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2007年5月

2007年5月30日 (水)

裏金問題-ライオンズの処分とベイスターズの処分

プロ野球シーズンもとっくに始まって、交流戦も始まったというのに、実はまだ正式な処分が下されていなかったと言うことを思い出すと不愉快になってしまいそうですが<苦笑>29日、根来泰周コミッショナー代行は一連のドラフト裏金問題でライオンズ球団とベイスターズ球団に対する処分を発表しました。

第三者とはいえ、当事者(ライオンズ)が選んだ人物による調査のみでコミッショナー事務局、機構としての調査をしないというのもとんでもない話だと思っていたが、その調査の報告を受けてからでも相当の期間が過ぎている。時間をかけた割には処分が……と思ったのは敗戦処理。だけでしょうか?

●ライオンズ球団

今秋の高校生ドラフト会議の上位2選手について指名権をはく奪し、制裁金3000万円の処分を科した。

甘すぎます! 加えて「クライマックスシリーズ出場権剥奪」も付与されるのが妥当だと、ファイターズファンの敗戦処理。は思うのですが<>

それでも交流戦で優勝すれば5000万円の賞金が入って来ますし(制裁金をチャラに出来る!)、その交流戦を含めた公式戦で最高の勝率を残せば(クライマックスシリーズには出場できなくとも)今年のパ・リーグ優勝チームとして記録されますから、悪くないかも<>

●ベイスターズ球団

契約金として那須野巧投手に最高標準額(1億円プラス出来高払い5000万円)を大幅に超過する5億3000万円を支払った件に対し、厳重注意処分を下した。なお、球団ではこれを受けて同日付で佐々木邦昭社長を減俸20%(3か月)とし、山中正竹専務を常務に降格するなどの処分を発表。

これは那須野の今シーズンまでの働きを査定して、あまりにも払いすぎであると、根来コミッショナー代行が判断したため、処分となった<>。上記のように社長の減俸、専務の降格といった処分の他、担当スカウトであった中塚政幸スカウトと河本明総務部長には「見る眼の無さ」の責任を追及し、それぞれ減俸10%(1か月)の処分、荒井信久スカウト部長はスカウト部専任部長に降格となった。森大輔、那須野と二年続けて自由獲得枠の投手が前評判ほどの働きをしていないので、それぞれ対象者は反論もなく、処分を受ける模様。

また多村仁を放出したことの責任問題も浮上しているが、スカウト問題とは関係ないので処分の対象にはならなかったという。

「人の噂も七十五日」という諺がありますが、野球ファンの怒りのほとぼりが冷めるのを待っておざなりの処分になったとしか思えませんね。何か書こうと思いましたが、こんな笑えないブラックジョークしか思い浮かびませんでした。こうなったら、せめて白鵬の八百長疑惑だけでも全貌解明して下さい<>

2007年5月28日 (月)

ジャイアンツの新外国人GGも登板-イースタンチャレンジマッチ観戦記第三弾

01_27 またまたイースタン・リーグチャレンジマッチを生観戦してきました。といっても今回はジャイアンツの新外国人、GGが登板するというのでそちらが目当てだったのですが。

ジャイアンツが緊急獲得したジェレミー・ゴンザレス投手こと、登録名GG。なんでも登録名をゴンザレスにすると、今年の開幕戦で決勝本塁打を放った二塁を守るルイス・ゴンザレス(登録名ゴンザレス)とかぶるし、ファースト・ネームのジェレミーだとジェレミー・パウエル(登録名パウエル)とかぶっていずれにしても紛らわしいので球団史上初のイニシャル登録になったそうだが、普通「GG」と言ったらライオンズのG..佐藤を思い浮かべるのが一般的。何ともセンスのないネーミングで、この時点で期待感が半減してしまうのだが<苦笑>、一応贔屓球団の新外国人選手が敗戦処理。にとって地元といっても過言でないジャイアンツ球場でテスト登板するというので観に行きました。

ドラゴンズのサンティアゴ・ラミレスとエンリケ・ラミレスをS・ラミレスとE・ラミレスと表記しているようにG・ゴンザレスとL・ゴンザレスと表記すれば一番スッキリすると思うのだが。

見た感じはずんぐりむっくりの体型。マリーンズのベニー・アグバヤニは初めてお立ち台に上ったときに「これで自分が日本にスモー・レスリングをやりに来たのではないとわかっただろう」とアメリカンジョークを披露したらしいが、このGGもそんなタイプか。

因みに試合前にまず先発バッテリーが発表されるのだが、バッテリーのみがスコアボードに表示されている間はこんな感じだった。

P  GG

C  加藤

これを観てまばらなスタンドから「巨人には『GG加藤』なんてのがいるのか?」という声が挙がっていた(筆者注.ネタではない。マジにそう言っている人がいた)。

投げ方はドラゴンズの山本昌を右投げにしたような背中を丸めたフォームからダイナミックに投げ込むのだがストレートは140km台前半。ただ変化球系の球を含め、低めに集めていたのはさすが。

登板前日のスポーツニッポンによると2イニング限定となっていたが、その通り2イニング、28球(投球数は敗戦処理。による集計)を投げた。イースタン・リーグ各球団の寄せ集めであるフューチャーズ相手の内容でどう評価するのかという大前提があるが、各打者いずれも振り遅れるか、打ち負けており対戦した打者が一人も引っ張れなかったから、やはり格違いだったのか?

ただし欠点も露呈。

セットポジションで静止しないボークを三度も取られた。

一回表。フューチャーズ先頭の隠善智也()に二遊間をゴロで破られる安打を放たれ無死一塁。次打者寺内崇幸()の1-1からの三球目がセットポジションで静止せずボークを取られた。寺内はこの時送りバントの構えをしており、GGは投げたらすぐに守備隊形に入ろうとして焦ったのかな、と敗戦処理。もこの時点では思っていた。GG本人もマウンドで納得したようなポーズだった。しかしあらためて投じた次の球で、またボークを取られた。今度は敗戦処理。にも見抜けるほど、静止の素振りもなく完全なボーク<>これで無死三塁。それでもこのピンチを浅いセンターフライと二者連続三振で切り抜けたのは流石だった。特に三番の定岡卓摩()から5球全てストレートで三振を奪ったのはこの日のGGのハイライトだったかもしれない。

二回表。先頭の小山桂司()に一、二塁間を破られ無死一塁。続く黒羽根利規(SS)三振で一死から作田啓一()の打席でまたセットポジションで静止せず三度目のボーク。これもまた一目瞭然だった<苦笑>。作田も三振で二死となったが、続く芦沢明()にこの試合初めて安打らしい安打をライト前に運ばれて1失点。続く梶谷隆幸(SS)を投ゴロに打ち取ってお役ご免。

被安打3といっても完全な安打はタイムリーとなった芦沢の一本だけ。あとの2本は動きの良い野手なら取れた不運な安打だった。また3安打のうち2安打がチームメートだったのは世渡り上手なのか、それともジャイアンツの育成選手のラベルが高いのか<>

一方でフューチャーズの先発は内山雄介()。既に小山の名前が出ているのでお気付きかもしれないが、これまで過去二度の敗戦処理。のフューチャーズ観戦時には選手を派遣していなかったファイターズからの派遣選手だ。

ファイターズがフューチャーズに選手を派遣しないのは敗戦処理。の推測ではファイターズには支配下選手が62人しかいなく、十二球団最少だから。とても余裕がないのだろう。しかしファイターズのファームもフューチャーズ戦を4試合組んでおり、その恩恵を受けているので今回の派遣になったのか。ちなみに内山はイースタンの公式戦にはまだ一度しか出場しておらず、まさにフューチャーズ向きの選手。敗戦処理。は三月のイースタン教育リーグで内山登板を生観戦したがこの時はスタンドから観ていても緊張しているのがわかるほど仕草がぎこちなく、案の定何でもない投ゴロの処理で一塁に悪送球するタイムリーエラーをしでかした。後日ファーム選手の交流会でその試合で撮影した写真にサインを頼んだら、やはりその試合は緊張しすぎだったことを語っていたくらいだった。

内山は同僚の小山とのバッテリーでジャイアンツ打線を3イニング被安打1に抑え、無失点で投げきった。この好投を次の機会に活かして欲しい。

01_28 なお、チャレンジマッチでは控え選手が少ないからボールボーイ、バットボーイを地元の少年野球の子供が代役しているのは前回述べたが、控え捕手が少ないためイニング間のフューチャーズ投手の投球練習の捕手をジャイアンツの控え捕手が務めるシーンが目に付いた。審判二人制と合わせ、チャレンジマッチならではのおおらかなシーンといえよう。ただこの日のボールボーイ、バットボーイはスタッフに催促されないと「仕事」をしない場面が多く、昨年までジャイアンツの外野手だった堀田一郎(ジャイアンツ育成部門スタッフ)に何度か注意されていた。たぶん悪いのは子供の方ではなく、事前に指示をしなかった大人の方だろう<苦笑>

試合に戻ろう。GGが「微妙」だっただけに二番手の深沢和帆が魅せた四回表の三者連続三振は圧巻だった。育成選手出身の山口鉄也が一軍で初勝利を挙げて話題になったが、その山口が二軍落ちしている今、左投手という希少性を考えれば一軍に近い存在と言えよう。本来なら前田幸長の復帰が待たれるところだが、イースタンで好投しても上からお呼びがかからないということは一軍は若手の台頭を待っているのかもしれない。深田拓也が好投しても、一軍にごまんといる左の先発要員と言うことを考えると、山口と深沢が最も近い存在と思える。前田という格好の見本から出来るだけ吸収したいところだ。

引き続き試合を追っていこう。

ジャイアンツはGGが失った1点を追う四回裏、フューチャーズ二番手の末永仁志()を攻めて一死満塁から円谷英俊が右中間を破る走者一掃の三塁打で3対1と逆転。

この後フューチャーズが五回表にジャイアンツのショート岩館学のタイムリーエラーで1点を返し、七回表には隠善のタイムリーで同点とする。

この後、3対3の同点で迎えた八回裏にジャイアンツが一死一、三塁から坂本勇人の投ゴロの間に勝ち越し。しかも山田裕司(Ys)がバックホームをいったん躊躇してからバックホームしたため野選となり、その後牽制球での挟殺プレーなどがあって二死一、三塁になってから田中大二郎のライト線のタイムリーで1点を加え5対3とした。

GGの後を深沢、木村正太、加登脇卓真とつないだジャイアンツが九回表にはファームでの抑え役深町亮介を投入して5対3で逃げ切った。

26日・ジャイアンツ球場】
FT 010 010 100 =3
G  000 300 020 =5
FT
)内山(F)、末永(M)、稲嶺(SS)山田裕(Ys)、朱(Go)-小山(F)、黒羽根(SS)、銀次(GE)
G)GG、深沢、木村正、加登脇、S深町-加藤、伊集院、佐藤
本塁打)両軍ともなし

 九回裏は特別ルールにより実施。

スポーツ報知ではGGのテスト登板を上々と評価しているような記事でしたが、素人の敗戦処理。が観た印象は上の通りです。敗戦処理。はしょせんは素人ですが、それでもGGの二度目と三度目のボークは見抜けました。この投手に、シーズン途中からの入団なのに5000万円(推定)も払うのは、それだけの価値があるからなのでしょう。原監督が期待するようにパウエルの復帰も早まることでしょう。

信じるか信じないかはあなた次第です。

2007年5月23日 (水)

小笠原道大にブーイングするファイターズファンの矛盾

22日から始まったセ・パ交流戦。ファイターズの最初の対戦相手は小笠原道大のいるジャイアンツで場所は札幌ドーム。予想出来たこととはいえ、小笠原は打席の度に大きなブーイングを浴びている。これは「応援」というより「お約束」の「パフォーマンス」なのだということはわかりつつも、敗戦処理。は辟易している。敗戦処理。がファイターズとジャイアンツ双方を応援しているからということもあるだろうが、根本的にこの種の「お約束」は嫌いである。

どうしてこういう「パフォーマンス」が定着してしまったのでしょうね。FA(自分の意思)で球団から出ていった選手は罵倒し、トレード、戦力外通告(球団の都合)で球団を出た選手には拍手を送る。感情としてはわからないこともないが、「応援」に名を借りた群集心理で、周り、あるいは他球団の応援団がやっているから「お約束」としてやらずにいられない。何だかなぁと正直思う。

特に昨シーズンのジャイアンツとマリーンズの対戦において「マリサポ」と呼ばれる、外野席に陣取る応援団は露骨だった。イ・スンヨプにはオーダー発表の時点から打席の度にブーイング。小坂誠には拍手と、一貫していた。あれだけのブーイングを浴びながらも、マリーンズ投手陣を打ちまくったイ・スンヨプには「さすがプロ」と唸らされた。昨年のイはこのカード6試合で4本の本塁打を浴びせた(実質的には小関竜也のベース文忘れの一発があるから5本塁打)。敗戦処理。は昨年、東京ドームでのジャイアンツ対マリーンズ戦を三塁側内野席で一試合観戦したが、ブーイングしてもイに打たれる味方の投手に「俺たちに恥をかかせるな!」とヤジっているマリサポもいたほどだ。

そう。彼らもわかってはいるのだ。ただ、「お約束」だからイ・スンヨプが出てきたらブーイングをしているのだ。群集心理というか、パブロフの犬というか…。

閑話休題。このエントリーはマリーンズの応援団を非難することを目的としているのではないので、本筋に戻ろう。

FA制度の恩恵を最も受けているのがジャイアンツだということは野球ファンなら誰でもわかっていることで、自分のチームからそのジャイアンツにFAで移籍してしまったら、そりゃあ腹が立つというのもわかる。愚痴の一つもいいたくなるのもわかる。しかしたしかに、カープ球団のように「FA制度による補強をしない」ことを明言している球団で川口和久、江藤智、金本知憲と次々とFAで主力選手に出て行かれているチームのファンであれば、その理不尽さを、パフォーマンスで憂さ晴らししたいというのも理解出来ないことはない。しかしファイターズに限っていえば、たしかに「まさか、サムライ小笠原に限って」というのはあるにせよ、ファイターズ球団としてもスワローズでFA宣言した稲葉篤紀を獲得しているのだし、SHINJOだってFAでタイガース球団を出て大リーグに行ったからこそファイターズの一員になったのだ。稲葉とSHINJOの補強なくして、北海道移転三年目の栄光があったか、想像すればわかることだ。それは仮に、稲葉とSHINJOがいない代わりに片岡篤史がファイターズに残っていたとしても、あの栄光があったかどうか疑問である。いや、そもそも「れば・たら」で話しても始まらない。要するにファイターズもFA制の恩恵を受けているのである。

ちょっと飛躍しすぎかもしれないが、FA権を行使してファイターズを飛び出した小笠原にブーイングを浴びせる人達に稲葉の打席で稲葉ジャンプ(イナバイブ)をする資格は無いと言ってもいいと思う。札幌ドームで中継するテレビカメラが激しく上下動するほどの応援を背に活躍する稲葉の姿をスワローズのファンがどういう思いで観ているか、一度でも考えたことがあるのであれば、小笠原にブーイングを浴びせておいて稲葉に大声援を送るのは完全なダブルスタンダードである。「来るものは拒まず、去る者は追わず」ならわかるが「来るものは拒まず、去る者は罵倒する」では論理矛盾も甚だしい。それでも「俺は小笠原を絶対に許さない」という鉄の意思の持ち主で、それに基づいてブーイングを浴びせているのなら、それはそれで一つの見識と言えなくもないが、単に周りで他の人もやっているからとか、他の球団がやっているのを観て真似してやろうと思ったというのなら、それは烏合の衆に過ぎない、群集心理だと言うことに目覚めて欲しいものだ。

* もっとも応援パフォーマンスとはそもそもそういうものだと言われれば返す言葉がないが…。

昨日と、今日、札幌ドームで小笠原にブーイングを浴びせていたファイターズファンは知らないかもしれないが、FA宣言をしてファイターズに出ていった稲葉が初めてスワローズの本拠地に帰ってきた2005年のスワローズ対ファイターズの交流戦の初戦では、神宮球場のライトスタンドに陣取るスワローズ応援団は稲葉の第一打席にスワローズ時代のヒッティングマーチを演奏して稲葉を迎えた。そう、あの杉浦亨のヒッティングマーチを引き継いだあの曲だ。稲葉はスワローズファンの声援に応え<>、その打席でライトスタンドにライナーで本塁打を叩き込んだのだが、攻撃が終わって守備につく時、レフトスタンドのファイターズファンに負けないボルテージでライトスタンドのスワローズ応援団からも「稲葉コール」が起きたのだ。オープン戦ではない。稲葉の引退試合でもない、真剣勝負の交流戦での出来事である。スワローズ応援団、スワローズファンのこの潔さ、懐の深さは特筆に値する。

外野席での今の応援パフォーマンスの主流は「十二球団一の応援団」と評されることの多いマリーンズの応援団のスタイルを各球団がリスペクトを込めて一部転用してどこも似たり寄ったりになっているといって過言ではないだろう。マリーンズスタイルの源流はボビー・バレンタイン監督を初めて迎えた1995年にアメリカ大リーグから来た監督が率いる球団にふさわしい応援スタイルを模索したのが始まりだと言われている。フェアプレイ精神も取り入れ、たとえ自軍のチャンスをつぶされても、相手選手の身体を張ったファインプレイには惜しみない拍手を送るあたりが特に評価され、いつしか「十二球団一の…」と評されるようになった。もちろんトランペットなどの鳴り物に必要以上に頼らずとも肉声だけで相手ファンを圧倒するというのも凄いのだが。

ただし相手選手のファインプレイに拍手するかどうかは、自分だけが拍手したらばつが悪いから周りを見ながら拍手している人も多いし、相手投手が一回牽制球を投げるごとにブーイングをするのは不自然だとは思っていてもそれが「お約束」だからやっている。もちろんこれはマリーンズファンに限ったことではない。自軍の打者が敬遠策を取られると「弱虫」コールをしている連中だって敬遠策が有効な策だと知っていてするのと同様、応援というパフォーマンスの「お約束」だからコールしているだけで、それと同じことなのである。

北海道はプロ野球チームの本拠地としては後発だ。応援パフォーマンスのスタイルは基本的に東京ドームを本拠地にしていた時代のものを踏襲し、それに「北の国から」などのご当地オリジナルをうまくミックスさせたものだ。ホームチーム一辺倒ぶりという点では既に甲子園球場やホークスの本拠地を越えた、独特の恐ろしさがあると既に言われているほどで、ファイターズナインに有形無形の力を与えていることは間違いない。しかし、もしもファイターズの応援団が、ファンが一体になってチーム、選手を後押しする応援パフォーマンスの理想型としてマリサポの応援パフォーマンスを意識しているのであれば、悪いところまで真似しないで欲しい。

「悪いところ」とは言わずもがなFAで出ていった選手へのブーイングである。これでもし、今年のマリーンズとジャイアンツの交流戦でマリサポがイに対するブーイングを止めるようなことがあったら、ファイターズ応援団はいい笑いものである。

次回対戦は、6月10()11()の東京ドーム。ジャイアンツ主催である。ファイターズ応援団がこのブログを観ているとは思えないから<苦笑>、小笠原へのブーイングが止まると言うことはないだろうが、ファイターズファンで本エントリーを見て下さった方は、応援席以外(たとえば三塁側内野指定席)で観戦するのであればブーイング無しで観戦していただきたい。もちろんファイターズの投手が小笠原を三振に仕留めたり、凡打に打ち取ったら大きな拍手をして構わない。

敗戦処理。は今季これまでに行われた東京ドームでのファイターズ主催公式戦5試合のうち4試合を生観戦しているが、スタンドのあちこちに、背中に「OGASAWARA 2」と刷られたファイターズのユニフォームやTシャツを着たファンを見かけた。(実は敗戦処理。も一試合だけそのスタイルで球場入りした。)彼らも6月の対ジャイアンツ戦ではブーイングを浴びせるのだろうか?普通に考えればつきあいが長い分、東京のファンの方が小笠原への思い入れは強いはずだから。SHINJOやダルビッシュ有が入ってくるまで、小笠原と田中幸雄の存在がファイターズファンの支えだった。

一方で自分で言うのもナンだがファン心理とは複雑なもので、敗戦処理。自身、ジャイアンツファンとして今年のジャイアンツ戦を既に四試合生観戦しているが、「ジャイアンツの小笠原」のユニフォームやTシャツを着ているジャイアンツファンの姿を観ると、「こっちは十年前から小笠原を応援しているんだよ!」と言いたくなる。もちろん口には出さないが<>

今現在の主力選手である小笠原にブーイングを浴びせられたジャイアンツファン、特に球場で応援したファンの気持ちは一体どうだったのか?ファイターズが初めて本拠地球団として誕生し、なおかつこの三年間の成績であっという間に道民の心をつかんだと言われる中で、今もなお北海道、札幌の地でジャイアンツを応援し、地元のチームを倒してくれと、声をからして応援するファンはある意味筋金入りのジャイアンツファンと言えよう。敗戦処理。も三十年以上ジャイアンツを応援しているがフランチャイズである東京在住の身である。少なくともスタンドで寂しい思いをしたことはない。そしてこの二日間のファイターズファンによる小笠原バッシングをテレビで観た在京のジャイアンツファンは、その腹いせをホークスとの交流戦で小久保裕紀に対して浴びせることだけは、絶対にやめて欲しい。ジャイアンツの応援パフォーマンスはマリーンズのパクリだと以前から揶揄されているが、そこまで真似する必要はない。

P.S.

話は全く変わるが、東京のファンの誇りであり、東京のファンの目の前で2000本安打の偉業を達成した田中幸雄が本拠地に凱旋して挨拶代わりの第一打席で決勝本塁打を放ったのは実にあっぱれだ。2000本安打達成の日のフジテレビ系「すぽると」での高木豊氏のインタビューで、普通なら記録は通過点と言うところを「通過点ではないですね、正直言って。この年齢ですし」と幸雄らしく本音で朴訥と語っていたが、今日の決勝本塁打が今シーズン第5号で、チーム内でフェルナンド・セギノールの10本に次ぐ単独2位であることを敗戦処理。は見逃していない。まだまだいけるぞ、幸雄!

2007年5月22日 (火)

スワローズが元ゴールデンイーグルスのシコースキーを獲得!!

02_13 スワローズが米大リーグ、インディアンス傘下の3Aに所属するブライアン・シコースキーを獲得することになった。もちろん、マリーンズやジャイアンツで投球練習前に右腕を威勢良くぐるぐる回していたあのシコースキーだ。ネットのニュース速報では「元巨人・シコースキーがヤクルトへ」(スポーツ報知web版)に代表されるようにシコースキーの日本での経歴をマリーンズからジャイアンツと表記している。しかし一般に元○○と元の所属球団を表記する場合に、一般的には最後に所属した球団を表記する習わしになっている。それならば本エントリーのタイトルの様に表記するのが正しいのだが、駆け足でチェックしたところ「元ゴールデンイーグルス」と表記しているメディアはない。何故?

(写真:ジャイアンツ時代のシコースキー。懐かしいあの腕グルが日本でまた…)

そもそもシコースキーがジャイアンツの後にゴールデンイーグルスに所属していたことなど、ほとんどの野球ファンが知らないのではないか?

ことの概略はこうだ。

2005年のシーズンを終えて、ジャイアンツはシコースキーを翌年の構想から外した。当時監督に復帰した原辰徳監督はシコースキー解雇の経緯を自身のオフィシャルサイト-HARA Spirit 20051115日付「キャンプ終盤報告と補強について」で述べているが、自由契約選手にするためにウェーバー手続きを行った。この時点ではシコースキー自身はジャイアンツが契約しないのなら、日本の他球団でのプレーを希望していたそうで、ジャイアンツとしては正規の手続きを行った。結果、ゴールデンイーグルスが獲得の手続きをし、本人も了承。ゴールデンイーグルスは野球協約第121条に定めるトレードマネーをジャイアンツに払い、シコースキーを獲得した…はずだった。

ところがシコースキーが翻意し、大リーグでのプレーを強く希望。ゴールデンイーグルスと協議の末、シコースキー側が、ゴールデンイーグルスがジャイアンツに支払ったトレードマネーを補填することと、国内移籍をしない(移籍先はMLB組織に限定)という条件でゴールデンイーグルスはシコースキーとの契約を解除した。

シコースキーは20051121日付でゴールデンイーグルスの支配下選手として公示され、1221日付でゴールデンイーグルスの自由契約選手として公示されている。したがってシコースキーの日本プロ野球での最終所属はゴールデンイーグルスなのである。

シコースキーがゴールデンイーグルスを退団した経緯は敗戦処理。が当時の報道で把握している上記の通りであれば、シコースキー本人の都合による退団であり、日本プロ野球界の慣例では「自由契約選手」ではなく「任意引退選手」として手続きされるはずなのだ。もしもシコースキーのゴールデンイーグルス退団時の処理が「任意引退選手」であったなら、ゴールデンイーグルスが許可しない限りシコースキーはスワローズを含むゴールデンイーグルス以外の球団と契約できない。

シコースキーがゴールデンイーグルス退団時に「自由契約選手」を勝ち取った()事情は当事者間の協議の結果ゆえ、真相は定かではないが、シコースキーの来日予定と言われる6月上旬に交流戦でスワローズ対ゴールデンイーグルス戦がある(6月10日、11)。これで抑えられでもしたら、当時の手続きは何だったんだと野村克也監督がぼやくことは間違いない<苦笑>

ところで意外と野球ファンの間でも浸透していないようなので、いわゆる「戦力外通告」について説明しておく。

シーズン終盤、あるいは終了後にスポーツ新聞に「○○球団は次の△名に戦力外通告をしたと発表した…」という記事が載る。これは球団が来季の構想に入っていない選手に対し、その旨を通知するのであるが、実は球団ではこの時点で「自由契約選手」への手続きをするのではない。

戦力外通告を受けた選手が本当にフリーになるには、通常12月上旬まで待たなければならない。

野球協約第66条により球団は毎年1130日までに、その年の支配下選手のうち次年度の選手契約を結ぶ予定の選手(保留選手)の一覧を提出する。これはその時点でいわゆる契約更改を終えているか否かを問わず、要するに球団として来季も契約しようと思っている選手の一覧を提出するのである。そしてコミッショナーが12月2日に保留選手を公示する。そしてこれに漏れた選手は自動的に「自由契約選手」となり、自由に他球団と契約できるのである。近年では戦力外通告の時期と、自由契約になれる12月2日の間に「トライアウト」が実施されるが、「トライアウト」を受けた選手に対し獲得の意思のある球団が出ても、自由契約→獲得という手順を踏むためには12月2日まで待たなければならない。

そんなに待つくらいなら、元の所属球団に頼んでその選手を自由契約にしてもらえばいいじゃないか、と思う人もいるだろう。しかし保留選手提出以前に自由契約選手にするにはウェーバー手続きをしなければならない。ウェーバー手続きされた選手を他球団が獲得するには前述のように元の所属球団にトレードマネー(400万円)を払わなければならない。したがって12月2日を待って契約するのである。

これを逃れるためには昨シーズン後にホークスから戦力外通告を受けた大道典嘉のように、ホークスとジャイアンツの間で「無償トレード」が成立した形にすれば、両球団の合意、手続き後速やかに大道はジャイアンツの一員として練習に参加したり出来る。ホークスファンにとっては思い出したくもないフレーズ-「無償トレード」-という形態だったばっかりに当時のニフティのベースボールフォーラムのホークスファンが参加する掲示板でもジャイアンツに言われなき批難が展開されたが、実際には極めて合理的な手続きだったのである。

それでも大道を獲ったジャイアンツを許せないというホークスファンは、怨みの矛先をホークスのフロントに変えるべし!

近年では、翌シーズンのための「保留選手」の名簿に入れることを本人の許可無く出来ないとする契約を結ぶ外国人選手が少なくなく、それゆえにオフごとに契約でもめて球団を飛び出してより良い条件の球団に移籍する「ごね得移籍」の外国人選手が増えている。外国人選手との契約には海千山千の代理人が控えている。現在問題になっているアマチュア選手への不適切なスカウト活動にタチの悪いブローカーが介在しているのと同様に、外国人選手の「ごね得移籍」も代理人の悪知恵である。ルールで歯止めをかけるべきだ。

そしてこの問題を潜在的なものから顕在化する足がかりとして、各メディアは「元ゴールデンイーグルスのシコースキー」と正しく報じて欲しいものである。何事も処理速度の遅いNPBのこと。このオフに手を付けるなら、今すぐ問題提議しないと間に合わないかもしれないからだ<苦笑>。

P.S.

それにしても、スワローズには花田真人、吉川昌宏、高木啓充…と若い右の中継ぎ要員候補は豊富にいるように思うのだが…。河端龍はいつ戻ってくるのか?

2007年5月19日 (土)

森本稀哲が大下弘さんの記録に挑戦中-で敗戦処理。が思ったこと。「やっぱり田中幸雄は偉い!」

Mr.Fighters 田中幸雄の2000本安打挑戦に耳目が集まる中、もうひとり記録に挑戦している選手がいる。森本稀哲が今日(19)のホークス戦で23試合連続安打。球団記録である、前身の東急フライヤーズ時代の1951年に大下弘さんが記録した24試合連続安打にあと1試合と迫っているのだ。大下弘さんといえば、「赤バット」が売りの川上哲治さんと並ぶ「青バット」の大下弘として、もはや伝説の人物だ。今シーズンはジャイアンツで高橋尚成が開幕から連勝を続けて沢村栄治さんの持つ球団記録に迫ったが、沢村さんにしろ、大下さんにしろ、日本プロ野球創世記の大スター選手である。そのような時代に樹立されて、その後誰も届かないと言うことはそれだけ難しい記録だということだ。しかし球団創立70周年を超え、先日通算5000勝を達成した球界の老舗、ジャイアンツはともかく、身売りの歴史があるファイターズで50年以上前の記録、人物の名前が出てくるのはある意味嬉しい。だが、ファイターズの前身のチームで作られた記録で何故かあまり引用されない記録がある。それは…。

17日に日本プロ野球史上35人目の通算2000本安打を達成した田中幸雄は「球団生え抜き選手で初」と形容されることが多い。それはこの球団のOBである大島康徳がファイターズで通算2000本安打を達成しているが、それにはドラゴンズ時代に放った1656本の安打が含まれていてファイターズだけで2000本の安打を放った訳でないので区別する意図があるのだろう。しかしそれは間違いではないが、森本の記録で大下さんの名前を出すのであれば、田中幸雄に関しても「球団生え抜きで通算2000本安打を放ったのは張本勲氏に次いで二人目」と紹介して欲しい。少なくとも敗戦処理。が眼にしたメディアではこのような紹介の仕方をしたメディアはない。

張本勲は通算3085安打を放ち、2000本安打どころか日本球界でただ一人安打数が3000本を超えた超大御所だ。前身の東映フライヤーズに入団し、「日本ハム」になってからもプレーしており、1975年のシーズン後にジャイアンツにトレードされており、その後オリオンズ(現マリーンズ)でもプレーしている。張本は3085安打のうち、フライヤーズ~ファイターズで2435安打を放っており、この球団で初めて2000本安打を放った選手なのだ。

張本と言えば、TBSテレビ日曜朝の「サンデーモーニング」で、時折「日本ハム」になってからの自分のことに触れるが東映、日拓ホームを経て親会社になった「日本ハム」での在籍二年間に関して「あまり良い思い出がない」と歯切れ悪く語ることがある。当時は張本のみならず、大杉勝男、白仁天、大下剛史といった旧東映カラーの色濃い選手が次々とトレードに出され、「日本ハムファイターズ」として急速に新しいイメージを作ろうとしていた感があり、自分がトレードされただけでなく、同僚等の処遇を含め、いい印象を持っていないのかもしれない。

* ちなみに張本がトレードされたときの監督は同番組で共演している「大沢親分」こと大沢啓二氏。

しかし張本本人がどう思っていようと、張本が、それこそ大下弘さんの時代から親会社が変わっても連なっているこのチームの歴史の中で最初に2000本安打を放った選手であることと、最も多い2435安打を放った張本人<>であることに代わりはない。大下弘さんの名前は球団公式携帯サイトを含み、スポーツ新聞でも出ているが、張本は何故? これで大下さんの名前も出ないようであれば、他の球団のように、過去の歴史を封殺する愚をファイターズまでやっているのかと言いたくなるところだが、東映より前の東急時代にまで遡っているところを観ると必ずしもそうとは思えない。

18日付スポーツニッポンは「日本ハム一筋でプレーした選手としては史上初」だから球団が1000万円のお祝い金を用意していると書いている。たしかにこの分類の仕方だと張本は含まれないが。

ところで話は少し変わるが、田中幸雄の記録した通算2000本安打は前述の通り田中幸で35人目であるが、田中幸のように一つの球団で2000本以上の安打を放った選手に絞ると、これが35人から23人に減ってしまう。(筆者注.張本のように2000本安打到達後、他球団に移った選手も含む。)そしてこの23人のうち、15人までがセ・リーグの球団で単一球団で2000本以上の安打を放っている。パ・リーグのいずれかの球団で単一球団で2000本安打を放ったのは

野村克也(2813安打=ホークス)

福本豊(2543安打=ブレーブス)

張本勲(2435安打=フライヤーズ~ファイターズ)

榎本喜八(2276安打=オリオンズ)

門田博光(2180安打=ホークス、※ブルーウェーブ移籍後にホークスに復帰して放った137安打を含まず)

広瀬淑功(2157安打=ホークス)

有藤道世(2057安打=オリオンズ)

田中幸雄(2002安打=ファイターズ)

の8人しかいない。構成比率ではセ・リーグの約半分である。しかも田中幸を除く7人の中で引退まで単一球団でプレーしたのは福本、広瀬、有藤の3人しかいない。パ・リーグは歴史上、ジャイアンツとタイガースの人気にリードされるセ・リーグに常に人気では後塵を拝していたと言って差し支えないが2000本安打を達成する程の技術を持った選手が一球団に定着する比率が低いのも、その一因かもしれない。

もっとも、実力選手の定着率が低いからファンに人気が根付かないのか、ファンに人気が根付かないから(FA制度が確立する以前を含み)実力選手の流出が避けられなかったのかは、それこそタマゴが先か、ニワトリが先か?という議論と同じで堂々巡りになるだろう。

ただ、言えることは(現役選手である田中幸にこの先移籍が無いとは言い切れないが)歴代のパ・リーグで過去に3人しかいない生え抜きの2000本安打達成者に田中幸雄が加わることはほぼ間違いなく、だからこそあれほどの大騒ぎになるのだ。東京時代からファイターズを応援しているファンにとって田中幸雄は誇りなのである。そして2000本安打達成試合に試合後にレフトスタンドのゴールデンイーグルスの応援団がファイターズ応援団もびっくりの幸雄ヒッティングマーチを歌って「幸雄ジャンプ」までして祝福してくれるのも、無意識下にパ・リーグ一球団生え抜き選手の快挙に対し、球団の枠を超えて祝福しようという想いがあるからだろう。

* 実際敗戦処理。も初芝清の引退には感慨深いものがあったし…。

だからこそ、田中幸雄は我々ファンにとって「誇り」なのである。

話を戻そう。張本はスポーツニッポンで評論家活動をしているが、記録達成を報じる18日付の紙面で特にコメントしていない。同紙の評論家で元チームメートの片岡篤史はしているのに。明日(20)は日曜日。前述の「サンデーモーニング」の日だ。共演の大沢親分は当時のファイターズの大社義槻オーナーの命を受け、都城高校の田中幸を観に行って指名を決めた人物で、なおかつ田中幸の媒酌人。田中幸雄2000本安打達成の話題に触れたとき、御意見番二人がどんなコメントをするか、注目しよう。

おっと忘れるところでした。せっかくだから、森本稀哲よ、大下弘さんに並ぼう。そして交流戦の初戦で抜こう。

それと木下達生君、おめでとう!

※ 筆者注.森本稀哲の連続試合安打の件を含め、記録は2007年5月20日現在。

2007年5月18日 (金)

All for Mr.Fighters -すべては幸雄さんのために

2002 後楽園の時代からファイターズを応援している敗戦処理。がこの先二度と無いかもしれない東京ドームでのお祭りを見逃す訳にはいきません。もちろん三日連続で東京ドームに駆けつけたのですが、残念ながら今夜の2000本安打達成の瞬間には間に合いませんでした。こんなことなら、親戚か誰か死んだことにしてでも試合開始から駆けつけるべきでした。

ファイターズが北海道に移転してから四年目。移転後も年間十試合弱の旧本拠地での凱旋試合を組んでいるものの、土日は年に1カード。しかも今年はその三連戦で先月三連敗を喫し、あろうことかトレイ・ヒルマン監督は明らかにホークスファンの方が多い。東京と縁が深いというのは分かるが、これではホームゲインアドバンテージにならないとファンに八つ当たり。東京への義理立てがいつか終焉を迎えるのは覚悟していても、あんまりだなと憤慨していたが、そこは後楽園の時代からこのチームのユニフォームを着続ける我らがミスター・ファイターズ。東京のファンに最高のプレゼントをくれました。ありがとう、幸雄!

かつて二軍調整中のジャイアンツ、槙原寛己から三安打放ったルーキーがいると聞いて、その翌日だったか当時の後楽園でのジャイアンツとファイターズのファームの試合を観に行ったらネット裏でスコアを付けていたのが田中幸雄だった。あれから21年。感無量です。

北海道移転後、SHINJO、ダルビッシュ有と次々と人気者が加わり、北海道の皆さんに受け入れられたファイターズ。しかし、そうなる前から、不入りの東京ドームで黙々と打ち続けた男、それがコユキこと田中幸雄だ。

不人気時代を支えたといえば、田中幸雄ともう一人、岩本勉。

かたや派手なパフォーマンスで観客を引きつけ、かたや背中でファンに訴えるミスター・ファイターズ。

思えば晩年は不遇だった岩本の久々の白星は、北海道移転元年の東京ドーム里帰り試合だったし、豪快な本塁打を交流戦で放ったのも場所は東京ドーム。野球の神様は、このチームを愛したファンへの演出を忘れなかった。だから、幸雄も。

正直に言うと、シーズン前に敗戦処理。は、幸雄の2000本安打達成を9月の東京ドーム里帰りカードと踏んでいた。シーズン突入時に残り18安打となっていたとはいえ、昨年の安打数が15本止まりだったことを考えると、シーズン終盤に駆け込み達成かなと予想していた。そして東京ドームで迎えるであろう記念のXデーを自分の専用席で観戦しようと、また、こんなチームを三十年も応援し続けた自分に対し、昨年の優勝の褒美にと思い、奮発してシーズンシートを購入しておいたのだ。今日は仕事を早く切り上げきれず、会社を出て東京ドームに向かう途中に球団の公式携帯サイトで記憶達成を知ったのだが、どちらにしても東京ドームで達成したことには変わりなく、最大のプレゼントであることに変わりはない。

それにしても、このチームの後輩達は、このめでたい日になんと無様な試合をしてくれたんだ。幸雄の金字塔に祝砲を挙げたのは山崎武司じゃないか<苦笑>

そして健気な幸雄は涼しい顔をして2001本目、2002本目の安打を連発していく。(冒頭の写真は2000本安打達成の瞬間ではなく、2002本目の安打の瞬間のスイングです。悪しからず。でもこの画像の方が貴重かも<>。)

結局この三連戦はゴールデンイーグルスの二勝一敗。ダルビッシュは登板回避。建山義紀も負傷降板。中継ぎ陣崩壊と、幸雄さんの記録達成以外はマイナス要素ばかりの三連戦だった。しかしそれを補ってあまりある、幸雄さんの存在感。スター選手とは、記録を残すか、記憶に残るかのどちらか(あるいは両方)だが、幸雄の場合はその両方を超越した存在感を持っている。チームメート、ファンも含め、この三日間は All for Mr.Fighters だったのだ。そういう瞬間、いや時間があってもいい。

試合後、山崎のヒーローインタビューも終わったのに、レフトスタンドのゴールデンイーグルス応援団が帰らない。彼らは「おめでとう、おめでとう、ユキオ」とコールを繰り返し、ついには幸雄のヒッティングマーチを歌い出した。もちろん、サビでは幸雄ジャンプを。何ていい奴らなんだ。

フリー・エージェントなどという都合の良い制度が出来、条件さえ整えばよりよい待遇を求めて自分を高く売ることが容易になったこの時代に、ドラフトという名のくじ引きで定められた進路に過ぎない球団で、黙々とバットを振り続け、脚で、守備で魅せてきた男。幸雄さんだけじゃない、初芝清、藤井康雄、こういう男達がパ・リーグを支えてきたのだ。だから我々ファンは愛するのだ。時に優先順位を覆しても。そう、まさに今日のレフトスタンドからの幸雄ジャンプのように。

2003年に日本で初めて指揮をとったヒルマン監督にはわかるまいが、東京ドームのファイターズ戦ではスタンドの通路でいろいろな時代のユニフォームに再会することが出来る。それだけでも敗戦処理。などは嬉しくなる。

そして繰り返しになるが、ゴールデンイーグルスの応援団とファンの有志達よ、「十二球団ナンバーワンの応援団」と称される応援団があるが、あなた達の暖かさもそれに負けない。少なくとも敗戦処理。はそう認めているからね。

100 とはいうものの、ラッキー7のゴールデンイーグルス応援歌に合わせてオーロラビジョンに流されるギャグにも大笑いしてしまいましたが<笑>。

2007年5月16日 (水)

「生」観戦した野球場(32)-小田原球場

02_12 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

32回 上府中公園小田原球場 観戦球場ファイル-47

前回の横浜ベイスターズ総合練習場に引き続き、最近新たに観た球場について書きたいと思います。今年の5月5日の「こどもの日」にイースタン・リーグのシーレックス対ジャイアンツ戦を生観戦した小田原球場です。1974年に初めて観た後楽園球場から数えて47個目の観戦球場です。

1949年に小田原城跡内に建設された市営球場を前身に持ち、小田原市制施行50周年を記念して1990年に現在の上府中公園内に建設された。両翼が95mで、中堅が122m。外野が天然芝で内野は土。ナイトゲームの設備がある。ベースボール・マガジン社から発売中の「球場物語2」によると「天気の良い日には富士山が見えることも。」と書いてあるが、この日は見えなかった。

小田原球場でのシーレックス主催試合は毎年行われているようだが、ゴールデンウイーク期間に開催されるのは二年ぶり。昨年は6月に対マリーンズ戦が組まれた。そのためか毎年球場に足を運んでいる地元の客が多いようで、敗戦処理。が入場の列に並んで待っている間にもこんな会話が聞こえてきた。

「今日は工藤とか、門倉を見たいね。」

「ああいうベテランはこういう遠征には来ないんだよ」

「でもオレが小学生の時、遠藤が出てきたぜ。無茶苦茶球が速かった」


「それは遠藤に見せかけた大門ってオチじゃないだろうな<>

「ジャイアンツの二軍監督は吉村か。じゃ守備コーチは栄村か?」

「いや、たしか緒方だよ」

小田原球場に行くには、小田急小田原線の新松田駅から富士急行バスの小田原行きに乗るか、逆にJR小田原駅から新松田駅行きのバスに乗ってバス停「西大友」で降りて徒歩3分。と、イースタン・リーグが発行している「プロ野球イースタン・リーグ観戦ガイド2007」のイースタン・リーグ公式戦開催球場一覧に書いてある。小田急線沿線に住んでいる敗戦処理。は小田急多摩線から小田急小田原線に乗り継いで新松田に辿り着いた。新松田、小田原間のバスは本数が少なく、午前中は毎時15分発があるのみだということはわかっていたが、予定より早く1040分頃に新松田に着いた。前回の横浜ベイスターズ総合練習場で懲りているので駅前の小田急OXで弁当類を買い込んでいたら、西大友を経由して小田原に向かうバスが目の前を走り去ってゆくのが見えた。イースタン・リーグ開催に合わせ、特別便が10:4511:45に設定されていたのだ。冷静さを欠いた敗戦処理。はあと30分待てば良いところを1時間待たなければならないのかと勘違いし、駅から球場最寄りのバス停まで約15分という情報から大してタクシー代もかからないだろうと思ってタクシーで球場に急行した。

料金は2,180円。大失敗だった。

冷静に考えれば、バスを待つか、新松田駅から目と鼻の先にあるJRの松田駅まで歩き、JR御殿場線で約10分の「下曽我」駅で降りて約15分歩けば良かったのだ。もっともJR御殿場線ルートに気付いたのは試合後の帰り道だったが。

タクシーで球場に着くと、当日券を求める長蛇の列。これだけで10分くらいかかったのだが、内野自由席を購入して入ろうとすると、これまた長蛇の列。聞くと入口を外野席一ヶ所、内野席一ヶ所に限定しているのだ。入口自体は他にも何カ所かあるのだが、チケットを切って客を入れるのが外野と内野各1ヶ所。これはあまりにも少ない。並んでから入るのに約20分かかった。先程の会話はその時に聞かれたものなのだが、常連?と地元の顔見知りが多いようで、知り合いを見つけては途中から列に加わる面々がいるのでなかなか進まない。もっともこれは地方球場ではよくある光景なのだが<苦笑>

球場に入り、席に座った。球場そのものは先に書いたプロフィールで、特にこれといった独特の特徴はない。富士山を眺めることが出来なかったのは残念だった。

01_23 この日はシーレックス対ジャイアンツ戦。シーレックスの田代富雄監督とジャイアンツの高校卒ルーキー田中大二郎外野手が地元小田原市出身ということで大きな拍手と歓声を受けていた。地方球場開催でありがちな両軍監督への花束贈呈の後に、田代監督と田中にも花束が贈られていた。

田中は高校卒ルーキーながら同じく高校卒ルーキーの坂本勇人とともに開幕からスタメンに抜擢されている。坂本がずっと「三番」に座り続けているのに対し、田中は最近「五番」から「七番」に降格されている。どうやらプロに入って最初の壁にぶち当たっているようだ。一番まずい時期の凱旋試合になってしまったようでこの日の四打席も死球、三振、三振、四球と平凡なものだった。

01_24 スタンドには田中を応援する横断幕も掲げられていたが、田中がかつて所属していたのだろうか、地元少年野球チーム一行がネット裏に大挙し、監督だかコーチだかの引率者が田中の打席ごとに「大二郎」コールを子供達に煽る。地元のヒーローを子供達に下の名前で呼ばせて平気でいる大人の無神経さには呆れた。手にしているメガホンはスワローズの応援グッズ。自分のチームの子供達だけでなく、他のチームの子供達にも応援を強要する。試合前にシーレックスのナビゲーターのケチャップ氏が巧みな話術で、地方球場にありがちな子供達のファウルボール争奪戦を自重するように「保護者」に呼び掛けていたのを台無しにしていた。周囲の観客の様子を見ると、やはり呆れた感じで見ている人が多かった。せめてもの救いはもう一方の一塁側からは「田中選手頑張れ~!」という統率の取れた黄色い声が流れたことか。

敗戦処理。が観戦した5月の上旬はちょうど高野連の特待生制度に対する制裁が注目を浴びていた時期で、高野連の頑なな姿勢に「子供達が野球から(特待生制度を認めている)他のスポーツに流れてしまう」という懸念の声が挙がっているが、今日の周囲から白い眼で観られていても気が付かない指導者や、ケチャップ氏が注意せざるを得ないような、スタンドで走り回る子供を注意できない引率者が幅を利かすようならば、高校どころか、小学生のうちに他のスポーツに流れてしまうのではないかという気がする。

試合は地元シーレックスが九回裏二死から、それもツーストライクと打者が追い込まれ「あと一球」の状態からの逆転サヨナラ勝ちで大いに盛り上がったが、ファームの試合にしては異例とも思える3,164人の観客はケチャップ氏の試合前のマイクパフォーマンスの感覚ではジャイアンツファンの子供の方が多いようで、果たして喜んだ人の方が多かったのかどうか?

試合後、行きにタクシーで来たためバス停のありかを知らない敗戦処理。は「プロ野球イースタン・リーグ観戦ガイド2007」のイースタン・リーグ公式戦開催球場一覧の略地図を信じて、球場から15分のJR御殿場線「下曽我」駅に向かった。略地図は文字通りの略地図で、途中の目印もろくに書いていないのだが、なんとなく歩いていたら、本当に15分で駅に着いた。下曽我から松田へ行くのは夕方の時間帯で一時間に2本。また松田駅について下曽我に行く電車のダイヤを見たら昼前の時間帯は一時間に1本で、11:01分松田発があった。来年もあったらこの時間に乗ろう。

最後にJR御殿場線はJR東海なのでスイカやパスモが使えないことを付記しておこう。

2007年5月13日 (日)

ゴールデンイーグルスがようやく100勝-であらためてこの球団の生い立ちに遡ると

01_25 2004年の球界再編騒動の過程で誕生した新規参入球団・東北楽天ゴールデンイーグルス。当初の分配ドラフトでどう見ても十分とは思えない選手配分だったことを考えると、ここまでの苦戦は避けられなかった事態と言えよう。ただ、100勝到達に関する談話の中で、このチーム誕生からコーチを務めている橋上秀樹ヘッドコーチの談話が印象に残った。同コーチは、節目の100勝達成がバファローズ戦だったことに意味があると語っていた。球団の身売り-親会社の変更ではなく、球団合併と新球団の誕生という決着をみた2004年の球界再編。新規参入球団の節目の勝利が合併球団相手に達成されたのはたしかに偶然ではないかもしれない。

「だって、ここ(オリックス)は『いいとこ取り』だろ。100勝よりも、今現在、オリックスより上の順位でいることが大きいね」

(橋上コーチの談話・5月12日付日刊スポーツより)

これが仮に野村克也監督が残したコメントならば、「またいつものイヤミか」と読み過ごしていたかもしれませんが、田尾安志監督の創立一年目からこのチームでがんばっている橋上コーチの一言だから重いのですね。

球団誕生の経緯から「せめてオリックスよりは上の順位に行って欲しい」と思っているファンは少なくないようだ。敗戦処理。もゴールデンイーグルスのファンではないが(もちろんファイターズファン)いわゆる判官贔屓の感覚で、バファローズを超えての最下位脱出を秘かに応援している。

* でもそれ以上行くと、ファイターズとの争いになるので、とりあえず今年はそこまでにとどめて欲しい<苦笑>

それにしても、あらためて振り返ると、不愉快な球界再編騒動だった。

旧バファローズの親会社、近畿日本鉄道が経営状況が逼迫しており、同社が球団を手放さなければならなかったのは致し方ない所だったろう。90年代中盤に野茂英雄任意引退→ドジャース入りに至る顛末、ドラフトで交渉権を得たPL学園の福留孝介に三年後のトレードを認める契約を結ぼうとして協約違反を指摘された件、故障によって欠場した石井浩郎に野球協約で定める上限以上のダウンを強行しようとして事実上の喧嘩別れになった件、とトラブル続きだったので抜本的に球団経営のあり方を改善できる人材に任せるか、近畿日本鉄道自体に球団経営から退いてもらうしかないと敗戦処理。は個人的に思っていた。それでも当時の旧バファローズはパ・リーグでは身売りを経験しなかった唯一の球団であり、半世紀以上も球団を支えてきた近畿日本鉄道が球団経営を断念する報道が出たときには淋しい気持ちが大きかった。

当時はホークスの親会社でもあった「ダイエー」が天文学的な有利子負債を抱え、グループ再編を余儀なくされて球団経営にも危機が及ぶのではないかという一連のマスコミ報道があって、その関連で実はJRを除いた日本の私鉄では最大規模を誇る近畿日本鉄道の有利子負債もそれに近い額になっていると報じられていたので「身売り」だけの報道ならさほど驚かなかったかもしれないが、「合併」という手段を選んだ衝撃は大きかった。

結果的に見れば、近畿日本鉄道から楽天に球団身売りが為されていれば、ゴールデンイーグルスのような弱い球団が誕生しなくて済んだのだろう。しかし合併の意志を表明した当時の会見では、水面下で身売り先を探したが見つからなかったから合併という選択肢を選んだと発表されていたし、その後ライブドアが買収に名乗りを挙げても門前払いだった。

まず二球団の合併を決め、パ・リーグの球団数が奇数になり、なおかつ5球団になってしまうことの弊害に対しては当時のライオンズの堤義明オーナーが「さらにもう一組の合併を模索中」と表明し、球団数削減、球界再編に向けて急速に動いているように思えた。

その間、この無謀とも思えるあまりに急速な動きに反発するファンが各球場で膨大な数の署名を集め、世論を喚起。またこの動きの黒幕と目された当時のジャイアンツの渡邉恒雄オーナーの「たかが選手が…」発言などで野球ファンを超える社会問題レベルにまで高められたこともあって、球界の動きにブレーキが掛かり、選手会はストライキに突入。これがまた野球ファンのみならず一般世論の圧倒的な支持を受け、新規参入球団を受け入れざるを得なくなった。ライブドアと楽天の一騎打ちになり、楽天が仙台市を本拠地とする新規参入球団として認められた。

当時「楽天」の立候補は、新規参入球団を認めざるを得なくなった球界が、ライブドアの参入を認めたくないために代替候補として担ぎ出した「ライブドア潰し」のための「後出しジャンケン」と噂された。実際この当時のライブドア、ホリエモンはプロ野球ファンにとっては英雄だった。敗戦処理。も半信半疑ではあったが、あの時点で旧バファローズ買収に名乗りを挙げたライブドアに関しては評価している。

「楽天」の参入が認められた時点では、ゼロからのスタートになる新球団のための分配ドラフトはもっと新規参入球団にそこそこの選手が配分される見通しもあったが、実際には橋上ヘッドの談話にあったように「いいとこ取り」をされた。救いは旧バファローズで合併撤回に向けて闘った選手会長の礒部公一と、ストッパーの福盛和男がプロテクトの対象になることを拒否して新規参入球団入りを強く希望したことと、エースの岩隈久志が(手続きをしなかったために)一度は合併球団にプロテクトされたもののトレードでゴールデンイーグルスに入団できたことくらいか。

圧倒的な戦力不足でスタートしたゴールデンイーグルスは二年連続で最下位に沈み、三年目の今年、上昇の兆しを見せているもののまだまだ上位を狙えるレベルとは言い難い。一方の合併球団バファローズは、合併一年目こそシーズン終盤までライオンズとプレーオフ進出をかけて争ったが、それとて勝率五割に満たない低いレベルでの争いだった。二年目は5位。それも一時はゴールデンイーグルスに抜かれるのではないかという危機にもなったほどだった。三年目の今シーズン、10連敗などもあって最下位に低迷中だ。新規参入のゴールデンイーグルスが苦しむのはまだしも、合併で戦力が増強されたはずの球団も低迷しているのは一体どういう事だったのだろう。

合併に踏み切ったときの旧バファローズとブルーウェーブはその年の5位と6位だった。その年の5位と6位を合併して「いいとこ取り」のチームを作っても強くならないということは、今後再び経営的に持ちこたえられない球団が出てきたときや、今以上にセ・リーグとパ・リーグに人気格差が出て1リーグ化、球団数削減に踏み切っても魅力あるチーム(編成)が出来る保証はどこにもないと言うことを意味する。また新規参入球団が今なお戦力不足に苦しんでいる現状は、ファンの一部が望んでいるエクスパンション-球団数増加も、戦力不足の球団が増えて全体のレベルが下がるだけに過ぎないという懸念を示している。

ゴールデンイーグルスは、本拠地球場で、いわゆるボールパークとしての演出で独自のサービスを展開して地元ファンを取り込むなど、(圧倒的に不足している戦力というカテゴリー以外の分野では)精力的な企業努力を続けており、結実しているとも言われている。敗戦処理。が「判官贔屓」と断りながらも、合併球団よりは新規参入球団に多少の肩入れをしていると書いたのはこんな理由と背景からだ。

球界再編の波は近い将来、必ず形を変えて再び球界を覆ってくるだろう。2004年の球界再編騒動で、球界の何が変わったのか、何が良くなって、何が悪くなったのか?再編の結果生まれた新規参入球団ゴールデンイーグルスが遅すぎる100勝到達を節目として、あらためて三年前の球界再編騒動を検証するのも、次に備えて必要かもしれない。

ファンは一度は着いてきてくれても、二度目は許さないかもしれないから。

2007年5月12日 (土)

あまりに重い大ストッパー江夏豊氏の箴言

10日のジャイアンツ戦で連敗を止めたタイガースだったが、最後の9連敗目の試合はリリーフ陣のJFKを投入しての逆転負けでショックがとてつもなく大きい負け方だった。その試合を報じた翌10日のデイリースポーツの江夏豊氏のコーナー「野球道」を読んでタイガースファンでない(もちろんジャイアンツファン)敗戦処理。は唸った。「岡田さい配は間違っていない」と題された江夏氏の分析-岡田彰布監督に言及した部分にでなく、まさかの逆転負けを喫した藤川球児とジャイアンツのストッパー上原浩治について言及した部分だ。さすが江夏氏。箴言です。

まず江夏氏は藤川についてこう触れている。

「藤川は八回途中からイニングをまたいでの登板となったことは酷であったと思う。八回だけでも14球を投げている上にわずか1点リードを守る最終回は肉体的だけでなく精神的にもきつい登板であったと想像できる。」

最初から長いイニングを投げることを前提としている先発投手と違い、試合終盤の1イニングに全神経を集中して投げるストッパーにとっていわゆるイニングまたぎは、集中力の持続、スタミナの面で容易なことではないらしい。チームが連敗中で二週間近く実戦のマウンドに立つ機会すら得られなかった藤川にはなおのことだったのだろう。それは敗戦処理。にも想像が付く。だが、江夏氏が言うと、また説得力が違う。

江夏氏の晩年、いやプロでの投手生活の後半はストッパーだった。ホークス時代に野村克也監督(兼捕手)からストッパー転向を命ぜられ、カープ、ファイターズでリリーフエース(当時は「ストッパー」より「リリーフエース」という呼び方が一般的だった。)として優勝請負人と呼ばれるにふさわしい活躍をした。

ただ江夏氏がリリーフエースだった頃にはこの「イニングまたぎ」は別に不思議なことではなかった。そもそもそんな言葉はなかった。

これに関しては昨年8月5日付本ブログ マンガ版「江夏の21球」を読んだ方へ で書いたことを再掲載しよう。

江夏が抑えの切り札として活躍していた頃は、リリーフエースと呼ばれる投手達は試合終盤にチームがピンチになった場合にマウンドに向かう。この試合の江夏のように七回の途中からリリーフエースが登板するというのは極めてレアなケースだが、八回の途中とか、八回の頭から出てくることもあった。逆に九回の頭からの登板でなく、九回に同点の走者が出てからの登板も珍しいことではなかった。

つまり、チームの一大事に出ていくのがリリーフエースで、リリーフエースを抱える監督の仕事は、いつ、どの場面でリリーフエースを投入するかがポイントであった。最近は逆で、リリーフエース(という呼び方自体が死語になってしまったが)は最終回1イニングをきちんと抑えるのが仕事であり、監督の仕事はその最終回まで、どうやってリードを保って迎えるか、そのための継投をすることに変わっている。

以前は「チームの一大事」があってそこに出ていくのがリリーフエースであったが、最近ではストッパーがいて、いかにしてその登板までたどりつくかが試合のポイントになっている。主役が代わったのである。

例えばの話、昨年25セーブ以上を挙げたストッパーは両リーグで7人いたが、それぞれの投手の登板数とイニング数を比べてみるとほとんど差がないと言うことがわかる。両リーグ最多セーブの岩瀬に至っては登板数よりイニング数の方が少ない。

2006年 25セーブ以上の投手の投球回数と登板試合数

岩瀬仁紀 40S  55・1/3回 56登板
MICHEAL  39S  65・2/3回 64登板
小林雅英 34S  53・2/3回 53試合
馬原孝浩 29S  54・2/3回 51登板
永川勝浩 27S  70・2/3回 65登板
クルーン 27S  48回   47登板
小野寺力  25S  60・2/3回 59登板

これに対し、江夏氏がリリーフエースとして活躍した絶頂期で所属チームを三年連続して優勝に導いた1979年から1981年を含む5年間の同じデータを調べると、

1979年C 22S 104・2/3回  55試合
1980年C 21S  86回     53試合
1981年F 25S  83回      45試合
1982年F 29S  91回     55試合
1983年F 34S  77・1/3回  51試合

1979年、1980年の所属はカープ。1981年~1983年の所属はファイターズ)

現在のストッパーとの違いは一目瞭然である。それが当たり前だった時代に君臨していた江夏氏が「藤川は八回途中からイニングをまたいでの登板となったことは酷であったと思う」と言っているから重いのである。箴言なのである。

そして江夏氏はこの試合で藤川が大逆転をくらった後の九回裏にジャイアンツのストッパーとしてマウンドに上がった上原に対してはこう触れている。

「ところで最終回にストッパーとして登場した上原に感じたのは『抑え投手』ではないなというものである。投げ急ぐし、四球を出すことを嫌がる。抑えは計算された四球というものが絶対に必要なポジションなのである。5試合で3セーブと結果は出ているが本当の抑えではないというのが私の感想である」

上原は江夏氏の言葉を肝に銘じるべきだと思う。「計算された四球」に関しては、ときに味方のファンにまでも「コバマサ劇場」と揶揄される小林雅もマジメにその必要性をかつて強調していた。

本当の抑えでない抑え投手と、クリーンアップからあぶれた一、二番打者が牽引する打線で快走しているジャイアンツが真の姿でないと言うことはジャイアンツファンである敗戦処理。でもわかっている。天敵とも言える藤川を攻略して有頂天になって読んだスポーツ紙にあまりに重い文章が書いてあったのでわれに帰った。そして翌日の試合で藤川はいつものようにジャイアンツの反撃を断ってチームの連敗を止めた。そしてそのまた翌日ジャイアンツの原辰徳監督はドラゴンズ相手に8対1とリードした最終回に慎重を期して上原をマウンドに送った…。

2007年5月11日 (金)

制度二年目で初、育成選手出身の山口鉄也が勝利投手になったその日に…。

9日のタイガース対ジャイアンツ戦で1点ビハインドの八回裏に登板して無失点に抑えたジャイアンツの山口鉄也が九回表に味方が逆転したことで嬉しいプロ入り初白星を手中にした。昨年から制定された育成選手制度で、育成選手から支配下選手登録されたのは投手ではこの山口がまだ三人目だが、公式戦で勝利投手になったのは山口が一番乗り。ジャイアンツのみならず、他球団の育成選手にも希望を与えそうな山口の快挙だったが、皮肉にもジャイアンツはこの日、六人目の外国人選手獲得を発表していた。

左膝を故障して離日中のジェルミー・パウエルと、このところ絶不調で姜建銘が二軍落ちしているため先発投手を補強したとのことだが、山口初勝利の朗報がため息に変わったのは敗戦処理。だけだろうか?

ジェレミ・ゴンザレス。32歳。大リーグ通算3035敗。今季は3Aで5試合に先発して2勝1敗。背番号は94、推定年俸5000万円。

清武英利球団代表のコメント

「先発投手がこのままでいくとは思わない。今は順調に推移しているが万全を期したい。補強に終わりはありません」

原辰徳監督のコメント

「彼が来ることでパウエルの復帰が早まり、姜が奮起してくれればいい。投手陣全体のレベルアップにつながる」

「補強に終わりはない」-いい言葉だ。手帳にメモしておこう<苦笑>

新人の金刃憲人が前評判に違わぬ活躍をし、木佐貫洋が新人王を獲得した年に近いレベルに復活しつつある兆しを示し、これまで中継ぎだった久保裕也、福田聡志も先発投手としての適応を見せている。さらにファームには野間口貴彦がいて、二年目の深田拓也もイースタンでは安定した投球を見せている。若手を競争させてパウエルや姜の穴を埋めようという発想はこの球団にはないのか?

また原監督はジェレミ・ゴンザレスの獲得によって故障で戦列を離れているパウエルの復帰が早まることも期待しているようだが、パウエルの復帰を早めたければゴンザレスに払う予定の5000万円を医師に報奨金として払うか、パウエルにボーナスを払った方がこうかがありそうではないか<苦笑>

それに、どんなに外国人選手を獲得しても一軍の外国人枠は四人で変わらない。競争による効果が期待できるかもしれないが割を食うのは結局「格下」の姜だろう。

結局のところ、ジャイアンツのやっていることは昨年、けが人が続出して戦力が著しくダウンし、それに比例するように勝率や順位が下がっていったから、とにかく集められるだけ選手を集めて多少のけが人が出ても量でカバーしようということとしか思えない。

昨シーズンの数少ない収穫が若い脇谷亮太や鈴木尚広の台頭だったのにもかかわらずそのポジションに新外国人のルイス・ゴンザレスやデーモン・ホリンズを獲得したあたりからうすうす感じていたが、本質的にチーム・コンセプトなどなく、とりあえず獲れるだけ獲っておこうというのが見え見えだ。

ため息をついているのが敗戦処理。や一部のファンだけならまだいいが、よみうりランドのジャイアンツ寮からもため息が漏れていないことを祈ろう。

2007年5月10日 (木)

巨人軍は永遠に不滅なのか?

意図した訳ではないが、昨日(8日)にエントリーした誤用例の続編から今日は入っていく。

アサヒ飲料の缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(190g)を今買うとスポーツニッポンの一面を集めたミニスクラップブックが付いてくる。スクラップブックは5種類あり、中身がわかるので購入時に選べる。プロ野球編は1970年代~80年代のプロ野球編1と1980年代~90年代の同2がある。敗戦処理。は2種とも購入したが、プロ野球編1には1974年の長島茂雄(注.当時の新聞表記は「長嶋」ではなく「長島」)の引退、現役最後の公式戦を報じた同年1015日(注.1014日の翌日)の一面が収録されている。スクラップブックには紙面の他にデータファイルという解説欄があるのだが、当然あの有名な引退スピーチが引用されている。

「巨人軍は永遠に不滅です」

ん? 永遠? 永久じゃなかったっけ?

アサヒ飲料 ワンダ スポーツキャンペーン

正解は長島茂雄はこの時、「わが巨人軍は永久に不滅です」と言ったのであり、「永遠に不滅」とは言っていない。野球用語ではないが、これほど有名なスピーチであるにもかかわらず、「永久」「永遠」にすげ替わって引用されるケースは多い。何故だろうか?

スポーツライターの玉木正之氏の著書「プロ野球大大大事典 決定版!!読むプロ野球」(東都書房)の「永久」の項によると、

(前略)この名セリフがあらためて紹介されるときは、なぜか必ずといっていいほど「永遠に」と誤って引用される。「永遠」という言葉は、ニーチェの「永遠(永劫)回帰」、ライブニッツの「永遠の心理」のように、形而上の問題を語るときに使われる場合が多く、一方、「永久」という言葉は、「永久機関」「永久気体」「永久磁石」「永久選挙人名簿」といった具合に、形而下の問題を語るときに用いられる。したがって「永久に不滅」といった長嶋茂雄は、「たとえわたしがいなくなっても、巨人というチームは勝ち続けますよ」と、ジャイアンツに対して気配りをしたのだった。が、「永遠に不滅」と思いこんでいるファンは、「長嶋茂雄のいたジャイアンツは、われわれの心のなかで、いつまでも生き続けている」と解釈しているのである。(後略)

とのこと。前半部分は敗戦処理。には難しすぎてわからないが、後半部分の例を読むと納得する。要するに当時のファンにとっては簡単に言えば「巨人の長嶋」ではなく「長嶋の巨人」だったからだ。

また、この名言を皮肉る人の中には長嶋が「不滅です」と言った時期を境にジャイアンツは不滅でなくなったのだという人もいる。これも当時よく使われた比喩だが「長嶋監督は長嶋選手のいない巨人軍を率いなければならなかった」訳で、その結果初年度には球団初の最下位に沈み、三年後には掟破りの「江川問題」。今日に至るジャイアンツの迷走の起源をたどっていくと栄光のV9が止まった翌年に長嶋が引退した時期に当たるのだ。

Dscf0001 5月2日の対ドラゴンズ戦で球団創設以来の勝ち星を5000勝としたジャイアンツ。敗戦処理。は基本的に「伝統は守るもの。歴史はつくるもの」という考え方だ。節目の金字塔を達成した記念に今年の交流戦でV9時代のユニフォームを復刻するという。ユニフォームの復刻企画は既に他球団でも企図されており、今さらという気もするが、最も伝統を大切にすべき遅ればせながらこういう企画を実行するのは素直に評価したい。思えば、あの悪名高かった「YOMIURI」表記のビジターユニに変えた年に松井秀喜が去り、その年を最後にジャイアンツは優勝から遠ざかっている。偉大な先人達に感謝するとともに守るべき伝統というものをよく考え直してもらいたいものだ。

2007年5月 8日 (火)

采配は振るうではなく振るもの?

毎週火曜日は仕事の関係で帰宅が午後11時前後になることが多い。帰宅して一息ついてテレビのスイッチを入れると、フジテレビで「タモリのジャポニカロゴス」という番組が放送されていることが多い。何故スイッチを入れるとフジテレビなのかというと、「元気のミナもと!」を観ながら朝食を取り、出勤するからである。先週5月1日放送のフジテレビ系「タモリのジャポニカロゴス」も何気なく視ていたら、「日本語動詞ましょう」というクイズの中で次のような問題が出た。

問題: …に続く正しい動詞はどちらでしょう?

采配を… A振る B振るう

私はテレビの前でかなりの自信を持って「振るう」だと答えていましたが、正解は「振る」だそうです。解答者だったお笑いのインパルス堤下敦も敗戦処理。同様に自信満々に「振るう」と答えていた。

「采配」とは昔、戦場で大将が士卒を指揮するために用いた道具。厚紙を細長く切って作ったふさに、柄をつけたもの。大将がそれを振って戦場で指揮をとっていたことから団体や組織の指揮をとることを「采配を振る」というようになったそうだ。

それでは何故「采配を振るう」という誤用がまかり通っているかというと、解説する名古屋大学の町田健教授によると「振るう」を使うのは「権力を振るう」との混同ではないかとのこと。監督の采配に基本的に選手は服従しなければならない性質があることを考えれば、「監督」が権力の象徴とも言えるから、「采配を振るう」といっても違和感はないが、文法上は誤りだとのこと。

知りませんでした。

司会の一人、フジテレビで長年プロ野球中継の実況を担当していた福井謙二アナウンサーも「私も二十年前は『振るう』で実況していました。」と告白し、冗談っぽく謝罪もしていた。

で、敗戦処理。が思いつくままに誤用されやすい野球用語を並べてみました。

「暴投」と「悪送球」

「暴投」は投手の投球で、捕手が通常捕球できないようなコースの球などを投げたことによって塁上の走者に進塁された場合を指すのだが、これ以外に例えば投手であっても、「送球」をとんでもない方向に投げた場合なども「暴投」と言っているアナウンサーが稀にいる。もちろんこれは「悪送球」。

なお走者一塁。打者のカウントがスリーボールでフォアボールになる投球が大きくそれた場合に一塁走者が二塁止まりであればそれは「四球」による進塁と解釈されるので「暴投」とは言わない。当然走者無しの場合、振り逃げが成立する場合を除き、「暴投」になるのはフォアボールになる投球で打者走者が二塁まであるいはそれ以上進んだ場合くらい。

「カバー」と「バックアップ」

「カバー」とは例えば一塁ベースなら一塁手、二塁ベースなら二塁手か遊撃手というようなそのポジションを守る選手以外の選手がそのベースの所に行って捕球を受けようとすること。例えば一、二塁間にゴロが飛んで一塁手が捕球して投手が一塁ベースまで走って一塁手からの送球を受けて打者走者をアウトにしようとすることが代表的。悪送球等に備え、そのベースの後方に待機するのは「カバー」ではなく「バックアップ」。これも稀に誤用される。

「ファウルチップ」

ファウルチップとは、投球が打者のスイングしたバットに触れてそのまま捕手のミットに入ったものをいう。捕手が落としたり、捕手や打者の足下に打球が転がるようなものは「ファウルチップ」ではなく単なる「ファウル」

野球界の体質を批判したり、偉そうなことを書いているが、まだまだ知らないことも多いことを痛感した。このブログを読んで下さっている皆さんで、敗戦処理。の文章に明らかな誤用があることにお気付きの場合には遠慮無くコメントでご指摘下さい。

2007年5月 7日 (月)

カネやん in N.Y. 「名球会」って何?

ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜が日本でのジャイアンツ時代の1390安打にヤンキースでの610安打を加え、日米合算で通算2000本安打になった。金田正一氏が会長を務める「名球会」では日本人選手がメジャーリーガーになった場合に日米合算の数字で名球会の基準を満たせば名球会の一員になれることになっており、松井も晴れて名球会の一員となった。カネやんこと金田会長自ら現地へ事前に飛び、日本で達成された時と同じように名球会のブレザーを松井に手渡した。

6日深夜のTBSテレビ「Jスポーツ」を観ていたら、日米通算2000安打に迫る松井の試合を放送する現地の実況中継の模様を流していた。敗戦処理。は英語がわからないが、テレビ画面にTBSがつけた日本語の字幕が出ていた。それは松井があと少しで日本のゴールデン・プレーヤーズ・クラブという会の一員になるということを、アメリカでいえば「野球殿堂」入りするようなものだと説明していたシーンだった。

アメリカの野球ファンは名球会のことなど知らないだろうから、手っ取り早く説明するには上手い喩えだと思う。

でも、日本でもこれに近い勘違いというか、錯覚が為されているのではないか?

名球会(正式名称:日本プロ野球名球会)は昭和生まれの日本プロ野球の選手で当初は投手なら公式戦通算200勝、打者なら同じく通算2000本安打を達成したものが資格を得るものだったが、近年これに通算250セーブ以上を挙げた投手も加えられた。また日本のプロ野球選手がアメリカ大リーグに移った場合は日本のプロ野球とアメリカ大リーグの成績の合算で上記の成績に達すれば資格を得ることになった。この形での名球会入りは松井がイチローに次いで二人目。

日本のプロ野球で200勝に到達した投手は23人。2000本安打達成者は34人。250セーブは2人。この中で昭和生まれでない川上哲治、別所毅彦、スタルヒンら8人が対象から外れ、野茂英雄、イチローと松井を加えた54名が有資格者。ただし2371安打の落合博満、2314安打の榎本喜八は名球会入りを辞退。江夏豊は退会。野茂は態度を保留している。

時代によって記録や数字の重みに違いがあって然るべきであるが、200勝、2000本安打、250セーブという成績は現時点までいつの時代においても金字塔である。その意味で名球会メンバーは一人残らず、記録の面で日本プロ野球史に名を残すべき名プレーヤーであることに疑いの余地はない。しかし、日本プロ野球史に名を残すべき名プレーヤーが一人残らずとは言わないまでも、概ね名球会入り、またはその資格を得ているかというと、そうではない。

これは当然のことで、入会資格をこれまでに挙げた3つの分野に絞っているからだ。鉄人といわれた衣笠祥雄は名球会の会員だが、それは2215試合連続出場という大記録を達成したから資格を持っている訳ではない。2543本の安打を放ったから名球会の一員になっているだけである。同様に長島茂雄とともに会の副会長を務めている王貞治も、アメリカ大リーグの通算最多本塁打記録を上回る868本塁打を放っているから名球会の一員であるのではなく、2786本の安打を放っているからである。ただしWikipediaによると福本豊は特例として通算800盗塁で認められたそうだが本人がこれを辞退して2000本安打達成時に名球会入りしている。

この矛盾?は、名球会の発足当時(1978)から一部のファンの間やマスコミでは囁かれている。田淵幸一、中西太、秋山登、吉田義男、星野仙一といったあたりに資格が与えられないことにもよる。Wikipediaでもかなり子細にその点を指摘しているが、敗戦処理。に言わせればその種の指摘はナンセンスである。

名球会はあくまで、通算200勝、250セーブ、2000本安打のいずれかを達成した者のみが資格を得る団体である。したがって田淵幸一が474本も本塁打を放っていても、通算の安打数が2000本に満たない(1532安打)以上、名球会の一員には成り得ないのだ。そして、名球会とはそういう団体なのであって、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。

もっとわかりやすくいうと、直前の文章で「団体」と表現している部分を「サークル」と読み替えて欲しい。要するにある特定の基準のみを入会資格とするサークルなのである。

変な喩えだが、Aという大学の同窓会にAでないB大学の卒業生が「うちの方が偏差値が高いのだから、俺も混ぜろ」と言ったって相手にされないだろう。埼玉県人会に参加する資格が、埼玉県生まれか、埼玉県育ちか、埼玉県で働いている人だったとすると、「東京の方が人口が多い!」と東京生まれで東京育ちで東京都に住んでいる人が叫んでもメンバーにしてもらえないのと一緒である。

それが日本プロ野球史に名を残すべき名プレーヤー達を網羅する団体のように錯覚されたり、上記Wikipediaのような批判の対象になってしまうのは、名球会会長のカネやんによる、ブレザー贈呈の儀式の印象のせいであると敗戦処理。は思っている。

この論理でいくと、間もなく名球会入りするであろうファイターズの田中幸雄のことを、「これまで一度も三割を打ったことがない」とか「入団22年目での達成と言うことは一年平均で百本を切るじゃないか」などといって名球会会員としての資格、価値に苦言を呈するのはナンセンスである。1999本で止まったら名球会に入れないが、2000本に達すれば名球会に入れる。あくまでそれだけのことである。

アメリカでの実況中継でたとえた「野球殿堂」は日本にも存在する。特定の基準に限定されず、ありとあらゆる角度で野球界に功績を残した人を対象としている日本の野球殿堂で表彰されているのは故人を含め161人。地道な活動が評価されている人もいる。名球会メンバーは一人残らず、記録の面で日本プロ野球史に名を残すべき名プレーヤーであるが記録に残らない人物にもスポットライトを当てている「野球殿堂」にももっと注目して欲しい。

「野球殿堂」が東京ドームの20番入口の横にある野球体育博物館にあると言うことを知らない人は意外と少なくないらしい。

2007年5月 6日 (日)

ドラゴンズ金本ウェーバー公示拒否の件を深読みすると…

ドラゴンズが入団二年目の金本明博投手をウェーバー公示しようとしたことに対し、セ・リーグが今月1日に公示の取り消しを通告したことが波紋を呼んでいる。

ドラゴンズは支配下登録選手数を、今後補強の必要に迫られた時に備えて上限から1人余らせて69人にしていたが、開幕前に育成選手契約を結んでいた中村紀洋内野手を支配下登録選手にしたため上限いっぱいになった。そこで再び1人余らせるために支配下選手である金本を育成選手契約に移そうとし、そのための過程としてウェーバー公示の手続きを取ったもの。これに対し選手会や他球団から、育成選手制度の趣旨に反するとの声が挙がり、セ・リーグ豊蔵一会長の判断で公示取り消しを決めた。ドラゴンズ側は支配下選手を育成選手にすることは野球協約上認められており、そのための手続きであるウェーバー公示をしたのにリーグ会長の判断で公示を取り消したり、受け付けないというのは逆に協約違反であると一歩も引かない構え。明日7日の実行委員会でこの会を検討するとのことだが、さて?

育成選手制度が採用されて二年目。これまでにオフに自由契約になった選手が育成選手として再契約されたケースはあるがシーズン中に支配下選手が育成選手に代えられる措置を講じられるのは初めてなので動向が注目される。

セ・リーグの大越英雄事務局長はこの件に関し、

「中日から公示の申請があった時は、(野球協約の)条文上、受けざるを得ないと考えた。だが育成選手は本来、すぐには支配下選手にはできない選手をプロで育成するためのものだ」

「野球協約上、会長に取り消しの権限が書かれていないことは認識しているが、書いていないことでも会長の裁量で行うことはある」

と答えている。(5月2日付日刊スポーツ)

一方でドラゴンズの落合博満監督は「野球協約に則ってやっている」とルール通りを強調。

率直に言うと、敗戦処理。はいずれこういうケースは起きるだろうと予測していた。育成選手制度があっても、支配下選手数の上限が存続する限りこのようなケースが起こり得るからだ。

育成選手制度ができる前でも記憶に新しいところでは1999年に、支配下選手数が上限に達しているジャイアンツが三野勝大をベイスターズに金銭トレードした上でドミンゴ・マルティネスを獲得した例や、2003年のタイガースが同じ状況で高波文一をライオンズに金銭トレードしてその後にジェロッド・リガンを獲得した実例がある。育成選手制度ができたのでトレードに出さずに育成選手登録に移すケースが早晩あるだろうと敗戦処理。は予想していた。

支配下選手を育成選手にするにはウェーバー公示をかけなければならない。これは球団の単なる飼い殺し、給料のカットを防ぐためだ。ウェーバー公示して他球団が支配下選手として獲得する手続きをしてきたら譲渡しなければならない。

そして落合監督が言うように「野球協約に則って」こうした措置が取られるようになれば、次第に支配下登録選手と育成選手の境界が曖昧になり、支配下選手と育成選手の一体化、即ち支配下選手枠が無くなって無制限に選手数を増やせるようになる。

そしてこの形を一番望んでいるのは、支配下選手の人数制限撤廃をかねて主張しているジャイアンツ。しかも今回そのきっかけになるかもしれない問題提議をするのは自軍ではないドラゴンズ。願ったり叶ったりではないか。

そのジャイアンツは、先頃左投手不足という台所事情も相まって、育成選手契約二年目の山口鉄也を支配下選手登録したが、これで支配下選手の人数は68人。まだ2人分余らせている。山口は昨年育成選手でも出場可能なイースタン・リーグ公式戦で25試合に登板して2勝1敗0S、防御率1.61と素晴らしい成績を残した。シーズンが変わってすぐに支配下登録されるかと思いきや、ここまでお呼びがかからなかったのはこの球団が補強に備えて枠をできるだけ残しておきたくて踏ん切りがつかなかったからではないか、と勘ぐりたくなるが<苦笑>

明日7日の実行委員会でどんな議論が為されるか?基本的にはドラゴンズVSセ・リーグという図式になるだろうが十二球団の代表者クラスが集まる実行委員会の席だけにおそらく出席するであろうジャイアンツ清武英利球団代表の発言にも注目しよう。

2007年5月 5日 (土)

高校野球と特待生制度について敗戦処理。が思うこと。

初めにはっきりしておきたいのは、ある制度なり規則に対して、その適否を論じることと、既に存在している制度なり規則に拘束されうる対象者がそれに従うべきか否かというのは全く別の次元のものであり、混同してはならないと言うことだ。

つまり、他の高校スポーツにおいては特に制約を課していない「スポーツ特待生制度」を高校野球連盟が金科玉条のごとくかたくなに適用し続けることの適否を論じることと、高野連に所属している高校野球部がそれに違反して特待生制度を実施していることを論じるのは別の次元のことであり、混同してはならないと言うことだ。

まず前者だが、これは正しいとか正しくないというレベルの話しではなく、高野連として、高校の課外活動である高校野球にどういうありかたを望むかという次元の問題であり、考えられる水準の中の一つを選択したに過ぎない。

野球部員として、もっといえば野球選手として有力と思える中学生を受け入れるに当たって、野球の技術に対して優遇する制度を認めていたら、引き抜き合戦が過剰になるだろうから、そのきっかけになるような制度を認めない。たしかに筋は通っている。

これがプロ野球ならば「戦力の均衡化を図るために過度な競争を排除する」という理屈になり、これに対する反論として、「球団(企業)努力が反映できず弱者救済に走りすぎ」という意見が出てくるだろう。しかし高校野球においては「高校生の課外活動のあるべき姿を逸脱した過度な勧誘行為を制限する」という正論で押し通してくるだろう。

もちろん、今の高校野球が高校生の課外活動にしては規模が大きすぎるのは周知の事実。何を今さらというのが、大方の野球ファン、世論の意見なのだろう。

敗戦処理。の意見としては、今回の特待生制度問題の発端が、例のライオンズ球団の裏金問題で俎上に載せられた専大北上から波及していったことでもわかるように、もはや高校野球は、高校生の野球の腕比べではない。選手や学校は内外の有象無象に良くも悪くも狙われている。放置しておけば、いろいろな魔の手が忍び寄る格好のターゲットなのである。それならば多少厳しすぎるくらいのルールで制約を課すくらいでも良いと考えている。

プロ野球のスカウトは、有望選手の存在を知れば中学生からマークする。出来れば投手を酷使しない高校に進んで欲しいとか、中学生の親や、野球部の顧問の先生を囲い込む。

また学校側も春と夏の全国大会がNHKテレビで全国放送される注目率の高さに目を付け、新興の学校は知名度を上げるための広告塔として他の運動部に比べ、野球部に力を注ぎ、学校名の露出を図る。

統括する連盟が、多少きつすぎるくらいのルールを定めないと、収拾がつかなくなると思う。

ただし、今回の一斉処分に関しては、疑義を挟まざるを得ない。

最終的に学生野球憲章に違反する特待生制度を申告した学校は376校にのぼったそうだが、これらの学校のほとんどは今年に限って特待生制度を採用していた訳では無かろう。高野連は常態化していた特待生制度を今まで見て見ぬ振りをしていたのではないのか?もっとはっきり言えば、高野連はこの問題を今まで放置していたと言われても、反論できまい。高野連の脇村春夫会長もさすがに「高野連も反省しなければならない」と話していたが、かつてのCMではないが、反省だけなら猿でも出来る。管理責任を誰かが取るべきだろう。お得意の連帯責任の原則にのっとれば高野連幹部の辞任、解任くらいはあって然るべきだろう。

続いて冒頭の部分の後半の「既に存在している制度なり規則に拘束されうる対象者がそれに従うべきか否か」についてだが、これは該当する学校への意見。いかに現実離れしたルールであっても、無視してよいという道理はない。ルールには従うか、従えなければ改正の動きをすべきであるし、何らかのアクションを起こすべきである。

しかしそうは言っても実際には、加盟する高校は弱い立場で、極端な話、今回の376校が徒党を組んで反抗しても高野連はかたくなな姿勢を崩さなかったかもしれない。それでも今回のように一校でも発覚すると、今まで見て見ぬ振り、あるいは黙認していた高野連が手のひらを返したように一刀両断するのが現実なのである。

ならば、学校側が先手を打って形骸化されている学生野球憲章の問題提議に訴える術はなかったのか?

あるとしたら、春の選抜を主催する毎日新聞社、夏の全国高校野球大会を主催する朝日新聞社を動かすという手が取れなかったか?さらにいえば、この二つの新聞社のライバルである読売新聞社を巻き込むのも手だ。

そう考えると、見て見ぬ振りという点では毎日新聞社と朝日新聞社にも批判の矛先が向けられてもおかしくはない。

高野連は今回の件に関連して該当する日本学生野球憲章第13条を変えるつもりはないという。「特待生問題検討私学部会」を設立して各都道府県連盟からの意見を吸い上げて…云々と言っているが、憲章の条文を変えるつもりが無いということは単にこれまで以上に上意下達を徹底するための機関設立に過ぎないと思わざるを得ない。

高校野球のあるべき姿を再検証するには良い機会だと思うが、高野連が聞く耳を持たないのが痛し痒し。

いっそのこと、高知県以外の46都道府県に勢力を誇る特待制度実施の376校で別団体を作ってもう一つの高校野球大会を開いたらどう<苦笑>

2007年5月 4日 (金)

あまりに重いマリーンズのエース清水直の一言

両リーグとも開幕して一ヶ月が経過している。しかし十二球団の開幕投手のうち、いまだ未勝利の投手が二人いる。マリーンズの清水直と、ゴールデンイーグルスの岩隈久志。そして今日4日にはこの二人が千葉マリンスタジアムで投げ合う。清水直の前回登板は先月26日の対ファイターズ戦。ダルビッシュ有との投手戦で初回の1失点がたたり、被安打2の完投も空しく0対1で惜敗した。しかし敗戦処理。はその翌日のスポーツ新聞で清水直のコメントを読んでエースと呼ばれる投手の神髄を観たように感じた。

26日・札幌ドーム】

M 000 000 000 =0

F 100 000 00× =1

M)●清水直(5試合0勝4敗)-里崎

F)○ダルビッシュ(6試合31)-鶴岡

27日のスポーツ新聞各紙に掲載された清水直のコメントは重かった。日刊スポーツから引用すると、

「自分の投球ができようができまいが、チームが勝たないと」

「負けてしまって申し訳ない。(次も)とにかく必死で投げていくしかない」

清水直が取られた一回裏の1失点は先頭の森本稀哲に右中間を破る三塁打を打たれ、一死から稲葉篤紀のショートゴロの間に生還を許したものだった。許した被安打は他に八回裏の金子誠の1本のみで計2本という素晴らしい内容だったが、味方打線もダルビッシュに抑えられ、2安打で完封負け。相手が悪かったと言うしかない。

しかし清水直のコメントは上の通り。特に最初に掲げたコメントは重い。

最近はエースといわれるレベルの投手でも

「今日は試合を作ることは出来た」

「最低限の仕事はした」

などと第三者が評価するコメントのようなことを自ら口にする投手がいる。どこの誰とまでは言わないが。

自分の贔屓チームのエースと呼ばれる投手のこんなコメントを聞いたことがありませんか<>

「他の人が打たない時に打つのが四番打者」

「四番打者が打てない時でも勝つのがエース」

敗戦処理。の基本的スタンスだが、これを酒の席で言うとたいていは「古い!」と一笑に付される<苦笑>

エースが投げても負ける時は負ける。でもそれは、エースが降りた時が、チームが負けを覚悟する時といった感じで降りて欲しい。試合の趨勢が決まらないうちに、今日はもう球数が○球を超えたから等という理由で次の投手にマウンドを譲る投手はエースではない。敗戦処理。も昨今の投手分業体制は理解している。しかし、エースと呼ばれる投手だけは試合の責任は自分が負って欲しい。逆に言えば、それが出来ることがエースと呼ばれるための資格だと思う。

そして清水直はそれにふさわしい資質と自覚を持った投手だと思う。

パ・リーグ予告先発

4日・マリーンズ対ゴールデンイーグルス

(千葉マリン・午後1時試合開始)

M 清水直 5試合0勝4敗 防御率6.31

GE岩隈久志2試合0勝2敗 防御率4.76

P.S.

実はこのエントリーは清水直がコメントを発した27日にすぐにでも書き込もうと思っていたのだが、よくよく考えれば次の清水直の先発も5月1日から3日までのマリーンズ対ファイターズ戦になりそうだったので、さすがにエールを送りたくなかった。1日の雨天中止で登板日がずれ、偶然にも相手先発も未勝利の開幕投手、岩隈となったので内容を一部修正して書き込んだ次第である。

2007年5月 3日 (木)

4月のジャイアンツ戦テレビ視聴率、過去最低を更新

ビデオリサーチの調べによると、ジャイアンツ戦のナイトゲームの4月分の月間平均視聴率(関東地区)が10.8%だったようだ。これは4月度の調査の比較では過去最低だった昨年の12.6%をさらに下回る過去最低記録の更新となる。昨年のジャイアンツは年間でこそ借金14の四位だったが、4月に限れば17勝6敗2引き分けと絶好調。開幕から9カード連続負け越し無しと非の打ちようのないロケットスタートでありながらの視聴率低迷で、これで二年連続でチーム成績とは無関係に視聴率低下というデータがでた。

チーム成績が良くても視聴率に反映されない。一体これはどういうことなのか?

東京をホームタウンとするジャイアンツの人気の指標を、関東地区を対象とするビデオリサーチの視聴率調査に求めるのは妥当だろう。ただ残念ながらビデオリサーチの調査は対象を地上波テレビに限定している。BSやCSで視聴しているファンはカウントされていない。これが微妙に響いているのではないか。少なくとも昨年の12.6%と今年の10.8%との間の1.8ポイントに占める割合は高いのではないかと思う。

昨年と今年でBSやCSでジャイアンツ戦を中継している比率は変わらないだろう。ただし異なるのは地上波が中継時間を延長するケースが少なくなったこと。せっかくの好ゲームも、肝心なところを楽しめないのではBSやCSを視聴できる視聴者は最初から地上波で観ないだろう。

敗戦処理。はBSデジタルを視聴可能な環境にいるが、BSデジタルで中継がある場合には最初からBSで観ている。現状地上波で、TBS、テレビ朝日、テレビ東京が中継する場合は系列のBSデジタルで完全中継するケースが多く、それらの局での中継をむしろ歓迎する。ジャイアンツの主催試合の大半を中継する日本テレビは地上波と同時にBSでの中継をしない。系列のCSで主催試合完全中継をうたっているからであろう。だが午後10時からの一時間のダイジェスト放送を今年からやめてしまったのはちょっぴり残念。

参考までに4月の一ヶ月間のジャイアンツ戦がどの局で中継されたか、地上波、BS、CSに分けて一覧した表を作成したので、ご覧いただきたい。

BSやCSでの中継は原則として試合終了まで中継する。地上波中継を延長しない局は同時に系列のBSあるいはCSで試合終了まで中継する形をとっているが、すべての野球ファンがBSやCSを視ることの出来る環境下にいる訳ではない。

地上波に限ってみれば、中継延長どころか、地上波で中継されなかった試合が25試合中4試合もあった。これも今まででは考えられなかったことだ。しかもその4試合のうち、3試合はジャイアンツの主催試合。日本テレビは何をやっているのか?

敗戦処理。が子供の頃、ジャイアンツの主催試合は日本テレビが独占中継していたが、月曜日と金曜日の試合は生中継されなかった。月曜日は人気歌番組、「紅白歌のベストテン」の生中継があり、金曜日には人気刑事ドラマ、「太陽にほえろ」があったからだ。ただしこの場合、11PMの時間帯にダイジェスト中継を流していた。野球中継とわかっていても、11PMのあのオープニング音楽から始まる番組を観るのは子供にとっては勇気の要ることだった<>

余談だが、野球中継を時間を延長して中継するようになったのはNHKを別にすれば、日本テレビではなくフジテレビが先駆けだった。当時火曜日の午後9時から放送していた「ミュージックフェア」を試合展開に応じて30分ずらして野球中継を延長することは大英断だったようだ。

「この時間は、シオノギ製薬提供、『ミュージックフェア』の時間ですが、スポンサーのご好意により、このまま野球中継を延長させていただきます」

このアナウンスに、どれだけ多くの野球ファンが胸をなで下ろしたことだろうか。

「プロ野球ニュース」で一日の全試合を深く掘り下げて解説したことと、野球中継を延長するシステムを確立したこと(それによるスポンサーの調整を可能にしたこと)はフジテレビの野球中継に関する二大快挙といって差し支えあるまい。

もっとも、その「プロ野球ニュース」も、野球だけを扱うニュースでなくなったため「すぽると」と似て非なるものに姿を変え、「プロ野球ニュース」がCSに移ったことが今日の野球中継事情を物語っていると言えるのだろうが。

一時期は最大でほぼ一時間の延長設定になったプロ野球中継だが、視聴率の低下に伴い、延長時間が減っていき、中継そのものも少なくなってきた。

ジャイアンツに限らず、試合時間短縮が叫ばれているのに抜本的な改善策を講じなかったことのつけが来ているともいえよう。そしてジャイアンツには、「勝てばファンはついてくる」と考えているのだとしたら、勝つこと、強くなることは人気回復のための必要条件ではあっても十分条件たり得ていないということをこの際はっきりと認識して欲しい。

しかもこれはジャイアンツだけの問題ではない。

ジャイアンツと対戦する球団はテレビ局に放映権を売って中継させると、一試合1億円の収入になるといわれていた。セ・リーグの各球団はジャイアンツ相手にホームゲームを13試合行って一試合当たり1億円の放映権料を得られれば、それだけで13億円の収入になる。そしてこの13億円があるか無いかが、セ・リーグ球団とパ・リーグ球団の格差でもあった訳だ。だからこそパ・リーグは長年セ・リーグとの交流戦開催を望んでいたのだ。そして交流戦開催によってジャイアンツ主催試合を減らされたセ・リーグはその「利権」を取り戻すために交流戦の試合数削減を強く訴えた。

特定球団の人気におんぶにだっこのビジネスモデルそのものが問題だとは思うが、それが現実なのだ。

厳密に言えば、地上波+BS+CSの視聴率、視聴者数を算定できるようにならないと、「ファンの野球離れ」は調べられない。球場の観客動員にも如実に表れているというが、球場に来るファン+数あるテレビ番組の中から野球中継を選ぶ視聴者という規模でマーケティングを考えないと見誤ることになろう。

敗戦処理。は「女子アナがデジアナになる」時代までは今のテレビ、視聴環境を変えないつもりだ。ジャイアンツの滝鼻卓雄オーナーも依然として多い地上波ユーザーの手に届くように、日本テレビはもとより各テレビ局と出来るだけ地上波で中継されるようトップセールスを展開しているらしい。

頑張れ、滝鼻オーナー!!

「2007.4GonTV.xls」をダウンロード

ジャイアンツ5000勝到達に寄せて

ジャイアンツが2日の対ドラゴンズ戦で延長11回の末5対3と辛勝し、球団創立以来の勝ち星を5000勝とした。もちろん日本の球団で一番乗り。おめでとう、ジャイアンツ。

ジャイアンツのユニフォームを着ている皆さんはたまたま5000勝目の時にジャイアンツの一員だったなどと思わないで下さい。5000勝は通過点です。これからもプロ野球界の一員として歩んでいく訳ですから、その中の一つの時代を担うという自覚の上でジャイアンツのユニフォームを着て下さい。

ところでこの5000勝目の試合ですが、昨年途中の11連敗を含め6勝16敗と徹底的にカモにされたドラゴンズ相手に、前日の1対5からの逆転に続き、接戦をものにした勝ち星ということで今後のペナントレース的にもかなり大きな一勝になるでしょう。

もっとも3対1と早めにリードを奪いながら、五回表の二死満塁のチャンスに小笠原道大がミスショットで平凡なセンターフライで無得点だったり、続く六回表にドラゴンズ先発の朝倉健太が先頭のイ・スンヨプに四球を出してアップアップなのに次打者の二岡智宏に送りバントをさせてみずみすアウトを一つ与えてまたも二死満塁で無得点と、ドラゴンズにとどめを刺せなかったために反撃の隙を与えてしまった試合とも言える。

しかし昨シーズンなら同点ではすまなかったろう。たぶん六回裏か七回裏に逆転されてそのまま敗れていただろう。

それがそうならなかったのは、ドラゴンズ側にも連敗中で調子が今一つで焦りのようなものもあったのだろうが、4月23日付本ブログの【伝統の一戦】悪夢の逆転サヨナラ負けから二連勝!-今年のジャイアンツはひょっとしたらと思わせる四年前のあのこととの相似でも書いたように今年のジャイアンツはひょっとしたらひょっとして、本当に昨年までと一味違うのかもしれない。

病み上がりの上原浩治に三連投をさせたり、その上原のリリーフでの起用を「暫定的な措置」と言い切って豊田清、林昌範らとの配置を決めかねている原辰徳監督の今後の手綱捌きへの不安、1日の試合でついにボロが出たデーモン・ホリンズを始めとする外野守備の不安などまだまだ手放しでは喜べないが、現時点では確実に昨シーズンまでの三年間を上回っている。

それにしても、この試合での岩瀬仁紀を引っ張り出した上での延長戦勝利は感無量だ。よくぞ相手の本拠地ナゴヤドームでこのような勝ち方をしてくれた!

思い起こせば昨年の1010日、敗戦処理。はここ数年恒例になっているジャイアンツの東京ドーム最終戦を生観戦するために仕事を早めに終えて都営三田戦で東京ドームに向かった。既に七回を終わっていての球場到着だったが、ネット裏一塁側の席に着いた瞬間眼を、いや耳を疑った。

今までに感じたことのない、ドラゴンズファンの大声援!!

ジャイアンツのホームグラウンドなのに、圧倒的にドラゴンズへの声援が大きいのだ。タイガース戦でもこれほどではない。

ジャイアンツも必死の抵抗を試み、延長12回までもつれたが、最後に力尽き、切り札・高橋尚成が一死満塁から福留孝介に勝ち越しのタイムリーを浴び、続くタイロン・ウッズに超特大の満塁本塁打を浴び、ドラゴンズがリーグ優勝を決定した。

昨年1010日付本ブログの悔しいけどおめでとう、中日ドラゴンズ!!でも書いたが、生で見せつけられるのはやっぱり悔しい。いつか逆の展開に…と思っていたが、ジャイアンツ5000勝という節目の試合がそれに近い展開になったことでいささかではあるが留飲を下げた感じがする。

もちろん、10月に倍返しできれば本当に最高なのだが。

何はともあれ、ジャイアンツよ、通算5000勝、本当におめでとう。

2007年5月 2日 (水)

今年もやります「ゴールデンウイーク暇つぶし企画」-本当の意味で最も高い年俸をもらっている選手は誰だ?

一応時節柄誤解の無いように書いておきますが、これは年俸以外の裏金を含めた金額のランキングを調べた訳ではありません<笑>。

昨年ゴールデンウイーク暇つぶし企画として発表した究極の十二球団戦力均衡化シミュレーション-ゴールデンウイーク暇つぶし企画」は、お陰様で反響がそこそこあった。そこで今年は架空の新メンバー編成は別にして、換算年俸を昨年に続き、算出してみた。オフシーズンの契約更改の時期に推定年俸のランキングはスポーツ紙などで多くの方が眼にしたことだろう。しかし例えば、金満球団での推定年俸1億円と、貧しい球団での推定年俸1億円ではその選手に対する評価は同じではないのではないか?と敗戦処理。は疑問に思ったのだ。

選手の年俸は、仮にその球団の総人件費が決まっているとしたら、その中での配分である。決まっている人件費の範囲内でいかに多くの配分を得ているかがその選手の評価の高さであると敗戦処理。は考えた。

そこで各選手の年俸がその球団の総人件費(総年俸)に対してどのくらいの割合を占めているかを出し、そのうえでばらつきのある球団ごとの総人件費を平均化して、各選手の年俸を換算し直すことで別の尺度からの年俸ランキングを出してみた。総人件費の中で多くの額を割り振られている選手こそ評価の高い選手であるという前提での換算年俸ランキングだ。

まず推定年俸におけるトップ20を挙げておこう。両リーグのうち、後から開幕したセ・リーグの開幕日、3月30日現在の十二球団の支配下選手登録803選手を対象とした。推定年俸は敗戦処理。が主に日刊スポーツを情報源にして集計したものです。

1位 6億5000万円  イ・スンヨプ 

2位 6億円        タイロン・ウッズ 

2位 6億円        アレックス・カブレラ 

4位 5億5000万円  金本知憲 

5位 5億円        松中信彦 

6位 3億9000万円  岩瀬仁紀 

7位 3億8500万円  福留孝介 

8位 3億8000万円  小笠原道大 

9位 3億5000万円  ジェーソン・ジョンソン 

10位 3億4000万円  川上憲伸 

11位 3億1000万円  上原浩治 

12位 3億円        エステバン・ジャン 

12位 3億円        アレックス・ラミレス 

12位 3億円        フリオ・ズレータ 

12位 3億円         小久保裕紀 

16位 2億8800万円  高橋由伸 

17位 2億8750万円  アンディー・シーツ 

18位 2億7500万円  和田一浩 

19位 2億7000万円  西口文也 

20位 2億6400万円  フェルナンド・セギノール 

2位が二人いるが、同じ6億円でもウッズの所属するドラゴンズと、カブレラの所属するライオンズの総人件費を比較してみないと、どちらが評価が高いかはわからない。換算年俸の計算式では球団の財源を総年俸でなく、平均年俸で代替している。各球団の平均年俸を高い順に並べてみよう。

1位 6171万円 ジャイアンツ

2位 5725万円 ドラゴンズ

3位 5435万円 タイガース

4位 4750万円 ホークス

5位 4513万円 ライオンズ

6位 4080万円 マリーンズ

7位 3939万円 スワローズ

8位 3391万円 ファイターズ

9位 3325万円 ベイスターズ

10位 3175万円 バファローズ

11位 2598万円 カープ

12位 2594万円 ゴールデンイーグルス

十二球団平均 4158万円

十二球団の平均額である4158万円を一人当たりの平均年俸額が上回る球団の選手の年俸は換算後には下がることになり、逆に一人当たりの平均年俸額が十二球団の平均額を下回っている球団の選手の年俸は上がることになります。

なお計算式は本ブログのフォーマットでは表示しづらいのでこちらをご覧下さい。

で、換算した結果のランキング、トップ20はこうなります。

1位 5億5270万円 アレックス・カブレラ

2位 4億3790万円 イ・スンヨプ

3位 4億3767万円 松中信彦

4位 4億3571万円 タイロン・ウッズ

5位 4億2071万円 金本知憲

6位 4億0003万円 黒田博樹

7位 3億3602万円 前田智徳

8位 3億2535万円 清原和博

9位 3億2369万円 フェルナンド・セギノール

10位 3億2241万円 ジェーソン・ジョンソン

11位 3億2053万円 ホセ・フェルナンデス

12位 3億1669万円 アレックス・ラミレス

13位 3億0821万円 フリオ・ズレータ

14位 2億8321万円 岩瀬仁紀

15位 2億7958万円 福留孝介

16位 2億6260万円 小久保裕紀

17位 2億5684万円 小林雅英

18位 2億5600万円 小笠原道大

19位 2億5332万円 和田一浩

20位 2億5011万円 マーク・クルーン

カブレラが昨年同時期の調査に続き、V2となった。2位はイ・スンヨプ。ジャイアンツが十二球団で最も平均年俸が高いため、実際の推定年俸より換算によって下がってしまうハンディを負いながらの2位というのはいかにジャイアンツがこの選手に金銭的評価をしているかということ。これでなおかつ四年契約なのである。その点ジャイアンツでイの次に推定年俸が高い小笠原はFA移籍のため年俸は横滑りだが、昨年は平均年俸の低いファイターズに所属していたため換算年俸ランキングでは3位だったのに、ジャイアンツで同じ額をもらっても18位にしかならないのだ。

小笠原の逆が小久保で、ジャイアンツからホークスへのFA移籍で年俸は据え置きながら、平均年俸の差で換算年俸ランキングでは34位から16位に上昇した。

また清原は昨年と同じバファローズの所属で、推定年俸が変わっていないが換算年俸の順位が昨年の31位から8位に急上昇している。これはバファローズ球団が中村紀洋や谷佳知を放出して年俸を抑制したため、総年俸に占める清原の年俸の比率が上がってしまったからだ。

余談だがバファローズは二年契約、年俸据え置きの清原の年俸費用捻出のために谷をトレード、中村に野球協約の上限を超える減額提示をしたとも言われている。本ブログでどっちもどっちと評した中村はともかく、イチローや田口壮が抜けた後のこの球団の屋台骨を背負ってきた功労者を二軍選手二人とのトレードで放出するこの球団の神経が理解できない。

FA移籍だと年俸が据え置きだとか、複数年契約による年俸の固定化などにより、必ずしも年俸額の順位と選手としての評価が比例しない側面もあるが、現状一般のファンとして知り得る選手の評価基準としては推定年俸が最適ではないかと思い、独自の判断、計算式の引用で換算年俸を算出してみました。ゴールデンウイークの暇な時間帯にランキングをじっくりご堪能下さい。

「2007kansan-nenpou.xls」をダウンロード

2007年5月 1日 (火)

「生」観戦した野球場(31)-横浜ベイスターズ総合練習場


いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数
40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。


このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。


31回 横浜ベイスターズ総合練習場 観戦球場ファイル-46

 

 

 

 

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