フォト
無料ブログはココログ

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月

2006年10月28日 (土)

FA権行使の手続き期間はアジアシリーズ終了後にしてくれ!

野球協約第201条の1号で定めるところにより、昨日27日から来月7日まで、このオフシーズンにFA権を行使する選手は手続きを取らなければならない。

日本プロフェッショナル野球協約2006

第22章 フリーエージェント
=以下抜粋=

第201条(行使の表明)
(1)FA資格選手は、その年の日本選手権シリーズ試合が終了した日の翌日から土、日、祭日を除く7日間以内に、在籍球団にたいしFAの権利を行使する意志を表明することができる。

(2)FAの権利を行使する意志を表明したFA資格選手は、第1号に規定する期間内に、在籍している球団代表者と連名によりコミッショナーあてその旨文書で申請しなければならない。

で、今年の場合は26日に日本シリーズが終了しましたから、昨日の27日から今日明日、さらに11月3~5日の三連休を除く7日間のうちに行使手続きをしなければならない訳ですね。締切は11月7日。

これ、手続きの手順としてはこれでわかるのですが、「日本選手権シリーズ試合(日本シリーズのこと)が終了した日の翌日から…」「アジアシリーズが終了した日の翌日から…」に改めてもらう訳にはいきませんかね<苦笑>。

11月9日から11月12日のアジアシリーズでアジアチャンプイオンを目指すファイターズに宣言行使手続き済みの選手がいるとなると、試合に集中できないというか…。

SHINJOが引退表明済で日本シリーズに臨むのとはちょっとニュアンスが違いますものね。

11月3日から始まる日米野球、9日からのアジアシリーズを踏まえてNPBが11月を「国際月間」と位置づけるなら、なおさら配慮してもらいたいものだ。今年はもう無理にしても、来年以降考え直してもらいたいものだ。

【資料】2006年度 フリーエージェント資格選手

これで見納めなんて信じたくないですが、ファイターズの歴史では25年前にはパ・リーグ優勝時に後楽園球場で胴上げがなされ、今年はパ・リーグ優勝と日本シリーズ制覇で札幌ドームで胴上げが実現されたので、あとは東京ドームだけなのですよね。東京ドームでの胴上げと、生「シンジラレナ~イ!!」を体感したいのでアジアシリーズ決勝戦を観に行こうと思っています。

2006年10月27日 (金)

ファイターズ日本一の瞬間をどこで迎えるか?

Photo_12 東京在住なので当然札幌ドームへは行けず。プレーオフで優勝を決めた日のような鎌ヶ谷市のパブリック・ビューイングも無いこの日、敗戦処理。は仕事を終えて、いてもたってもいられず、かつての本拠地東京ドームに向かいました。

もちろん、パブリック・ビューイングをやっている訳でもなし、日本シリーズやファイターズに因んだイベントを開催している訳でもありません。当然球場のなかには入れません。

長い長い、苦しみの時期を乗り越えての栄えあるその瞬間をどこで味わうか? 

仕事が早く終わっていれば、まっすぐ家に帰ったかもしれません。しかし中途半端に残業してしまったため、どうしたものかと迷った挙げ句かつての本拠地にでその瞬間を観ようと、ワンセグ携帯を片手にひとりで水道橋に向かいました。

当然、誰もいません。東京ドームでその瞬間を体感しようなんて輩は<苦笑>。

でも、うれしかった。

本当は今日はいろいろなことを書き込みたかったのですが、頭が整理できません。何たってこのチームを応援して初めての日本一なのですから。

ファイターズナインよ、北海道でこのチームの背中を押したファンの皆さん、本当にありがとうございました。

(写真はひっそりとした優勝決定時の東京ドームです。)

2006年10月19日 (木)

ホークスは本当に「3年契約・総額10億円」も出してまで小久保を獲得するのか?-ダイエーは遠くなりにけり

17日、ジャイアンツの小久保裕紀がこのオフにFA権を行使する旨を表明した。FA宣言の解禁は日本シリーズ終了の翌日だが、宣言すれば古巣のホークスが獲得に動き、ジャイアンツも慰留する見込み。16日付日刊スポーツによると、ホークスが小久保に提示する条件は「3年契約、総額で10億円」だそうだ。かつて当時の球団社長の球団私物化に対する反発が元で、また年俸抑制もあって小久保をタダでジャイアンツに放出した球団が、経営母体が変わったことで破格の好条件でチームリーダーに復帰を画策する。まさに「ダイエーは遠くなりにけり」だが、本当にそこまでの額を払うだけの価値があるの?

そしてこの獲得劇が、莫大な資金力を持つといわれるソフトバンクグループによるマネーゲームの始まりだとしたら、いずれそれは球団間での過当競争となるような事例を頻発させ、資金面で付いてこられない球団、親会社は撤退を余儀なくされ、再び2004年の悪夢-球界再編騒動を巻き起こす第一歩となるのか?

ジャイアンツファンである敗戦処理。としてはもちろん戦力として、チームのリーダーとして、小久保には来季もジャイアンツでプレーして欲しいと願っている。ジャイアンツファンとしての視点で小久保のFA宣言をどう捉えているかは、アット・ニフティのベースボールフォーラム内の読売ジャイアンツ掲示板の小久保に「3年10億」以上の好条件を出せるのか?で述べましたので、ホークス球団の動きに関して思うところを述べてみたいと思います。

小久保がFA宣言行使を表明したということは、ホークス移籍を視野に入れていることは明らか。それは上記で表現した「マネーゲーム」-よりよい待遇を求めてというものではおそらくなく、不本意な形で退団に至った古巣への愛着、そして何よりも小久保が尊敬しているホークス王貞治監督のために一肌脱ぎたいというのが真相であろう。

それならば契約額はさしたる問題では無いような気もするが、他球団から選手を獲得するのに恥ずかしくない金額を提示するということなのだろう。そうであるならば、ジャイアンツが出す条件以上でなければならない。17日のスポーツ報知によると、ジャイアンツが提示する条件は「2年契約、総額7億円」だそうだ。小久保の今季の推定年俸は3億円と言われているが、これだけでもかなりの好条件と言えよう。小久保は今35歳だ。ホークスが提示する3年契約の三年目には38歳になる。ちなみに小久保と同額以上、今季推定年俸が3億円以上の日本人選手を列挙すると、

松中信彦、小笠原道大、上原浩治、今岡誠、松坂大輔、高橋由伸、岩瀬仁紀、西口文也、SHINJO

であり、SHINJOが小久保と同学年である他は、全員小久保より年下で、年齢的にまだまだ下降期の選手はいない。

ちなみに指の故障などに泣かされた今季の小久保の成績は88試合の出場にとどまり、19本塁打、55打点(打率は.256)というものだったが、これを来季の公式戦144試合に換算すると、31本塁打、90打点となる。これは昨年の小久保の成績-142試合、34本塁打、87打点とほぼ遜色ない。故障がなければ一年前の成績と同等のものは残せると言う見方も成り立つかもしれないが、来季で36歳になるということを考えると、この成績を維持出来れば万々歳とも思える。

親会社がソフトバンクになってからのホークスは、昨年のオフにはドラフトの希望枠で獲得した松田宣浩らの育成含みで、昨年から今季までの二年契約×5億2000万円(推定)といわれたトニー・バティスタを契約期間一年を残して解雇した。つまり5億2000万円をドブに捨てたのと同じだった。結局バティスタの抜けた三塁のポジションは固定出来ず、そこに三塁を守る小久保に3年間で10億円プラスジャイアンツへの補償金3億6000万円(あるいは3億円プラス人的補償)もの費用をかける。これははっきりといって、チーム方針に脈絡がないことのあらわれである。企業会計が企業グループの連結決算で評価される時代に、子会社がこんな無計画な金の使い方をしたら、普通なら親会社から介入があり、子会社の責任者は飛ばされても不思議ではあるまい。

野球界という興行の世界においては特定の球団による突出した資金力のかけ方が、行き着く先には2004年の悪夢-ついて行けない球団の脱落を呼び、第二の合併騒動、球界再編騒動の再現を起こしかねない。

また、資金力ばかりに依存して戦略を欠くと、長期的にはジャイアンツの二の舞になる、「仏つくって魂入れず」のようなチームになってしまうおそれもある。バティスタ解雇と小久保獲得の矛盾という問題もいずれは語られるであろうし、松中への長期契約も本当に適切なのか、誰もチェック出来ない。「ダイエー」時代に根本陸夫氏が健在だった頃には現場とフロントは一体ではあったが明確に線引きされていたというが、今のホークスは監督がGMと副社長を兼務している。

十二球団の中の一つとしてのホークスが補強で強くなろうと、逆に思惑が外れて弱くなろうと、それはホークス球団の自己責任だが、今回の小久保への破格とも思える条件提示に象徴されるような金に糸目を付けない動きをし始めると他球団を巻き沿いにして財政を逼迫させるおそれがない訳ではないので、ひとまず警鐘を鳴らしておきたい。

それにしても、このチームをはたから見ていると、松中をチームリーダーとして団結する形で何の問題も無いように思えるのだが、そうではないということなのだろうか?

2006年10月18日 (水)

松坂を大リーグに渡して本当にいいのか?

ライオンズがパ・リーグのプレーオフ第一ステージで敗退したため、大リーグでのプレーを熱望しているといわれる松坂大輔のポスティングシステムによる大リーグ移籍をライオンズ球団が認めるかどうかに注目が集まっている。

2000年オフのイチローの時と同様に、FA権取得を一年前にしてのポスティング容認となれば、FAによる大リーグ移籍だと球団に補償金が入らないため、ポスティング制度にかけて入札金が球団に入る方が得という考えなのであろう。しかし、本当にそれでいいのか?

このジレンマは、ポスティングシステムがあって、一年でも早く大リーグに移籍したい選手が存在する限り今後も続くものであろうが、イチローの時にも感じたことだが、「ライオンズの松坂」というより、「日本を代表する投手・松坂」を一年前倒しして手放してしまって良いのだろうかという疑問が敗戦処理。には残る。

12日付の日刊スポーツによると、米国シアトル紙が松坂の交渉権獲得には日本円にして約3450000万円が必要だと報じているらしい。たしかにこの金額が入れば、少なくとも来年のライオンズは単年では赤字から脱却出来そうだ。

西武ホールディングス後藤高志社長

「日本ナンバーワン投手だから(抜けた場合の不安は)大きいが、一般論としてトップアスリートが世界の舞台で腕を試したいという気持ちは理解できる。西武グループとしては容認?そう受け取ってもらって結構です。」

まあ西武グループの財政的事情を考えると、34億円には代えられないのでしょうね。

しかし冷静に考えると、来季のライオンズ球団の収支は、この34億円を別にして今季と比較した場合、明らかに落ちることだろう。

それでなくても、ライオンズの人気は決して高いとは言えない。プレーオフ第一ステージ、第二戦、第三戦のスタンドの熱気はホークスファンに完全に押されていたという。埼玉県所沢市という独占市場にいながら、同じパ・リーグでもファイターズ、ホークス、マリーンズのような地元に愛される地域密着型球団になっているとはとても言い難い。常勝球団を築いた名将森祇晶が抜け、清原和博が抜け、松井稼頭央が抜け、豊田清が抜け…、その度にチームカラーを変え、25年間の長きにわたりAクラスを続け、その間半分以上の15年間もリーグ優勝を果たしているチームつくりには本当に頭が下がるが、ファンによる盛り上がり、一体感に欠け、観客動員もままならない。今シーズンは終盤までリーグ1位突破がかなり濃厚な位置をキープしていたにもかかわらず、観客動員数では実数発表になってから二年連続でパ・リーグ5位。これがライオンズ球団の実情だ。

冒頭に記した、イチローをポスティングシステムで手放した当時のブルーウェーブがその後どうなったか?

ライオンズも旧ブルーウェーブと同じような転落の一途をたどるのか?

かつて大砲清原がFAで抜けた時には機動力野球型のチームに変革して翌年には3年ぶりのリーグ優勝をすぐ果たした。松井稼頭央の抜けた穴は、同じ遊撃のポジションに全く異なるタイプの中島裕之を抜擢し、やはり翌年すぐ優勝を果たした。松坂の代役など、来季すぐにあらわれるはずはない。西口文也を中心に投手陣全体のレベルアップで補おうとすることが考えられるが、あるいは打高投低のチームに変貌するのかもしれない。これまでの事例同様、チームカラーを一新して臨むかもしれない。

しかし今のライオンズにとって重要なのは、そうしたチーム強化もさることながら、チーム成績が安定しているのに観客動員がままならないことへの対策の方が急務で、こればかりは松坂のポスティング移籍で大リーグの球団から34億もらおうがいくらもらおうが、決して解決には近づかない問題である。

一説によると、イチローをポスティングにかけたことで旧ブルーウェーブ球団にもたらされた入札金の約14億円は球団の強化費などに使われたのではなく、それまでの球団の赤字を補填してきた親会社に還元されたといわれている。西武グループが同じ道理で松坂の入札金を還元するよう介入してくることも想像に難くない。上記の西武グループトップのコメントをその通りに受け取れはしない。

「松坂がいるだけじゃ、観客動員に結びつかない」

よく耳にする意見だ。しかし「松坂がいなくなったら、さらに観客動員は冷え込む」ということが何故わからないのか。「目先の金に目がくらんで松坂を売った球団」というレッテルを貼られ、さらに球団イメージを悪化するリスクを考えていないのか。たしかに34億円という大金は、何物にも代えがたいものだろう。松坂流出という問題はポスティングをしなくてもその一年後には間違いなくやってくる問題だ。一年早くチーム力の低下を招くリスクを負ってでもどうせなら球団への見返りが多い方法を考える道理もわかるが本当にこれが最良の選択肢なのか?

今後も大リーグ志望の高い超スター選手を抱える球団は、選手の大リーグ移籍希望を我慢させながら、FA取得一年前にポスティングシステムでの移籍を容認するという戦術に走るだろう。しかし、スター選手の流出ということがいかにチーム力に響くかということをもう一度考えて欲しい。一年でも長くそのような選手には元の球団でプレーして欲しいと、ファンは本音では思っているはずだ。

ポスティングではないが、松井秀喜を失ったジャイアンツは、その後天下のジャイアンツとは思えないほど悲惨なチームに成り下がっている。清原、松井、豊田らの流出を、チームカラーを変えることで何とかチーム力ダウンを免れてきたライオンズが、また今度もチーム力ダウンを免れる術を持っているのか、そしてさらなる人気低下の足止めがかかるのか?

ポスティング移籍はもちろんルールに則った正規の移籍手続きであるのだが、FA移籍ですら元の球団のファンの心証を悪くする一面が少なくない現状ではポスティングによる大リーグ移籍にはファンの目はより冷ややかなのは否めない。個人的にも松坂がポスティングでの大リーグ移籍を実現するのなら、その際にはライオンズへの入団時に当時の東尾修監督からもらった200勝目のウイニングボールを東尾氏に返却してから行って欲しいと思っている。筋違いかもしれないが。

松坂を大リーグに渡して本当にいいのか?

2006年10月17日 (火)

そらみたことか!日米野球、藤川、岩村、松中の三選手が辞退-日米野球はもういらない?

労組日本プロ野球選手会の宮本慎也会長は今年の7月27日に行われた構造改革協議会の事務折衝で日本プロ野球組織(NPB)に対し、今回限りでの日米野球の打ち切りを要望していた。理由として「11月は意味ある試合に充てたい。WBCの実現で日米野球の役目は終わった」と語っていた。WBCが行われる時代に実質的に親善試合に過ぎない日米野球などを開催する意義に疑問を感じ、選手会として日米野球に参加するのは今年限りでそれも五試合までとの意向を表明したものだったが、案の定というか、ファン投票で選出されたNPBのメンバーから早くも出場辞退者が発表された。藤川球児、岩村明憲、松中信彦の三選手だ。

イオン日米野球2006 NPBファン投票選出選手

先発投手 松坂大輔(L)
中継投手 藤川球児(B)
抑え投手 馬原孝浩(H)
捕手    阿部慎之助(G)
一塁手  小笠原道大(F)
二塁手  藤本敦士(T)
三塁手  岩村明憲(YS)
遊撃手  川崎宗則(H)
外野手  SHINJO(F)
       福留孝介(D)
       青木宣親(YS)
指名打者 松中信彦(H)

1990年に結ばれた協定により、日米野球は隔年で開催されることが決まっており、今年は開催される年。読売新聞社と毎日新聞社が交互に主催しており、今年は読売新聞社主催の年。しかし日米野球にはサッカーの日本代表チームが行う国際試合のような緊張感はまるでなく、明らかに親善試合として行われてきた。ファンもその前提で親しんできた。しかし今春WBCという野球の世界大会が初めて開かれ、プロチーム参加でのガチンコ国際試合が行われて大いに盛り上がったことを考えると、今さら親善試合丸出しの日米野球をやる意義があるのかという選手会の主張には敗戦処理。も同感だ。

特に今年の場合、日程を見ると日本シリーズの後に日米野球があり、その後に第2回のアジアシリーズが行われることになっている。単純に言えば、真剣勝負→親善試合→真剣勝負 という変速開催だ。宮本選手会長もこの開催順を憂慮して「(日米野球には)アジアシリーズにでる優勝チームからは選ばないで欲しい」と機構側に伝えたとのこと。当然であろう。

そうなると、既に出場辞退した三選手のみならず、日本シリーズを制覇するファイターズの小笠原道大かドラゴンズの福留孝介のいずれかが辞退することも予想されるし、これから発表される監督推薦(注.NPB選抜の監督はゴールデンイーグルスの野村克也監督)に日本シリーズ優勝チームの選手が含まれないという事態も予想される。これでNPB選抜と呼べるのだろうか?

そもそも、WBCの感動から半年たつ時期とはいえ、今年親善試合の日米野球を法外な入場料で開催して、客が集まるのかという最大の疑問がある。実は敗戦処理。は日米野球観戦マニアで、別に大リーグに関心が深いわけでもないのに近年の日米野球は毎回一試合以上、東京ドームで生観戦している。

セシル・フィルダーも、オジー・スミスも、ケン・グリフィーJr.も、バリー・ボンズもマイク・ピアッツァも、サミー・ソーサも、デービッド・オルティスも、マリー・ラミレスも、ロジャー・クレメンスも東京ドームで生で観た。ドジャースの野茂英雄(スコアボードの表記は「ノモ」)VSブルーウェーブのイチローの対決も観たし、32年前にはジョー・トーリの現役姿だって後楽園球場で観ている。

しかしMLBの誰が目玉として来日しても、敗戦処理。は今回東京ドームに足を運ぶつもりはない。

NPBでは来季、セ・パ統一のポストシーズンゲームを立ち上げ、交流戦に続く目玉に育てていこうとやっきだ。今年のパ・リーグのプレーオフの盛り上がりを考えれば、セ・パ両リーグともにプレーオフを行うスケールメリットには確かに期待出来る。そしてその流れで、宮本選手会長も「11月は意味ある試合に充てたい」と主張しているのである。昨年から開催したアジアシリーズがまさに意味のある試合で、将来的にはMLBのワールドシリーズ優勝チームとの対決の挑戦権を得る大会へと発展させたい訳である。そしてポストシーズンゲームで盛り上がれば盛り上がるほど、その合間に、あるいはその後に開催される親善試合丸出しの日米野球が興醒めになるのは明らかだ。むしろ2007年に予定されている日韓野球こそ、WBCでの準決勝敗北を理不尽なものと考えている韓国球界が何らかの形で真剣勝負のイベントに変貌させようとしている節もあり、真剣勝負としての演出が見込める。要するに宮本会長の言うように、「WBCの実現で日米野球の役目は終わった」と断言して良いだろう。

そして、せめて最後くらいと言いたいところだが、現状NPBが日米野球の打ち切りを表明している訳ではないので本当に最後という保証もない現状では、シーズンで故障を抱えている選手が身体に鞭打って出場するとは考えにくく、主催者が「世界最強リーグ決定戦」と高らかに謳おうと、看板倒れの大会になるのは目に見えている。

おそらくは二年に一度の定期戦と言うことで、水面下での準備は大げさでなく前回2004年の大会終了後から始まっており、主催の読売新聞社としても引っ込みが付かないというのもあるのだろう。

その点ではWBCのアジアラウンドも主催し、どちらに転んでも、と言う感じの読売新聞社はさすがと言うしかないのかもしれないが<苦笑>。

ただポストシーズンの親善試合を減らそうとし、11月は意味ある試合に充てたいと主張している選手会に一言。

静岡草薙球場で行われるパ・リーグ東西対抗、これは残して欲しい。このイベントはパ・リーグ六球団合同のファン感謝デーのような意味合いがあり、年に一度、六球団のファンが球団の垣根を越えて楽しめるお祭りだ。北は北海道から南は福岡まで本拠地が広く分散しているパ・リーグの特徴を鑑み、静岡という日本の真ん中寄りにある場所で開催されるのもまたよい。試合終了後には外野席入場口に六球団の応援団が集結し、順に自チームの応援歌や人気選手のヒッティングマーチを演奏するパフォーマンス合戦は壮大で楽しい。半年間(今年はそれ以上)の激闘を終えた選手達には大変かもしれないが、出身地別東西対抗とか、甲子園出場組対不出場組などという訳のわからぬイベントなどどうでもいいから、パ・リーグ東西対抗くらいは残して欲しいものだ。

これに関しても親善試合である日米野球を中止にすれば、日米野球開催年には日米野球とパ・リーグ東西対抗が同日開催になり、パ・リーグの花形選手の何人かが掛け持ちとなり、デーゲームで行われる東西対抗を試合途中で抜け出し、ナイトゲームで行われる東京ドームの日米野球に駆けつけるなどという、双方の観客をバカにしたような二年に一度のダブルブッキングも今年で見納めになるかもしれない。(ちなみに今年は11月5日がダブルブッキング)

ファンがぜひとも観たいと思っているものと、そうではないもの、このあたりの取捨選択を誤ると、球界の改革がうまくいかないということを、よく考えて欲しい。

2006年10月16日 (月)

「生」観戦した野球場(18)-広島市民球場

01_9 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

18回 広島市民球場 観戦球場ファイル-17

1990年代の後半に入ってから、出来るだけ多くの日本の野球場でプロ野球を観たいという衝動に駆られた敗戦処理。にとって、最初の目標は十二球団の本拠地をすべて回ろうということだった。首都圏の球場は早々と制覇したし、ドーム球場が増えたお陰で遠方の球場でも予定さえ取れれば観戦は困難ではなくなったが、最後に残ったのが広島市民球場だった。東京在住の敗戦処理。にとっては福岡ドームより近いとはいえ、何せ屋根のない球場なのでせっかく球場まで行っても雨天中止ではもったいない。しかし一つの目標として「二十世紀が終わるまでに十二球団本拠地観戦制覇を果たす」を掲げていたこともあり、2000年のお盆休みを利用して広島市民球場観戦計画を立てた。

2000年8月16日。敗戦処理。は名古屋在住の旧知の友人Y氏とともに広島に向かい、現地で共通の友人である広島市役所勤務のG氏と合流した。実は当時は広島市民球場でのカープ戦のチケットはチケットぴあや、イープラスなどで扱っておらず、東京あるいは名古屋在住の身では事前に前売り券を入手するのが困難だったので、G氏の協力無くしてはこの観戦旅行は成り立たなかったかもしれない。

もちろん、平和記念公園や原爆ドームを訪ねてから市民球場の門をくぐったのは言うまでもない。

カードはナイトゲームで、カープ対ベイスターズ戦、G氏が用意してくれたのはネット裏の二階席。お盆休みの時期でかき入れ時ではありながら、お世辞にも大入りとは言えない閑古鳥が鳴きそうな雰囲気であったが、どんよりとした夜空が望めることとともに、何とも言えない風情を感じたものだった。G氏は残念ながら仕事の関係でいったん職場に戻らねばならず、スタンドでの再会は試合終盤になったが、思い出話と野球談義に花が咲いた。

近年、球場のドーム化が進み、本塁打量産球場はついに神宮球場と、この広島市民球場くらいになった。神宮球場も個人的には賞味期限を過ぎていると思っているが、広島市民球場は新球場の構想がついに具体化されてきた。アメリカ大リーグに今なお残るクラシックなスタイルのボールパーク構想が今なお生きているのなら、何とかその路線で新球場を建てて欲しいものだ。少なくとも天然芝は残して欲しい。

個人的には12個あるフランチャイズ球場の内、1個や2個は狭い球場があっても構わないと思う。「広島」という、全ての日本人にとって特別な知である場所に、プロ野球草創期からの苦悩を思い起こさせる野球場を残しておく意義は充分にあるはずだと思うからである。だがさすがに球場とバスターミナルが密接しているのには驚いたが。

新球場は来年秋に着工、2009年春のオープンを目指すという。それまでにもう一度訪ねておきたい球場だ。

2006年10月15日 (日)

大道典嘉に戦力外通告!-南海ホークスが消えていく!

既に芝草宇宙ら三選手に戦力外通告をしていたホークスが、プレーオフ第二ステージ敗退で今シーズンが終了したことでさらなる戦力外通告を断行。昨年のパ・リーグベストナインに選ばれた宮地克彦外野手、過去の優勝に大きく貢献した吉田修司、岡本劼能の両投手、入団してわずか二年の定岡卓摩内野手、そして南海ホークス最後の年1988年に入団した現役では唯一の南海ホークス時代からの生え抜きの生き残りである大道典嘉外野手に戦力外通告をした。

パ・リーグベストナインから一年の宮地と、プレーオフ第一ステージ第二戦では「三番・DH」で出場して勝利に貢献した大道は現役続行に意欲満々。しかし宮地35歳、大道36(今月28日で37)という高齢を考えると、選手生命の大ピンチといえよう。

大道は南海ホークスでプレーした生え抜きとしては最後の選手。大道が現役を引退したら、南海ホークスでプレーした経験を持つ現役選手は他に現ゴールデンイーグルスの吉田豊彦だけになる。身売りや本拠地移転が目立つパ・リーグの球団では、このような「最後の生き残り」プレーヤーはファンから絶大な人気を誇る。しかもその選手達は、ただ長くいるというだけではなく、無くてはならない存在感を持ち続けるものだ。

大道で言えば、第一戦を落として後のないプレーオフ第一ステージ第二戦で左投手であるライオンズ先発、松永浩典対策で「三番・DH」でスタメン起用された。四打席で二打数無安打だったが、六回表の第三打席での無死一塁からの送りバントと、八回表一死無走者からサウスポーの三井浩二から選んだ四球はともに得点に結びついた。このように使えば使ったなりの仕事をするのがベテランの味なのである。しかしシーズン中の44試合出場、打率.217、本塁打0、打点8という成績では致し方ないのか。チームメートだけでなくファンにも求心力の高い小久保裕紀の復帰が噂される一方で、小久保より古く、長く愛された大道は去っていく。これも実力社会の結果なのか。

大道が南海ホークスの「最後の生き残り」と書いたが、他の「最後の生き残り」をまとめてみた。

南海ホークス

大道典嘉(ホークス)

吉田豊彦(現ゴールデンイーグルス)

阪急ブレーブス 

高木晃次(現マリーンズ)

中嶋聡(現ファイターズ)

ロッテオリオンズ 

前田幸永(現ジャイアンツ)

小宮山悟(現マリーンズ)

堀幸一(現マリーンズ)

後楽園球場を本拠地とした選手 

川相昌弘(現ドラゴンズ)

桑田真澄(ジャイアンツ)

田中幸雄(ファイターズ)

ナゴヤ球場を本拠地とした選手 

山本昌(ドラゴンズ)

立浪和義(ドラゴンズ)

山崎武司(現ゴールデンイーグルス)

酒井忠晴(現ゴールデンイーグルス)

藤井寺球場を本拠地とした選手

吉井理人(現バファローズ)

的山哲也(現バファローズ)

水口英二(現バファローズ)

平下晃司(現マリーンズ)

※ 今シーズン限りで戦力外通告を受けた選手、現役引退する選手も含んでいます。

ざっとこんな感じでしょうか。抜けていたらごめんなさい。

個人的には「後楽園球場を本拠地とした選手」の田中幸雄に、同一球団でプレーしながら三つの本拠地で本塁打を放つという快挙?を実現して欲しいと願っているのだが、札幌ドームを本拠地として三年間。札幌ドームでの本塁打はいまだにゼロ。

来季、2000本安打を札幌ドームでの本塁打で決めてくれれば最高なのだが。

2006年10月13日 (金)

おめでとう北海道日本ハムファイターズ、移転三年目にパ・リーグの頂点に!

何かまだ、夢見心地です。

ヒルマン監督ではないですが、

「シンジラレナーイ!?」

というのが四時間くらい経った今でも同じ気持ちです。

今年の夏のことでした。ジャイアンツファンの悪友の、心ない一言から始まりました。

「いいよなぁ、パ・リーグは。二位や三位でも優勝出来る可能性があるのだから…。」

敗戦処理。はその一言で目を醒ましました。それまでは敗戦処理。としても、ファイターズが上位三強(ライオンズ、ホークス、マリーンズ)のどれか一つを引きずり落とし、Aクラスに入り、隙を見て二位になって二年前は実現出来なかった札幌ドームでのプレーオフを実現出来ればと思っていたのですが、まさか、シーズンを1位で通過出来るとは。

プレーオフに関しても、過去二年は三位のチームは二年前のファイターズがシーズン貯金1、昨年のライオンズに至ってはシーズン勝率が五割を切った、つまり負け越したのである。それが今年は、マリーンズがAクラス進出争いから脱落した頃を境に三強三弱がはっきりとし、ファイターズ、ライオンズ、ホークスの三球団はどこが日本シリーズに出てもパ・リーグの代表として恥ずかしくない成績であった。そして、第一ステージの三試合、第二ステージの二試合、どれも鮮烈に記憶に残る好ゲームであった。

SHINJOの言葉を借りれば、

「これからはパ・リーグです」

と、今度こそ胸を張って言えるシーズンだったと思う。

それにしても、ファイターズ。

今年3月25日の開幕戦のベンチ入りメンバー25人の中に、ファイターズが札幌に移転してからファイターズに入団した選手は9人しかいなかったのですが、今日のプレーオフ第二ステージ第二戦にはベンチ入り人数のほぼ半数の12人(一軍登録ベースだと27人中14人)が、北海道に移転した2004年から今年までの間にファイターズに加わった選手なのだ。

本当に「北海道」日本ハムファイターズになりましたね。

それでいて年に十試合近くの東京ドーム主催試合で帰京(帰郷)し、なおかつファームは鎌ヶ谷にとどまっている。合併球団のファンの人が「ウチのダブルフランチャイズはうまく機能していない。日ハムの札幌ドームと東京ドームの方がよほどダブルフランチャイズだ」と言っていましたが、これは在京ファイターズファンにとっては最良の誉め言葉だと思っています。

今年開幕時のメンバー表を観ると、投手で年間二桁勝利を経験したことがあるのが金村曉ただひとりだったのだ。これでどうやって年間の星勘定が出来ようものか<笑>?

OBの岩本勉氏の分析によると、トレイ・ヒルマン監督がヒルマン流をかなぐり捨て、日本に通じる日本流に鞍替えしたのは昨年の交流戦でセ・リーグのチームに歯が立たなかったのを機に、自分流を捨て、チームとしても一体感を増したという。

敗戦処理。は十二球団の中にもう一つ贔屓球団を持っているので、本当のことを言うと、25年ぶりの祝杯ではない。しかし個人的に、今回の優勝が最も感慨深いのである。

それはファイターズという球団を応援している中で、単に試合の勝敗を追いかけるというのではなくて、いつの間にかファームにまで夢中になっていたので、何人かの選手の今日、この瞬間に至るまでの過程、苦しい時期、鎌ヶ谷できついヤジに晒されながら、泥にまみれてきた課程をこの目で見ているからだろう。東京ドームだろうが札幌ドームを本拠地にしようが、やっぱりこのチームの原点は鎌ヶ谷である。ファイターズタウンなのである。

などと、今日は堅苦しい理屈、分析は抜きで、誰が何といおうと25年ぶりの栄光を一晩中、ずっとずっと、噛みしめていたいのだ。本当に長かった。でも嬉しい。本当にありがとう。ありがとう、

最後になりましたが、今日、ファイターズに最後の最後まで立ちはだかった斉藤和巳投手に、一プロ野球ファンとして最大級の賛辞を贈りたいと思います。

2006年10月10日 (火)

悔しいけどおめでとう、中日ドラゴンズ!!

01_3 ここ数年、ジャイアンツの本拠地最終戦を生観戦し続けているのですが、覚悟をしていたとはいえ、凄いものを観てしまいました。

しかし不思議なものです。優勝監督インタビューで落合博満監督が涙声になっているのを聞き、何だかこちらまでジーンと来てしまいました。

悔しい、悔しい、本当に悔しい。でも今日のジャイアンツナインは本当によく闘った。日曜日の甲子園といい、今日といい、やれば出来るじゃないか!

中日ドラゴンズよ、本当におめでとう。

続きを読む "悔しいけどおめでとう、中日ドラゴンズ!!" »

2006年10月 5日 (木)

安倍晋三新首相が再チャレンジ支援策を掲げる時代なのに…。-戦力外通告はお早めに

3日付の当blog.で「戦力外通告の季節がやってきた -そして鎌ヶ谷で最後の姿を観たのは…」と題して、毎年のこの時期、どうしても避けられない戦力外通告の話題に触れた。特に思い入れの深いファイターズの選手にコメントを添え、その時点で敗戦処理。が把握していた戦力外リストを付記した。その後さらに新たに戦力外通告の選手を発表する球団が増え、4日現在で十球団から発表されている模様だ。

彼らの中にはチャンスがあれば他球団でプレーしたいと願っている選手も少なくない。先頃総理大臣に就任した安倍晋三新首相は再チャレンジ支援策をスローガンに掲げていたが、プロ野球界にもそうした選手のために合同トライアウトという再チャレンジのためのテストの場がある。今年は11月6日にフルキャストスタジアム宮城で、そして11月27日には千葉マリンスタジアムで行われる。しかし、そんな選手達の藁をもすがるような気持ちをまったく考えない球団があるようだ。

10月3日付のスポーツ報知。前日にジャイアンツが発表した戦力外通告の選手のことを取り上げていた。さすがにジャイアンツのお膝元だけのことはあり、他紙なら選手名の列記だけで数行で片づけられるところだが写真入りで大きく紙面を割いている。しかもまだジャイアンツが公式戦を残しているということもあり、これがすべてではないという。清武英利球団代表の「これで終わりではない」とのコメントが掲載されている。

たしかにジャイアンツファンの敗戦処理。が考えても、現在一軍にいる選手の中に「ひょっとしたら今季で…」という選手がいる。(注.4日に大西崇之が現役引退表明したが、それとは別。)それはそれで仕方のないことだと思うが、その後の記事が気になった。

清武球団代表は「これで終わりではない」と、今後も戦力外通告が続くことを予告した。

その時期に関して、ある球団幹部は大学・社会人ドラフト(11月21日)後になると明かした。「戦力外通告は二手に分かれることになると思う。大学・社会人ドラフトの結果、補強の内容にもよる。ドラフト以降にそういったこと(戦力外通告)になると思う」11月下旬にも、第2弾が行われる予定だ。

それはないでしょう!

冒頭にも記したように、今年の合同トライアウトは11月6日と27日。そして大学生・社会人ドラフトは11月21日。そんな時期に戦力外通告をされて、二回目の合同トライアウトには間に合うのかもしれないけれど、どうやって就職活動をしろというのか?

かつて球団から戦力外通告を受けた選手などのテストは各球団が個別に行っていたが、ジャイアンツはそういう選手を対象にしたテストを実施していなかった。FAなどの大型補強ばかりに目がいき、他球団で埋もれた選手を発掘、あるいは再生させようなどという発想は皆無だったのかもしれない。天下の巨人軍にそんなテストは必要ないと考えていたのかもしれない。自球団の捕球方法としてはそれで構わないかもしれないが、他球団で夢よもう一度と考えている選手にあまりに配慮が無さ過ぎるのではないか。

そういえば長嶋茂雄監督時代に石毛博史とともに「勝利の方程式」の一翼を担っていた橋本清が2000年に解雇された時、いわゆる戦力外通告のタイミングがジャイアンツの日本シリーズ出場後だったため、他球団のテストを受けようにもほとんどの球団ではもう終了していたという悲劇があった。橋本は幸いにもホークスが獲得してくれたが、いくら弱肉強食の世界とはいえ、選手の辞めた後のことも少しは考えてもらいたいものだ。

「戦力外通告」の時期を早めに、という要望は選手会も強く希望している。選手会はかつてライオンズの平塚克洋がパ・リーグ東西対抗で静岡に行っている時に戦力外通告を受けた事例を挙げて通告の遅延に警鐘を鳴らしている。またライオンズでいえば、昨年の暮れも押し詰まった時期の小関竜也への戦力外通告も、小関本人は(時期がずれ込むことを)了承していたというが、不透明であった。

近年のジャイアンツを観ると、落合博満、清原和博、川相昌弘といった功労者が、何とも後味の悪い形でジャイアンツを去っているし、桑田真澄もそのようになりかねないのが現状だ。功績のあった選手に冷たく、貢献しなかった無名の選手には全く配慮しないでおいて、一方でFA宣言した大物を迎える時には破格の高条件を提示して迎える。このアンバランス。前述の清原には移籍時の五年契約を全うした時、その時点で34歳という年齢で故障がちなのに新たに四年契約を結び、それがネックとなって堀内恒夫前監督は清原を斬ることが出来なかった。堀内前監督は昨年のダン・ミセリと球団が結んだ「二軍に落とせない契約」にも振り回された。

この球団は(今さら言うまでもないが)やはりおかしい。安倍新首相ではなく、小泉純一郎前首相のように一度巨人軍をぶっ壊す人が必要なのかもしれない。

最後に敗戦処理。が把握している戦力外通告を受けた選手の一覧を球団別に記載しておきます。前回記載しなかった選手に関しては朱書しています。(10月4日現在。外国人選手を除く。一部例外あり。)

ファイターズ
横山道哉投手、岩下修壱投手、井場友和投手、矢野諭投手、佐々木貴賀投手、森章剛外野手。

ホークス
芝草宇宙投手、北野良栄内野手、榎本敏孝外野手

カープ 
福井敬治内野手、天野浩一投手、玉山健太投手、苫米地鉄人投手、飯田宏行投手

ライオンズ 
張誌家、後藤光貴投手、田崎昌弘投手、小野剛投手、杉山春樹投手、高波文一外野手、宮崎一彰内野手、椎木匠捕手

ベイスターズ
村西哲幸投手、森大輔投手、福本誠内野手、田中一徳外野手

ゴールデンイーグルス
金田政彦投手、矢野英司投手、戸叶尚投手、玉木重雄投手、佐藤和宏投手、酒井忠晴内野手、益田大介外野手、カツノリ捕手、飯田外野手、佐竹学外野手、永池恭男内野手

スワローズ
土橋勝征内野手、山部太投手、三沢興一投手、平本学投手、本間忠投手、松谷秀幸投手、高橋敏郎捕手、細見直樹捕手、久保田智外野手、内田和也外野手

マリーンズ
垣内哲也外野手、井上純外野手、喜多隆志外野手、杉原洋投手、瑞季内野手、林孝哉内野手、寺本四郎外野手

タイガース
町田公二郎外野手

ジャイアンツ
佐藤宏志投手、伊達昌司投手、南和彰投手、原俊介捕手、黒田哲史内野手、大須賀允内野手、十川雄二外野手、育成選手の平岡政樹投手、同じく横川雄介捕手、大西崇之外野手

2006年10月 4日 (水)

岡本哲司二軍監督退任-いつかファイターズ版長嶋茂雄となる日が来る!?

選手の戦力外通告に関する書き込みをしたら、今度はファイターズの二軍監督、岡本哲司監督が退任するというニュースが入ってきた。敗戦処理。が鎌ヶ谷に頻繁に足を運ぶようになったのは岡本体制になった2003年からである。それまでの白井一幸二軍監督時代も観戦経験はあるが、頻度が違う。その意味では敗戦処理。にとっては「ファイターズの二軍=岡本ファイターズ」なのである。四年間の労に報いる意味で、あらためて振り返ってみたい。

岡本監督は2002年のシーズン後にファイターズの一軍の監督が大島康徳前監督から今のトレイ・ヒルマン監督に代わったのに伴い、それまで二軍監督だった白井一幸二軍監督がヘッドコーチに抜擢され、その後任として二軍バッテリーコーチから内部昇格した。

就任して2003年、2004年と二年連続してイースタン・リーグ優勝を果たしたものの、翌2005年は44勝51敗1分けで7球団中5位と低迷。そして今年は36勝57敗3分け、勝率.387で6位から9.5ゲーム差も離される最下位に終わった。二年連続の低迷ということで、その責任を取らされたとも思われるが、そんなありきたりな退任に一括りにされるような監督ではないことを説いていきたい。

2003年、2004年の優勝時には一軍経験豊富な中堅選手達が主軸となり、いわば貫禄勝ちをしてきた印象があった。西浦克拓、藤島誠剛、林孝哉、上田佳範、石本努、関根裕之、高橋憲幸…、たまに一軍に上がっては落ちてくる彼ら中堅どころが二軍では貫禄で他球団を圧倒する。そんな感じであった。もちろんその中でも須永英輝が開花しかけたり、鎌倉健、小谷野栄一、小田智之といった若手を一軍に送り込むという成果も見せた。しかし2004年終了後、その年のリーグ優勝に貢献したクリーンアップ、藤島、林、渡邊孝男の三選手を一斉に解雇するなど急激に世代交代を図り始めた。

昨年は高校卒ルーキーの鵜久森淳志を早々と抜擢。同じ高校卒ルーキーの市川卓も辛抱強くスタメンで起用し続け、さらに社会人出身の工藤隆人も外野の一角を担い、岡本監督就任の年に入団した鶴岡慎也駒居鉄平に代わってマスクを被るようになり、同じくその2003年のドラフト1巡目入団の尾崎匡哉も「三年計画」と銘打って金子誠が二軍に落ちてこようとエリック・アルモンテが二軍に落ちてこようと遊撃手に固定した。とにかく若い選手を試合に出して勉強させるという方向転換に出た。

そして今季、鵜久森は完全に「四番」に固定。高校生ドラフト1巡目で獲得した陽仲壽をポジションこそ三塁と遊撃のかけ持ちとなったが一番打者としてフル出場させ、シーズン途中からはスイッチヒッターにも転向させた。また投手で入団した糸井嘉男を外野手に転向させ、シュアーな左打ちで来季には一軍に挑戦出来そうな域に達している。外野の守備もまだまだ危なっかしいがだいぶ板についてきた。6巡目で創価大から入団した高口隆行も地味ながら二塁に定着した。投手陣で須永、鎌倉、正田j樹らに伸び悩みが顕著なのが残念だが、金森敬之、菊地和正らが来年には一軍昇格の声がかかるだろう。とにかく育成優先の布陣になったため、勝率を争うイースタンの順位では下位に低迷するのはやむを得まい。(それを割り引いても、もうちょっと勝って欲しいというのはあったが…。)

そして何よりも、二軍監督の役割は一軍で貢献出来る選手を育成して送り込むことである。今季のファイターズ投手陣の継投を支えたパ・リーグ最多ホールドの武田久は、やはり岡本監督就任の2003年入団で、一軍と二軍を何度か往復する間、岡本監督の指導を受けた。中継ぎ陣では押本健彦、伊藤剛も鎌ヶ谷育ち。そして前述の鶴岡慎也は鎌ヶ谷で捕手出身の岡本監督に三年間鍛えられ、今季は一軍でスタメンマスクを任されるまでに大成長。一、二番コンビの森本稀哲、田中賢介はともに何度も何度も一軍と鎌ヶ谷を往復した身。代打の切り札小田と、守備で欠くことの出来ない存在となった飯山裕志も鎌ヶ谷で泥にまみれた身。そしてまだ一軍では目覚ましい活躍こそしていないが稲田直人紺田敏正もシーズン終了まで一軍にとどまった。これほどにタイムリーに一軍に戦力を送り込んだ実績を考えれば、ここ二年間のリーグ戦の低迷など吹っ飛んでしまうのではないか。

ファイターズ球団は岡本監督にフロント入りを要請しているとのことだが監督本人は返答していないとのこと。ハワイ・ウインターリーグに派遣している菊地、尾崎、鵜久森の飛躍が期待される2007年を見届けたかったのかもしれない。その意味では志半ばでの退任と言うことになってしまうのかもしれない。

ところで敗戦処理。は偶然にも岡本監督最後の采配となった先月30日の鎌ヶ谷最終戦を生観戦した。今季の大低迷がウソのような快勝だった。

【30日・鎌ヶ谷スタジアム】
I  002 000 000 =2
F 020 000 30× =5
I)田沢、田中、●藤原、東-野田、炭谷
F)須永、○江尻、清水、S金森-今成
本塁打)渡部3号3ラン(藤原・7回)

詳しい観戦記はコチラ。
粛々と最終戦【9/30ファーム最終戦観戦記

今季低迷のA級戦犯(?)とも言える須永が先発で好投、同じく江尻慎太郎が勝利投手で北海道出身の渡部龍一が決勝本塁打。勝負の神様のプレゼントだったのかもしれない。

岡本監督は、鎌ヶ谷の地元ファン達のシーズンの打ち上げの酒席にも顔を出す程の好人物。またシーズン開幕直前の鎌ヶ谷交流会では声をかけるファン一人一人に本当に丁寧な応対をする几帳面な方である。冒頭に記した通り、敗戦処理。にとっては「ファイターズの二軍=岡本ファイターズ」なのであるから、出来うる限り長くこのチームを率いて欲しかったし、一人でも多くの選手を北海道に送り込んで欲しかった。現時点で後任は未定とのことだが、岡本監督無きファイターズの二軍というものが想像つかないほどだ。そういう意味ではせめてフロントに残って、教え子達を陰から見守る存在になって欲しい。

岡本監督の四年間を敗戦処理。なりに振り返って、ある人物の姿がオーバーラップしてきた。

1980年にやはり志半ばにしてジャイアンツの指揮官の座を解かれた長嶋茂雄である。

当時の長嶋監督はV9時代の戦士達との世代交代の狭間で、江川卓、西本聖、定岡正二、山倉和博、中畑清、篠塚利夫、松本匡史といった若手達を何とか一本立ちさせたいと鍛えやっと目途が立ってきた1980年のシーズン終了後、解任された。翌年、藤田元司監督の元、長嶋さんが鍛えた若手達は本物になり、ジャイアンツは再び栄光の座をつかむ。いみじくもその時、ジャイアンツと日本シリーズで対戦したのはファイターズである。

岡本監督も、いつか長嶋さんがそう言われたように「岡本監督が鍛えた選手達のお陰で勝っている」というようにファイターズファンの間でカリスマ化される日が来るのではないか。もちろん、今季、プレーオフで、そしてその先の栄冠をつかめば岡本監督の貢献度も認められるだろう。岡本監督がこのまま退任しても、ファイターズ版長嶋茂雄となる日はそう遠くあるまい。

本当にお疲れ様でした。

2006年10月 3日 (火)

戦力外通告の季節がやってきた -そして鎌ヶ谷で最後の姿を観たのは…

パ・リーグは1日のゴールデンイーグルス対マリーンズ戦で公式戦の日程が終わりました。毎年のことですが、この時期になるとスポーツ新聞の片隅に「○○らに戦力外通告」という記事が載ります。セ・リーグを含め、既に多くの球団が発表しています。球団によっては一次、二次と分けて通告するケースもあるようで、まだまだ予断を許しません。

敗戦処理。の贔屓チームのひとつ、ファイターズは先月29日に6人の選手に戦力外通告をしたと発表しました。

横山道哉投手、岩下修壱投手、井場友和投手、矢野諭投手、佐々木貴賀投手、森章剛外野手。

また外国人選手ではフェリックス・ディアス、コリー・リーの両投手が戦力外通告を受けており、ディアスは既に自由契約選手として公示されています。

横山はファイターズの移転元年、2004年にストッパーとして大活躍。最優秀救援投手にも輝きましたが、翌2005年には失敗続き。今季はついに一度も一軍入りを果たせませんでした。

2004年パ・リーグプレーオフ第1ステージ最終戦、九回裏にライオンズの和田一浩にサヨナラ本塁打を浴び、呆然と立ちつくした姿を現地で敗戦処理。は観ました。「この悔しさを、来季のマウンドにぶつけてくれ」と期待しましたが、これ以降さっぱりでしたね。

急性骨髄性白血病を克服して今季テスト入団した岩下のファイターズでの一軍初登板(復帰登板というべきか?)もたまたま生で観ました。7月30日。今季のファイターズにとって最後の東京ドームでの主催試合。九回表、完投勝利目前の八木智哉に代えて岩下の名前がコールされた時の大観衆の驚き、そして拍手。今も忘れません。一軍在籍期間は短かったのですが、防御率は0でした。再びの一軍昇格もあるかと思ったのですが。

球団は打撃投手として契約したい意向とのこと。チームが左の好投手に弱い傾向があるので一肌脱いでもらいたいものです。

井場は本格派のストッパー候補として期待しました。重そうなストレートは威力充分だったのですが、肝心なところで一本調子になって失敗するという印象が強いです。

まだ東京ドームが本拠地だった頃のライオンズ戦。同点の延長戦で井場が投げていてピンチになって敬遠策をとってライオンズの打者は主に代走や守備要員として起用される清水雅治。「何とか抑えてくれるだろう」との期待も虚しく、粘りに粘られた末に左中間のど真ん中を破られる2点タイムリー。失礼ながら決してパンチ力があるとは思えない清水に、技あり!という感じのタイムリーならまだしも左中間を深々と破られ、この時敗戦処理。としてはこのままでは通用しないなと悟ったものでした。今シーズンはスリムになった井場を鎌ヶ谷で見かけましたが、かつての威圧感もなければ、かといって制球力がついた訳でなし。もったいないなと感じました。

矢野の入団は1997年。ということはファイターズタウン鎌ヶ谷の出来た年。ルーキーイヤーに初登板初勝利を挙げ、二試合目に二勝目を挙げた時には将来有望な投手が入ったと期待させましたが、結局その二勝が十年間のプロ生活で挙げた一軍公式戦での勝ち星のすべてでした。

昨年は中継ぎとして一軍の戦力となり、矢野同様に初登板以来二試合連続勝利の快挙を成し遂げたダルビッシュ有とどちらが先にプロ三勝目を挙げるか注目したが<苦笑>、ダルビッシュにあっさりと先を越されました。選手生命の大半を鎌ヶ谷で過ごしたであろう矢野。岩下同様球団からは打撃投手への点心を勧められているとか、その場合は二軍担当か?

佐々木は貴重なショートリリーフとして一時は重宝したのですが、大島康徳監督時代の無計画な酷使で燃え尽きてしまったのでしょうか?昨秋の鴨川キャンプを観に行った時、ブルペンでかなり左腕を下げたフォームで投げていたので起死回生の策となるかと思ったのですが…。今季生で新しいフォームの佐々木を観ることが出来なかったのが残念でした。

には期待しました。ドラゴンズ時代の2004年終盤、優勝目前のチームに彗星のごとく現れて快打連発。そのV戦士がわずか一年で戦力外通告になり、金銭トレードの形でファイターズに入団。春先こそ鎌ヶ谷で勝負強さを何度か見せてくれましたが、いつしか出番が減っていきました。

29歳の横山、27歳の森には他球団から声がかかるかもしれません。新天地での活躍を祈りたいです。

ところで冒頭でパ・リーグは1日で公式戦を終えたと書きましたが、ファイターズに関してはまだ闘いは終わっていません。そのファイターズが先月29日というタイミングで戦力外通告を発表したのは翌30日にイースタン・リーグ最終戦を本拠地鎌ヶ谷で行うのに合わせたのではないかと、敗戦処理。は推測し、鎌ヶ谷に足を運びました。実際昨年のイースタン最終戦では阿久根鋼吉、石本努、池田剛基の三人がお別れ出場を果たしていましたので、見納めにと思った訳です。

ここで10月2日現在で敗戦処理。が把握している戦力外通告選手(ファイターズ以外)を球団別にリストアップしてみます。

カープ 
福井敬治内野手、天野浩一投手、玉山健太投手、苫米地鉄人投手、飯田宏行投手

ライオンズ 
張誌家、後藤光貴投手、田崎昌弘投手、小野剛投手、杉山春樹投手、高波文一外野手、宮崎一彰内野手、椎木匠捕手

ベイスターズ
村西哲幸投手、森大輔投手、福本誠内野手、田中一徳外野手

ゴールデンイーグルス
金田政彦投手、矢野英司投手、戸叶尚投手、玉木重雄投手、佐藤和宏投手、酒井忠晴内野手、益田大介外野手、カツノリ捕手、飯田外野手、佐竹学外野手、永池恭男内野手

スワローズ
土橋勝征内野手、山部太投手

マリーンズ
垣内哲也外野手、井上純外野手、喜多隆志外野手、杉原洋投手、瑞季内野手

タイガース
町田公二郎外野手

ジャイアンツ
佐藤宏志投手、伊達昌司投手、南和彰投手、原俊介捕手、黒田哲史内野手、大須賀允内野手、十川雄二外野手、育成選手の平岡政樹投手、同じく横川雄介捕手

ところで30日の鎌ヶ谷最終戦ですが、前年のような惜別出場は一切ありませんでした。一軍の闘いがまだ終わっていないからでしょうか?結局この日、敗戦処理。にとって見納めとなったのは

Invoice02

今シーズン限りでネーミングライツ契約が切れるこのユニフォーム姿だけでした。

2006年10月 1日 (日)

「生」観戦した野球場(17)-札幌円山球場

01_8 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

17回 札幌円山球場 観戦球場ファイル-16

今回は札幌ドームが出来るまで北海道で最大の野球場として広く活用されてきた札幌円山球場を取り上げる。

札幌ドームの開場が2001年6月。それまでは北海道の野球場といえば、東京在住の敗戦処理。にとっては札幌円山球場であった。

年に一度、たいがいは7月上旬に組まれたジャイアンツの札幌シリーズ。ジャイアンツの関本四十四の高木守道へのタッチプレーが元でトラブルが起こり、新宅洋志が関本に跳び蹴りを食らわした試合とか、ジャイアンツの投手陣が制球を乱し四球の記録を作った試合とか、当時若手だった中畑清がこのシリーズにめっぽう強かったとか、吉村禎章と栄村忠広の激突とか、1996年メークドラマ発祥の地として印象に強く残っている。

またこの球場とは直接関係ないが、ジャイアンツが札幌シリーズで遠征する度に当時の王貞治選手が山手養護学校を訪れることが報じられていたことも記憶にとどまっている。王が助監督、監督と立場が変わっても札幌シリーズの際の訪問は続き、監督を退任してジャイアンツのユニフォームを脱いでからは愛弟子の吉村らに引き継がれた。

敗戦処理。がこの球場を訪れたのは、2000年7月8日のライオンズ主催によるホークス戦。札幌円山球場でプロの試合が行われるのはこの年限りになるかもしれないということが囁かれており、観戦を決めた。

日程上、この年の最後の円山球場でのカードは7月30日のファイターズ主催によるマリーンズ戦であった。実際この試合にはパ・リーグ六球団の応援団が結集し、球場への感謝を表していた。本来ならその試合を観戦したかったが、スケジュールが合わないため、前述のライオンズ対ホークス戦の観戦となった。

試合は敗戦処理。の近くの席から見守った元タレントの奥さんの前で満塁本塁打を放った松井稼頭央の活躍でライオンズが快勝。松坂大輔をリリーフで登板させる東尾修監督の粋な計らいで札幌のファンを満足させていた。

なお昨年、2005年7月に開場70周年を迎えるにあたり、5年ぶりにプロ野球公式戦が開催された。交流戦のファイターズ主催試合で北海道留萌市出身の若松勉監督率いるスワローズ戦が5月28日に行われたのだ。

最後に知っている人は知っていると思うが、札幌円山球場にナイトゲームの設備がないのは、寒い札幌で夜間に野球をやる需要が少ないからではなく、すぐそばに市立の丸山動物園があり、照明が明るすぎると動物たちの睡眠に支障を来すからである。

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック