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2010年1月30日 (土)

忘れ去られる過去もあれば、忘れてはならない過去もある。

お姉さんの現夫なら義兄に当たるからまだしも、別れた元夫の犯罪で名前が出てくるとはこういうのも一種の有名税というのか?つい先日、お父さんを亡くしたばかりの桑田真澄にとってまさにダブルパンチだろう。

本人の元配偶者ならまだしも、お姉さんの元夫の犯罪で名前を出される必然性があるのか、そもそも不思議なのだが父親の火事による急死といい、桑田の周辺にこのところショッキングな出来事が続いている。

父親の突然の急死という事実に立ち向かい、当初の桑田は取材に対し淡々と語り、その後通夜、告別式を経る頃に「(現役を辞めたのだから)これから親孝行をと思っていた」などとようやく感傷的に振り返り始めた感じだった。

桑田が母親に対しては普通の愛情を示すのに父親に関しては多くを語りたがらない時期があったことはかつて桑田を告発した「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」元カドヤスポーツ販売促進課長・中牧昭二著、リム出版刊に書かれていた。

同書は桑田が契約しているスポーツ用品メーカーの担当者に度を超えた接待を求めたり裏金を要求していたことを告発した書物だがその中で若き日の桑田が父親のことを「あいつ」呼ばわりしていて、将来家を建てても、母と姉だけ呼んで父を招くつもりはないということを語っていたことにも触れている。もちろん、その後歳月を経て解決している問題かもしれないが桑田の「これから親孝行をと思っていた」という言い回しに同書の一節を敗戦処理。は思いだした。

あらためて同書を読み返すと、ある意味味わい深い。

ジャイアンツの選手に近づくことで自分のステータスを上げようとした代議士が用品メーカー担当者を介して桑田にアプローチを試みると桑田は「知らない。小物じゃないの。いやだ」とソデにした話などが出ている。ちなみにその代議士は鈴木宗男<>。当時のジャイアンツでは水野雄仁が同郷ということで結婚式の媒酌人を後藤田正晴にやってもらって話題になっていて桑田も政治家を味方に付けて箔を付けようとしていたようだ。

 

一方の鈴木センセイも当時既に大相撲の横綱北勝海信芳の後援会長を務めていたが、地元北海道で人気のあるジャイアンツの選手のバックにつくことでさらに自分の基盤を固めようとしていた。桑田を担当していた中牧昭二はセンセイの足寄高校の後輩。中牧を通じて桑田に近づこうとしたのだが、「キレイなお姉さん」こと水野真紀の後の義父となる大物政治家と比べれば当時は無名。桑田は相手にしなかった。

野球界では「…たら」や「…れば」は禁物だというが、もしもあのとき桑田真澄と鈴木宗男がタッグを組んでいたら、後の桑田のスキャンダルは無かったかもしれないし、鈴木宗男も読売を味方に付けることが出来て後のスキャンダルが無かったかもしれない。

もっとも、桑田のスキャンダルといっても、もはや無かったことになっているのではとすら感じる。それはあたかも、例えば昨年の暮れに昨年一年間の出来事を振り返る趣旨の企画で草彅剛の全裸騒動など存在しなかったかのようにスルーされたのと似ている感じがする。

契約している強みを利用して「ソープランドに連れて行け」だの裏金を要求するだけでも如何なものかと思うが、桑田の疑惑はその後、暴力団の野球賭博に荷担したかもしれない登板日漏洩疑惑問題にエスカレートし1990年にはシーズン開幕から一ヶ月間球団の処分で出場停止となった。しかし今では完全に葬り去られた過去であり、残した実績や野球に取り組む姿勢が評価され、後に続く人たちから目標とされる野球人というイメージが定着した。もちろん桑田自身が改心し、人知れぬ努力を重ねた結果なのだろうが桑田の父親が亡くなった同じ日にこちらも急死した小林繁さんの件では江川卓の「江川問題」が蒸し返されることになったのと対照的だ。

桑田の過去といえば、ドラフト指名時にジャイアンツ以外の球団からの指名を回避するためにカムフラージュに「早稲田大学進学」を表明しながらジャイアンツの単独指名を受けるとまんまと入団した件があったにもかかわらず、いわばダシにした形の早稲田大学の大学院に通うことになってもドラフトの当時のことが特に蒸し返されることはなかった。一度根に持つとしつこい敗戦処理。が当blog2006年8月6日付 何を今さら!-巨人桑田引退後に早大受験へ でツッコミを入れたが<苦笑>、基本的には得な性分だろう。

もっともその小林繁さんまで「江川問題の『悲劇のヒーロー』」という一面とは別の側面を今回の急死に絡んで一部のマスコミから取りざたされた。

江川との交換 トレードを通告されたのが宮崎キャンプに向けて集合しようとした羽田空港だったのは有名な話だが、小林さんは当時、今で言う不倫がばれて奥さんとまずいことになっていてその話し合いの最中のキャンプインだったのだが「江川問題」のせいでゆっくり仲直りの時間を確保することが出来ず、結局離婚する羽目になった。タイガースで「悲劇のヒーロー」として投げていた頃には芸能人と浮き名を残すこともままあり、対スワローズ戦でそのことで野次られると降板後にスワローズベンチまで乗り込んだというエピソードもあった。なにしろひとつ間違えていたら、宇多田ヒカルがこの世に誕生していなかったかもしれなかったのだから<>

世に写真週刊誌なるものがはびこるのがこの少し後。

 

当時のタイガースは野球における内紛も年中行事だったが写真週刊誌の格好のターゲットとなった。小林さんと並ぶ二枚看板的存在だった江本孟紀も噂になった女優が後に海外で出産した子供の父親なのではとのウワサが出たほどだった。主砲掛布雅之は親王塚貴子なる女性との熱愛報道が出て世の中のお父さん達は「その女の人、誰?」とムスコに聞かれて答えに困っていた。扇の要たる正捕手、若菜嘉晴も似たようなもので、年頃の息子を持ったタイガースファンのお父さん達は苦労したことだろう。もっと悲惨だったのは掛布の後を打つ岡田彰布でフォーカスされた(死語<苦笑>)相手がオカマだったことが判明し、格好のギャグとなった。

笑える過去もあれば、笑えない過去もある。

忘れ去られる過去もあれば、忘れてはならない過去もある。

そして過去があって現在がある。言い換えれば過去がなければ現在はない。

中牧による「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」はそのタイトルが示すように桑田に関する暴露本なのだが、よくよく読み続けると、当時の須藤豊二軍監督のたかり癖の方がよほどタチが悪いような気になっていく<苦笑>

その須藤二軍監督は選手生命も危ういといわれた大怪我からの回復がまだ充分とは思えなかった吉村禎章をいわばカンフル剤的に一軍に登用させようとした藤田元司監督と対立し、オフに退団することになる。

しかし捨てる神あれば拾う神ありではないが、その育成能力を買ったホエールズから一軍の監督として招かれる。そして藤田監督は登板日漏洩疑惑による出場停止期間が切れた桑田の再起戦を須藤監督率いるホエールズ戦に決めた。相手がホエールズなら野次られることもなかろうという配慮か、桑田もそれに応え、見事に勝利投手となった。藤田監督も凄いが桑田も凄い。

まさに人生いろいろ

過去を知れば知るほど、その選手への興味が増す…こともある。

野球というスポーツは人生そのものだ。

怒らないで欲しぃ

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