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2009年11月 3日 (火)

ホームアドバンテージ?-東京ドームでの日本シリーズ

Dsc_0004 今日(3)から日本シリーズはジャイアンツの本拠地、東京ドームで三連戦。

 

ファイターズにとっては1988年の東京ドーム開場以来、2003年まで16年間ホームグラウンドとして使用していたかつての本拠地だ。ファイターズはこの16年間には日本シリーズに進出することは出来なかった。

ファイターズが東京ドームを舞台に日本シリーズを戦うのにビジターとしての参戦というのは複雑な思いだが、決勝打を放ったのが、ファイターズが東京ドームを本拠地にしていた時代の主砲、小笠原道大だったというのも感慨深い。

アメリカ合衆国の前の大統領による始球式というど派手な演出から始まった日本シリーズ第三戦はジャイアンツが7対4で制し、対戦成績はジャイアンツの二勝一敗となった。

この試合のヒーローは三回裏には勝ち越しの本塁打を放ち、その後同点とされたあとの五回裏に決勝打となる2点タイムリー二塁打を放った小笠原道大だ。

試合は序盤から両軍ともソロ本塁打合戦。一昨日までの札幌ドームでは考えにくい展開だが、見方によってはこの展開自体、ファイターズはジャイアンツの土俵で闘っていることになり、空中戦では「本家」に勝つのは難しいだろうことはレギュラーシーズンのチーム本塁打数を比較すれば明らかだ。

そして本来であればこの展開から脱却したいはずのファイターズではなく、ジャイアンツが脱却した。合計5本目の本塁打が出た直後の五回裏、ジャイアンツは二死から坂本勇人の四球、松本哲也の安打で一、二塁とすると前の打席で本塁打を放った小笠原が左中間を破る2点タイムリー二塁打を放った。

この打球、東京ドームがどうのというより、セ・リーグのホームゲームと言うことでDH制が使えず、十二球団一の外野陣の一角を切り崩してターメル・スレッジがレフトを守っていてこの打球に追いつけなかった様に思えた。

スレッジの守備は見た目ほどにヘタではないが(たぶんジャイアンツノアレックス・ラミレスより外野守備の能力は上だろう。ただし習慣的にDHが多いスレッジより、常日頃守備についているラミレスの方が適応度は上だろうが)、森本稀哲が守っていればこの2点は防げたであろうことを考えると、ジャイアンツはホームアドバンテージを有効に利用できたと言えなくもない。

空中戦に持ち込み、なおかつDH制不採用による相手の弱点を突く。ジャイアンツがファイターズを凌駕した一戦といえるだろう。

ただこの場面、ファイターズとしては前の打席で小笠原に本塁打を打たれている先発の糸数敬作に代えてサウスポーの林昌範をリリーフに送るという選択肢が考えられたはずなのだが、梨田昌孝監督は動かなかった。普段パ・リーグの取材を頻繁にしているとは思えない日本テレビ解説の江川卓と山本浩二はベンチから吉井理人コーチが出てくるのを見て投手交代と決めつけていたが、吉井コーチが小走りにマウンドに行く時には投手交代ではないというのはファイターズファンなら周知の事実<>

いずれにせよ3対5とされた六回裏には(糸数に打順が回ってきて代打を出したなどでもないのに)林を二番手として投入したのだから、小笠原の場面で「チェンジ」の決断をすべきだったのではないか。

* 始球式が現職大統領だったらスパッと替えていた?

梨田監督の判断ミスとおぼしき点がもう一点。

2点を追う八回表、山口鉄也登板に対して四球、牽制悪送球、失策、四球というジャイアンツ側の自滅で1点を返してなお無死一、二塁の場面で四番の高橋信二。シーズン中であれば、「つなぐ四番」の高橋にバントのサインが出ても不思議でない場面だが、高橋は結局一度もバントのそぶりを見せず普通に強行して二塁ゴロ併殺打に仕留められた。次が左対左になるスレッジであっても走者を進めることを優先に考える采配があって然るべきだと思ったが。山口がシーズン中の山口でないのは明らかだったがそこにつけいることが出来なかった。

 

ジャイアンツファンの中には(あるいはひょっとしたらジャイアンツベンチも)守護神のマーク・クルーンや越智大祐よりも山口に最大の信頼感、というか安心感を持っている者が少なくないはずで、その山口が攻略されようものなら動揺は大きいはずだ。山口攻略に失敗したのはファイターズには痛い事態と言えよう。

八回裏はビハインドが1点ということで三試合連投になる宮西尚生を一死一、二塁から注ぎ込んだが、亀井義行をセンターフライに打ち取って二死一、三塁としてイ・スンヨプに右の代打、谷佳知が起用されると右の江尻慎太郎を投入。この江尻が谷に四球を与えた時点で勝負あったという感じだった。

ファイターズが東京ドームを本拠地にしていた16年間、何度かリーグ優勝に手が届く位置に途中までいた年があったが、優勝は出来なかった。後楽園球場を本拠地にして1981年に今回と同じジャイアンツとの日本シリーズを経験したが、次の日本シリーズ出場は北海道移転後の2006年まで果たせなかったファイターズ。移転後も東京ドームでの主催試合を10試合弱行い続け、敗戦処理。もありがたく足を運んでいるが、今回ビジターとして「東京ドームでの日本シリーズ」が実現したのは個人的には感慨深い。

そしてその最初の試合で先頭に立ってファイターズに立ちはだかったのが小笠原だというのは複雑な心境だ。

札幌ドームでの日本シリーズ第一戦。さすがに集団で小笠原にブーイングを浴びせる光景は見当たらなかったが、凡退すると他の選手に対しては浴びせられないような罵声を浴びせているファンが散在した。もちろん小笠原がFAでファイターズを飛び出してジャイアンツに移籍したことに対するファイターズファンの思いは十人十色だろう。観客として思いを口にする権利は誰にでもあろう。

 

しかし敗戦処理。としては移籍先がもう一つの贔屓チームだったからと言うレベルでなく、小笠原に限らずFA=自分の都合で球団を飛び出していった選手にブーイングをしたりバッシングをする気にはならない。特に小笠原に関していえば、ファイターズが2003年を最後に東京から北海道に移転する際、その東京ドーム本拠地最終戦で上記写真のように東京で応援してきたファンへの最大限のメッセージと思える言葉を残してくれたし、言葉だけでなく、実際にその試合で小笠原は試合後の感謝セレモニーがすべて終了したあとに無人のグラウンドに再び姿を現し、別れを惜しむライトスタンドのファイターズファンにサインボールを投げ続けた。

「この男がいる限り、ファイターズはどこに行ってもファイターズだ」

敗戦処理。は思いを強くした。

余談だがジャイアンツ移籍後の小笠原は古巣ファイターズ戦での相性が良くなかった。

小笠原道大の対ファイターズ交流戦成績

2007年 4試合16打数4安打0本塁打1打点 打率.250

2008年 4試合10打数2安打0本塁打0打点 打率.200

2009年 4試合13打数5安打0本塁打3打点 打率.385

三年計 12試合39打数11安打0本塁打4打点 打率.282

◆小笠原道大のオールスターゲームでのファイターズ投手との対戦

2007年第一戦

対ダルビッシュ 二ゴロ

対武田久 三振

2009年第一戦

対ダルビッシュ 中前安

対武田久 二ゴロ

移籍三年目にしてようやく過去と訣別できたのか、古巣ファイターズ相手に結果を残すようになってきた。今日の糸数から放った本塁打は対ジャイアンツ戦の初本塁打に当たる。それゆえにヒーローインタビューでの最初の一言、

 

「やっと打てました!」

 

は小笠原の本音だろう。「やっと」は日本シリーズで、という意味だけでなく、古巣ファイターズを相手にという意味であろう。

ファイターズとしては日本シリーズを戦う上で最も打たれてはいけない打者に打たれたのかもしれない。まだジャイアンツが星を一つリードしただけだが、ひょっとしたら後で振り返って大きな一戦になる試合かもしれない。

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