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2009年1月 5日 (月)

0は背番号には適さない数字か?

Photo 昨年1229日の日刊スポーツによると、ファイターズ球団は選手の背番号として今後0番を使わないようにする方針を検討しているという。確かに昨年2008年では十二球団のなかでファイターズだけ「背番号0」の選手がいなかった。球団幹部によると「選手が背中に着けるものとして、ゼロはどうかなという疑問がずっとあった」とのことで、通常は1番から始まる社会通念上の番号という定義では違和感があるというのだ。言われてみればカープの長島清幸が1983年に初めて背番号0を着けた時には衝撃で賛否両論だった様に記憶しているが今さら…。

 

(写真:ファイターズの歴代「背番号0」では最長の8年プラスαにわたり背番号0だった古城茂幸。2006年3月撮影)

 

 

 

ファイターズでは過去に大畑徹、松浦宏明、長冨浩志、古城茂幸の四選手が背番号0をつけている。なかでも松浦は背番号59を0に代えた1988年にパ・リーグの最多勝を獲得している。冒頭の画像は2006年3月に撮影したものだが、同じ月に古城はジャイアンツにトレードされており、以後ファイターズには背番号0を着けた選手はいない。

敗戦処理。は今年はジャイアンツから移籍してきた二岡智宏に背番号0を与えるのではと予想していた。ジャイアンツでは入団一年目から背番号7を着けていたが、ファイターズの背番号7は坪井智哉。他に一桁や若い番号で空きが少なく、十番台で空きが出るが投手向きの番号ばかり。「ゼロからの再スタート」を強調する意味でも背番号0でアピールという図式を勝手に考えていた。まさか背番号9,800という訳にはいかないだろうし。

結局二岡は23番を着けることになった。2と3に分けて2と3を足すと五反田の5というのは悪い冗談として、23は尾崎匡哉が着けていた番号。尾崎は二岡らとの交換トレードで退団する工藤隆人がつけていた53を着けることになりいわば降格だ。

個人的には背番号0はありだが、00は如何なものかというのがある。0は数字だが00は数字では無いと思うのだがどうだろうか?

こちらも昨年でいえば十二球団中、十球団に背番号00が存在し、もはや違和感が無く定着していると言えようが、敢えて異議を唱えるなら0ではなく00の方だろう。こちらはファイターズでは1993年に二村忠美が、また1997年に秋村謙宏がそれぞれ一年だけ着けた後、カルロス・ミラバル2000年から2005年までの在籍六年間ずっと着けていた。

0を番号として認めて選手に着けさせるか、着けさせないか。どうでもいい様な話題に思えるかもしれないが、子供の頃、長嶋茂雄の3に憧れ、銭湯ではまず3の下駄箱が空いているか確認していた敗戦処理。は今でもたまにコイン・ロッカーを使用する時には番号にこだわる。背番号は選手の顔。球団も選手もこだわりを持って欲しい。単なる番号ではないのだから。

その点ではファイターズは「浜松のイチロー」の異名をとった小田智之に背番号51を与え、大豊泰昭を彷彿とさせる一本足打法の佐藤吉宏に背番号55を与え、社会人のJR東日本の先輩に当たる赤星憲広タイプを目指す工藤隆人に背番号53を与え、打力に課題があり、スタメンでマスクをかぶるといつも4の0だった實松一成に背番号40を与えた、背番号にこだわりのあるチームのはず。いつか背番号0が似合いそうな選手が出てきたら、0を復活させて欲しいように思う。

 

それに永久欠番などという表現を用いるのなら、大沢啓二監督以降、誰も着けていない背番号86をはっきりさせる方が先だろうから。

P.S.

本日のオマケ

ファイターズの選手、コーチ、監督を背番号順に並べた一覧表です。

「Fnumberlist2008-2009.xls」をダウンロード

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