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2010年1月16日 (土)

ジャイアンツ伝説の鬼寮長武宮敏明さん逝く。

01 15日、ジャイアンツOBで元寮長の武宮敏明さんが急性膵炎で亡くなられた。88歳だった。

昨年はV9時代の名二塁手、土井正三さんが亡くなられたが古き良き時代のジャイアンツを陰で支えた功労者がまた一人去っていった。

(写真:現在のジャイアンツ寮 2008年元旦撮影)

武宮寮長の印象というと、失礼ながら漫画「巨人の星」(梶原一騎作、川崎のぼる画、講談社刊)や「侍ジャイアンツ」(梶原一騎作、井上コオ画、集英社刊)に登場する実在する寮長というのが最初で、それから実際のエピソードを知った。1987年のシーズンを最後に退任したというから後楽園球場最後の年だ。

時代背景もあろうが、とにかく怖い、鉄拳制裁も辞さずの徹底した指導で新たに入団してくる新人達に巨人軍魂を叩き込んだそうだ。今でいえば「ジャイアンツ愛」を叩き込んだのだろう。

かつて武宮寮長は寮生活での歴代三悪寮生として堀内恒夫、王貞治、柴田勲の名前を挙げた。ニックネームが「悪太郎」だった堀内や、現役時代に「銀座の四番打者」と揶揄された名うてのプレイボーイの柴田はまだしも、人格者として野球人の鑑のように言われる王の名が入っているのが興味深いが、いずれにしろこの三人ともジャイアンツの黄金時代を支えた、押しも押されぬ名選手となっている。

また、寮長後期のエピソードとしては毎朝、主に新人選手相手に日替わりで寮長室に届いたばかりの読売新聞を届けさせたという。それだけなら寝坊さえしなければ無事に務まるのだが武宮寮長は受け取るやいなや「最近眼が悪くなってきてな、ちょっと読んでくれ」とか言って新人選手に大声で読売新聞に掲載されている社説を読ませるのを日課にしていたという。高校や大学に通っていても野球一筋だった選手達には社説に出てくる難解な漢字を含む長い文章を読むのが苦手な者が多く、読めない漢字をモニョモニョと誤魔化そうとすると「聞こえねぇな」と特徴のある声で一括したという。中には読めない漢字をいかにもそれらしくオリジナルに読んでしまうつわものもいて、得てしてそういう選手ほど早く一軍に上がり、寮から卒業していったという。

ジャイアンツに限らず、最近では各球団とも寮のハード面の強化には力を入れている。だがこれも時代背景からか、武宮寮長的な指導方法はもう採用されない。「愛の鞭」も一つ間違えれば、大相撲の時津風部屋での事件のようになりかねない。それでも近年、例えばファイターズの勇翔寮の菅野光夫寮長が、入団し立てに喫煙問題で処分を受けたダルビッシュ有を野球人として更生させた話が伝えられているが、球児から野球人へ、高校、大学生から社会人への教育上、寮生活の意義は昔も今も変わらないはずだ。

ジャイアンツに話を戻そう。

昨年秋、ジャイアンツ球場の隣に十二球団一の室内練習場が建てられた。もちろん寮内にも選手が自主的に練習に励むための施設が整備されている。大型補強に頼らず自前の選手育成にジャイアンツが今まで以上に力に入れているのは明らかだ。しかしハードへの投資が実って十二球団一の室内練習場が完成して新しいシーズンを迎える時にかつての伝説の鬼寮長の訃報に接することとなった。

ハードは充実しても、魂を誰が継承していくのか…?

もちろん今の樋沢良信寮長以下のスタッフも時代に即した適切な指導でハードに負けじとソフトも充実させているのだろうが、新室内練習場の完成を機に、また伝説の鬼寮長の死を機に選手を、人間を育成するということの難しさを再び考え直す機会にして欲しいものだ。

最後になるが、武宮敏明元寮長のご冥福を謹んでお祈りします。

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