月21日 (木)

「小林さんが亡くなったからといって、申し訳ないという気持ちは一生なくならない」

Photo 小林繁さんの急死以降、あの「江川問題」の張本人と言うことで江川卓の言動が注目されている。タイトルの言葉は急死当日夜の自らがキャスターを務めている番組での発言だが、本当にあの件に関して小林さんに頭を下げなければならないのは江川よりもむしろ、

 

 

(写真:因縁の二人の最後の共演!? 2007年11月、巨人阪神OB戦にて撮影)

ジャイアンツ球団の方であろう。

「江川問題」は江川という投手がどうしてもジャイアンツに入りたいがために強引な手法で強行入団を試みたというより、江川という投手をどうしても欲しいジャイアンツがドラフト制度のルールを曲解して獲得を強行しようとした行為といった方が正確であろう。

たしかに江川は出身高校である作新学院の理事長を務めていた大物代議士船田中に親と共に相談に行ったそうだが、江川の「強い要望」だけではジャイアンツは動かないだろう。V9時代が過ぎ、その象徴たるONの一方が現役を引退して監督になっており、徐々に世代交代がなされていくなか、当時、十数年に一人といわれた怪物投手を獲得することは盟主を自負する球団には不可欠だったのだろう。そこで野球協約の文言上の不備を突いて強行突破を図ろうとしたのだろうが、この行為の主体は江川と言うより球団だろう。

 

もちろん、球団や親、大物政治家など周りの大人がお膳立てしたにせよ、江川自身も大学を卒業する年齢だった訳で責任はあるのだが、江川のせいで小林さんが犠牲になったという見方は違うだろう。本当に小林さんに対して誠意を示さなければならないのは江川よりむしろ読売巨人軍の方ではないのか?

そういえば江川が現役を引退するときにも、あまりにも突然の引退という感じで世間を驚かせてしまったのだがジャイアンツのフロント幹部が「入るときも世間を騒がせたが、辞めるときも人騒がせだった」と他人事のようなコメントを残してマスコミから叩かれたことがあった。基本的に「江川問題」を起こしたと言う自覚は無いのだろう。

もうすぐ、あのトレードから31年になる。ジャイアンツのフロント幹部もかなり代替わりをしているだろう。渡邉恒雄会長は小林さんにトレードを説得する場にいたと自分で述べていたが…。

「江川問題」で懲りたジャイアンツは、制度そのものを変える事を画策し、世論や選手会の権利主張を巻き込んで欲しい選手を獲得しやすい環境をつくった。「空白の一日」はなくなったが逆指名や自由獲得枠でアマチュアの有力選手を獲得できるようになったし、FA制度で他球団から大物選手を獲得しやすくなった。誤解を恐れずに言えば、制度を破る事はしなくなったが制度そのものを変えてしまったのだ。

そして球団ホームページを見る限り、ひとりのOBが亡くなったのに特に触れてもいない。当時の監督だった長嶋茂雄終身名誉監督が「現場の監督として悪いことをしてしまった」と言うコメントを残していたが球団としての声明が出たという話は聞かない。小林さんが所属していたファイターズは春季オープン戦での追悼試合開催を検討しているようだが相手はジャイアンツではなくタイガースが有力だという。

ジャイアンツはせめて今年一年だけでも小林さんが付けていた「背番号19」を欠番にして欲しい。上原浩治がFA移籍して昨年一年間は空いていたが、今年は新人の土本恭平が付けることになっている。しかし今からでも変更できないものか。哀悼と、あのような行為を二度としないというメッセージを兼ねてジャイアンツが出来ることを考えるべきだろう。

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