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2006年2月18日 (土)

千葉茂さんのカツカレー

今日は何年かぶりで銀座に行く用事があったので昼食をガス灯通りにある「グリル・スイス」で取りました。

この店は日本プロ野球初期の大スター選手、今は無き千葉茂さんが贔屓にしていた洋食店で、千葉さんの「カレーライスにカツ丼をつけてくれ」という一言でカツカレーが発案されたというカツカレー発祥の店として有名なのです。

(http://r.gnavi.co.jp/g306400/)

千葉さんの一声で産まれたカツカレーは今でも「千葉さんのカツレツカレー」としてこの店の人気メニューであり続けている。

「銀座」という街の、言ってみれば裏通りにあるこの店は四人が座れるテーブルが六個ある小さな店だが昼食時にはいつも相席を余儀なくされる。今日は14時を回っていたがそれでもほぼ満員だった。メニューに千葉さんの笑顔の写真があり、壁には千葉さんの色紙や千葉さんを偲ぶ故郷の愛媛新聞の記事が貼られている。

「千葉さんのカツレツカレー」通称「チバカツ」は三年前と変わらぬ味だった。味が変わらないことが何より嬉しい。

千葉茂さんは日本プロ野球初期のジャイアンツの二塁手として活躍。長嶋茂雄さんに「背番号3」を譲った人物としても有名。ニックネームが「猛牛」だったことから旧近鉄の監督になった時にチーム名が「バファロー」となったことはあまりにも有名だ。監督のニックネームがチーム名に反映された例はおそらく他にないだろう。

近鉄バファローズという球団は、2005年の球団合併により、事実上消滅した。敗戦処理。が日本のプロ野球に興味を持って約四十年。球団の身売りという事例にはいくつか接したが、合併・吸収によって消滅するなんて信じられなかった。

合併しても「バファローズ」という名前だけは残った。しかしそんなことは気休めにしかならないと思っているバファローズファンは少なくないようだ。事実、合併球団の小泉隆司球団社長兼代表は一連の騒動の最中さかんにチーム名を「バッファローズ」と呼んでいた。形だけ名称を残しているという魂胆が明らかだ。

バファローズ球団がこういう末路をたどったのは球団のいっこうに改善されない赤字体質が原因であるが、親会社である近畿日本鉄道自体の経営も逼迫しており、赤字のグループ会社を切り捨てざるを得ない状況であった。球団が吸収され、あの愛着のある猛牛マークも消滅した。実はあのマークは球団だけでなく一部の近鉄グループでも使用されていて、近鉄物流のトラックが車体にこのマークをデカデカと掲示していたが、その近鉄物流も球団同様に切り捨てられ、別の資本が入ることでこのマークを使わなくなってしまった。球団が消え、本拠地大阪ドームは破産して競売にかけられる。その前の本拠地であり、大阪ドーム誕生後もファームの試合に使われていた藤井寺球場も取り壊しが決まり、日生球場に至っては跡形もない。

敗戦処理。は旧バファローズのファンではない。ファンでもない者が軽々しくノスタルジックに語るのは申し訳ない気持ちもあるが、日本のプロ野球そのものを愛している身として、景気や社会情勢で球団の親会社が変わることは仕方ないにしても、球団そのものがこうした形で消滅、姿を変えてしまうのは許し難い。バファローズにまつわるものがどんどんと消えていく中、銀座ガス灯通りにあるこの小さな店にはいつまでも変わらぬカツカレーを提供し続けて欲しいものだ。

旧バファローズのあの猛牛マークが岡本太郎画伯のデザインであることは有名だが、岡本太郎画伯が球団のペットマークを作ることになったのは千葉茂さんと岡本画伯が懇意にしていたからだという。

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