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2006年8月

2006年8月28日 (月)

誰のための鎌ヶ谷デー?-地域密着球団、鎌ヶ谷ファイターズの「特別な一日」

01_52 敗戦処理。がこよなく愛するファイターズの二軍は、一軍が本拠地を東京から北海道に移転しても千葉県・鎌ヶ谷を拠点としたまま動かず、以前にも増して地域密着色を強めている。その鎌ヶ谷市では26日に鎌ヶ谷市 市民夏祭りが開かれた関係で今日27日は、ファイターズ鎌ヶ谷の会が「ファイターズスタジアム鎌ヶ谷デー」を実施した。ファイターズとしてはいわば「特別な一日」。地域密着球団、ファイターズの「特別な一日」はどんな一日になったのか?

今日の「ファイターズスタジアム鎌ヶ谷デー」では、市内在住または在学の中学生以下の子供は入場無料。それ以外にも相当数の無料招待券が配られたようだ。しかしそれがなくとも、この日は夏休み最後の日曜日で、なおかつジャイアンツ戦。もともとかなりの集客が見込めるところにタダ券をばらまいたものだから、ファイターズタウン自慢の駐車場が試合開始1時間前の時点で満車になるほどだった。もちろんスタンドには立ち見の観客も数多く存在した。

実は、何を隠そう敗戦処理。も無料招待券で入場した。

「鎌ヶ谷デー」と銘打つだけあって、試合前のセレモニーも地域密着度が濃かった。

01_50 まずは清水聖士鎌ヶ谷市長が挨拶。バッテリー間にスタンドマイクが一本立てられ、ブルーのポロシャツ?を着た軽装の市長がマイクの前に立った。正直、敗戦処理。はマイクの高さを調整する人が先に登場したのかと思ったが、市長本人であった。清水市長は先日まで行われていた高校野球の甲子園大会を引き合いに出してスピーチしていた。

「早稲田実業の優勝投手、斎藤選手はプロ志望だそうです。ぜひ、来年はファイターズに入団していただいて頑張っていただきたい」

一軍の本拠地北海道の地元、駒大苫小牧の田中将大投手の存在を全く意識しない発言をし、一部の観客の失笑を買っていた<苦笑>。

もっとも斎藤佑樹投手も早くもマスコミから「佑ちゃん」の愛称を付けられ、定着しつつある。ファイターズに入団してダルビッシュ有とともに「ダブル・ユー」で売り出すのもいいかもしれない。

「ダブル・ユー」結成のもう一つの狙いは正田樹、須永英輝という悪い先輩からの隔離政策でもある<苦笑>。

02_9 そしてミス鎌ヶ谷と、二人の準ミス鎌ヶ谷による花束贈呈。

ミスと準ミスとで計二人であれば、両軍監督への花束贈呈というところだったのだろうが、合計三人だったため、岡本哲司、吉村禎章両二軍監督に加え、審判団にも花束が贈呈されることになり、この試合の審判団の中から代表で工藤和樹審判員が準ミス鎌ヶ谷から花束を受けた。

昨日は吉村監督にクレームを付けられて惨々だったけど、よかったね、工藤さん!

この後、市長さんは始球式にも登板。スピーチの際といい、始球式の際といい、この球場名物のヤジにさらされる市長さん。市政で何かあったのでしょうか?

そしてプレーボール。ここまで盛り上げたのだから、ファイターズとしてはジャイアンツを下して地元のファンの期待に応えたいところであるが、先発の須永が珍しく無失点の好投をしているのに打線が一昨日の試合の六回裏から三試合にまたがって連続無得点中のどん底状態で援護点なし。あげく須永が七回表にジャイアンツの若手-敗戦処理。一押しの山本光将、長田昌浩に3ランと2ランを喫し炎上。0対6で敗れた。打線は11安打を放ちながらジャイアンツの四投手による継投の前に完封負けを食らうというファイターズを応援する者にとっては最も頭に来る試合。イースタンで目下最下位のファイターズであるし、普通のチームでも年に何回かはこういう惨敗の日もあるのだろうが、よりによって今日という「特別な一日」に惨敗を喫するファイターズというチーム<苦笑>。もちろん、今年で十年目を迎えたファイターズタウンは充分に地元に根付いており、今日の惨敗一つでそれにヒビが入るなんてことは心配ないが、バツの悪さはこの上ない。

ちなみに試合結果はこんな感じでした。

【27日・鎌ヶ谷スタジアム】
G 000 000 510 =6
F 000 000 000 =0
本塁打)山本3号3ラン(須永・7回)、長田1号(須永・7回)
G)栂野、○鴨志田、東野、山口-星
F)●須永、江尻、清水、金森-今成、駒居

ジャイアンツファンの方向けの観戦記はこちら。
期待の山本、長田がアーチ競演!【8/27イースタン観戦記】

ファイターズファン向けの観戦記はこちら
須永、今季最高の好投?【8/27イースタン観戦記】

最近、このチームを観ていて、本当に北海道で野球をやっているチームと同じチームなのか疑わしくなってきました<苦笑>。 しかし、ファーム組織のあり方として、一つのモデルケースとして決して誤った方向に進んでいるとは思えないので、あとはもう少し、いやもっともっと地域の人達の期待に応えられる球団を目指して今の路線で突っ走って下さい。

2006年8月27日 (日)

二軍戦でも誤審騒動-一軍が一軍なら二軍も二軍<苦笑>。

01_45 今年の日本プロ野球の最大のムーブメントは何といっても「誤審騒動」ですが、敗戦処理。が今日(26)観戦した二軍戦でも審判の判定をめぐって5分以上試合が中断するシーンがありました。思えば、3月に行われたWBCの対アメリカ戦でのタッチアップが早いと判定されたシーンは「正規の誤審」と揶揄されたが、あれが今シーズンのムーブメントを先取りしていた?

 

敗戦処理。が観戦した二軍戦での誤審騒動を再現しよう。

8月26日に敗戦処理。が観戦した千葉県の袖ヶ浦市営球場で行われたイースタン・リーグ公式戦、ファイターズ対ジャイアンツ戦での一コマ。

ジャイアンツが1対0とリードして迎えた八回表のジャイアンツの攻撃。一死一塁で一塁走者が仁志敏久で打者が亀井義行。マウンドにはファイターズ二番手の清水章夫。

亀井の打球は三塁ベンチ前に高く上がったファウルフライ。捕手の駒居鉄平は一瞬打球を見失ったようなポーズをとったが、気がついて慌てて三塁ベンチ前に走ってスライディングキャッチ。事なきを得た-と、次の瞬間、一塁走者の仁志がするするっと塁を離れ、二塁を狙った。駒居からの二塁送球はややライト寄りにそれ、仁志は二塁でセーフになった。一瞬の隙をついたタッチアップ成功。さすが一軍で百戦錬磨の選手は一味違う、と思ったら審判団によって仁志は一塁に戻された。ジャイアンツのベンチからは吉村禎章二軍監督が飛び出てきて猛抗議。四人の審判を集めて身ぶり手ぶりで抗議を続けた。

もちろん一軍の試合でありがちなように、この間観客には何の説明もない。吉村監督の抗議での身ぶり手ぶり、そして仁志が一塁に戻されたことから類推すると、どうやら駒居がファウルフライを捕球した後、仁志がタッチアップする前にタイムがかかっていたらしく、仁志の進塁を無効にするというのが審判団の見解らしい。吉村監督としてはファウルフライとはいえ捕球したら直ちにプレーが停止するのではなく、塁に走者がいるのだからタッチアップの可能性があり、一塁塁審がタイムをかけたのが早すぎるというのが主張のようだ。

タイムをかけたのが一塁塁審であれば、捕球した駒居からは確認出来るから駒居はボールデッドになったと判断する。しかし一塁走者の仁志は背後に位置する一塁塁審のタイム宣告がわからないから駒居の緩慢な動きと観て次の塁を狙う。審判が早まってインプレー継続中にタイムをかけてしまったことに吉村監督は激怒しているようだった。

01_46 吉村監督のあまりの熱い熱い抗議ぶりに、最悪の事態を憂慮してジャイアンツのベンチから他のコーチ達も出てくる。中断時間が5分を超えた頃、吉村監督はようやく断念し、ベンチに下がった。二死一塁で試合再開。山路哲生球審による場内への説明は「仁志選手がタッチアップしましたが、その前にタイムがかかっておりボールデッドなので二死一塁で試合を再開します」との味も素っ気もないもので、どの審判員がタイムをかけたのかも説明しなかった。

大相撲で行司軍配に物言いがついた時の勝負審判員の説明に加えて、プロ野球の審判員の説明が稚拙なのは今に始まった話ではないが、今回のプレーのような、見ている観客に内容のわかりにくい抗議が延々と続いている場合は、途中経過として、何についての抗議が行われているか説明するというのも一考すべきではないか?

実際、袖ヶ浦のスタンドからは

「ファウルフライだってタッチアップは出来るんだ。俺だってそのくらい知っているぞ!」とか、「仁志は取ってから走ってるぞ、タッチアップが早い訳なんて無いぞ!」などとトンチンカンなヤジが飛びまくっていた。

ちなみに二軍戦では、敗戦処理。の印象では審判の判定に対してはクレームをつけないという暗黙の了解事項があるように思える。試合によっては審判三人制になることもあり、審判がすべてのシーンで100%正確な判定を下せるとは限らないシチュエーションもあるからだろうが、審判を育てようという思惑なのかわからないが、当事者であるプレーヤーもせいぜい「本当ですか?」という感じで審判の顔をのぞき込む程度だし、監督がベンチから出てきて抗議なんて言うシーンには滅多に巡り会わない。それだけに監督による5分を超える抗議などというのは微妙なジャッジというよりルールの適用などの問題に限られるようで今回のシーンがまさにそれ。

ところでこの試合の審判はこの四人。

球審 山路哲生 26歳 パ所属3年目。一軍経験10試合

一塁 工藤和樹 26歳 パ所属1年目。一軍経験なし

二塁 山崎夏生 51歳 パ所属25年目。一軍経験1308試合

三塁 橋本信治 33歳 パ所属4年目。一軍経験23試合

経験豊富なベテランから新人まで多彩な顔ぶれだ。四人ともパ・リーグ所属というのがちょっと気になるが、未熟な新人審判員が誤って先走ってタイムをかけてしまったとしても、審判団は容易には判定を覆さない。タッチアップをされた側のファイターズ駒居が、ボールデッドになっているのを確認した上で次のプレー(仁志のタッチアップに対する送球)が遅れたと主張されたら収拾がつかなくなるからである。

二軍戦は選手にとって練習・育成の場であるが、同時に審判員にとっても練習・育成の場である。さらにいえば抗議する監督にとっても練習・育成の場だ。将来の一軍監督候補者を二軍監督に就任させて管理手法などを学ばせるケースは多い。吉村監督もその一人だという見方もある。しかし、観客は一軍の試合を観るための練習として二軍戦を観ている訳ではない。一軍公式戦が開催されない地方での二軍戦などは特に観客への配慮は必要だ。二軍級の審判によるミスで必要以上に抗議による中断時間が長引くのもやむを得ない。しかし必ずしも四人の審判全員で抗議に対処する必要はない。誰か一人その場を離れてスタンドの観客に講義の内容説明、経過報告をするという発想がどうして生まれないのか?

一軍戦でも観客が蚊帳の外に置かれてしまうのだから、二軍戦にそれを期待するのは無理なのだろうが。

ちなみに試合結果はこんな感じでした。

【26日・袖ヶ浦市営球場】
G 000 000 100 =1
F 000 000 000 =0
G)○木佐貫-星
F)●ディアス、清水、横山-駒居

木佐貫熱投!地元出身の長田も魅せた!!【8/26イースタン観戦記】
袖ヶ浦はやっぱり遠かった!【8/26イースタン観戦記】

2006年8月24日 (木)

これからが大変だ?-妥協の産物「来季交流戦24試合」と予想もつかないポストシーズンゲーム!

23日に行われた来季のポストシーズンのあり方に関する小委員会で、来季のセ・パ交流戦の試合数が24になることでようやく合意を見たそうだ。正式には9月4日のプロ野球実行委員会でけっちするとのこと。

何だこりゃ?というのが第一印象です。

そもそもはパ・リーグのプレーオフの予想外の盛り上がりに焦ったセ・リーグが「何かやらなければ取り残される」と焦ったがこれといった新手法も浮かばず、パ・リーグを巻き込んだポストシーズンゲームの実施を目論んでの考えだったものが、合同プレーオフをやるにせよ何にせよ、一定の日程を確保しなければならないことと、全体の総試合数を容易には増やせないとの理由からセ・リーグ側が交流戦の試合数減少を提案。誕生から二年間、36試合で実施された交流戦を半減の18試合にという爆弾提案をして話題の中心がポストシーズンゲームから交流戦の削減に完全にすげ替わったというお粗末なお話。

その後セ側の18試合案に対し、パ側も36試合から6試合減の30試合という妥協案を出したが、根来泰周コミッショナーによる折衷案24試合に落ち着いたというのが実態らしい。

要するに対タイガース戦や、対ジャイアンツ戦という「金のなる樹」の奪い合いに過ぎないということにおそらくは多くのプロ野球ファンが気付いてしまっただろう。このことだけでも日本プロ野球にとってはマイナスイメージになってしまうのだが、関係者はその事にどれだけ気付いているだろうか<苦笑>

それだけではない。交流戦24試合ということは、1チーム当たり、異なるリーグの6球団と各4試合(ホーム、ビジター各2)ということになるだろうが、まず日程が組みにくい。

今年や昨年のように各6試合でホーム、ビジター各3試合であれば、多少きつくても週の7日間のうち6日間を使い、3連戦を2組と出来るが、2連戦を3組だと、移動がキツイ。

そして36試合制だと全体で216試合あった交流戦が24試合制だと全体で144試合になってしまう。試合数が2/3になれば、注目度も単純計算では2/3。スポンサーがつくかという不安がある。

一方が18試合案で、もう一方が30試合案だから、中を取って24試合とは根来コミッショナーらしいといえば、らしい案だが、平均値ではあっても誰も(セもパも)提案していない試合数に決めたので、今述べたような不安点に対する施策はすべてこれからなのだろう。

おそらくは交流戦のトーン・ダウンをセ・パ両リーグ合同のポストシーズンゲームで取り返そうとするのだろうが、交流戦における「金のなる樹」の奪い合いにばかり気を取られていて、ポストシーズンゲームの具体化など、全く白紙というのが関の山なのではないか?

そもそもセ・リーグが羨むパ・リーグのプレーオフ制度もアドバンテージの面で不公平、矛盾だという声がファンの間で少なくない。そのくらいのことはセ・リーグ側も知らないはずはない。

それでは何故不公平で矛盾しているプレーオフ制度が受け入れられたか?

それは簡単な話。第1回のプレーオフ、2004年のプレーオフが接戦に次ぐ接戦で面白かったからである。昨年も第2ステージ第3戦で4対0とリードしたマリーンズが九回裏に同点に追いつかれるというドラマがあって盛り上がったと言えなくもないが、あれが第1回だったら野球ファンの印象も違っただろう。2004年度パ・リーグプレーオフ第1ステージ最終戦、ライオンズの守護神豊田清からファイターズの木元邦之が九回表に同点ツーランを放った瞬間、不公平で矛盾しているプレーオフ制度は成功してしまったのである。

「金のなる樹」争奪戦はどっちもどっちだが、交流戦削減を飲まざるを得ないパ・リーグはせめて交換条件に「セ・リーグ主催試合でも指名打者制採用」をぶつけるくらいのことは出来ないのか?また、「金のなる樹」にあたるタイガース球団は「そんなにウチと試合をしたいのなら30億円を免除しろ!」と強気に出ても好かったのではないか<苦笑>

実態を知らないトップの「ツルの一声」に合わせて動かなければならない最前線部隊の大変さはどこの世界でも大同小異なのでしょうが、これからが大変だぁ~。

2006年8月20日 (日)

野村監督のXデー?-ゴールデンイーグルスに消化試合は存在しない。

昨シーズンの田尾安志監督に代わってゴールデンイーグルスの指揮、育成を任された野村克也監督。選手兼任だったホークス時代から数えて四球団目の監督になりますが、過去の三球団(ホークス、スワローズ、タイガース)で築いた監督としての白星は1309。日本プロ野球界に11人しかいない1000勝監督の一人で、歴代7位の白星なのですが、タイガース時代に三年連続最下位で終わったこともあって、黒星の数も積み重なりこちらは1261。こちらは三原脩さん、藤本定義さんに次いで歴代3位になっています。それだけ長く監督の座に就いている、しかも複数球団から請われているということはそれだけ監督として貴重な人材という証なのでしょうが、今季ゴールデンイーグルスの監督に就任したことで、野村監督にあるピンチが近づいているのです。

昨年までの監督としての通算成績が1309勝1261敗(66分け。勝率.509)である野村監督。監督としての勝敗の貯金は48。昨年の成績が136試合で38勝97敗(1分け。勝率.281)の借金59だったゴールデンイーグルスの監督を引き受けたことで、監督としての勝敗で借金生活に入ってしまう可能性が出てきたわけです。

野村監督率いる今季のゴールデンイーグルスの8月20日現在の成績は36勝69敗(1分け。勝率.343)で借金33。48-33で野村監督の通算貯金は15にまで減ってしまいました。果たして野村監督は今シーズン終了まで自身の通算成績で5割以上をキープ出来るでしょうか?

ゴールデンイーグルスの残り試合は30。30試合で15を超える借金となると、残り試合を7勝23敗以下の成績で終わった場合に野村監督の通算勝率が5割を切ることになります。

7勝23敗といえば、勝率は.233。ここまでの勝率が.337ですから、何とか避けられそうな数字だと思いますが、実はゴールデンイーグルスのここまでの成績には17勝19敗、勝率.472と大健闘した交流戦の成績が含まれており、パ・リーグ同士の対戦成績に限定すると19勝50敗(1分け)、勝率.275となります。ゴールデンイーグルスの残り試合は当然すべてパ・リーグの相手と対戦する訳ですから、パ・リーグ同士のこれまでの成績を残り試合に当てはめていくと、70試合で19勝のチームは、単純計算で30試合で8勝21敗1分けという計算になります。

これを交流戦を含めたここまでの公式戦成績と合算すると、トータルで44勝90敗(2分け)、借金46。最終戦を終えての野村監督の通算成績は1353勝1351敗(68分け)、貯金が2で今シーズンを終えることとなり、Xデーを今シーズン中に迎えずにすむかもしれません。ゴールデンイーグルスは現在17日から4連勝中で残り試合の成績はこれまでより良くなるとの期待も出来ますが、中心選手の一人である礒部公一が15日の試合で自打球を当てて今季出場絶望との推測もあるようなので、今後のチーム成績に少なからず影響を及ぼすことでしょう。楽観は出来ません。

5位のバファローズとの直接対決に3連勝してもまだ5位とは5.5ゲーム差で最下位脱出の可能性が開けてきたとはまだ言えない状況ですが、野村監督の貯金を考えると、今シーズンの残りのゴールデンイーグルスの試合に消化試合は存在しません。

ところで先に野村監督のことを11人しかいない1000勝監督の1人と書きましたが、他の1000勝監督の勝率はどうなのでしょうか?調べてみました。

日本プロ野球監督勝利数ランキング
順位  氏名     勝   敗   勝率
1位.鶴岡一人  1773 1140   .609
2位.三原脩    1687 1453   .537
3位.藤本定義  1657 1450   .533
4位.水原茂    1586 1123   .585
5位.西本幸雄  1384 1163   .543
6位.上田利治  1322 1136   .538
7位.野村克也  1309 1261   .509
8位.別当薫    1237 1156   .517
9位.王貞治    1133   942   .534
10位.川上哲治  1066   739   .591
11位.長嶋茂雄  1034   889   .538

※2005年シーズン終了まで

さすがに錚々たる顔ぶれですが、1000勝以上している監督で通算勝率が5割を切っている人はいません。この11人の中では別当薫さんが唯一優勝経験のない監督なのですが、それでも勝率は5割を上回っています。そして細かく見ると野村監督が最も勝率が低いことがわかります。

それでは通算成績で負け越している監督で、最も勝ち数の多い監督を調べてみたら中西太さんが748勝811敗(81分け、勝率.480)なのですね。

順位  氏名     勝   敗   勝率
12位.仰木彬     988  815   .548
13位.星野仙一   919  789    .538 
14位.古葉竹識   873  791    .525
15位.森祇晶     785  583    .574
16位.中西太     748   811   .480
17位.大沢啓二   725   723   .501
18位.山本浩二   649   681   .488
19位.松木謙治郎 628   602   .511
20位.根本陸夫   598   687   .465

上位20人まで拡げてみても負け越しているのは中西太さんと、昨年までカープの監督を務めていた山本浩二さんと、監督としてよりもその後のフロントマンとしての能力が高く評価されて語り継がれている根本陸夫さんしかいないのですね。

日本プロ野球の監督は、成績が悪ければ契約年数などお構いなしに首を切られるケースも少なくないわけですから、勝ち星の多い監督というのは、常に好成績を積み重ねてきたその結果であると考えられますから、自ずと勝率の高い監督となるのでしょう。

野村監督にとっては今季のゴールデンイーグルスでの低迷よりも、タイガースの三年間で借金が25、21、23といっこうに浮上出来なかったことが悔やまれますね。

「野村再生工場」「野村ID野球」などのフレーズで、低迷しているチームを強くしてくれるイメージが(もちろん実績も)ありますから、弱いチームから声がかかる。それで悪戦苦闘の結果、自身の監督成績が下がる。野村監督を茶化すようなデータ分析になりましたが、野村監督とゴールデンイーグルスの間には三年契約が結ばれている模様なので、たとえ一時的に通算成績で5割を割ろうとも、契約期間満了の時までにゴールデンイーグルスを他球団に引けを取らないチームに育て上げ、自身の通算成績でも再び貯金生活に入ることを影ながら祈念致します。

ただ、年齢が年齢だけにくれぐれも無理はしないでいただきたいところですが。

2006年8月16日 (水)

真田裕貴を何故代えた?-これじゃあ若手が出てこない!(2)

15日のジャイアンツ対スワローズ戦は脇谷亮太と鈴木尚広が快速を発揮して走りまくり、先制、中押し、ダメ押しと稀にみる効果的な点の取り方をし、安定感抜群の内海哲也が好投。この日一軍に復帰した守護神豊田清の調整登板まで実現したジャイアンツファンにはたまらない、久々の好ゲームだった。しかし敗戦処理。的にはどうしても一言苦言を呈さずにはいられない。それは八回表の継投である。

ジャイアンツが10対1のリードで迎えた八回表。ジャイアンツは好投の先発内海に代えて二番手に真田裕貴を起用した。内海を敢えて降板させたのは次回登板がおそらく中四日での20日の対ドラゴンズ戦になるからで、疲労を残したくなかったのであろう。意図は理解出来る。ただ二番手で登板した真田の出来が今ひとつだった。

真田は先頭の代打・真中満に四球を与えた。9点リードして迎える先頭打者に四球を出すのはいただけないが、それでも続く青木宣親を打ち取り一死。これで立ち直るかと思ったら次打者アダム・リグスに死球。一死一、二塁としてしまった。いわゆる「一人相撲」状態だ。岩村明憲を打席に迎えるところで尾花高夫投手総合コーチと原辰徳監督が出てきて真田は交代を告げられた。

9点リードの八回表に何をばたばたしているのか、と敗戦処理。もテレビを観ながらいらいらしていたが、点差を考えれば、マウンドを林昌範に託すのではなく、敢えて真田に続投という選択肢はなかったのだろうか?

なにしろ9点差である。岩村に本塁打を浴びてもまだ6点差。リリーフを出すのはそれからでも遅くない。なによりも真田にこの回の落とし前を付けさせるべきではないのか。

おそらくこの回の真田登板の意図はこの1イニングを抑えて九回表は豊田のテスト登板という目論見だったのだろう。もっと緊迫した点差なら林か、久保裕也を回の始めから投入していただろうが、その必要はないから真田だったのだろう。しかし内容があまりにお粗末だったから林を注ぎ込んだ。おそらくはこんな感じだろう。

敗戦処理に言わせれば、そもそも真田の一軍投手陣の中での役割分担が曖昧なのが気にいらない。抑え役は豊田不在の間は高橋尚成が務め、高橋尚につなぐためのセットアッパーに久保と林というのが現状の布陣だが、リリーフ陣に関しては決まっているのはここまでで、真田と、豊田との入れ替わりで二軍に落ちた野間口貴彦の起用法にはどうにも方針が感じられないのである。あえて言えば便利屋扱いされているとしか思えない。

真田と野間口は、先発投手が足りない球団だったら先発要員として使われるだろう。ジャイアンツも決して先発投手が充分なわけではないが、何故か六連戦を五人で回し、誰かが中四日になるようなローテーションを組んでいるため、短い登板間隔で投げる先発投手の負荷を軽くするためにリリーフ陣を豊富にしており、真田と野間口もリリーフ要員に組み込まれていた。

原監督は久保と林に関しては何度か手痛い失敗をしようとも、基本的にセットアッパーの座から外さない。久保を一度二軍に落としたことがあったが、再登録してからは同じ使い方にしている。久保も林も今ひとつ安定感に欠けるが、他にこれといった人員も見あたらないし、ここまで高い授業料を払っているのだから、何とかもう一段階上のレベルになってくれというのはわかる。ならばなぜ、セットアッパー登板までの、いわゆる中継ぎ役に真田や野間口を徹底的に鍛えようと考えないのか。鍛える気があるなら、昨日の八回表は真田と心中するくらいの覚悟を持って欲しかった。

ジャイアンツに限らず、最近の傾向として抑え投手だけでなくセットアッパーまで勝ち試合限定に近い起用法になっている。昨年のタイガースのJFK、マリーンズのYFKにしても、同点、せいぜい1点ビハインドくらいで登板することもあるがほぼ勝ち試合(リードしている場面)限定となっている。するとそれ以外のリリーフ投手は、たしかに便利屋的な起用法にならざるを得ないが、それをきちんとこなすのは簡単なようで難しい。そしてその重要性に原監督以下ジャイアンツの首脳陣は気づいていないのではと疑わざるを得ない。

昨年は今季以上に投手陣崩壊が顕著だったジャイアンツだが、それでも悪いなりに何とか体裁を整えていたのは、ブライアン・シコースキーの存在があったからだ。146試合中70試合に登板して7勝1敗、防御率3.29というこの究極の便利屋をジャイアンツは解雇してしまった。解雇の理由について原監督は自身のHP、HARA Spirit 2005年11月15日付けで次のように語っている。

「シコースキーも解雇しました。非常にタフな投手で、監督として使い勝手がいい投手です。しかし、好不調の波も激しく、僅差でリードしている試合などに投げさせるのは不安もあります。あえてシコースキーが投げるポジションを若手に奪ってもらいたいのです。」

だったらなおさら真田裕貴でしょう!

不甲斐ない登板をしたら制裁のように即刻マウンドから降ろすというのが、必ずしも最適な若手投手の育成法なのでしょうか?試合は育成の場より、勝敗を争っているわけだから、投手が危なっかしかったらすぐに次の投手に代える。これは正しい判断ですが、八回表で9点差という、敢えて真田を続投させて奮起を促すには格好の舞台だったのに、それをしない原監督。

別発言でも触れたが、なかなかファームから新戦力が上がってきそうにない今、一軍にいる未成熟な若手を鍛えるのが最も近道だと思うのに、ワンパターンのようにマウンドから降ろすだけ。起用法、育成法ともにもう少し融通というか、柔軟性に考えないと戦力は育たないだろう。

もっともこの傾向は原監督を始めとする現首脳陣特有のものではなく、ジャイアンツという球団の体質そのものなのかもしれない。

ベースボールフォーラムのジャイアンツ掲示板でしばしば議論を交わすTさんの意見によると、香取義隆、角盈男の時代以降、ジャイアンツには本格的なリリーフのスペシャリストが育っておらず、その原因は球団自体が昔ながらの先発完投至上主義から抜け出せず、素材の好い投手は先発完投型に育て、そのラインから外れた選手をリリーフに回すか、あるいは外国人なりトレードなどで外部から抑え役などを引っ張ってくればいいという程度の認識であるから、それが給料の査定にも反映し、現場の投手達も本気でリリーフのスペシャリストになろうなどとは誰も考えないというのだ。

敗戦処理。はこのTさんの意見は見事に的を射ていると思う。これに関しては(敗戦処理。は個人的にあまり信用していないが)スポーツジャーナリストの二宮清純氏も近著「プロ野球戦略会議」廣済堂出版刊でジャイアンツのフロントから、リリーフは先発投手がつとまらない奴がやる仕事という話を聞いたということをはっきりと書いている。

ジャイアンツは今シーズンを前にして監督の首をすげ替えるだけでなく、他球団からコーチ、外国人担当スカウト、コンディショニングコーチ、調査担当を獲得した。他球団のオーナー経験者まで迎え入れた。それでも成果が出ないのはいったい誰のせい?

いい素材がいない訳ではないのだ。育てて、鍛えてくれ。

「生」観戦した野球場(14)-阪神甲子園球場

Photo_3 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

14回 阪神甲子園球場 観戦球場ファイル-14

今回はタイガースの本拠地にして高校野球の聖地、阪神甲子園球場を取り上げる。

しかしこの球場、はっきり言って誰でも知っている。敢えて書くことがありません<苦笑>

敗戦処理。は夏の全国高校野球選手権大会を1990年代初期に観に行ったことがあるが、プロ野球の試合を初めて観たのは1998年4月25()のタイガース対ジャイアンツ戦、いわゆる「伝統の一戦」。因みに現時点(2006816日現在)で同球場でのプロ野球観戦はこの一回のみ。

クレジットカード会社経由であらかじめ内野指定席を購入し、球場と目と鼻の先にある甲子園都ホテル(現ノボテル甲子園)に宿泊の予約を入れておいた。東京に在住するプロ野球ファンにとって、この球場には特別の思いがある。得体の知れぬ荘厳さ、ジャイアンツの終生のライバルであるタイガースの本拠地であるということで、ある意味怖さのようなものも感じていた。

* ちなみに甲子園球場と目と鼻の先にあるホテルを手放した都ホテルは近鉄グループ。何ともはや<苦笑>

購入したチケットが一塁側内野指定席。今ではスタンド下に移されたブルペンがあったすぐ近くで、タイガース投手陣の投球練習を間近に体感出来る素晴らしい席だった。一塁側ということで、周りに少しはジャイアンツファンがいるのかと思ったら大間違いだったが<苦笑>

試合は何と、一回表にジャイアンツが大量9点を奪うという、ジャイアンツファンには答えられない試合展開だったが、ストレートに喜びを表せないのが残念だった。

その後21世紀に入り、2002年と2004年に夏の全国高校野球選手権大会を観戦。2002年には後にドラゴンズ入りし、既に退団した瀬間仲ノルベルト(当時日章学園3年・プロ入り後登録名を ホッシャ に変更)の超豪快な本塁打をまのあたりにする幸運にも恵まれた。とても高校生とは思えない弾丸のような打球で、スタンドがシーンと静まりかえってから沸き始めたことが印象的だった。あのような素晴らしい本塁打を放つ選手でもプロで大成出来ないと思うと、プロ野球のレベルの高さを痛感した。

Photo_7 ところで外野席側の入口脇に阪神タイガース史料館がある。球団史を飾る様々な品物が展示されている。東のプロ野球のメッカ、東京ドームに野球体育博物館があることを意識しているのか。

展示品で目を引いたのは、タイガース対ジャイアンツ戦で語り継がれているタイガースのジーン・バッキー投手と、ジャイアンツの荒川博打撃コーチによる乱闘シーンの写真。説明文によると「バッキー投手のビーンボールをきっかけに…」とある。タイガース球団はあの一投をビーンボール(故意に打者の王選手に狙って投げた)と認めていることになるが<>

大がかりな改修も予定されているそうだ。先の村上ファンドによる阪神電鉄株の騒動では、球界再編騒動の時と同様に「野球は文化だ」という言葉が大安売りされたが、阪神甲子園球場を観る限り、「野球は文化だ」と言っても恥ずかしくないのだが…。


関西特有のえげつないヤジ、奇麗な夜空、ウグイス嬢のアナウンス。すべてが想像していた以上で、まさに夢の空間だった。

ジャイアンツが一回表に9点を奪ったことを示すスコアボード。近年はこの逆ならよく見かけるのだが。

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2006年8月14日 (月)

ただ今イースタン最下位独走中-ファイターズの変貌

今日(13日)は昨夜の神宮に続いて鎌ヶ谷でファイターズ対ゴールデンイーグルス戦を観戦してきました。昨日の神宮は雷雨の後でしかも午後6時試合開始なので涼しくて快適でしたが、今日は真夏の真っ昼間ということで灼熱の太陽の下、本当に熱かったです。

さて、今年のファイターズのファームが一軍とは対照的に負けまくっていることは以前にも 触れましたが、現在も7月27日の対マリーンズ戦から7連敗中。イースタン・リーグでは6位のシーレックスに8.5ゲーム差も離されている状況です。敗戦処理。にとってもファイターズのファーム生観戦は約2ヶ月ぶり。久しぶりに観たファイタ-ズナインの変貌ぶりについて書いてみたいと思っています。

当然ながら、敗戦処理。には約2ヶ月のブランクがありますが、その間もコンスタントにファイターズのファーム情報を追っている方には「そんなこと、知ってるよ」という話ばかりかもしれません。

1.陽仲壽、スイッチヒッターに!

「一番・遊撃」でいつものように出場していた陽仲壽ですが、一回裏の第一打席を観てビックリ。左打席に立ったのです。やはり2ヶ月のブランクは大きいのか、陽のスイングがにわか造りには見えません。

ブログ書き込みの準備としてGoogleで「陽 左打席」で検索してみたら、鎌ヶ谷の三塁側スタンドでいつも応援をリードしている せとさん のメールマガジンに辿り着いた。「後半戦、右投手のときには左打席に入るようになった。ただ、まだ左打席の陽はみていられない。」とある。後半戦とはおそらくフレッシュオールスター後のことであろう。もちろんそれまでに準備段階もあったのだろうが、それから約三週間。結構様になっていたのである。少なくとも敗戦処理。の眼にはそう映った。

また同じ検索方法で辿り着いた日刊スポーツの河野祥一郎ブログ「今週のイチ押し!」では8月7日付で陽を特集しており、文末に記された陽のプロフィールでは陽を右投げ左右打ちとしており「本塁から一塁まで右打席の場合が3・98秒、左打席の場合が3・74秒。」と紹介している。日本プロ野球入り以前にスイッチヒッターの実績があったのか?

ちなみに陽の左打席の結果を示しておこう。
第1打席 一回裏先頭       三ゴロ           投手根市寛貴
第2打席 二回裏二死一、二塁 右中間三塁打(2打点)  投手根市寛貴
第3打席 五回裏無死一塁    右前安打          投手青山浩二
第4打席 六回裏二死一塁    右前安打          投手青山浩二

01_32 凡打となった第一打席を除き、すべて右方向に引っ張っている。特に第三打席、第四打席は走者の後ろを意識して狙っているようだった。素人目に観ても、左打席の方がこれまでに観た右打席よりもスムーズにバットが出ているような気がする。贔屓目かもしれないが。ちなみに第五打席はサウスポーの松崎伸吾を相手に右打席に立ったが、捕手へのファウルフライに終わった。

一時期日本のプロ野球では、俊足で非力な打者を軒並みスイッチヒッターに転向させる傾向があり、後から作った左打ちはぎこちなくてもボールに当てて一塁と離れた方向にゴロで転がれば俊足で何とかしてしまうというせこい、いやしぶとくてしつこいタイプのスイッチヒッターが雨後の筍のように続出した時期があったが、陽仲壽にはどうせなら、そういうタイプではなく、先輩スイッチヒッターで言えば松永浩美タイプを目指して欲しい。

いずれにしても陽仲壽は小さくまとまらないで欲しい。

ところでファイターズの選手のスイッチヒッター挑戦といえば、現ジャイアンツの實松一成を思い出す。

記憶によると2003年のシーズン後の教育リーグの時期だったか、左打席に立つ實松を何度か観た記憶がある。しかし長続きせず結局元の右打ち一本になってしまったのは今となっては残念だ。實松のスイッチヒッターが成就していれば日本プロ野球界初の「右打席でも左打席でも打てないスイッチヒッター」が誕生していたかもしれなかったからだ<笑>。

閑話休題。入団時の前評判では、陽の守備力はすでにプロの一軍級。打撃でプロの水に慣れれば早い時期に一軍入りも可能…こんな感じであったと思うが、スイッチヒッター転向という現状を考えると、腰を据えてじっくりと鍛える方針と考えて良さそうだ。

よかったね、金子!!

   
2.市川卓の打撃フォームが変わった。

何ですか、これは。まるでマシーアスと、ベイスターズの種田仁の打法を足して2で割ったような打ち方だ。

01_3302_6 菰野高校から入団したルーキーイヤーの昨年、市川卓は早くもイースタンで72試合に出場するという、このチームならではの早め早めの起用方針で実戦経験を積めた選手だが、昨年までの構えは全体にゆったりしたオーソドックスな構えだった。これもこの二ヶ月の間のモデルチェンジではなかろうか。今日は「九番・一塁」でスタメン出場。第一打席四球の後、センター前とライト前に一本ずつシングルヒットを放った!!

   
3.だいぶ様になってきた糸井嘉男の打撃

01_3402_8 糸井嘉男が今シーズンに入ってから投手から外野手に転向したことはもちろん知っているし、センターを守っている試合も生で観た。しかし「二番・右翼」で出場した今日の糸井を観て、走者一、三塁から同点打となる流し打ちの安打を放ったシーンや、二死一、二塁で広い一、二塁間を痛烈に破った2本目の安打も、どちらも力強い一打だった。

坪井のアクシデントで代わりに呼ばれたのは紺田敏正だったが、糸井は当面佐藤吉宏、工藤隆人らとのファームでの争いに勝つことが先決。

この三人が九番・市川、一番・陽、二番・糸井と続く打線で、ファイターズは今日のゴールデンイーグルス戦で連敗ストップを果たしたと言っても過言ではなかろう。観戦記に関しては を参照していただきたいが、仕上げはホセ・マシーアスの一発で決めた。

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五回裏、3対3からマシーアスがライトオーバーのスリーランを放ち、これが決勝点となる。

【13日・鎌ヶ谷スタジアム】
GE 111 000 000 =3
F  010 043 10× =10
GE)根市、●青山、佐藤、松崎-河田
F)江尻、○正田、トーマス、横山、金森-駒居、今成
本塁打)憲史1号(正田・3回)、マシーアス3号3ラン(青山・5回)、尾崎5号(佐藤・7回)

マシーアスは「三番・DH」で出場し、五回裏の決勝本塁打の前後にシングルヒットと二塁打を放っており、八回裏に回る打席でサイクルヒットの期待がかかったが、八回二死で回ってきた打席では小谷野栄一を代打に起用されてしまった。小谷野はゴールデンイーグルスの四番手、サウスポーの松崎伸吾から左中間に二塁打を放った。このところすっかり鎌ヶ谷に馴染んでしまった感のある小谷野。ファームの試合でもベンチを暖めるケースが多いようだが今日は小谷野らしい豪快な一打だった。

ただ、DHの代打で出てきたのだから、この後守る必要もないのに代走と替えられてベンチに戻ってくる小谷野の姿を観ていると、まるで30歳過ぎのベテランの扱いだ。小谷野栄一、まだ25歳。今の境遇からの一日も早い脱却を望む!

このようなモデルチェンジ、試行錯誤を続けながらの闘いであれば、なかなか勝ち星を重ねられないのも無理はないなという気もしないではないが、今季二度目の大型連敗はいくら何でも許し難い。今日で連敗が止まったので気持ちを切り替えて明日からは結果を伴って前に進んで欲しい。

さて、観戦記としては投手陣の事も触れない訳には行くまい。

昨日(12日)の武田勝テスト登板に続いて、今日は江尻慎太郎が先発。あえなく2回でKOされると、正田樹、ブラッド・トーマス、横山道哉と「元一軍」を続々投入。最後は三年目の金森敬之で締めくくった。エース金村曉が絶不調で抹消中。コリー・リー、武田勝の離脱で苦しい投手陣の救世主は今日の闘いの中からは残念ながら見いだせなかったようだ。

01_3901_4001_4101_42写真は左から江尻、正田、トーマス、横山。 

先般ジャイアンツの二軍戦で、その豪華すぎるスタメンに苦言を呈した敗戦処理。だが、この投手起用の顔ぶれにも一言 言わざるを得ない。 この中から二人、一軍で戦力になってくれれば、敗戦処理。が望んでいる二位以上でのプレーオフ進出が現実になると思っているからだ。

2006年8月13日 (日)

もうすぐ二十歳-ダルビッシュは生意気?

01_24 12日の対マリーンズ戦で7回1失点の好投を見せて今季8勝目を挙げたファイターズのダルビッシュ有。今月16日が誕生日でようやく二十歳になる。いわば十代、というか未成年最後のマウンドを勝利投手で飾った形だ。新入団だった昨年、春季キャンプ中に喫煙が発覚して騒ぎになったが、解禁まであと3日だ。

(写真は2005年パ・リーグ東西対抗にて撮影したものです。)

サイゾー7月号(インフォバーン刊)P39の記事によると、20~50代男女400人に聞いた「21歳未満の日本人スポーツ選手、生意気だと思う選手は誰ですか?」というアンケートでダルビッシュが6位に選ばれた。同記事で記載されたアンケート結果は以下の通り。

1位亀田大毅(ボクシング/亀田三兄弟次男) 194票
2位亀田興毅(ボクシング/亀田三兄弟長男) 179票
3位成田童夢(スノーボード/今井メロの兄)  161票
4位亀田和毅(ボクシング/亀田三兄弟三男) 159票
4位今井メロ(スノーボード/成田童夢の妹)  159票
6位ダルビッシュ有(プロ野球/ファイターズ)   72票
7位安藤美姫(フィギュアスケート/ミキティ)    57票

何故「21歳未満」という括りでアンケートをとったかなど謎の多い企画だが、この顔ぶれを観るとダルビッシュが生意気だというイメージはかなり浸透していると言わざるを得ない。ダルビッシュより上位にいるのが今を時めく亀田三兄弟とトリノ五輪で話題を呼んだ成田童夢・今井メロ兄妹で、ダルビッシュのすぐ次がミキティこと安藤美姫と、いずれも世界を舞台に活躍する選手でそのスポーツのジャンルのファンのみならず広く一般国民に知名度が高いであろうということを考えると、高校時代に甲子園で名をはせたとはいえ、、その中に割って入るダルビッシュが如何に生意気に思われているか、凄まじいと言わざるを得ない。

  • 亀田次男が世界チャンピオンより上位にいるのは、このアンケートが先日の世界戦より前に実施されたからと思われる。

おそらくは前述した喫煙騒ぎがダルビッシュにとって初めてでなかったことや、試合後のインタビューでの無表情からの優等生過ぎる発言も、相手チームのファンからすれば強気な発言と写り、「ダルビッシュ=生意気」のイメージを形成しているのだろう。

ダルビッシュが所属するファイターズは千両役者のSHINJOが今シーズン限りでの引退を表明しており、SHINJOに次ぐ新たな全国区級のスターの存在は不可欠だ。甲子園のヒーローであり、知名度は充分でルックス、ビジュアルから女性ファンに人気のあるダルビッシュはまさにうってつけの候補だ。どうせ生意気なイメージを持たれているのなら、ピッチングももっと荒々しく、ふてぶてしい雰囲気を醸し出してキャラを根付かせた方が良いのではないか。

現在6連勝中のダルビッシュの安定感あふれる投球は見事だが、気味が悪いほど若さを感じさせない投球に何か物足りなさを感じているファイターズファンも少なくないのではないか?敗戦処理。は12日のマリーンズ戦をNHK衛星の中継を録画して観戦したが、ほとんど若さを感じさせない。年齢相応という意味ではダルビッシュ世代の好敵手、ライオンズの涌井秀章の方がはるかに上だ。ダルビッシュが若々しさに満ちた投球で好投した試合というと、先月のライオンズ戦でユニフォームを忘れて八木のを借りて着用した試合くらいな気がする。

せっかくだからダルビッシュには生意気道を邁進してもらい、相手球団のファンから圧倒的に生意気だと言われるくらい、キャラを徹底し、白星を積み重ねてもらいたい。

  • モー娘。から派生した二人組ユニットW(ダブルユー)は奇しくも一方がダルビッシュと同じ未成年喫煙が発覚して自動消滅状態。このまま神のご加護もなくのぞみも捨てられるのではもったいないから、ダルビッシュ有と、ダルと近い時期に問題を起こしたあびる優で二代目ダブルユーを結成してダーティーイメージを貫こう。

巨人の二軍から若手が上がってこない訳-これじゃあ若手が出てこない!

Photo_8左は12日に神宮球場で行われたイースタン・リーグ公式戦、スワローズ対ジャイアンツ戦のジャイアンツのスターティングメンバーです。スタメン全員が今シーズン一軍でプレーした経験がある出戻り組です。九人合計の推定年俸が5億2780万円! (スワローズのスタメン九人合計の1億5580万円の3倍強。)一人平均5864万円。なんだかなぁ…。しかも四番にはちょうど一週間前に一軍で入団九年目にしてプロ入り初安打が決勝打になってヒーローインタビューも受けた吉川元浩。もう二軍落ちしているのです。これじゃあ若手が出てくる隙はほとんどありませんねぇ<苦笑>。

(二)仁志
(遊)岩館
(三)アリアス
(一)吉川
(右)小関
(中)川中
(左)斉藤
(捕)村田
(投)桑田

昨シーズンから矢野、亀井が頭角を現し、今季もルーキーの脇谷が一軍に抜擢されるなどそれなりの成果を挙げているとも言えなくもないジャイアンツの二軍ですが、次なる期待の星を探しにイースタンの試合観戦に出かけた敗戦処理。ですが、このスタメンを観て興ざめしました<苦笑>。

01_22 敗戦処理。を除く大半のファンはスポーツ新聞などで告知されていたこの試合の先発、桑田真澄だったのでしょう。スタンドにはいつになく18番のTシャツ、ユニフォーム姿が目立ちました。

桑田は6イニングを投げて2失点とまずまずの内容。ただし2失点が5イニング目と6イニング目だったのが気になるところ。一軍で先発するにはスタミナが課題か?

ところで現在ファームにいる選手(一軍経験豊富な選手は除く)の中での敗戦処理。お気に入りは長田昌浩、山本光将、星正典、姜建銘、山口鉄也…。皮肉にもこの試合で長田が決勝のエラーをやらかした。

仁志敏久に代わって五回裏から二塁の守備についた長田は2対2で迎えた七回裏、三番手の佐藤宏志が作った二死二塁のピンチで川端慎吾が放った二塁ベース際のゴロを回り込んで捕球しようとして正面に入って大トンネル。勝ち越しの走者の生還を許してしまった。

長田は東海大望洋高校から2002年のドラフト4位でジャイアンツに入団。今季四年目の期待の若手内野手だ。入団時から野球センスの良さで篠塚二世とか松井稼頭央二世と評された逸材だが、過去三年間で一軍経験は毎年1桁の試合数はあるが、長く一軍に居続けることが出来ない。通常、野手で二軍から一軍に上がろうとする場合に一軍から声がかかる間口を広げるために複数のポジションを守れるように準備する選手は少なくない。ジャイアンツでいえば斉藤宜之、川中基嗣、鈴木尚広あたいは内野と外野をこなせるよう二軍で鍛えられた。だが長田に関してジャイアンツのファーム首脳陣は仁志の後継者と見込んだのか二塁守備のスペシャリストとなるべく徹底的に二塁一本で鍛える方針を定め、一昨年からファームでは二塁以外のポジションに付かなかった。しかし今シーズンが始まる前に小坂誠が金銭トレードで入団してきて長く慣れ親しんだ遊撃から二塁守備に挑戦したことの割を食ったか、今春のオープン戦では一軍に帯同したものの出場機会は三塁であった。原辰徳監督の復帰で二軍首脳陣も一新したが、いとも簡単に長田育成計画は白紙に戻された。

シーズン開幕とともに長田は二軍落ちしたが、そこでまた二塁で出場するかと思ったらルーキー脇谷亮太が一軍に近い即戦力であると判断して二塁手として積極登用され、長田は二塁の控えに回ったり三塁で出たりと起用法が定まらない。

敗戦処理。は長田に対する育成の一貫性の無さにこそ、ジャイアンツの二軍からなかなか活きの良い若手が育ってこない現状を象徴していると思えてならない。シーズン開幕直前に古城茂幸を獲得したりシーズンに入って木村拓也を獲得する前に長田に賭けてみる度量がないところが、この球団で若手が育たない現状を象徴していると思う。

長田と同期、同学年の山本光将もなかなか一軍昇格という声すら挙がらない。山本の本塁打を生で観た者は、そのいかにもホームランバッターと思える打球の弾道に将来の大器と期待するだろう。四年目の今季は育成強化選手に指定されたとかで、開幕からしばらく四番に座り、帝王学を学ばせるかのように経験を積ませているがいつしかベンチウオーマーに逆戻り。この日の試合でもとうとう出番がなかった。

敗戦処理。は月末に再度ジャイアンツの二軍戦の観戦予定をしているが、その時こそ二軍から一軍を目指す活きの良い選手に出逢いたいものである。

ちなみに試合の方はこんな感じでした。観戦記はコチラを参照して下さい。(本ブログと内容が重複していますが目をつぶって下さい<笑>。)

二人合わせて75歳、桑田真澄VS土橋勝征選手、二軍戦で実現!【8/12イースタン観戦記】

【12日・神宮】
G  001 100 001 =3
YS 000 011 11× =4
G)桑田、伊達、●佐藤宏、酒井-村田
YS)高木、○松岡、高井、S五十嵐-小野、川本
本塁打)村田2号(高木・3回)、小野4号(桑田・5回)
斉藤1号(五十嵐・9回)

01_23

Photo_10 スワローズの最後は元一軍の五十嵐亮太が締めた。

斉藤の一発以外は三者三振。さすが。

2006年8月 6日 (日)

何を今さら!-巨人桑田引退後に早大受験へ

今季まだ1勝で、長く二軍生活が続いているジャイアンツの桑田真澄が、現役生活に区切りがついたら早稲田大学を受験したい意向があるという。6日のスポーツニッポンが報じた。

巨人・桑田真澄投手(38)が現役引退後、早大への進学を希望していることが5日、分かった。桑田は85年のドラフト会議を前に早大進学志望を表明。しかし巨人から1位指名され、急転入団。物議を醸した経緯がある。今季は現時点で1勝止まり。来季の去就に関しては極めて微妙な立場に立たされている。仮に今季限りで引退を決断すれば来春にも「早大生・桑田」が誕生、22年越しの夢が実現する。

(8月6日付スポーツニッポンより引用)

桑田と早稲田大学と言えば、PL学園三年時に清原和博とともにドラフトの目玉だった桑田がプロ入りの意思はなく、卒業後の希望進路として挙げていた行き先が早稲田大学だったといういきさつがあった。清原と並ぶこの年のドラフトの目玉であった桑田には当時のドラフトで競合覚悟でも指名する球団があったはずだが、各球団は桑田の「早稲田大学進学希望」を信じて指名を回避した。そんななか清原指名と予想されたジャイアンツが1位で桑田を単独指名。交渉権を獲得し、入団にこぎ着けたことで「江川問題」に近い騒ぎとなった。

ジャイアンツへの入団を表明した時の桑田の「巨人から指名されても行かないとは、一度も言ってませんよ」との発言がまた物議を醸したことも印象に残っている。

スポーツニッポンのタイトルは「22年越しの夢が実現する」で結んでいるが、希望すれば当時実現出来た夢なのでこの表現は当たらないだろう。

それはともかく、敗戦処理。が桑田の現役引退後の希望進路(それがこの秋なのか)として早稲田大学の名を挙げていることに「何を今さら!」と批判的なのは、上に書いたドラフト時に早稲田大学をダミーとして名前を出したことが、桑田と早稲田大学との関係だけにとどまらず、その後PL学園野球部から早稲田大学への進学に支障を来したという経緯があったことである。

実は桑田ほど問題にならなかったが、桑田のPL学園の先輩である吉村禎章も、ドラフトの時に法政大学進学をちらつかせておきながらジャイアンツの指名を受けてジャイアンツに入団した実績があり、法政大学との関係も悪化いていたと言われる。PL学園野球部にとっては球児達の憧れの進路の一つである東京六大学に属する大学に進んで野球を続けるという道を狭くしているのである。

このことは在阪を中心にした球児達が、中学から高校に進む際の選択肢にも影響を及ぼし、一時期在阪の有力球児達がPL学園以外の大阪の強豪校に進むケースが増えた時期があった。大阪桐蔭や上宮高校がそれだ。

そしてこの時期、東京六大学の有力校から拒まれたPL学園野球部卒業生の積極的な受け皿になったのは青山学院大学を始めとする東都大学リーグの新興勢力で、結果として桑田や吉村の選択が大学野球界における東京六大学一極集中を崩壊させるということになった。

21年前のドラフトでジャイアンツと桑田の間に密約があったかどうかは定かではない。半数前後の球団が一位指名して競争率が高くなる清原を避けて桑田を指名したのはジャイアンツの戦略の勝利であるとか、ジャイアンツ以外にも外れ1位、ドラフト2位で桑田指名を予定していた球団があったとか報じられていた。そしてジャイアンツがスカウトの息子をPL学園に進学させていて、野球部に所属していたので全寮制で外部からの接続が困難な桑田(や清原)に接触しやすい状況を作っていたとか、様々な憶測が報じられた。しかしいずれにせよPL学園野球部と早稲田大学野球部の関係を悪化させたのは事実のようだ。

桑田が選手生活を終えた後に大学に通って心理学を学びたいと思うのは個人の自由だが、少なくとも早稲田大学を志望するのであれば、桑田が早稲田大学の名を使って希望する進路に進めた代償の大きさを考えて、何らかのケジメが必要なのではないか?

2006年8月 5日 (土)

マンガ版「江夏の21球」を読んだ方へ

3日に発売された「週刊ヤングサンデー36・37合併号」(小学館刊)で、かわぐちかいじ氏による、山際淳司さんの「江夏の21球」の漫画版を読みました。

敗戦処理。はこのシーンを当時リアルタイムでテレビで観ていました。山際淳司さんの文章も読みました。本作品はあくまで山際さんの原案を漫画という別媒体で再現する趣旨のようで、かわぐち氏の独自の視点などは入っていないようです。

昭和54年(1979年)、カープと旧バファローズの日本シリーズは3勝3敗ともつれて第7戦へ。勝った方が球団創立史上初の日本一になるという天下分け目の一戦。カープが4対3と1点リードで迎えた九回裏。カープのリリーフエース江夏豊は無死満塁の絶体絶命のピンチを招くが、石渡茂のスクイズ失敗などで辛うじて無失点で切り抜け、カープを日本一に導く。途中延長戦に備えてリリーフ要員を準備させた古葉竹識監督との軋轢、相手の西本幸雄監督が過去にも日本シリーズの大舞台でスクイズ失敗で明暗を分けたことがある、等の要素も絡まって様々な側面から語られてストーリーになっていく名シーンである。江夏がこのイニングで投じた投球数が21球だったことから「江夏の21球」と呼ばれる。

当時を知るものとしては、特に漫画で読んだからといって新たな感慨はないが、この漫画で初めて、この伝説のシーンの具体的な流れを知った野球ファンの方に一つ頭に入れておいていただきたいことがある。

それは江夏が、この九回裏から抑えとしてマウンドに上がったのではないと言うことだ。

実はこの試合、江夏はカープの三番手として七回裏二死一塁の場面でマウンドに上がっているのである。得点はこの時点で4対3とカープが1点リード。日本シリーズの最終戦。勝った方が日本一で、どっちにせよ最後の試合だから「最後の切り札」の出番が繰り上がったといってしまえばそれまでだが、抑えの切り札を七回途中から古葉監督は投入。今の野球とは考え方が違う点があると言うことを、初めて読んだ方には認識しておいて欲しいということです。

実際江夏がこの試合で投げたのは「21球」ではなく、2回1/3で41球なのだ。問題の場面が江夏投入から3イニング目ということを踏まえているか否かで、あの場面で古葉監督がブルペンに投手を用意させたことの是非その他への感じ方が変わるであろうからだ。

* さらに言えば、同点の場合の延長戦の規定がわかれば望ましいが、残念ながら敗戦処理。も当時の規定を把握していない。たしか17時30分を越えて新しいイニングに入らない、だったような。ちなみに現在は延長15回までだが、第7戦以降は無制限。ちなみに日本シリーズがナイトゲームになってから引き分けは一度もない。

最近はグラウンドからブルペンが見える球場の方が少なく、この時のような心境に投手がなるのも少ないだろう。スタジアムで観戦する身としては、今ブルペンで誰が準備しているかわかるスタジアムの方がありがたいが。

話が横道にそれてしまった。

江夏が抑えの切り札として活躍していた頃は、リリーフエースと呼ばれる投手達は試合終盤にチームがピンチになった場合にマウンドに向かう。この試合の江夏のように七回の途中からリリーフエースが登板するというのは極めてレアなケースだが、八回の途中とか、八回の頭から出てくることもあった。逆に九回の頭からの登板でなく、九回に同点の走者が出てからの登板も珍しいことではなかった。

つまり、チームの一大事に出ていくのがリリーフエースで、リリーフエースを抱える監督の仕事は、いつ、どの場面でリリーフエースを投入するかがポイントであった。最近は逆で、リリーフエース(という呼び方自体が死語になってしまったが)は最終回1イニングをきちんと抑えるのが仕事であり、監督の仕事はその最終回まで、どうやってリードを保って迎えるか、そのための継投をすることに変わっている。

以前は「チームの一大事」があってそこに出ていくのがリリーフエースであったが、最近ではストッパーがいて、いかにしてその登板までたどりつくかが試合のポイントになっている。主役が代わったのである。

もちろんこれは、どちらが良いとか悪いとかいう問題ではなく、時代背景の違いなのだ。ではその分岐点はと考えると、敗戦処理。流の分析ではベイスターズで権藤博監督が大魔神こと佐々木主浩を1イニング限定ストッパーとして固定し、そこから逆算してその前の数イニングをどのように継投するか中継ぎ投手のローテーション化を確立した当たりからだろう。

この作品を読んで「江夏って、凄いピッチャーだったんだな」と漠然と感想を持たれるだけではなく、最近と当時の違いなども踏まえていただいた方が、より野球のドラマを堪能出来るのではないかと思い、余計なことを書かせていただいた。この試合は当時、TBS系列の毎日放送が生中継したが、後年、TBSの「ギミアぶれいく」で九回裏1イニングの中継ビデオをノーカットで流したのが印象に残っている。こういうの、他のシーンでもどんどんやって欲しいですね。

ところで江夏がこの試合で投げたのは「21球」ではなく、2回1/3で41球なのだと書いたように、「江夏の21球」として語り継がれながらこの試合の江夏の投球数が21球ではないのと同様に、江夏のもう一つの伝説である「オールスターでの9人連続奪三振」も、実はその前後の試合を含めると15人連続奪三振なのである。9人連続奪三振の前の登板(前年)は5人連続奪三振継続でマウンドを降りており、9人連続奪三振の次の登板でも最初の打者から三振を奪っているからだ。

やっぱり「江夏って、凄いピッチャーだったんだな」

2006年8月 1日 (火)

「生」観戦した野球場(13)-大阪ドーム

03_2いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

13回 大阪ドーム 観戦球場ファイル-13

今回は旧バファローズの本拠地として1997年から使用されていた大阪ドームを取り上げる。東京ドーム、福岡ドームに次いでナゴヤドームと共にこの年から開業。旧バファローズと旧ブルーウェーブの合併後は合併球団のダブルフランチャイズの一つとなっているが、オリックスグループが90億円もかけて買い取ったとのことだから、来年から合併球団の実質的なホームグラウンドとして主催試合の開催数もシフトされていくことだろう。また紆余曲折はあったが、今年7月1日からネーミングライツにより京セラドーム大阪と称している。

敗戦処理。の初観戦は設立二年目の1998年4月11日、旧バファローズ対ホークス戦。前述のようにまだ「ドーム球場」自体が珍しい時期で、ましてや日本の首都東京に次ぐ大都市大阪に出来たドーム球場ということで敗戦処理。も期待したのだが、開業二年目早々の週末なのに、客の入りはまばらだったことに驚愕したことを憶えている…。

第一印象としては、巨大なショッピングモールというか、大型複合施設で、その中の一つの構成要素として野球場があるという感じ。例えば東京ドームの場合、プロ野球だろうが他のイベントだろうが開催している時にはそのチケットないし、何らかの入場証を提示して入場するがこのドームの場合にはただ中に入って商業施設を利用するだけなら、普通のデパートのように自由に出入り出来る出入口があったりする。(もちろん開催されているイベントによる)

日本で初めてのドーム球場である東京ドームが出来る時にそれまでの後楽園球場がジャイアンツだけでなくファイターズも利用しており、ドーム球場に移行しても稼働率が保証されているからこそ維持費などの回収にめどがつき、建設に至ったと報じられていたから、野球の試合やコンサートなどでの使用以外に、商業施設を多く入れてテナント料や売り上げの一部を収入源とするのは真っ当な判断と言えよう。ただその時の印象に限っていえば、それゆえに「野球場」としてのインパクトはさほど強烈ではなかった。実際に中に入ってみてグラウンドを見渡して広さを感じなかった。いわゆる多目的施設なのだろうが、肝心の野球場としての魅力を削いだことが後述する経営破綻の遠因ではないかと敗戦処理。は想像しているのだが。

その後1999年の11月に、旧バファローズの球団創立50周年の記念行事で旧バファローズとジャイアンツのOB戦が開催された時に敗戦処理。は生観戦した。「長嶋茂雄が背番号3のユニフォームを着、王貞治が背番号1のユニフォームを着る」貴重な機会ということで、名古屋在住の友人を伴って駆けつけた。長嶋巨人にカープから江藤智が移籍し、長嶋監督が背番号33を江藤に譲って栄光の背番号3を復活させることが判明したのはその約半月後。大阪まで行かなくても良かった<苦笑>?

それでも王さんのジャイアンツのユニフォーム姿はOB戦くらいしか観ることが出来ないし、長嶋さんを含め、ビジターの「TOKYO」のユニフォーム姿など、二度と見ることが出来ないかもしれないし、吹石徳一の娘ということで出演したタレントの吹石一恵の始球式も楽しめたから良かったか<笑>。

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左・背番号3のビジユニを着て三塁を守る長嶋茂雄

右・吉井理人、榊莫山氏とともに始球式を務めた吹石一恵

※長嶋茂雄は当時ジャイアンツの監督。吉井理人は当時大リーグ・メッツ所属。

それ以降まる五年も行っていないが、名前も変わったことだし、秋にでも行こうかなとは考えている。

その後構造上の問題で、ロックコンサートなどで観客がいわゆる縦ノリで盛り上がると近隣の住民から苦情が出るなどの弊害が露呈し、コンサート興行の開催に制約が加えられた。そもそもドーム球場の立地場所も諸々の事情から変更されたそうで、これにより旧バファローズの親会社である近畿日本鉄道の沿線から外れてしまい、ドームを訪れる観客の利用による運賃増収という目論見は無惨にも外れた。そんなこんなでドームの経営は当然うまくいかず経営破綻。球団同様、オリックスが90億円で買い取ったとされる。

また京セラがネーミングライツを買い取り、京セラドーム大阪と名乗ることになったが手続きの遅れ(?)で今年の4月からの予定が7月からにずれ込んだ。京セラはかつてホークス球団の親会社、ダイエーの経営破綻が明らかになった際に球団買収の噂が出た。今回のネーミングライツもいずれはオリックスから球団を引き継ぐための伏線との見方もあるが、西武ドームのネーミングライツを獲得したインボイスは「ネーミングだけで充分」とそれ以上踏み込むとリスクの方が大きくなることに気付いたようで、京セラの今後も注目される。

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