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2006年3月

2006年3月29日 (水)

野茂英雄の日本球界復帰は実現するのか?

日刊ゲンダイの見出し「野茂日本球界復帰-()-オリックスで実現」という見出しにつられて買ってしまいましたが、そんな簡単な話では無いようですね<苦笑>

( http://gendai.net/?m=view&c=010&no=17610 )

シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んでメジャー昇格を目論んでいる野茂英雄ですが、ホワイトソックスとの契約前に日本のバファローズ球団と水面下で交渉していた事実があり、金銭面その他の理由で実現には至らなかったのですが野茂がホワイトソックスでのメジャー昇格が難しい状況になり、日本球界復帰という選択肢を選ばざるを得ないのではないかというのが同紙の記事の趣旨。

その場合は日本球界では旧バファローズに保有権があるためそれを引き継いだ合併球団であるバファローズとの交渉をせねばならず野茂はバファローズで日本球界復帰するだろうという推測が成されている。野茂の代理人である団野村氏が同紙の取材でバファローズ球団との交渉の事実を認めたため大々的に書いたようですね。

しかし団野村氏のコラムによると、バファローズ入りは、まず無さそうです。

( http://ballplayers.jp/column/cat6/ )

団野村氏はバファローズ球団の対応、特に小泉隆司球団社長の誠意を全く感じられない交渉態度を理由に野茂のバファローズ入りは有り得ないと書いています。そしてバファローズ球団が日本における保有権を握っていることを踏まえ、日本球界復帰の道が閉ざされることを危惧しています。

もちろん、交渉事の一方の言い分だけを取り上げて評価するのはフェアではありませんが、前にも触れましたようにバファローズ球団の小泉社長の対応に不満を持っている敗戦処理。としては(団野村氏にも「札付き」という印象がぬぐい切れませんが)この人が交渉したのなら、さもありなんと感じてしまいますね。

また、同コラムで団野村氏が触れているところによると、バファローズ球団が今でも野茂の保有権を持っていること自体がルール違反だと言うことですが、この経緯については敗戦処理。は知り得ませんでした。ただし2月22日付本ブログで主張した「バファローズ、野茂を獲得へ」( http://mop-upguy.cocolog-nifty.com/baseball/2006/02/post_9bb5.html#trackback )

の自説とはほぼ合致していますが。

野茂には不死鳥のごとくメジャーリーグのマウンドに返り咲いて欲しいところではありますが、野茂がこれまで頑なにメジャーにこだわっていた背景に日本球界での保有権問題が引っかかっているのであれば性急に見直して欲しいですね。

野茂がバファローズとの交渉の席に着いた理由は故・仰木彬氏に報いるためとのことですが、十二球団との交渉がフリーになったら新しい闘いの場に北海道を選んでもらえませんかね?

2006年3月25日 (土)

パ・リーグ開幕前日、岡島←→實松、古城-1対2緊急トレード

3月2日付けの本ブログでその所在を心配したジャイアンツの岡島秀樹が敗戦処理。の悪い予感通りにトレードになってしまいました。

( http://mop-upguy.cocolog-nifty.com/baseball/2006/03/post_d9bd.html )

相手はファイターズで交換相手は捕手の實松一成と内野手の古城茂幸でした。

この両チーム間では一昨年にはこじれにこじれた入来祐作と井出竜也の交換トレードと、シーズン中に河本育之投手と中村隼人投手の交換トレードが実現、昨年はやはり今くらいの時期にファイターズからジャイアンツに伊達昌司投手が金銭でトレードされましたから三年連続でのトレード成立ですね。ファイターズのGMがジャイアンツ出身の高田繁さんだからということもあるのでしょうか。

左投手、特にリリーバーに人材を得ないファイターズと正捕手がケガをしてマスクをかぶれないと急激にチーム力が下がるジャイアンツで思惑の一致したトレードとの見方も出来、岡島も實松もこのトレードを前向きにとらえて欲しいと思いますが、激戦区に加え、小坂誠の加入で仁志敏久ですらポジションを保証されないところに飛び込む古城はショックかもしれませんね。

敗戦処理。は先日ファイターズの二軍の交流会に参加し( http://mop-upguy.cocolog-nifty.com/baseball/2006/03/post_c96f.html )たのですが、實松と古城がいました。伸び盛りの若手選手からはサインをもらったり写真を撮ってもらったりしやすいのですが、一軍経験豊富で「こんなところにいていいの?」という選手にはファンも今一つ声をかけにくく感じる時もあるようですが、敗戦処理。はちゃっかりこの二人からサインをもらいました。特に實松には昨年のロッテ浦和球場での本塁打のシーンの写真にサインをもらったのですが、本人も写真を見て嬉しそうでした。

「打てない」ことの代名詞のように言われ、ツッコミ所満載なだけに鎌ヶ谷でも人気者の實松、いなくなると鎌ヶ谷の観客動員にも影響が出かねません<苦笑>。もっとも井出のようにジャイアンツに行ってから成績が振るわずに二軍落ちし、ジャイアンツの選手として鎌ヶ谷に戻ってきて「凱旋試合」と茶化されるのも勘弁ですが<苦笑>

ともあれ三選手とも新天地で戦力となって貢献し、敗戦処理。の悲願である1981年以来のジャイアンツとファイターズの日本シリーズ実現に向けてがんばって欲しいものです。

2006年3月24日 (金)

タイガース金本、横綱に昇進!

今年の2月のキャンプの時期、テレビ朝日系「報道ステーション」のスポーツコーナーでは現役選手を年齢の順に番付で表していましたが、個人成績をもとに真面目にプロ野球選手の番付を作成している人達がいます。大阪にある「野球界番付社」が年一回発行している「日本野球界番付」のことです。

2005年ペナントレースの成績をもとに番付の昇降がなされ(もちろん、これまで過去何年間もの成績の蓄積で番付が決められている。)、2006年版日本野球界番付にてタイガースの金本知憲が新横綱に昇格したというものです。ちなみに東の横綱は2005年度に新横綱になった古田敦也。

ちなみに横綱としては古田が7代目で金本が8代目。1993年度から発行されているこの番付での歴代横綱を挙げていくと、落合博満、大野豊、斎藤雅樹、イチロー、佐々木主浩、松井秀喜と来て現役の二人。

また大関が小笠原道大と松中信彦、関脇が松坂大輔と今岡誠、小結が西口文也と工藤公康。12球団の全選手を大相撲と同様に横綱から序ノ口までに見事に格付けしている。年度によって日本人大リーガーの扱いが異なるなど、何年も続けて揃えると制作者側の苦悩ぶりを窺うことも出来る。新人選手は大相撲の新弟子同様に序ノ口からの初土俵となるため、昨年大ブレークしたマリーンズ勢や、200本安打の青木宣親がいきなり幕内に昇進するなどということはない。

大相撲の番付そっくりのデザインで選手名の書体もそっくりで遠目に見れば大相撲の番付と区別がつかない。( http://www.kaibundo.co.jp/arekore/arekore.htm )部屋に飾ればちょっとしたインテリアになるし、全選手の星取が掲載された2005年日本野球界星取表」と一緒に、酒でも飲みながら野球談義を交わせば盛り上がること間違い無し。(それなりにツッコミどころがあります<笑>。)私も早速注文しました。

2006年版日本野球界番付2005年日本野球界星取表とも1枚200円。野球界番付社宛に金額分の切手を送って申し込む形となる。なお過去のバックナンバーも何年か分は残っているらしい。お問い合わせは野球界番付社まで。

野球界番付社

TEL 06-6351-5146

FAX 06-6351-7119

〒530-0043大阪市北区天満3-6-19

「2006.xls」をダウンロード

2006年3月22日 (水)

アメリカの、アメリカによる、アメリカのための大会(2)-野球界にFIFAはない

第1回のWBCは日本代表チームの世界一で幕を閉じましたが、審判問題をはじめ、大会の運営に関して問題点が多いことは明らかです。この大会は前にも書きましたように、アメリカの、アメリカによる、アメリカのための大会だったのです。

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2006年3月21日 (火)

おめでとう日本代表チーム-第1回WBC世界一の栄冠!

日本代表チーム、第一回WBC世界一おめでとうございます。

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2006年3月19日 (日)

田中幸雄は2000本安打を達成出来るのか?

いやぁ~、今日のWBC準決勝、日本対韓国戦は観ていて燃えましたね。この調子で明後日の決勝戦もがんばって欲しいものです。-と、WBCに夢中になっている間にパ・リーグは開幕まで一週間を切っています。

先に3月8日付で本ブログに「2000本安打目前、石井琢朗の希少価値」( http://mop-upguy.cocolog-nifty.com/baseball/2006/03/2000_a28d.html )という発言をしたが、石井琢朗選手とともに今季2000本安打を目指しているのが、ファイターズの我らが田中幸雄。

積み重ねた安打数、昨年までで1967本。昨オフ去就問題でファンを心配させたバファローズの清原和博と同期、同年齢で今冬39歳になる21年目の超ベテラン。後楽園の時代からファイターズを応援している敗戦処理。がこよなく愛しているFs戦士だが、悲願の2000本安打達成に向けていささか心配である。

このオープン戦、田中幸はチームにとって初戦に当たる2月26日の対スワローズ戦から出場して意気込みを見せている。ちなみに各球団のオープン戦初戦に出場した選手の中では田中幸が最年長。清原も古田敦也兼任監督も自軍の初戦には出場していない。ヒルマン監督の意向もあって今季からキャプテンを務めていることもあり、オープン戦序盤から元気に出場しているのだろう。

しかし、成績が振るわないのである。ここまで16打数3安打、打率は.188で本塁打はない(319日現在)。ベテランだけに開幕までにきっちり仕上げてくれると信じたいが開幕までもう一週間を切っているのである。

加えて記録達成に向けて不安な要素がもうひとつある。

新外国人、ホセ・マシーアスの加入により出場機会の減少が懸念されることである。マシーアスは複数のポジションをこなせる器用な選手ということでオープン戦でもいろいろと適性を試されているが、マシーアスが二塁なり三塁に定着すると木元邦之が三塁、小笠原道大が一塁に回るという布陣が組まれることが予想される。フェルナンド・セギノールはDH。こうなると現状では一塁かDHでしかスタメン起用の可能性が低い田中幸は安打数を稼ぐにはうってつけなスタメン起用数が限定されてしまう。昨年は果敢に外野での出場も試みたが、年齢的に守備範囲が狭いのはいかんともしがたく、今季も外野の守備につけるかは疑わしい。

ここ三年間の田中幸の安打数は2003年から順に662046。昨年の安打数が46ということは、今季中に2000本安打を達成するためには昨年と同じペースで試合に出て、打席に立たなければならない計算になる。昨年はここ三年間で最も多い98試合に出場していたが、そのうちスタメン出場が35試合で、スタメン出場した試合で半数以上の27本の安打を稼いでいる。しかし昨年はセギノールがDHで出る場合には一塁のポジションが固定されておらず、相手が右投手なら小田智之が起用され、左投手なら田中幸が起用と併用されていたが今季は小笠原か木元が一塁のポジションを獲った場合、田中幸のスタメン出場の機会が激減することが予想される。小笠原はもちろんのこと、左打者の木元に対してトレイ・ヒルマン監督は左対左対決を避けるような起用をしないからである。

ヒルマン監督はレギュラー選手に適度な休養を与える起用法をするので、そういう際に田中幸への配慮をしてくれるという期待感はあるが…。一方でマシーアスやセギノールが絶不調で田中幸の出場機会が急増するというのもあまり素直に喜べないし<苦笑>

しかしなかなか調子が上がってこないのが気になる。チームはこの週末、地元札幌ドームでドラゴンズを相手に二連戦を行ったが田中幸は二試合とも不出場。特打ちでもしているのだろうか。奇しくも18日から坪井智哉、小谷野栄一が戦列に復帰してきた。二人とも外野手だが、一軍登録の枠が決まっていることを考えると田中幸がはじき出される可能性も低くない。

もちろん田中幸自身にとっても2000本安打達成がすべてではなく、未だ経験していない優勝というものにどれだけ貢献出来るかにその存在感を示して欲しいという想いは敗戦処理。にもある。一つのチームに所属し続けながら、後楽園、東京ドーム、札幌ドームという三つの本拠地で闘う田中幸にはまだ打っていない札幌ドームでの初アーチも今季には達成して欲しい。そして藤井康雄、初芝清なき後、パ・リーグの古き良き、そして苦しい時代の語り部として、何よりもミスター・ファイターズとして一年でも長く元気にフィールドを走ってもらいたいのである。

がんばれ幸雄、がんばれコユキ!!

2006年3月18日 (土)

【速報】ファイターズの新マスコット-B・Bの弟を発表!!

既に球団公式HPでは告知されていましたが、ファイターズ球団の二軍の本拠地、ファイターズタウン鎌ヶ谷を拠点にファンや地元市民との一層のコミュニケーションを図る役割を担う新マスコットのお披露目がなされました。

01_4

B・Bの弟という設定で、名前はC・B(カビー・ザ・ベアー)。Bの次でCという何とも安易なネーミングです<笑>が、今日(18)行われたファイターズ鎌ヶ谷の会主催「2006ファイターズ交流会」の場でファンの前にお披露目となりました。敗戦処理。も早速サインをしていただきましたが、軽妙な動きと可愛いしぐさで早くも人気者になっていました。なおB・Bは背番号212ですが、C・Bには背番号がありませんでした。

鎌ヶ谷でのファイターズの交流会は毎年この時期に行われ、岡本二軍監督以下、二軍選手が参加し、集まったファンとの交流を楽しむ会です。ほとんど制約なく選手からサインをもらったり一緒に写真を撮ってもらったり、本当にアットホームな会です。昨年は超人気ルーキー・ダルビッシュ有がいたため(しかも謹慎明け初の公の場!)ダルビッシュと鵜久森淳志だけが事前に整理券の配布を受けた人のみにサインをするという措置を取っていましたが、今年は全員フリーでした。敗戦処理。も鵜久森を始め、何人もの選手からサインをもらいました。

ファーム独自のマスコットキャラクターとしては同じくファームが独自に地域密着を目指している湘南シーレックスのレック君が有名ですが、C・Bもレック君のようにファンの心をつかめますでしょうか?

ファイターズのファームが鎌ヶ谷に移って今年で十周年。ファイターズタウンのテーマパーク化は大社啓二オーナーの悲願でもあるようです。北海道移転三年目の一軍にも期待していますが今年のファイターズタウンも楽しみです。

このブログおよび画像をご覧になった皆さんの第一印象をぜひこの発言へのコメントという形でお寄せいただければ幸いです。

巨人応援団またパクリ?

今日(18)は先月亡くなられた故藤田元司さんの追悼試合を開催するというのでそのセレモニーを観に東京ドームに行っていたのですが、そのセレモニーとは全く別のことで驚きました。

ジャイアンツは今日が今シーズン初めての東京ドームでのオープン戦。ライトスタンドに陣取る応援団も、新戦力の選手の新しい応援テーマを一般のファンの人にも覚えてもらおうと試合前の練習中に演奏したりしていたのですが、その中で外野のレギュラーポジションの一角を狙っている矢野謙次のテーマソングが、マリーンズ応援団のアレンジにそっくりでした。

具体的に特定選手の応援テーマにそっくりというわけではないのですが、ノリといい、かけ声をかけるタイミングといい、千葉マリンスタジアム他で聴かれるマリーンズ応援団が使用しているテーマにそっくりです。

以前からジャイアンツの応援団にはタオル回しなどマリーンズ応援団のパクリ疑惑が時に囁かれたりしていましたが、今日の矢野謙次のテーマにはもう笑っちゃいました<苦笑>

一回裏にさっそく矢野に打席が回り、本格的に披露されました。文字で表現できないのが残念ですが、普段からマリーンズの応援に接することの多いホークスのファンの方達などは「何だ、ありゃ?」と思ったのではないでしょうか?

矢野の今後の活躍次第でこの曲がファンの間にどんどん浸透するでしょうが、またぞろパクリ疑惑云々がネットその他で話題になりそうですね。

ひょっとしたらマリーンズ応援団の承諾の元、作曲しているのかもしれませんが矢野には敗戦処理。も個人的に期待しているのでもっと独創的なテーマを考えて欲しかったなぁ。

日本代表の準決勝進出は「奇跡」ではない!

WBC二次リーグで、一時は絶望視されていた日本代表の準決勝進出が、アメリカ代表がメキシコ代表に敗れたことにより実現した。

昨日(17)の夕刊紙、TVのニュース、今朝の報道で盛んに「奇跡」というフレーズが用いられているように感じるが、敗戦処理。はこの事態を決して「奇跡」とは思わない。

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2006年3月16日 (木)

「生」観戦した野球場(4)-西武ライオンズ球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第4回 西武ライオンズ球場 観戦球場ファイル-4-

西武鉄道、コクドグループ総帥、堤義明氏が所沢に作った球場。当初はプロ野球試合を招致して沿線利用者が沿線を使用してくれればという発想で作られたそうだが、球団を買収して本拠地とした。

それまでの野球場が土地があってその上に野球場が建っているという感じであるのに対し、狭山丘陵を掘り下げてつくっているため、たいがいの球場が入口を入ってから階段を上ってスタンドにたどり着くのに対してこの球場は階段を下りてスタンドにたどり着くのが特徴的。

昭和54年に西武がライオンズを買収して以来の本拠地球場であり、当初から前述のような球場設計は将来的にドーム球場化する前提で作られたと専ら語られたが、ドーム球場としては東京ドームはもちろんのこと、福岡、大阪、ナゴヤの後塵を拝した。しかも完全なドームでないため、春先と秋口は寒く、夏は蒸し暑いという観戦のしづらさがある。また昨年からネーミングライツを取り入れ、情報通信サービス業のインボイス社が権利を取得。インボイスSEIBUドームとなった。

西武線沿線のさいはてにあり、都心や

埼玉県

でも近隣以外から行くのに時間がかかるため、観客動員では苦戦を強いられている。そもそもが西武鉄道の戦略として、他の首都圏の私鉄各社が都心から郊外に人を運ぶコンテンツがあるのに西武グループには乏しかったため無理矢理所沢に作ったといわれている。例えば小田急なら箱根、東武なら日光、形成なら成田、東横ならヨコハマと、都心から人を運ぶ目玉になる施設がある強みがあるのだが、西武鉄道グループにはこれといった施設がないため、野球場を作り、稼働率を高めるために球団を所有したとの見方もあるほどだ。

郊外であるならば車で球場に行こうと考える人も多いはずだが、年間予約席契約者以外の駐車場が無く、この球場に来るには西武鉄道か西武バスで来るしかない。昨年敗戦処理。が観戦した5月14日の交流試合のライオンズ対ジャイアンツ戦は延長11回までもつれ22時を回ってイニングの合間にはスコアボードに終電情報が流れたが、この不安があるから観客動員に苦しんでいるというのもあろう。ファンのニーズがあって球場があるのでなく、はじめに西武鉄道グループの事業計画ありきなのだろう。

敗戦処理。は先日たまたま80年代の堤オーナーの記事を目にしたが、堤オーナーは地域密着というテーマについて語ってはいたがその中に「埼玉」とか「所沢」といった地域名は出てこない。彼の表現によると「約300万人の西武沿線住民」なのである。この人が何を考えているかよくわかりますね。

敗戦処理。が初めてこの球場を訪れたのは昭和57年の日本シリーズ、ライオンズ対ドラゴンズの第4戦だった。当時は日本シリーズはデーゲームで行われるのが慣例で秋晴れの好天のなかシーソーゲームが繰り広げられ、谷沢健一が小林誠二から九回表に放ったセンター・オーバーの本塁打が決勝点となり、3対2でドラゴンズが勝って対戦成績を二勝二敗の五分にした試合だった。

敗戦処理。は年に一、二回この球場で観戦する。前述の昨年の交流試合では23時近くまで試合が長引いたが、敗戦処理。は球場の裏から試合終了に合わせて運行される西武バスと多摩都市モノレールで帰宅するので「足が無くなる」心配をしないですむのはラッキー。それでもこの日は帰宅が24時を回ったが<苦笑>

2006年3月14日 (火)

アメリカの、アメリカによる、アメリカのための大会-疑惑の判定

WBC二次リーグ初戦、日本代表はアメリカ代表に敗れましたが、そのポイントとなったのが八回表の判定が覆ったシーン。

これを読む人は全員ご存じでしょうが、3対3の同点という局面で岩村明憲が放ったレフトフライで三塁走者の西岡剛がタッチアップしてホームイン、と思いきやアメリカ監督の抗議で西岡のタッチアップが早いと判定され、得点が認められなかったシーン。

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2006年3月13日 (月)

WBC二次リーグ、直前の不安

あと数時間でアメリカ戦が始まる状況で今さらこんな事を言うのもナンですが、アジアラウンドよりレベルの高い相手と対戦するのに、同じローテーションでいいのですかね?

第一戦 対アメリカ 先発予定:上原浩治
第二戦 対メキシコ 先発予定:松坂大輔
第三戦 対韓国   先発予定:渡辺俊介

対アメリカには上原と渡辺を両方つぎ込むくらいのことが必要ではないでしょうか。

先日の練習試合で投げているから今さら遅いのですが。

球数制限が緩和されるとはいえ依然として80球という制約があるわけですから、先発クラスの投手を各試合に二人用意するのはアジアラウンドと同様。それならばアメリカ戦には上原と渡辺、メキシコ戦には松坂と杉内俊哉、韓国戦には和田毅と清水直行という組み合わせで行って欲しい。もっとも二次リーグの初戦の相手がアメリカに決まったのがほんの二日前だが。

シーズン中でも、仮にスライド登板はしないにしても、他の投手の先発日に雨天中止があってそのあおりで登板日がずれたりするというケースはあるだろうから、事前に登板予定日が変わっても対応できるような気がするのですが。

あと、打線はアジアラウンドでは選手によって好不調がはっきりしていました。対韓国戦で福留孝介に代打、和田一浩を起用というシーンがありましたが、日本では名だたる一流プレイヤーに対して王貞治監督が代打と替えるという冷徹な判断を下せるか、采配のキーになりそうな気がします。

まぁ最初に書いた通り、あと数時間です。信じて見守るしかありません。明日は仕事なので家では途中までしか観ることが出来ませんが、早く寝て早く起きて観ましょう!

ちなみに日本テレビ系列で5:45から中継。

2006年3月12日 (日)

ふたりの選手にさようなら&ありがとう

ジャイアンツ球場を辻内降板とともに去ったのは東京ドームのナイトゲームでふたりの選手にお別れをするためです。別に昼の部が終わってからでも間に合ったと思いますが書き込んだりする時間を考えると…<苦笑>。

東京ドームのナイトゲーム、オープン戦のファイターズ対バファローズ戦は敗戦処理。にとってはふたりの選手への惜別試合となりました。

ひとりは昨シーズン限りで現役を引退、この試合の始球式で東京のファンに別れを告げる岩本勉。もうひとりは現役を続行しますが贔屓チームの選手からライバルチームの選手になるバファローズの清原和博です。

岩本というのは不思議な選手でした。気合いを前面に出し、スタンドまでも伝わる魂のピッチングでファイターズファンを熱くさせてくれるかと思えば相手打線に火を付けてしまったり。二年連続開幕戦完封勝利の実績が示すようにここと心に期した試合での集中力は素晴らしいものがありましたが、年齢を経ての投球の熟練化がうまくいかず、不幸にもチームの北海道進出を境に存在感を薄めてしまいました。しかし敗戦処理。の様な後楽園の頃からファイターズを応援している身にとっては西崎幸広らが抜けた後で地味になったチームで明るいパフォーマンスを連発し、チームメートのみならず我々ファンをも盛り上げてくれた岩本の存在は残した通算成績のみではとても語れない存在感がありました。

ちょうど一週間前には札幌ドームで引退試合をしてもらい、マリーンズで長年対決した堀幸一選手と真剣勝負。そして二年間ついに実現しなかった札幌ドームでのマイクパフォーマンス「まいどっ!」を実現させました。今夜は東京のファンの前で始球式。球団からのコーチ就任要請を断り、他球団での現役続行を望んだ選手に対してこれだけ球団が配慮をしたのも、岩本の人柄故でしょう。

人柄といえば、今日の始球式前に場内に流れた岩本の引退スピーチではチームメートやファンへの感謝の思いの他に、東京ドームの球場設備のスタッフへの感謝の思いをかなり長く述べていました。岩本とはそういう男なのでしょう。北海道移転を前にした2003年の本拠地最終戦後のセレモニーでも当時選手会長を務めていた岩本は挨拶をしていましたが、その時も岩本は球場関係者への感謝に長い時間を割いていましたから。

そして清原和博。

敗戦処理。はジャイアンツファンですが、いわゆる「清原信者」ではありません。応援するチームで九年間プレイしてくれましたが、期待に応えてくれたというよりは、期待を裏切られたという思いの方が強いくらいです。このブログで2月2日付で発言した「清原和博の使い途」で書いた内容が敗戦処理。の清原に対する率直な重いです。昨シーズンの戦力外通告も妥当だと思いましたし、2001年オフに球団が四年契約を結んだ時には「長すぎる…」と思ったくらいでした。

しかし、それでもジャイアンツナインの一人です。清原のバットで感動させてもらったことも少なくありません。普通であれば「他の球団に行っても頑張れよ」と励ますところですが、パ・リーグにも贔屓チームを持つ敗戦処理。にとっては今シーズンは宿敵になるのです。そこで清原と訣別するために、バファローズのユニフォームを着る清原和博をじかにこの目に焼き付けようと思ったわけです。もちろんスポーツニュースなどではバファローズのユニフォームを着ている清原を何度となく観ていますが、直に観ればまた違うと思いました。

Photo_2 岩本勉、最後の一球

そして岩本の始球式。普通なら先攻のバファローズの一番打者(この試合では谷佳知)が打席に入るところですが、清原が打席に入りました。清原は豪快に、本当に思い切りよく空振りしてくれました。岩本も嬉しかったことでしょう。

さようなら、岩本勉

さようなら、清原和博

そしてありがとう。

02

始球式後、マウンドに歩み岩本をねぎらった清原。ともに昨シーズン終了後、不本意な戦力外通告を受けた身。ふたりとも胸中は複雑であろう。

ふたりが与えてくれた感動を胸にしまいこみ、2006年の日本プロ野球に注目したいと思います。

ちなみに試合の方はこんな感じでした。

【12日・東京ドーム】
Bs 000 000 000 =0
F  000 004 01× =5
本塁打)稲葉1号2ラン(大久保・6回)、SHINJO3号(大久保・6回)、稲葉2号(香月・8回)=2打席連続
Bs)セラフィニ、●大久保、平野佳、香月-日高、前田
F)八木、○清水、立石、建山、トーマス-高橋、中嶋

ファイターズの八木は投球間隔が長いのが気になった以外は問題なし。不利なカウントになっても平気でストライクを取れる。安定した投球で5イニングを無失点。また「二番・二塁」でスタメン出場した同じルーキーの川島は二打席連続見逃し三振と精彩を欠いていたが三打席目に先制のスクイズを決め小技も巧いところを見せてくれました。既にオープン戦で殊勲打を何度か放っています。強運の持ち主かもしれませんね。面白い戦力になってくれそうです。また稲葉が右に左にホームランを連発。SHINJOも豪快な本塁打を放つなどファイターズファンにとってはたまらない試合でした。投げる方も八木の後、清水、立石、建山、トーマスとつないで完封リレー。それも全員無四球でスカッとした試合でした。

辻内デビュー戦で致命的弱点露呈?

今日はジャイアンツ期待の高校卒ルーキー、辻内崇伸が教育リーグで先発するというので辻内の登板中限定でジャイアンツ球場で生観戦してきました。
 
マリーンズ相手に先発した辻内は立ち上がりからストレートはほとんど高めに行き、カーブは曲がりが大きいのですがワンバウンドになるのが多いなど制球難。大物ルーキーとはいえ、初めての他チームとの対戦で緊張していたのか、はっきりいって乱調でした。

Photo_1

一回表、先頭の細谷に対してプロ第一球を投じる辻内

辻内は最初から3イニングを予定していたようで、一回表と二回表はそれでも力に任せてマリーンズ打線を封じ込めていた感じでした。マリーンズ打線は芯で捕らえることが出来ず、打球は外野まで飛びません。

しかしジャイアンツが2対0とリードして迎えた三回表、ついにマリーンズ打線につかまります。というか、乱調で抑えが利かなくなりました。

九番代田から始まるこの回、いきなり四球。回の先頭で俊足の選手に四球を与えるという、決してやってはならないことをいきなりやってしまいました。

しかも次打者細谷の時に代田が盗塁、しかもまだ辻内が球を持っているうちにスタートを切りました。左投手でセットポジションの時は一塁走者と正対している辻内ですが、走者を気にする余裕がなかったのか、代田が走ってから慌てて一塁に送球し、一塁から二塁に転送しましたが代田の方が早く二塁盗塁という形になってしまいました。

実はこれと同じような場面は二回表にもあり、一塁走者田中雅が辻内がセットポジションで球を持っている間にスタートを切り、この時も辻内は一塁に投げたのですが一塁の大須賀は二塁に送球すら出来ませんでした。よほど緊張していたのか、それともフォームに致命的な欠陥があるのか?

この後、内野安打と四球で無死満塁となり、マリーンズのクリーンアップを迎えます。この試合のマリーンズのクリーンアップは三番・青野毅、四番・林孝哉、五番大松尚逸です。

辻内はここで開き直ったのか、ストレートをぐいぐい投げ込み、まず青野を捕邪飛に打ち取り、ついで林も一邪飛に打ち取り二死までこぎつけます。ここまで打球を外野まで飛ばせていません。観た感じは球質が重い感じですね。

大松との対決は見ものでした。大松は入団二年目とはいえ、昨年は日本シリーズ後のアジアシリーズ対中国選抜戦ではスタメンに起用されたバレンタイン監督期待の選手です。同期の竹原直隆とともにやがて一軍でクリーンアップを打つであろう大松を辻内が抑えられるのか、注目しました。

結果は11球粘られた末、押し出しの四球となってしまいました。大松のファウルの打球はほとんどが球に押されており、辻内の球質の重さを感じさせましたが最後はコントロールが乱れました。

それでもフルカウントからストライクが続いたので、この後を抑えてくれるかと期待しましたが続く田中雅にはストレートの四球でした。どうやら大松との対決で 斬れて しまったようです。普通なら遅くてもここで交代ですが、首脳陣は3イニングを投げきらせる予定を変えず続投させます。しかし今度はストライクを取りに行く初球を狙われ、平下、青松に連打されてこの回6失点の憂き目にあいました。

辻内の対戦結果
イニング、打者、結果
(○は左打者)
一回表
   細谷  二飛
○根元  三振
  青野  四球
  林 孝 二ゴロ
二回表
○大松  三振
  田中雅 四球
○平下  遊飛
(田中雅二盗)
  青松  三振
三回表
  代田  四球
(代田二盗)
  細谷  遊内安
○根元  四球
  青野  捕邪飛
  林 孝 一邪飛
○大松  四球(1点)
  田中雅 四球(1点)
○平下  中前安(2点)
  青松  左越二塁打(2点)
  代田  投ゴロ

投球回 3 打者 19 投球数 79 被安打 3 
奪三振 3 与四球6 自責点 6

初の実戦での緊張、マリンスタジアムも真っ青の強風(なにしろよみうりランド入口行きのゴンドラが運転を中止していたくらい!)という要素はあったにしても、辻内には惨々なデビュー登板になりました。

敗戦処理。的には押し出しの四球で 斬れて その後ボロボロになったのもいただけませんが、セットポジションの間に二度も盗塁されたことの方がショックです。本当に極度の緊張で、正対している一塁走者の動きすら視野に入らなかったというのであればまだ救いはありますが、フォームに欠陥があってマリーンズの走者にそこを突かれたというのであれば、これを矯正するまでは実戦登板は控えた方が良いくらいでしょう。

辻内にかかる球団、首脳陣、ファンの期待は並々ならぬものがあります。特にジャイアンツでは甲子園の人気スター選手としての入団という意味では松井秀喜以来かもしれません。四年前に高校卒でドラフト1位入団した真田裕貴が一年目から6勝を挙げましたし、昨年はファイターズのダルビッシュ有が高校卒一年目で5勝を挙げましたので辻内にも即戦力の期待が高まってしまうのでしょう。特にオフにいろいろな補強をしたとはいえ、投手陣に不安を抱えるチームです。そういう意味では今のうちに欠点が露呈し、一軍で活躍するための課題がはっきりした方が本人にもチームにとってもプラスかもしれません。

ちなみに今日はその真田が辻内の後に二番手として四回表からマウンドに上がりました。何か皮肉な感じですね<苦笑>。

くれぐれも先発投手が足りないからとか、中継の視聴率を上げたいとかの理由で早い時期での辻内昇格ということだけは勘弁して欲しいですね。

四年前に真田を一軍に引き上げてローテーションに入れた原辰徳監督が二匹目のドジョウを狙っても吉村禎章二軍監督、小谷正勝、香田勲男コーチらの目に時期尚早と映るようであればNo!といえるくらいであってほしいものです。

なお、敗戦処理。は都合により辻内降板を見届けてジャイアンツ球場を後にしましたので四回表以降の結果を確認していません。

2006年3月 9日 (木)

セ・リーグもプレーオフ導入

7日に行われたセ・リーグの理事会でセ・リーグも来季、2007年度からプレーオフ制度を導入する方針を決めた。具体的な方式は未定。

ついに来たかという感じですね。

これまでジャイアンツ、タイガースという二大全国区球団の存在を背景にパ・リーグに対する人気面での圧倒的格差を見せつけていたセ・リーグがパ・リーグに遅れること三年、ついにプレーオフ導入に踏み切った。

セ・リーグに人気面での格差を付けられているパ・リーグはこれまで盛んに独自の打開策を打ってきた。1973年に導入した二シーズン制。1975年に導入した指名打者制を始め、予告先発制、マンデーパ・リーグなど様々な策を施し、何とか人気上昇を試みた。その間セ・リーグはこういった施策の必要性を殆ど感じることなく、またパ・リーグの人気上昇を脅威に感じることなどもなく、運営を続けてきた。たぶんセ・リーグの側から観れば、一連のパ・リーグによる施策は邪道というか、奇策に映っただけであろう。そう考えると、7日の理事会後に豊蔵一セ・リーグ会長が語った「長い間、シーズンで優勝を争う伝統を守ってきた。ただパのプレーオフが効果あったのも事実。伝統は伝統として、変革すべきは変革したい」という、今まで変えなかった禁を破ると言うことよりも、セ・リーグがパ・リーグの真似をすると言うことの方がある意味衝撃的だ。

セ・リーグはなぜプレーオフを開催しなければならないのか?

パ・リーグが現状のプレーオフを導入した過去二年間、セ・リーグの優勝チームは日本シリーズで敗れている。パ・リーグの上位チームが日本シリーズ進出を賭けて熱い戦いをしている間、2004年のセ・リーグ優勝チームのドラゴンズは消化試合をこなし、2005年のタイガースは消化試合すら終わってしまったためただ練習をするしかなかった。パ・リーグの日本シリーズ進出チームが勢いを付けたまま日本シリーズに臨めるのに対し、セ・リーグの優勝チームが間延びしてしまうという違いがあったが、セ・リーグもプレーオフを導入すれば、この問題は解消される。

    敗戦処理。はその事が日本シリーズの直接的な敗因になったとは思っていない。

もう一つは交流戦の導入により、それまでセ・リーグ各球団にとってドル箱であった対ジャイアンツ、対タイガース主催試合が減少したことによる収入減の代替策という狙いもあるはずだ。それを裏付けるのはプレーオフ導入の前提条件の一つに「現状の公式戦146試合の維持」を挙げていることである。これをもしパ・リーグと同じ公式戦136試合とした場合、各球団は主催試合が5試合減る。対ジャイアンツ戦、対タイガース戦がまた1試合ずつ減ってしまうことになり、経営面でさらなる打撃になるからだ。プレーオフがどういう方式になるか全くの白紙である状況だが、プレーオフによる利益は出場球団のみになることが予測され、全体の利益とはならないだろうからである。

ただ後者の公式戦減少(主催試合の減少)という問題は今後避けて通れない問題になるのではないかと思われる。

まず第一に、「現状の公式戦146試合の維持」+プレーオフとなると、過密日程が懸念され、選手会が無条件に飲むとは考えにくい。そして昨秋開催されたアジアシリーズや今回のWBC、さらには五輪野球など、国際大会を今後重視するようになればなるほど、国際大会のための日程確保が必要になるため、公式戦を減らさざるを得ない時期がいずれやってくるであろうと言うことだ。

先に触れたように公式戦の減少は、興行収入の機会の減少を意味し、それは即ち各球団の経営状況を直面する。国際大会で日本野球の素晴らしさが認識され、野球人口の増加など、底辺の拡大につながってくれれば幸いだが、そんな長期展望を立てられないほど経営状況が厳しい球団もあるだろう。

セ・リーグから観て成功に思えるパ・リーグのプレーオフ制度にもファンの間で賛否両論があることは周知の事実である。パ・リーグでは三年目を迎えるプレーオフ制度でアドバンテージの見直しなどマイナーチェンジを断行するが、これが功を奏するかはまだわからないし、2007年のプレーオフに関しては両リーグを交えた見直しという議論もでることが予想されるからである。正式導入まで一筋縄ではいかないような気がする。

2006年3月 8日 (水)

お詫び

3月6日付発言イチローの「戦った相手が『向こう30年は日本に手は出せないな』という思いになるほどの勝ち方をしたい」発言-WBCアジアラウンドを終えてにおいて、皇太子妃雅子様のお名前を誤って変換してしまいました。ここに謹んでお詫びさせていただくとともに、元エントリーを修正します。

大変失礼いたしました。

2000本安打目前、石井琢朗の希少価値

昨シーズンは古田敦也と野村謙二郎が2000本安打の偉業を達成しましたが、今シーズン、2000本安打に最も近いのがベイスターズの石井琢朗。昨シーズンまでに1961安打を放ち、残り39安打。本数的には残り33安打の田中幸雄の方が近いですが、レギュラーポジションをつかんでいませんので実質的には石井が最も近いと言って差し支えないでしょう。2000本安打の達成者は昨年の古田と野村を含めてプロ野球史上33人。紛れもなく金字塔だ。

石井琢朗は昨シーズンまで主に遊撃をポジションとしているが、過去に遊撃を主たるポジションにして2000本安打を達成した選手には藤田平と前出の野村がいるくらい。しかし二人とも2000本安打達成時には他のポジションにコンバートされており、遊撃を守りながら2000本安打に到達すれば、石井が初めてのケースになります。

遊撃手というポジションは寿命が短いポジションなのです。

日本プロ野球における、ポジション別通算最多出場選手を列記する。

投手  米田哲也  949試合
捕手  野村克也 2,921試合
一塁手 王貞治  2,799試合
二塁手 高木守道 2,179試合
三塁手 長嶋茂雄 2,172試合
遊撃手 吉田義男 1,730試合
外野手 張本勲  2,429試合
        福本豊  2,293試合
        山本浩二 2,273試合

投手を別にすれば、遊撃手の最多出場選手の試合数が明らかに他のポジションより少ない。2000試合出場した選手がいない唯一のポジションであることがわかります。

これは第一に、このポジションが他に比べて負荷が多いことが理由として考えられますが、それゆえに遊撃を守る選手であっても、攻撃面に秀でた選手は他のポジションにコンバートされるケースが多いこともこのポジションを守りながら2000本安打を達成する選手が出ない理由だと敗戦処理。は考えます。特に1976年度に後楽園球場が日本で初めて人工芝の球場になったのを皮切りに、本拠地球場が次々と人工芝になっていった80年代以降、遊撃手の短命化と、他ポジションへのコンバートの傾向が強まったように思えます。

ここで遊撃手としての通算出場数ベスト10を記しておく。

1位 吉田義男 1,730試合
2位 豊田泰光 1,579試合
3位 白石勝巳 1,561試合
4位 高橋慶彦 1,543試合
5位 小池兼司 1,494試合
6位 石井琢朗 1,378試合
7位 河埜和正 1,370試合
8位 田中幸雄 1,356試合
9位 水上善雄 1,307試合
10位 川相昌弘 1,293試合

石井琢朗はレギュラーになって四年目の1996年、それまでの三塁から遊撃にコンバートされ、以後定着しています。昨年35歳になった石井が遊撃のままで2000本安打を達成したら、ひときわ高い価値のある2000本安打であるということを賞賛したいと思います。

いろいろと調べてみたのですが、人工芝球場の増加が始まった80年代以降、遊撃を守り続ける選手にとって33歳という年齢が節目になるケースが多いようです。

遊撃手としての出場数歴代4位の高橋慶彦は33歳になる1990年のシーズンを前にカープからオリオンズにトレードされましたが、同じポジションの水上とのトレードであったにもかかわらず遊撃手としての出場が前年の124試合から29試合と激減。前年まで12年連続して規定打席に達していましたがこの年から規定打席に到達できなくなりました。翌年には外野にコンバートされました。

7位の河埜和正はジャイアンツのV9終了後、前任者の黒江透修に代わってジャイアンツの遊撃を任されるようになりましたが、33歳になった1984年までがレギュラーでしたが、翌1985年から出場数が激減。甲子園球場でフライを落球し、タイガースの序盤戦の好ダッシュを助けてしまったあの有名なプレイも33歳の時でした。

8位の田中幸雄は一軍デビューから遊撃を守っていましたが、右肘の痛みが持病となり、33歳で迎えた2001年に外野にコンバートされ、その後三塁や一塁を守るようになりましたが、遊撃に復帰という話はありません。

10位の川相は33歳になった1997年まではジャイアンツの「二番・遊撃」が指定席でしたが、翌年6年ぶりに遊撃としての出場数が二桁になってしまい、その翌年に二岡智宏が入団すると完全にポジションを奪われました。

ベストテン圏外でも11位の山下大輔(1,281試合出場)33歳になって最初のシーズンになる1985年から二塁にコンバートされました。先日亡くなられた近藤貞雄さんが当時のホエールズの監督で、内野の右半分と左半分をそっくり入れ替えるコンバートを断行したことを覚えている方も少なくないのでは。

さらに12位の野村謙二郎(1,234試合出場)33歳のシーズンを最後に三塁にコンバートされました。

もちろんすべての遊撃手が33歳前後で節目を迎えている訳ではありません。現役では石井の他に宮本慎也も33歳を超えてなお遊撃を守り続けています。また前述のように攻撃優先で他のポジションにコンバートされるケースも少なくなく、井口資仁、池山隆寛、宇野勝らがそれに当たります。

石井は昨年、公式戦全試合、全イニングにフル出場しました。2000本安打が近くなり、一打席でも多く機会を与えようというチームサイドの配慮もあったのかもしれません。しかし35歳という年齢でのフル出場はきつかったのか、打率.255、8本塁打、40打点、18盗塁という平凡な成績に終わりました。ベイスターズは昨年、四年ぶりにAクラスに返り咲きましたが、シーズンの終盤に4位から3位に浮上した勝率5割未満の3位で、今シーズンはさらなる浮上が望まれます。チームの斬り込み隊長を今年も石井に託すのであれば、石井は早めに金字塔を達成し、それ以降は無理せずに休む試合をつくるとか、試合終盤に退くケースを増やすなどの配慮が欲しいところですね。2003年と2004年に石井に次いで遊撃としての出場実績がある内川聖一との併用になるかもしれませんね。

そして、石井が無事2000本安打の金字塔を達成した時にマスコミがその特異性をどれだけきちんと報道してくれるかも興味深いところです。

*  本稿の趣旨からは外れますが、石井は投手として入団し、公式戦で1勝という記録が残っています。公式戦で勝利投手になった選手の2000本安打達成は川上哲治(11)に次いで二人目です。このことの方が取り上げられそうですね。

2006年3月 6日 (月)

イチローの「戦った相手が『向こう30年は日本に手は出せないな』という思いになるほどの勝ち方をしたい」発言-WBCアジアラウンドを終えて

今日のWBCアジアラウンド対韓国代表戦に日本代表が逆転負けを喫し、2次リーグへの切符こそ手に入れたものの韓国に1位通過の座を奪われたことで、明日以降、メディアやネット上で↑のイチロー発言が再び物議を醸すことになるのではないか。

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2006年3月 4日 (土)

和製大砲候補の山本(G)、新戦力の森(F)が豪快な一発!!【3/4教育リーグ観戦記】

すみません。タイトルだけでは何のことかわからないでしょう。実は今日(4日)、今年度初の生観戦をしてきました。といってもWBCでもオープン戦でもなく、イースタン教育リーグです。鎌ヶ谷でのファイターズ対ジャイアンツ戦を観戦してきました。敗戦処理。にとっては贔屓の両チームを一度にウオッチできるオイシイ対戦カードです。

まずは両チームのスターティングメンバーを紹介しておきましょう。

ジャイアンツ
(右)十川雄
(遊)岩館
(三)十川孝
(左)山本
(一)大須賀
(中)山田
(捕)加藤
(指)梅田
(二)脇谷
(投)南

ファイターズ
(三)尾崎
(一)古城
(指)森
(左)鵜久森
(二)稲田
(中)佐藤
(遊)高口
(捕)實松
(右)工藤
(投)立石

この時期は公式戦期間と違い、一軍登録の選手と二軍の選手が厳密に分けられていないため、ファームの選手でも有望な選手は一軍に帯同していることが多く、教育リーグに出ている選手はまだまだ一軍には近くない選手が多いものです。高校卒のルーキーが出たりするのも見所なのですが、今日のこのラインアップではジャイアンツの梅田と脇谷、ファイターズの高口がルーキーです。また個人的には両チームの四番、ジャイアンツの山本光将、ファイターズの鵜久森淳志をともに将来の大砲候補として期待しているので非公式試合とはいえ、四番の働きにも注目です。

ファイターズ先発の立石は、立ち上がりから四者連続奪三振で、さすがに一軍経験も富なだけあって格が違うなと思って観ていましたが、打順二回り目の四回表、先頭の十川孝の三ゴロを尾崎が腰高で後ろにそらす失策で走者を許すと、続く四番山本に左中間スタンドに豪快に放り込まれます。

この山本、熊本工業から入団して四年目の選手でまだ一軍経験はないのですが、ホームランの打球の弾道がいかにもホームランバッターの弾道という感じで、弧を描いてスタンドまで運ばれていきます。次から次へと補強で四番打者を獲得しているジャイアンツにあって「大砲」として一軍にアピールするのは難しいかと思いますが、変に小さくまとまらず、文字通りの大砲になってもらいたいところです。

立石はこの一発で動揺したのか、次打者大須賀にもレフトオーバーのソロ本塁打を打たれ4失点。この回でマウンドを降ります。

ジャイアンツは五回表にも犠飛で1点を加え、4対0とします。

ファイターズ打線はジャイアンツの南に5イニングを稲田の一安打に抑えられ、二番手の東野にも2イニングをパーフェクトに抑えられます。昨オフに西浦、上田というファームの中心的人物を戦力外にしたこともあり、打線が非力化した感じです。鵜久森もここまで「三振」、「三ゴロ」、「遊ゴロ」と3の0とふるいません。

ファイターズは8回を終わって一安打、二塁すら踏めないお寒い攻撃ぶりでしたが、最終回に意地を見せました。

ジャイアンツの三番手、八回から登 板の元チームメイト、伊達から先頭の工藤が四球。続く尾崎がセンター前にライナーのクリーンヒット。しかしここで何を思ったか工藤が三塁を狙い、センターからの送球で三塁手前でタッチアウト。無死一、二塁となるはずが一死一塁と変わります。続く古城の代打駒居にセンターオーバーの二塁打が出ただけに余計に工藤の暴走が悔やまれました。しかしここで三番に入っているドラゴンズから移籍の森が豪快にライトスタンド後方のネット最上部に当てるスリーランを放ち、3対4と一点差に迫ります。

Photo

九回裏、森がライトオーバーの3ラン!

(注.上田佳範ではありません<笑>。)

そして打席に四番鵜久森。ここでこそ四番の仕事を、という期待もむなしく、バットをへし折られ投ゴロ。次打者稲田も倒れ、ジャイアンツが4対3で逃げ切りました。

今日は暖かさもあり、この時期の鎌ヶ谷にしては観戦しやすい気候でした。試合途中から、ベースボールフォーラムでお世話になっているファイターズファンのKさんを見つけて合流し、今年度初の生観戦を楽しく過ごすことが出来ましたが、ファイターズにとっては打線の仕上がりが遅いところが気懸かりですね。

山本と鵜久森ですが、山本に関して先に「変に小さくまとまらず、文字通りの大砲になってもらいたいところです。」と書きましたが、もう四年目。ファンの立場としては「和製大砲」という夢に向かって欲しいところですが、現実には結果が欲しい時期だと思います。現役時代に天才打者といわれた吉村が二軍監督になって化けてくれればと期待しているのですがどうでしょうか。ちなみにこの試合では本塁打以外の三打席はいずれも三振でした。

鵜久森はまだ二年目。伸びしろも期待できます。既に昨シーズンからファームの四番を経験し、素材の良さを感じさせています。特に昨年の公式戦最終戦、ここ鎌ヶ谷でのスワローズ戦での二本の本塁打には度肝を抜かれました。

今年もこうして、鎌ヶ谷やジャイアンツ球場、浦和だ戸田だ横須賀だ、西武第二だと二軍の試合を観に行くことになると思います。当然ながら一軍よりレベルが低く、時に目を覆いたくなるような凡プレイも出ますが、通いつめているうちにクセになってしまうのが不思議です。ファイターズで言えば小田や小谷野など、成長して卒業してくれる選手を観るのも楽しみですし。

スポーツ新聞にも客観的な結果くらいしかほとんど載らない二軍戦ですが、このブログを読んで下さった方が、少しでも観てきたような気持ちになればと思い、不定期に観戦記を書きますのでこれからもよろしくお願いします。

【4日・鎌ヶ谷】
G 000 310 000 =4
F 000 000 003 =3
本塁打)山本2ラン(立石・4回)、大須賀ソロ(立石・4回)森3ラン(伊達・9回)
G)○南、東野、伊達-加藤、佐藤弘
F)●立石、井場、菊地、伊藤-實松

2006年3月 2日 (木)

ところで岡島はどうしてる?

01_1敗戦処理。はジャイアンツのファンでもあるのだが、今年秘かに期待している選手の一人に岡島秀樹がいる。

今年の暮れに31歳になるこの左腕投手は、かつては抑えの切り札として長嶋巨人の日本一にも貢献した投手だ。しかしあの独特のフォームが悪いのか、コントロールが不安定で、それでもかつてはそれが適度な荒れ球として武器になっていたのだが、ここ数年はその威力も薄れたのか、年々存在感が薄くなっている。

敗戦処理。はそんな岡島のファンなのだ。ジャイアンツは慢性的に左投手が育たず、宮本和知以降が特に薄く、長島茂雄監督の時代からとにもかくにも左投手の補強に走っていた。

川口和久、阿波野秀幸、河野博文、野村空生、エリック・ヒルマン、工藤公康、ダレル・メイ、高橋尚成、河本育之、前田幸長…。岡島はこれらの投手達の間隙を縫うような形でいわば叩き上げのサウスポーとして頭角を現した。敗戦処理。は技術的なことには疎い方だが、岡島の投げ方にどこか問題があるのであろうということくらい想像がつく。しかし何故かそれを治さず、あるいはそれが治らず、プロの舞台でしびれるような場面で登場して仕事をこなす。そんなジャイアンツの選手らしからぬジャイアンツの選手である岡島に妙に愛着を感じるのである。

昨年は林昌範がストッパーとして定着し、中継ぎとしての信頼度でも前田の完全な後塵を拝した。ひょっとしたら昨年の河原純一のように開幕直前の補強時にトレード要員とされるのかもしれないくらいのポジションだと敗戦処理。は推測している。キャンプでも情報が飛び込んでこない。

岡島が数年前までのように使えると、投手陣のバリュエーションが相当豊富になり、弱投返上と見込んでいるのだが…。

岡島は今、どうしているのだろうか?

2006年3月 1日 (水)

「生」観戦した野球場(3)-横浜スタジアム

02 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第3回 横浜スタジアム 観戦球場ファイル-3-

昭和53年から今のベイスターズ(当時のホエールズ)の本拠地として誕生。日本の人工芝球場としては二番目に古い。昨年から内野席のネットを極端に低くし、ファンの臨場感を大きくアップさせた。

JR根岸線の関内駅から程近く、横浜という街にも見事にフィットしている。横浜市が所有する施設、いわゆる箱モノの中では確実に収益を上げてくれる施設。それは即ちベイスターズ球団との利益配分が巧妙で、球場使用時の売店収入など、オイシイ部分を球団ではなく球場が抑えているからウハウハらしい。これは見方を変えれば、ベイスターズ球団の財政危機の一因となっている。

実は敗戦処理。は高校時代にこの球場の名物イベントである「スピードガンコンテスト」に出場している。草野球くらいしか経験のない敗戦処理。が出したスピードはとても恥ずかしくて公表できないが、普通なら入れないスタンド下の選手用駐車場の脇でのキャッチボールなど楽しい想い出となった。

冒頭に記したように内野席のネットを外して臨場感、グラウンドの一体感をを高めてくれたのはありがたいが前掲の神宮球場とは対照的にスタンドの傾斜が急なのがつらいところ。人によっては拒絶反応を示すこともある。

敗戦処理。が初めて観戦したのは昭和55年4月4月6日、ホエールズ対ジャイアンツ戦だった。開幕第二戦だった。

この球場で観戦した試合で最も印象に残っているのは平成13(2001)のオールスターゲーム第二戦。脳腫瘍にかかって選手寿命どころか、生命の危機にまでさらされた旧バファローズの盛田幸妃投手がファンの後押しを受けてパ・リーグの中継ぎ投手部門のファン投票トップでこの年のオールスターに選ばれたのだが、その盛田が登板した。盛田はもともとベイスターズの前身、ホエールズにドラフト1位で入団した投手。凱旋登板という話題性と、重病を克服した生き様に感動した多くのファンから大声援でマウンドに迎えられた。

盛田は全パの五番手として5対8とリードされた七回裏に登板。先頭のかつてのチームメイト、石井琢朗にレフト前安打を打たれた後、仁志敏久の代打、金本知憲を一塁ゴロに打ち取り、打者二人で降板。交代を告げられ、マウンドを降りる際も満員のファンから暖かい拍手が贈られたが、ファウルラインをまたいだあたりで盛田は帽子を取ってまずファンに一礼。そして三塁側のベンチに引っ込む直前に再び立ち止まって深々と三塁側のファンに頭を下げていたのが今でも印象に残っている。観る側も過度に勝敗にこだわらず、ゆとりを持って拍手や歓声を浴びせることが出来るオールスターゲームならではのシーンであったが、本当に良いシーンを間近で観られたなというのが当時の印象だった。

そういえばベイスターズの親会社がマルハから東京放送に変わったばかりの頃、横浜に新たに開閉式の球場を作りベイスターズの新しい本拠地にするなどというプランがスポーツ新聞の一面を飾ったことがあったが、あの話はどこに行ったのだろうか。ベイスターズは赤字体質から抜けられないようだし、親会社も楽天に株式を取得されてとてもそれどころではないのだろう。楽天が東京放送の株式を取得することで野球協約に抵触するという騒ぎが起きていたが、どうせ業務提携するのならば、フルキャストスタジアムを球団にとって都合の良い利用契約を結ぶことで一年目から黒字経営に結びつけたホームグラウンドの利用方法でも勉強させてもらえばよいのではないか。

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